エヴァン・ベイツ(英語: Evan Bates, 1989年2月23日 - )は、アメリカ合衆国ミシガン州アナーバー出身の男性フィギュアスケート選手(アイスダンス)。パートナーはエミリー・サミュエルソン、マディソン・チョック。
2010年バンクーバー五輪・2014年ソチ五輪・2018年平昌五輪・2022年北京五輪アメリカ代表。2023年・2024年世界選手権優勝。2023/2024・2024/2025グランプリファイナル優勝、2019年・2020年・2023年四大陸選手権優勝、2008年世界ジュニア選手権優勝。
経歴
ミシガン州アナーバーで生まれ、4歳でスケートを始めた。2000年にエミリー・サミュエルソンとカップルを結成。2004-2005シーズンの全米選手権ノービスクラスで優勝し、翌2005-2006シーズンよりジュニアに移行してISUジュニアグランプリに参戦を果たした。
2006-2007シーズン、JGPメキシコ杯とJGP台湾杯で連続優勝を果たし、初進出のJGPファイナルでは2位となった。全米選手権ではジュニアクラスで優勝を果たし、メダルが期待された世界ジュニア選手権は途中棄権に終わった。
2007-2008シーズン、地元開催のJGPレークプラシッドとJGPウィーン杯で優勝し、2度目の進出となったJGPファイナルでは2年連続の2位となった。全米選手権にはシニアクラスで出場し4位。3シーズン連続の出場となった世界ジュニア選手権で優勝を果たした。
2008-2009シーズン、シニアクラスへ完全移行し、スケートアメリカで4位、NHK杯で3位となりシニアのグランプリシリーズで初めて表彰台に上った。全米選手権では2位となり、初めてのシニアのISUチャンピオンシップとなった四大陸選手権では3位、世界選手権では地元アメリカの観客からスタンディングオベーションをうける演技を披露し11位となった。
2009-2010シーズンはグランプリシリーズ2大会に出場、うちNHK杯では3位。全米選手権でも3位となりオリンピック代表の座を獲得し、バンクーバーオリンピックに出場、11位となった。その後シュピルバンドとズエワの元に移籍した[1]。
2010-2011シーズンは、リフトの練習中にサミュエルソンのブレードがベイツのアキレス腱を切ってしまったため、ベイツは手術を行った。ケガの回復には6ヶ月を要するため、グランプリシリーズの出場を取り止めた[2]。その後も競技活動を休止、シーズン終了間際にサミュエルソンとのパートナー解消を発表した[3][4]。
2011-2012シーズンでは、シーズン初頭にマディソン・チョックとパートナーを組むことを発表、引き続きシュピルバンドとズエワに師事することを決めた[5]。新カップルのデビューとなったフィンランディア杯では3位と健闘、その後もスケートカナダで4位、エリック杯で5位とパートナーを組んだばかりとしては好調な成績を収めている。
2012-2013シーズンは、全米選手権で前年から順位を大きく上げ2位。四大陸選手権では3位。世界選手権ではお互いに自己最高の7位となった。国別対抗戦は1位。
2013-2014シーズンは、グランプリシリーズ2戦で銅メダルを獲得。全米選手権では2年連続で2位。ソチオリンピックは8位入賞、世界選手権では自己最高の5位に入った。
2014-2015シーズン、スケートアメリカでグランプリシリーズ初優勝。ロステレコム杯でも優勝し、2連勝で初のグランプリファイナル進出を決めた。そこでは銀メダルを獲得した。全米選手権では初優勝。四大陸選手権ではグランプリファイナルと同じくケイトリン・ウィーバー/アンドリュー・ポジェ組に次ぎ銀メダルを獲得した。世界選手権ではSDで全てのエレメンツでレベル4を獲得し1位、FDでは順位を落として2位になるも、自身初の世界選手権のメダルを獲得した。
2015-2016シーズン、グランプリファイナルで2年連続の2位。全米選手権では、4年ぶりにマイア・シブタニ/アレックス・シブタニ組に敗れ2位。四大陸選手権では3位に終わった。地元アメリカ開催の世界選手権では、前年より1つ順位を落とすも銅メダルを獲得した。
2016-2017シーズン、グランプリシリーズは2戦ともに2位。3年連続出場のグランプリファイナルでは最下位の6位。世界選手権では、SDで表彰台圏内につけるも、FDのシンクロナイズドツイズルでミスがあり7位に終わった。
2017-2018シーズン、8月にチョックが右足首を負傷し、砕けた骨片が残ったままシーズンが始まった。グランプリシリーズでは2戦ともに2位。4年連続出場のグランプリファイナルでは5位に終わった。全米選手権ではSDで3位発進で、FD1位と巻き返すも首位に0.52点及ばず3位に留まった。平昌オリンピックでは、チョックがSDのウォームアップで右足首を負傷した[6]。さらにFDのダンススピンでは、2人の靴のブレードが接触した影響で転倒し総合9位に沈んだ。世界選手権では2年連続で表彰台を逃し、シーズンを通してチョックの怪我に苦しめられる結果となった。5月下旬にはコーチをマリー=フランス・デュブレイユ、パトリス・ローゾン、ロマン・アグノエルに変更し、練習拠点をカナダ・モントリオールに映した[7]。
2018-2019シーズン、当初はグランプリシリーズへの参加が決まっていたが、怪我からの復帰に万全を期すために出場を辞退した[8]。1月にはメンタートルン杯で優勝して競技会に復帰した。全米選手権では前年よりも1つ順位を上げ銀メダルを獲得した。四大陸選手権では、同門のマディソン・ハベル/ザカリー・ダナヒュー組のレベルの取りこぼしが重なり、2位から逆転優勝を果たした。共に別々のパートナーと世界ジュニア選手権優勝の経験はあるが、シニアのISUチャンピオンシップス優勝はこれが初めてである。
2022-2023シーズン、全米選手権を連覇すると、四大陸選手権優勝、続く世界選手権で初優勝した。
2023-2024シーズン、ISUグランプリシリーズ スケートアメリカ、エスポーグランプリ、グランプリファイナルを制し、続く全米選手権で3連覇を達成、世界選手権でも優勝し昨年に続き連覇を達成した。
主な戦績
詳細
プログラム使用曲
脚注
- ^ "Samuelson, Bates announce coaching change". icenetwork.com. April 28, 2010.
- ^ [1]
- ^ Ainsworth, Alexa (June 22, 2011). "Samuelson, Bates call it quits". Universal Sports.
- ^ "Samuelson, Bates announce end of partnership". U.S. Figure Skating (IceNetwork). June 28, 2011.
- ^ Rosewater, Amy (July 1, 2011). "Chock, Bates form new on-ice partnership". icenetwork.
- ^ Seidel: Injury pops up at worst possible time for Madison Chock
- ^ ADISON CHOCK AND EVAN BATES MOVE TRAINING BASE TO MONTREAL
- ^ AMERICAN ASSIGNMENT CHANGES FOR GRAND PRIX EVENTS IN CANADA, FINLAND
- ^ “Biography”. web.archive.org (2018年4月16日). 2019年3月9日閲覧。
- ^ “Novi Olympians to send 'hope and unity' message by skating to John Lennon's 'Imagine'” (英語). Detroit Free Press. 2019年3月9日閲覧。
- ^ Ward gets Chock, Bates into the hip-hop groove
- ^ Bates: 'We're trying to take that last step up'
外部リンク
ISUグランプリシリーズ(1995-) |
---|
|
---|
|
名称の変遷: スケートアメリカ(1979年-現在) / ISUグランプリシリーズ スケートアメリカ(1995年-現在) |
|
|
---|
2020年 |
最優秀選手賞 | |
---|
エンターテインメント賞 | |
---|
最優秀新人賞 | |
---|
最優秀衣装賞 | |
---|
最優秀コーチ賞 | |
---|
最優秀振付賞 | |
---|
特別功労賞 | |
---|
| |
---|
2021年 |
|
---|
|