鬼子 、
小日本 など侮蔑用語を記載したプラカードを掲げる
台湾 台北のデモ隊
第二次世界大戦中の反日感情を煽る
アメリカ のプロパガンダポスター。“東京の坊主が言っている、「材料を多く浪費すると、とても幸せになります、ありがとう」”
反日感情 (はんにちかんじょう、英語 :Anti-Japanese sentiment )は、日本 、日本人 、日系人 に対して抱いている反感を指す言葉である。
概要
アジア では、BBC [ 注釈 1] が定期的に実施している世界各国を対象とした対他国感情に関する調査によれば、概ね日本に好意的な回答が示される中でいわゆる特定アジア 2ヶ国である中国 と朝鮮 は日本を肯定的に考える回答より否定的にとらえる回答が多い傾向にある。また、アジアでは読売新聞 ・韓国日報 ・ギャラップ が共同で行った[ 9] 世界各国を対象とした対他国感情に関する調査によれば、東南アジア を含め他の調査対象国における対日・対日本人感情は好意的な回答を示した一方で、中国と韓国では日本を肯定的に考える回答より否定的にとらえる回答が多くなっており、「特定アジア」の国が突出して日本に対して反日感情を抱いている結果が出ている。
特に中華人民共和国、中華民国、北朝鮮 と韓国との間には現在でも歴史認識 などで軋轢があり、日本への歴史的・政治的批判は日本国内でも頻繁に報道されている。北東アジア における「反日」感情は、反日教育 の賜物であるといわれている[ 10] 。
「特定アジア」による民族差別的反日感情
中華人民共和国、中華民国や朝鮮半島では、組織的にあるいは突発的に「反日」感情の噴出が見られる。このような動きを、第二次世界大戦 の「被害」を材料にした日本人に対する民族差別 として糾弾すべきとする人もいる。日本の右派 ・保守派 は、中国・朝鮮半島の「反日」感情は自然発生的なものではなく、様々な教育によって人為的に形成・増幅された特殊な感情であるとする。このため、教育的な「反日」感情の露わな朝鮮半島と中国を「特亜(特定アジア)」と区別するなどして、その他の地域とを区別して取り扱うことがある。世界各国を対象とした各種の調査において「特定アジア」が日本を否定的に捉える比率は突出して多い[ 注釈 1] [ 9] 。
韓国では「百済」というインディーズバンドが歌っている、日本人を「障害者」と罵倒する曲や[ 注釈 2] 日本沈没 がヒットしたほか、中国では日本人留学生が殴られたり、日本人旅行者へのサービス提供を拒否するレストランや病院などが話題となった 。韓国では教育によって大衆に植え付けられた憎悪感情がある。批判の対象が日本ならば無条件で支持するような傾向がある。国際窃盗団が日本から盗んだ盗品を返さなくてもいいという判決が出るなど、「日本相手であれば一事不再理、時効、協定、証拠、判例、国際慣習法の壁まで簡単に越えていく」という国際法無視で中立な判決を下せない司法になっていると指摘されている。14 -16世紀 に略奪されたかもしれないという証拠もない推定を、法廷で証拠にするのが21世紀 の韓国の裁判所の判決だと嘆かれている[ 11] 。
旅行者
1960年代 以降、海外渡航の自由化に伴い日本人の海外ツアーが一般的になると、「旅の恥はかき捨て」的な一部の恥知らずな日本人ツアー客による迷惑行為に不快感を覚える現地の人たちも増えていった。西欧 において「集団で押し寄せる日本人」のイメージが出来上がったのはこの時代による。渡航自由化から数十年を経た近年ではマナーやイメージが好転し、一般的には日本人旅行者はマナーが良く、たくさんお金を使うため現在ではアメリカ人 やスイス人の旅行者と並んで歓迎される外国人旅行客という評価もある[ 12] [ 13] 。
企業活動
日本企業は、その投資行為によって世界各地で摩擦を引き起こしたことがある。象徴的な例としては、バブル経済 最盛期に三菱地所 がニューヨーク のシンボルであるロックフェラー・センター を買収し、ニューヨーク市民の反感を買ってしまったという事例がある。結局、三菱地所はロックフェラー・センターを売却し、大損失を被った。
日本の外国人政策
日本政府 による外国人労働者受け入れ問題や、外国人不法就労 者に絡む人権問題 から日本政府の対応を批判する活動がある。これらはヘイトクライム の側面こそもたないものの、広義の意味で反日感情を助長しているものと指摘する論者がある。
日本国内においては、本人の意志に反して売春 させられている外国人女性たちの問題に対し日本国民がほとんど放置していたという問題に対しては、アメリカ国務省 [ 14] ・国際労働機関 (ILO)[ 15] ・各種NGO [ 16] [ 17] ・各種研究機関[ 18] などから人身売買 と厳しく批判されている。このため、近年、入国管理を強化する一方で、不当就労を強いられている被害者の発見と保護を目的とした法改正が始まっている[ 19] 。
また、日本の外国人労働者 受け入れは少子高齢化 社会のため増加傾向にはあるものの[ 20] 、世界各国の外国人労働者受け入れ動向と比較すれば極めて限定的であり、日本国内の労働者人口に占める外国人労働者の比率は先進国の中では著しく小さい[ 21] 。これらのことは日本国内における外国人労働者の問題が軽視される原因ともなっており、政府同士によるFTA /EPA 交渉や労働組合 による交渉などを通じて積極的に改善されることが望まれている。
日本では外国からの単純労働力の受け入れを原則として拒否しており、外国人研修制度 や技能実習制度 といった抜け穴を利用した就労を斡旋された外国人出稼ぎ労働者 たちが日本国内の職場に不当に拘束され、日本人には強いられないような過酷な労働を強要され続けていたという事件が発生しており、外国人就労者の反発を招いている[ 15] [ 18] 。一部の外国人労働者は、言語的・経済的不利にもかかわらず、余りの人権侵害的な扱いに裁判を起こさざるを得ないような状況に追い込まれている[ 18] 。
中華人民共和国
概要
中国は反日感情が非常に強い。歴史問題や領土問題を巡って反日感情が高まっている。しかし、日本と現在の中国を見ると、日中戦争 ・第二次世界大戦時の中国は中華民国 であり、厳密には日本と中華人民共和国は戦争状態になったことはない。もっとも中華人民共和国の事実上の支配政党である中国共産党 、その軍隊である中国人民解放軍 との戦闘が中国大陸 において行われたことは歴史的事実であり、このような説明は外交上の言辞的修辞以上の意味はない。また自国の歴史の重要な要素であるとして日中戦争における日本軍 による残虐行為についても教科書 で多く取り上げられているが、この教育については、「反西洋を愛国」とし、「野蛮な犯罪を革命」とする思想であるという指摘がある[ 22] 。
また尖閣列島 の領有権や東シナ海 の海底資源をめぐって対立も歴史問題に加えて反日感情を助長した。2003年 9月 に起こった珠海 日本人買春事件では中国の多くのメディアは行為者の違法行為をもとに、連日の報道キャンペーンを展開し日本あるいは総体としての日本人にまで批判的な姿勢をとった。
反日感情から日本人が歴史・政治問題について謝らないとサービスの提供を拒否する店や病院がでてきている[ 23] [ 24] 。
中国における反日感情は、おもに日本軍による中国大陸 への侵攻(日中戦争)に焦点が集まっており、日清戦争 から辛亥革命 期、第一次世界大戦 下における対華21ヶ条要求 などが話題となることは少ない。当時は対華21ヶ条要求が大変な問題となり中華民国政府 は大規模な反日キャンペーンを展開したが[ 25] 、現代の中国でこれが問題視されることは少ない。
しかし日本は仮想敵国 ソ連 の脅威があったために、満州事変 以降一貫して中国本土 を植民地 化また侵略する意図は持っていなかった。特に日中戦争で中国を刺激させたのは陸軍 出先が推し進めた華北分離工作 であり、これが広田弘毅 が訴えた日中親善政策を挫折させる事となり、抗日意識を煽った[ 注釈 3] 。梅津・何応欽協定 と土肥原・秦徳純協定 で中国と満州国 の間に中国側の自治政府の冀察政務委員会 と日本側の冀東防共自治政府 が成立し、事実上満州国防衛のための緩衝地帯となった。1936年 、広田弘毅首相 が提案した「広田三原則」や有田八郎 や川越茂 が提案した防共協定締結を蔣介石 は拒否している[ 注釈 4] 。同年に一致抗日を主張した張学良 により西安事件 が起こり、これにより反共 路線から反日路線へと転換し日中の防共協定は破綻となった。1937年 に林銑十郎内閣 で佐藤尚武 外相 が華北分離工作を中止する事を述べた[ 注釈 5] [ 26] 。しかし盧溝橋事件 の際、現地軍が停戦協定を結んだものの蔣介石の中央軍が北上した情報により近衛文麿内閣 が北支派兵を発表した事により、現地解決は困難となった。現地軍が和平したものの、結局刺激を受けた蔣介石は開戦を決意し、近衛文麿 が8月に船津に華北 分離工作を解消しようとした和平工作を行おうとしたものの、中国軍 が上海 に駐留する日本軍に総攻撃した第二次上海事変 が勃発する。蔣介石は自身が期待していた対日制裁が行われなかったため、11月 初頭に日本側が提出した「華北の行政権は南京政府 に委ねる」が記載されている非併合・非賠償の条件のトラウトマン工作 で1度目の和平案を12月 初頭に受諾を検討したものの、南京 陥落により2度目の和平案が加重されたため失敗した。後に様々な和平案を出すが、中国側が承諾できない過酷なものであり、1940年 の桐工作の際まで最悪の日中関係 となった。このように日中戦争は第二次世界大戦 の始まりであるナチス・ドイツ とソ連のポーランド侵攻 のような不可侵条約 を破棄した一方的な侵攻とは多少異なる。
2000年代の中国政府は、日本との関係が良好な時には戦時中の日本軍による残虐行為などを取り上げている映画に対して、日本や日本人への敵意が表立って見られない場合でも圧力をかけることがあり、中国における「反日」感情は政権の都合により利用されたり抑制されるのが実情であるという意見もある。2007年 に成立した福田康夫政権 は「親中 」と見られていることから、中国は南京大虐殺 を取り上げた映画などに圧力をかけているという報道もあった[ 27] 。また、2008年 に発生した四川大地震 では日本の救援隊が派遣された際には歴史とは別に被災者から感謝の意を表した。
2021年、中国政府は盧溝橋事件発生日に新製品の発表を行ったことを理由に、ソニー に対して100万元の罰金を命じた[ 28] 。中国に進出している企業の多くは、第二次世界大戦や天安門事件 などの節目の日を意識しながら活動を行っている[ 29] 。
世論調査
2007年に新華社通信 が中国人約1万2000人を対象にアンケート調査した結果、「好きではない隣国」の1位に韓国(40.1%)、2位に日本(30.2%)が挙げられた。一方、「好きな隣国」の1位はパキスタン (28.0%)、次いでロシア 、日本が3位(13.2%)となった[ 30] 。また、2007年12月に中国の大手ポータルサイト 『天涯コミュニティ』の行った世論調査では、最も嫌いな国の1位は韓国、次いで日本が挙げられた。一方、最も好きな国の3位が日本となった[ 31] 。また、中国のインターネット 上で実施された「どの国が一番好きか?」という統計によると、中国人が最も好きな国の1位は米国、2位は日本だった[ 32] 。また人民日報 の姉妹紙『環球時報 』が中国の北京 、上海、広州 、武漢 、重慶 の5つの都市に在住する中国人、1350人を対象に「中国人が見た世界」と題する調査を行った結果、中国人が最も好きな国は順に米国 、フランス 、オーストラリア 、シンガポール 、日本だった[ 33] 。中国人が一番嫌いな国は韓国であり、日本は「好き」「嫌い」双方の設問で上位に入っている。
2009年 末の『環球時報』の世論調査では15〜20歳の若年層では「最も好きな国」の1位に日本を挙げている。国民全体でも「最も好きな国」「最も行きたい国」の区分で、日本は5位、3位に入っている。2010年2月に『北京晨報』が報じた大手旅行会社の調査によると、海外(中国本土以外)の人気旅行先は、日本が台湾 と並んで3位だった。1位の香港 、2位のマカオ は中国領であるため、純粋な外国では実質的には日本が1位となる[ 34] 。
南京事件を巡る対立
抗日神劇
中国ではテレビ番組の内容について共産党の検閲 が行われているが、内容が「反日」的であれば規制が緩くなるとされる。そのため、第二次大戦中の中国大陸を舞台に中国人が日本兵を撃退する「抗日ドラマ (反日ドラマ)」というジャンルが一定数制作されていた。これらの一部は「神劇[ 注釈 6] 」という中国のネットスラングから「抗日神劇 」と通称されている。
2005年の中国における反日デモ・暴動
2005年 に日本の国連安保理 常任理事国 入りの可能性が濃厚になると、中国で反発が高まり、ネットで1,000万人を超える反対署名が集められた。4月9日 には北京で日中国交正常化 以来最大となる1万人の学生が参加した反日デモが発生した。このデモ隊は日本大使公邸まで行進の後、一部が日本大使館や日本企業に投石を行うなど暴徒化した。4月10日 には広州で2万人参加のデモが行われた。デモ隊はいっそう過激化して、日本人が中国人に殴られたり、中国人経営の日本料理店や中国人が乗る日本車に対して攻撃するなどした。中国政府の謝罪は無く、これらに対する補償はあくまで上海市当局や国営企業名義で行われた。これには小泉政権 下での歴史認識をめぐる日中間の軋轢が背後にあるという指摘もある。また他の常任理事国は第二次世界大戦で日本の敵国であったために中国を擁護し日本の過去の戦争行為を批判する面も見られた。
2010年の中国における反日デモ・暴動
2010年 の尖閣諸島中国漁船衝突事件 をめぐって中国各地で行われた反日デモに関して、中国政府の外務省 スポークスマンは「一部の大衆が日本側の誤った言動に義憤を表明した」としていたが、香港のメディアは、その実態は各大学の政府系学生会が組織したものだと報じている。ある香港紙は、取材に対して「各大学の学生会が 1カ月前から準備を開始した」「校内で日本製品ボイコットの署名活動も行った」というコメントを得たとしている。また、「デモに参加したある大学生がインターネット上で、デモは学生会が組織したことを明らかにした」とも報じられている。なお、中国の大学学生会とは自主的な政治活動は認められておらず、すべて政府や共産党の指導のもとで活動が行われる[ 35] 。
精神日本人への制裁
日本の支配下であった台湾と日本の交戦国である中国は政府が反日的であっても親日派 に対する制裁は近年では行われていなかったが[ 注釈 7] 、近年、江蘇省人民代表大会常務委員会会議にて南京大虐殺を否定する行為や、南京市内の国家追悼施設で旧日本軍の軍服を着るなどの「精日(精神日本人 )」行為を処罰する「南京市国家公祭保障条例」を満票で可決しており、韓国同様に戦前の日本に対する言論統制を行うようになった。
中国江蘇省人民代表大会常務委員会会議は2018年 11月23日 、南京大虐殺を否定する行為や、南京市内の国家追悼施設で旧日本軍の軍服を着るなどの「精日(精神日本人)」行為を処罰する「南京市国家公祭保障条例」を満票で可決した。条例は12月13日 から施行される。条例は第28条で、いかなる組織や個人も南京大虐殺の史実を歪曲、否定したり、犠牲者や生存者を侮辱、誹謗したり、前述の内容を含む国家と民族の尊厳を損ない人民の感情を傷つける言論や情報をつくり出したり、伝播させたりすることを禁止。第29条では、国家公祭施設や抗日戦争の遺跡や記念館などで、日本軍国主義を象徴する軍服や旗、図または関連する道具を用いて写真や動画を撮ったり、インターネットを通じて前述の行為を公開伝播したりすることを禁じた[ 36] 。
反日感情と関連のある施設
朝鮮半島
李氏朝鮮の小中華思想・日本小国論
小中華思想 における華夷秩序
朝鮮では中国を中心として周辺国を夷狄 (いてき)とみなす小中華思想 が存在し、1402年の地図「混一疆理歴代国都之図 」などにもみられるように李氏朝鮮 では明 と朝鮮が中華 (世界の中心)であり、それ以外は文明化されていない夷 と認識していた[ 37] 。1468年 に朴時衡は獄中から国王宛書簡で日本、琉球 、女真 、三島(壱岐 ・対馬 ・松浦 )の「四夷」が李朝に「来庭」(入貢)していると書いている[ 38] [ 39] 。ただし現実にはこうした扱いを出来たわけではない[ 39] 。また両班 達は自身を中華文明の体現者と捉える一方、朝鮮国内の庶民に対しても「夷狄禽獣の類い」と差別 していた[ 40] 。このような李朝の対日認識の原因としては当時の日朝外交が対馬 を経由していたため、日本の情報が対馬の外交使(対馬使と称する偽使 もいた[ 39] )の裁量 によって左右されていたこと[ 39] や、とりわけ1467年 からの応仁の乱 それに続く戦国時代 において日本国内が混乱していたことなどがあげられる。李朝もこうした事情は察していたが[ 41] 、日本小国論 の修正には繋がらなかった。琉球国王使が通交しなくなった後、李朝と国交を持っていたのは明、日本、女真族 に限定されていた。女真族は建国初期から李朝の藩属として扱われていたため、残る日本を小国 視することで李朝は当時の東アジアの政治情勢を、明を頂点とし李朝は小中華として日本と女真族を夷狄として従えるとする、小中華的政治観の枠に当てはめて認識していた[ 42] [ 43] 。
13世紀の元寇 で高麗軍は元・中国の手先になり日本を2度侵略した。そして15世紀には応永の外寇 で対馬を再び侵略しているが、その後、小国また夷狄 とみなしていた日本と女真から朝鮮は侵略 をうける。16世紀 末の1592年 〜1598年 にかけて豊臣秀吉 が明 を中心とした華夷秩序から抜け出ようと企図し、朝鮮半島 を侵略、李氏朝鮮 ・明 連合軍と大規模な戦争を行った。この文禄・慶長の役 で甚大な被害を受けた朝鮮半島では反日感情が残る。一方、文禄・慶長の役などの万暦の三征 による戦費と財政悪化で明 が疲弊するなか、女真 族のヌルハチ がアイシン国(後金 )を1616年に建国し、さらには1619年 のサルフの戦い で明・朝鮮軍を破り山海関 を攻略する。1627年にはヌルハチを継いだホンタイジ が朝鮮へ侵略(丁卯胡乱 )。さらに後金は1636年に大清国 へ国号を改称したあと清 への服属を拒絶した朝鮮を再度侵略する(丙子の乱 )。敗北した朝鮮は清と三田渡の盟約 を交わし以降、属国 として服属する。
江戸時代 になって1607年 に日本と国交 回復した朝鮮 は朝鮮通信使 を派遣するようになるが、朝鮮通信使らは、日本の風俗風習について野蛮であるとたびたび指摘している。第四回(1636年 )副使の金世濂は『金東溟海槎録見聞雑記』において「男子はみな半幅の青布でへそから下を被っている。はなはだしいのになると隠さない」と記し、また第六回使節従事官の南龍翼(1628年 〜1692年 )は『扶桑録』において倭国の草履 は「前部に一本の縄があって、そこに足指を掛けて挟んで歩く。その形はひどく奇怪である。足袋は蛇の舌のようである」と日本の風習を夷狄視する記述を見せている[ 44] [ 37] [ 45] 。第九回使節製述官申維翰 は『日本見聞雑録』で「淫穢の行いはまったく禽獣と同じで、家々では必ず浴室を設けて男女がともに裸で入浴し、白昼からたがいに狎れあう」と書いている
[ 44] 。
さらに1763年 に来日した第11回朝鮮通信使の金仁謙は著書『日東壮遊歌 』で京都について「沃野千里をなしているが、惜しんであまりあることは、この豊かな金城湯池が倭人の所有するところとなり、帝だ皇だと称し、子々孫々に伝えられていることである。この犬にも等しい輩を、みな悉く掃討し、四百里六十州を朝鮮の国土とし、朝鮮王の徳を持って、礼節の国にしたいものだ」と日本侵略の願望を述べている[ 46] 。また金仁謙は「犬にも等しい倭人に拝礼するのが苦痛である」[ 47] と江戸での将軍との謁見を拒んで一人宿舎に残っている。同じく第11回朝鮮通信使の一員であった元重挙も帰国後、日本側の戦勝意識と朝鮮側の敗北意識を払拭する「臥薪嘗胆」の意を込めて『和国志』に壬申倭乱戦勝論を展開する[ 48] 。このように小中華思想にもとづく反日感情は李氏朝鮮 時代に存続し続けていた。
近代朝鮮における反日感情
19世紀になって、西欧列強諸国が朝鮮にも進出するようになると、開国 を強要する欧米を「洋夷」とする衛正斥邪 という鎖国 攘夷 思想が展開し、朝鮮を中華 として清をも夷狄 とみなした[ 49] 。1854年に開国 した日本は李氏朝鮮にも開国を要求した。衛正斥邪 の思想では日本を欧米に追随する「仮洋夷」また「倭夷」とみなした[ 37] 。のちに江華島事件 で日本の砲艦外交 で朝鮮は1876年 に開国 するが、衛正斥邪 思想は朝鮮における近代的民族主義 の基礎となって展開していく[ 37] 。開国後も親日派の開国派(開化派 )と鎖国攘夷を訴える斥邪派が対立し、1882年の壬午事変 で日本人の軍事顧問 や公使館員 らが殺害された。1880年代に駐朝鮮アメリカ公使を務めたジョージ・クレイトン・フォーク は、当時の朝鮮人の対日感情について、(中国人はその外観、行為、習慣のせいで朝鮮人から嫌われているが、残虐行為や詐欺をしても恨みを買わないが、)日本人はその外観、行為、習慣のおかげで称賛さえ受けているにも関わらず嫌われており、朝鮮人は日本人の血を流すことでこの感情を爆発させる機会を常にうかがっている、と報告している[ 50] 。
1894年 の東学 党の乱(甲午農民戦争 )の処理をめぐって日本と清が対立し日清戦争 にいたる。清が日本に敗れたことで華夷秩序 が崩壊し、朝鮮は清 への冊封体制 から独立する。三国干渉 によって日本は一時半島から退いたため、親日派 で開化派 の金弘集 政権は親ロシア派の王妃閔妃 勢力のクーデタで1895年7月6日に崩壊する。しかしその三ヶ月後の10月8日には王妃閔妃 が日本人と開化派によって暗殺される(乙未事変 )。政権に復帰した金弘集 が同年12月に出した断髪令 (朝鮮) を日本の真似だと反発した元儒学者 らが義兵 運動を開始する。朝鮮はその後、親ロシア政策によって(露館播遷 )1897年 に国号を大韓帝国 とするが、1904年2月に日露戦争 が勃発する。1905年9月に日本はロシアに勝利し、大韓帝国への優越権を獲得、11月には第二次日韓協約 を締結し、大韓帝国 を大日本帝国 の保護国 にする。これに反発して反日感情の強い義兵 運動が活発化するが、日本軍に鎮圧される。日本はさらに1907年に第三次日韓協約 で大韓帝国軍 を解散させると、元兵士が義兵運動に参加し、1909年には安重根 が初代統監 伊藤博文 を暗殺 するが、韓国では一進会 ら親日派が日韓併合論を推進して翌1910年には韓国併合 が行われる。反日派にとっては夷狄 視していた日本に国が併合されたため小中華思想をもとにした民族主義 は、より強い反日感情へと発展した[ 44] 。古田博司 は「近代に至り、この「野蛮人」である日本人の植民地支配を経ると、朝鮮の矜持を回復せんとする試みは反日思想と結合し、中華思想のより強固かつ執拗な復権となって開始され今日に至る」としている[ 44] 。戦後の大韓民国 では安重根は抗日闘争 の英雄とみなされている。
姜尚中 とダニ・オルバフ (ヘブライ大学 )は、「同じ大日本帝国 の植民地 だったのに、台湾は友日的なのに、韓国 が反日的 なのはなぜか」という対談において、【ダニ・オルバフ 】「『植民地』としての朝鮮半島 は天皇 直属です。同じ『植民地』でも台湾は内閣 直属でした」【姜尚中 】「そうですね。今、日本人 はどうして台湾が友日的なのに韓国 が反日的 なんだろと考えますよね。でもそれは、台湾統治と朝鮮半島の統治の組織構造の違いを考えると分かります」【ダニ・オルバフ 】「当時の大日本帝国憲法 のわずかな権利 すら民衆に与えず、総督 が天皇の代理人 として弾圧できたのが朝鮮でした。朝鮮では総督が代々陸海軍大将であったのに比べ、台湾では1919年 から1936年 まで貴族院議員 の政治家 が続きました」【姜尚中 】「天皇直属となれば、時の政府 は口出しはできません。台湾と朝鮮半島でどうしてこのような統治の違いになったのかが不思議なのですが、天皇統治とはある意味、統帥権 が不可侵であるのと同じです。最終的に同化政策 の時は、君たちは日本の本土 にいる人たちと変わらない、ということになります。天皇の愛顧をみんなにあげるというのは大変な恩恵であるという発想です。それを天皇統治では一方的にどんどん進めていくことになり、朝鮮半島の日本に対する評価が変わってくるわけです」と述べている[ 51] [ 52] 。
台北駐日経済文化代表処 代表を務めた羅福全 (中国語版 ) は、平井敏晴 (漢陽女子大学校 )の取材に対して、「韓国が日本に反発してしまう理由はいろいろありますが、私がまず思うのは、王朝 があったからですよ。台湾にはなかったでしょ」「(戦後、台湾に入城した中華民国軍 の)大陸 から台湾にやって来た人たちの格好を見て、台湾の人たちが愕然としたんですよ。身なりはひどいし、兵器 は旧式で、日本のものと比べると雲泥の差がありましたから」「日本の台湾統治は黒字 で、朝鮮統治は赤字 だったんですよ。日本は成功した台湾をモデルケースにして朝鮮統治に臨んだけど、うまくいかなかった。その結果、日本人 は台湾人 に対するのと同じように朝鮮人 に接することができなかった」と述べており、平井敏晴 は、17世紀 に清 が明 を滅ぼすと、長崎 出身の鄭成功 は清に抵抗する拠点を築くために1662年 に台南 に入り、その後の台湾は、清に対する抵抗の拠点であり続けたため、台湾からすると、日本に割譲されることは、抵抗を続けてきた清からの開放でもあり、「台湾はもともと清への対抗意識があり、日本統治はある意味、台湾にとって渡りに船でもあった。一方、韓国は王朝を断絶させられたことで、日本への反発が生じやすかった。そのうえ、朝鮮統治は日本にとって経済的にうまくいっていなかった」「朝鮮王朝 を潰した日本への反発心が何らかの形で韓国社会に根を張っている」「1897年 に朝鮮は国王 を皇帝 に代え、大韓帝国 が成立し、日韓併合の1910年 まで存在した。韓国は正式な国名が大韓民国 であることからもわかるとおり、大韓帝国 と無縁ではない」「現在の韓国には大韓帝国 が重ね合わせられ、さらにそこから直接遡れる朝鮮王朝 500年の歴史を自ずと回想することになる」「そんな思考体系によって、近代日本と朝鮮王朝 は対立関係に置かれてしまう。当時の日本の仕業に反対・反発することは、現在の大韓民国 においても正しく称賛されるべき行いであり、そうしなければ罰せられる対象になる。日本で冷淡とも言われる親日派 への処遇である」「台湾には王朝がなかったので、そこを統治して開拓 を進めた日本は、後に朝鮮で経験するような王政復古 のイデオロギー による軋轢を経験せずにすんだ」と結論付けている[ 53] [ 54] [ 55] [ 56] 。
朝鮮独立軍と大韓民国臨時政府
日本統治時代の朝鮮 でも義兵運動は朝鮮独立運動 として継続して1919年の三・一運動 を経て、満州 の間島 では抗日独立軍 が成立し、上海 では独立運動家による亡命政府 の大韓民国臨時政府 が成立する。初代代表には、アメリカに亡命して朝鮮独立運動 を展開していた李承晩 が就任する(李は内紛で一時アメリカに戻る)。大韓民国臨時政府は1933年に蔣介石ら中国国民党 と対日戦線で協力合意、1940年9月17日に重慶 で「韓・中二つの国の独立を回復しようと共同の敵・日本帝国主義を打倒し、連合国 の一員として抗戦することを目的にする」と宣言して韓国光復軍 を創立した。1941年12月8日の真珠湾攻撃 でアメリカ、中国が対日宣戦布告 を行うのとともに臨時政府も日本へ宣戦布告を行うが、日本政府に布告文書は通達されず実効性はなかった。その後アメリカ戦略事務局 (OSS ) の下、訓練を行うが、実地での戦闘を行うことはなかった。
他方、朝鮮独立軍は1920年の青山里戦闘 で壊滅するが、満州では中国共産党 指導下の東北抗日聯軍 (抗日パルチザン )が成立し、のちの北朝鮮 (朝鮮民主主義人民共和国 )を建国した金日成 が所属していた。
大韓民国
2010年から2012年まで駐韓日本大使 を務めた武藤正敏 は、中国の反日が共産党の指導下で国益に基づき制御されているのに対し、韓国の反日は国民感情の影響を受け、国益を毀損してでもおこなわれると述べている[ 57] 。
李承晩政権
大韓民国 初代大統領 の李承晩 は強い反日感情を持ち、「反日主義」一辺倒の民族主義を煽り、「日帝に対する闘争」を掲げることで民族の紐帯を醸成し[ 58] 、反日教育 を実施した。
1957年 12月に李承晩は談話で次のように述べている[ 59] [ 44] 。
日本が日本海中の三島倭人として離れて暮らしていた頃、我が文明と礼儀作法を学び、東洋の開化をこうむっていたのだが、現今に至り、自分たちが昔から文化的な人種であるとかこつけ自慢しても歴史上の事実を拒むことはできず、東洋の文明を「韓国」からもらったということを認めているのである。 - 1957年12月30日、第二講話「すべての同胞たちが三綱五倫を知り、護れ」
朴正煕政権
朴正煕 大統領は、著書『国家・民族・私』で「我が半万年の歴史は、一言で言って退嬰と粗雑と沈滞の連鎖史であった」と韓国(朝鮮)について述べ、さらに「姑息、怠惰、安逸、日和見主義に示される小児病的な封建社会の一つの縮図に過ぎない」「わが民族史を考察してみると情けないというほかない」「われわれが真に一大民族の中興を期するなら、まずどんなことがあっても、この歴史を改新しなければならない。このあらゆる悪の倉庫のようなわが歴史は、むしろ燃やして然るべきである」と自民族を批判的に述べた[ 60] 。
朴は朝鮮史 における事大主義 と属国性 を自覚し、自著『韓民族の進むべき道』で韓国人の「自律精神の欠如」「民族愛の欠如」「開拓精神の欠如」「退廃した国民道徳」を批判し、「民族の悪い遺産」として次の問題を挙げている[ 61] 。
事大主義
怠惰と不労働所得観念
開拓精神の欠如
企業心の不足
悪性利己主義
名誉観念の欠如
健全な批判精神の欠如
朴正煕は独裁体制(維新体制 )を確立すると、「国籍ある教育」を掲げ、歴史教育の目的として「民族の中興の使命を達成するための主体的民族史観 」がうたわれるようになった。この様な韓国の公教育 が反日感情を増幅させている側面がある。ただ、朴正煕は李承晩とは違い、終生親日 家であったといわれ、公式的な場では「反日」であるが、非公式な場では「親日」の面もあり、「昼は反日、夜は親日」とも言われる[ 62] [ 63] 。
自身が日本に潜伏していた北朝鮮の工作員に暗殺されそうになった(妻の陸英修 が死亡)1974年 8月の文世光事件 では韓国内の反日感情が激化し、朴も日本政府の対応に激怒した。
戦後補償
韓国 では現在も日本の文化 に対して否定的な風潮があり、地上波テレビは日本製コンテンツの放映をほぼ認めていない。韓国併合 により一時朝鮮半島が日本の一部となっていたため、日本や日本人そのものへの敵意を抱く人もいまだに存在しているとされる。また在日コリアン の問題もあって、それらの人々の扱いを巡る感情的な問題が起こることもある。
1991年 に従軍慰安婦 問題がマスコミで大きく取り上げられ、また元慰安婦と称する人々が名乗り出始めた。いわゆる「従軍慰安婦」問題は韓国国内における「反日」感情の高まりへと発展し、ソウルの日本大使館への侵入やデモ、国旗を焼き捨てるなどの暴動が発生した。事態を重く見た日本政府は同年12月に調査を指示、1995年には同女性らに対する補償を目的とした財団法人アジア女性基金 」を設立した。しかし、慰安婦については日本軍による強制連行の証拠は発見できなかったとするのが日本政府の公式見解であり、民間レベルだけではなく日韓の外交問題としていまだに全面的な解決に至っていない。
1998年 には金大中大統領の訪日や、日韓合同のワールドカップ 開催などで関係改善に曙光が見えたが、依然として韓国の反日感情は強く、韓国東アジア研究院と日本の言論NPOが、2013年3月〜4月に実施した世論調査では、両国民の約4割がこの1年間に相手国への印象が「悪化した」と答え、日本に「良くない印象を持っている」、「どちらかといえば良くない印象を持っている」と答えたのは韓国人は76.6%だった[ 64] 。
盧武鉉政権
2003年 に発足した盧武鉉 政権は当初は日本との関係改善に積極的であったが、小泉政権との対立が深まるにつれ日本政府との距離を置く政策を採った。2005年 に韓国政府が1965年の日韓基本条約 交渉議事録を公開し、韓国国民個人への補償は韓国政府が行うので日本政府は韓国政府へ一括して経済援助金を支払うという文言が存在していることが報道された。しかし、その後盧武鉉 大統領は日本側に一部補償義務が残されているという演説をおこなった。2005年 3月には島根県 議会 が竹島の日 条例を制定したことから韓国政府や地方自治体レベルの抗議や交流停止が相継いだ(竹島の日 参照)。
親日派に対する制裁
韓国・北朝鮮は日本統治を肯定する親日派に対する制裁が厳しい。北朝鮮で親日派は終身収容所送りとなり、韓国では親日派は社会的に抹殺され、盧武鉉政権下の2005年 に歴史問題、竹島問題や小泉純一郎 首相の靖国神社 参拝などで反日感情が高まった際には日本統治時代の親日派の子孫で日露戦争開始前から韓国独立前までの間、反民族反国家行為の対価として取得、相続もしくは故意による贈与を受けた財産の財産を没収する親日反民族行為者財産の国家帰属に関する特別法 や日帝強占下反民族行為真相糾明に関する特別法 の制定など、反日的政策が実行された。
韓国のインターネットでは親日的な書き込みに対してネット検閲 が行われている。大統領直属機関である大韓民国放送通信委員会が、親日的な発言をするウェブサイトとブログを強制的に削除やアクセス禁止をし、言論統制 を行っている。
李明博政権
経済界出身の李明博 大統領は「実用主義」=現実主義の政策アプローチを標榜しており、対日外交政策においても硬軟おりまぜた現実的スタンスを採用している[ 65] 。李大統領の就任以降、靖国神社参拝を行わなかった福田康夫との日韓シャトル外交 が復活した。また韓国では日本文化、日本食が売れ、さらに韓国企業に退職日本人技術者を招いている。
一方で、2012年には野田佳彦 首相からの親書を返送したり、竹島への上陸 や天皇への謝罪要求 といった対日強硬外交を行った[ 66] [ 67] 。
日本大衆文化との関連
韓国は日本を通じて近代文化を摂取した側面を持ち、日本統治時代以降も一貫して日本文化の流入が続き、日本の影響は韓国社会に広く深く浸透している。しかし、1980年代 まで韓国では日本の映画や音楽の流通や広告などマスメディアでの日本文化に関する表現は厳しく禁止されていた[ 注釈 8] 。ただし、実際には韓国南部では日本語放送を傍受できたほか、日本国内で録音録画したものが密輸入され海賊版 として流通していた。一部のアニメは日本から輸入され、スタッフ欄、作品内の表現や文字を書き換えたり日本国旗を塗り潰して韓国旗を上書きしたりして、あたかも韓国内で作られた作品であるかのように修正され、或いは和服 などの日本を連想させる描写をカット、或いはそのようなシーンを含む回を隠蔽・放送しない形で放送されていた。これらのアニメ は手塚治虫 作品など、日本国内でも高い評価を受けた作品が中心であり、韓国では公的には日本の大衆文化を排除しつつ、一般的な韓国人が気がつかない形で日本文化の摂取が行われていた。また日本統治時代の名残である日本の武道が韓国式にアレンジされる例もあった。日本文化の露骨な模倣が行われることも多々あり、その結果、韓国の大衆文化は現在でも日本の大衆文化との類似性が高い。以前はこれらの事情を知らない韓国人の間で、日本の大衆文化が韓国のそれに似ているのは前者が後者を模倣したためだという誤解も生じていた。その一方、日本文化の起源そのものが韓国であるから、模倣とは言えないとする主張(韓国起源説 を参照)も一部で活発に唱えられている。この主張は日本の文化人などもすることがある。
1987年に日本語書籍、1992年に日本映画 、1998年には日本のマンガ が相次いで制限を解除され、2010年9月にはSKE48 が「2010ソウルドラマアワード」授賞式で「強き者よ 」「青空片想い 」を日本語 で歌う姿が韓国の地上波テレビで初めて生中継された[ 注釈 9] 。
他方、日本の自衛隊映画「亡国のイージス 」に出演した韓国人女優チェ・ミンソ が韓国で激しく非難されるなど、一部の韓国人の極端な反日感情は収まっていない。韓国の反日作品 は大衆文化開放後も盛んに刊行され、人気を呼んでいる。ワールド・ベースボール・クラシック (WBC)で、韓国内で日本チームを応援するために日の丸を振った韓国人がいたが、即座に周りの韓国人に取り囲まれ、こづかれた。この様子は、YouTube にて全世界に公開されている。反日デモでは、一部の団体が日の丸 や日本の首相 の写真を焼く事は日常茶飯事であり、日本の国鳥 であるキジ を大使館前で屠殺 する事態も発生し、日本人はもちろん海外のニコニコ動画ファンも韓国人のキジ屠殺に激しく非難し、『日本はもう韓国に謝る必要はない』『日本を敵に回していいのかい?』などと反韓 的な発言が見られ、対韓感情をより悪化させた。このような反日行動は結果として日本人の対韓感情を悪化させている。
韓国のアンビバレンスな対日感情
エドウィン・O・ライシャワー は、韓国人 が日本へのアンビバレンス な感情 を抱いていることを指摘している[ 68] 。
言語であれ、基本的な文化性向であれ、旧植民地であるだけに近代的な諸機構であれ、日本にいちばん近い国は韓国である。だが日本人と朝鮮人との間には、親近感も温かい感情も存在していない。後者にしてみれば、日本に植民地支配を受けた記憶が残っているだけに、日本への嫌悪感が育ち、それは教育を通じ、次の世代に引き継がれていく。しかし日本への強い怨念と裏腹をなすのは、口には出さないが日本に対する尊敬の念である。彼らは日本に範をとることで、最高の敬意を払っている。他方、日本人は朝鮮人を軽蔑する傾向がある。朝鮮は自分たちがかつて統治した後進国に過ぎず、日本在住の朝鮮人は厄介な少数派とみなされている。 — エドウィン・O・ライシャワー、ザ・ジャパニーズ―日本人、p416
このエドウィン・O・ライシャワー の指摘に対して鄭大均 は、「韓国人は日本への『強い怨念と裏腹』に『尊敬の念』を抱いていることを、ライシャワーが指摘したことの意義は大きい。韓国人と日本人の眺め合いや相互イメージに見てとれるアンビバレンス の性格は、無視・軽視されることが多いからである」「日韓の眺め合いをテーマにした戦後の議論は、このアンビバレンスの一方にのみ依拠して日本の加害者性 や差別性 を語ろうとした。この分野を代表する旗田巍 、梶村秀樹 、和田春樹 、高崎宗司 といったリベラル系研究者 たちは、たとえば日本統治期の韓国人の思考や感情を語るとき、韓国人の日本に対する『恨 』や『抵抗 』は語っても、『憧憬』や『協力 』や『暗黙の了解』を語ることはしなかったのである。日本に対する『尊敬の念』に言及したライシャワーの指摘は、その意味で貴重である」と述べている[ 69] 。
韓国有識者たちの対日意識
2012年12月9日、朝鮮日報の金翰秀文化部次長が「日本では記憶歪曲の集団化が進んでいるため、韓国が教育し続けなければならない」と朝鮮日報に寄稿。
2012年9月25日、朝鮮日報の朴海鉉論説委員が「他人を踏み付けることに快感を覚える加虐本能が、日本人の遺伝子の中に今なお流れている」「日本文化には以前から猟奇的、怪奇的な要素が多かったが、それにしても最近の日本列島はついに巨大な虫に変化し始めたかのようだ」などの論説を朝鮮日報に寄稿。
2013年5月5日、朝鮮日報の金大中顧問が「日本は結局、世界一流の国ではなかった。非常に豊かでカネをよく稼ぎ、立派なふりをしていても、やはり日本は、周辺諸国を強奪・植民地化して侵略戦争を起こした前世紀の水準から脱しきれていない」と朝鮮日報に寄稿。
2014年、韓国国会議員の羅卿瑗 (ナ・ギョンウォン)が、「政治家の立場では、日本と対立ばかりできないことも当然あるでしょうが、それでも日本は根本的に悪質だと思います。」と朝鮮日報のインタビューに回答[ 70] 。
韓国国民の対日意識調査
韓国国民の対日感情に関するアンケート調査結果を以下のように推移している。
1984年
朝日新聞社 と韓国の東亜日報 社の共同調査では、1984年は「日本が好き」が23%、「嫌い」が39%、「どちらでもない」34%であった[ 71] 。
1995年
朝日新聞社 と韓国の東亜日報 社の共同調査は1984年以降、1988年、1990年と不定期に継続されたが、慰安婦 問題などによって対日感情が悪化し、1995年の調査では「嫌い」が69%、「好き」が6%になる[ 71] 。
2004年
韓国中央日報 社が調査期間は2004年8月19日〜9月10日、20歳以上の男女1200人を対象をとした世論調査を2004年9月22日に発表した資料を下に示す(括弧内の数字は100分率を示す)。
項目
1位
2位
3位
好きな国
米国(14%)
豪州(14%)
スイス(14%)
嫌いな国
日本(41%)
米国(24%)
北朝鮮(11%)
見習うべき国
日本(33%)
米国(14%)
中国(11%)
経済協力すべき国
中国(44%)
米国(29%)
日本(15%)
2005年
CBSラジオの世論調査(526人を対象)によると「韓国の安全保障を脅かす国」として以下の結果となっている[ 72]
項目
1位
2位
3位
4位
5位
韓国の安全保障を脅かす国
北朝鮮(30.8%)
日本(29.5%)
米国(15.5%)
中国(11.4%)
ロシア(0.8%)
2008年
2008年「中央日報」に掲載された世論調査の結果[ 73] 。
「最も嫌いな国」1位は日本(57%)、2位は中国(13%)、3位は北朝鮮(10%)。
「最も好きな国」1位は米国(18%)、2位はオーストラリア(14%)、3位スイス(9%)。
「最も見習うべき国」1位は日本(24%)、2位は米国(18%)、3位はドイツ(9%)。
「経済的に最も協力すべき国」1位は米国(42%)、2位は中国(38%)、3位は日本(6%)となった。
2008年「京郷新聞」が世論調査機関に委託した調査の結果[ 74] 。
「最も好感を持つ国」1位は米国(45.4%)、2位は中国(15.2%)、3位は日本(11.7%)、4位はロシア(8.1%)、5位は北朝鮮(4.0%)。
「最も脅威となる国」1位は日本(35.1%) 、2位は米国(23.8%)、3位は北朝鮮(20.1%)、4位は中国(19.2%)。
「韓国の国益のために親しくすべき国」1位は米国(49.8%)、2位は中国(22.9%)、3位は北朝鮮(9.3%)、4位は日本(3.3%)。
2009年
2009年のアンケートでは鳩山由紀夫 首相のアジア重視路線で「靖国神社は参拝しない」と公言したためか、天皇訪韓に6割以上が「問題ない」日本に対する好感度では「嫌い」との回答は35.9%で「好き」の10.8%を上回り、「好きでも嫌いでもない」は52.0%だった。北朝鮮に対しては「嫌い」が33.8%で、「好き」は9.2%にとどまった。
2010年
2010年 のNHK とKBS による共同世論調査 [ 75] では、日本を「嫌い」「どちらかといえば嫌い」の合計(a.)が、1991年 、1999年 の過去のNHKの調査と比較して、年を経るごとに増えている。しかし、その内訳では、「嫌い」が減少して、「どちらかといえば嫌い」が増加し、(a.)の8割を占めている[ 76] 。
項目
2010年
1999年
1991年
好き
2%
5%
6%
どちらかといえば好き
26%
31%
33%
わからない/無回答
1%
0%
3%
どちらかといえば嫌い
57%
44%
37%
嫌い
14%
19%
21%
また、日本を「好き」「どちらかといえば好き」と答えた年層別の割合(b.)は、40代から60代で減少している。一方で、20代と30代の若者層では、(b.)は、調査年による変化がほぼ無く、他の年層より比較的高い[ 77] 。
年層
2010年
1999年
1991年
20代
42%
40%
37%
30代
35%
36%
41%
40代
25%
37%
37%
50代
20%
33%
38%
60代
17%
25%
37%
70代以上
17%
-
-
2011年
韓国青少年未来リーダー連合などが韓国国内の400校以上の中高校生を対象に実施した『青少年の国家観と安全保障観』調査。現在韓国の敵対国について[ 78] 。
項目
日本
北朝鮮
アメリカ
中国
ロシア
韓国の敵対国
44.5%
22.1%
19.9%
12.8%
0.6%
2013年
韓国の学習塾「ノーベルと蟻」及び「ノーベル子ども」が小学生(618人が回答)を対象に実施した嫌いな国アンケート。一番嫌いな国について[ 79] 。
項目
日本
中国
ロシア
アメリカ
フランス
一番嫌いな国
86% (530人)
9% (53人)
2% (13人)
2% (11人)
2% (11人)
朝鮮民主主義人民共和国
北朝鮮 では、国家の樹立者である金日成 が朝鮮独立運動 の民兵司令官であったこと、および自国の独裁政権への不満をそらすために、アメリカと並んで日本への侮蔑意識をあおるプロパガンダが随時流されている。北朝鮮国内で反日ドラマ・反米ドラマが放映しており、内容は現実で起こらなかった虐殺描写なども描かれている。教育においても金日成の朝鮮独立運動における役割をきわめて誇大化した内容が教えられている。反日宣伝の一方で、金日成・金正日 親子を崇拝するプロパガンダも流されている。
1993年 8月31日 の北朝鮮の日刊政府 機関紙 である『民主朝鮮 』には以下のことが書かれている[ 44] 。
日本の荒唐無稽な建国神話によっても、やつらの国家起源年代は紀元前660年をさらに越えることはできないが、我々の檀君神話(朝鮮の建国神話)や檀君に関する記録によれば、朝鮮の建国年代は紀元前2300年まで遡る。かくして日本の歴史が朝鮮より1600年以上も短いものとなり、したがって自ずから文化もその分だけ劣ったものとなる。 — 日帝の檀君抹殺策動、民主朝鮮、1993年8月31日
中華民国(台湾)
概要
台湾は日本の植民地支配の歴史問題や慰安婦問題、尖閣諸島の領土問題などから、かなりの反日感情を持っている。蔡亦竹 によると、国共内戦 後、中国から台湾 に逃れた少数派の中国国民党 は、多数派の元日本国民であった台湾人に「われわれは対日戦争に勝って台湾人を二等国民の扱いから解放した」と主張することで、自らの高圧的統治を正当化した[ 80] 。また、台湾人アイデンティティ を喚起する恐れがあるため、元々台湾人のみに共有された、日本文学 、日本映画 、テレビ番組 などは推奨しなかった[ 80] 。1972年 の日中国交正常化に伴い、台湾は直ちに日本に国交断絶を宣言したが、中国との国交樹立は裏切りであり、この年に台湾政府は一切の放送で日本語 を禁止にし、日本映画の輸入もご法度になり、1980年代 末にようやく禁制が緩くなったが、薬師丸ひろ子 が台湾で映画宣伝 をおこなった際は、日本語ではなく英語 で司会者とやり取りをおこなったほどであり、「日本追放」の全面解除は1993年 まで待たねばならず、蔡亦竹 は「今、台湾は親日的な国柄で知られている。しかし、このような理由からわれわれ40代の人間は中学校まで日本を悪者として教育されていた」と述べている[ 80] 。
尖閣諸島の領有権を巡る問題や台中関係 における日本の外交姿勢などが論じられる事がある。尖閣諸島を台湾の領土と主張する運動である保釣運動 など日本政府に抗議しているものも存在している。2008年 6月13日 、劉兆玄 行政院長 は立法院 の答弁で「問題解決の最終手段として開戦も辞せず」と戦争 の可能性を示唆したが、その日の晩に行政院 は、行政院長の発言の趣旨について、外交処理を優先し、日本と開戦するとは言っていないとする見解を出している[ 81] 。
また日本統治時代 の差別・圧迫を強く記憶している本省人 、先住民 や日本軍の慰安婦 として性的搾取を受けたとする女性たちを中心に、日本の植民地統治への反感も存在しており、日本政府に対する訴訟や抗議なども行われている。2007年の安倍晋三 首相の慰安婦に関する発言に関しては、台湾政府も元慰安婦たちの圧力に押されて抗議声明をだした[ 82] 。
麻生太郎 外相 (当時)が2006年 に講演で植民地支配下で台湾の教育水準が向上したなどと述べたことについて、台湾の英字紙『タイペイ・タイムズ 』は「麻生外相の発言(それ自体)はその通りであり、抗議するには及ばない。日本の為政者から発せられる冷淡で無思慮なコメントは日本の友人の好意を損ないかねないという点を東京は考慮すべきであろう」「日本の植民地時代を過ごした台湾人には、懐旧の念とほろ苦さのこもごもの思いを持つ人がよく見受けられる。これは自然なことである。日本人が国家として台湾の発展に貢献した多くの良い側面があるのは疑う余地がない」という社説を掲載した[ 83] 。
世論調査
2009年 4月 、財団法人 交流協会 が実施した初の台湾人対象の対日意識世論調査では、「日本に親しみを感じる」が69%で、「親しみを感じない」の12%を大きく上回った。「最も好きな国」としても38%が日本を挙げ、2位のアメリカ(5%)、中国(2%)を大きく上回った[ 84] 。2010年度「台湾における対日世論調査」では、「日本に親しみを感じる」が62%で、「親しみを感じない」の13%を大きく上回り、「最も好きな国」としても52%が日本を挙げ、2位のアメリカ(8%)、中国(5%)を大きく上回った[ 85] [ 86] [ 87] [ 88] 。
2021年 8月10日 、台湾のシンクタンクである台湾制憲基金会 (中国語版 ) が実施した台湾の世論調査結果を発表し[ 89] 、アメリカに好感を持つ人が75.6%、日本 に好感を持つ人が83.9%、中国に好感を持つ人は16.4%にとどまり、9割近くがアメリカや日本と正式な外交関係を構築することを支持した[ 89] 。
『ワシントン・ポスト 』は、「台湾は、1895年 から1945年 まで日本の占領下にあったにもかかわらず、アジアにおいて稀有な親日感情を抱き続けている。台湾人の年輩者らは未だに日本語と日本文化に大変な共感を示す。台湾は毎時200マイル走行が可能な日本の弾丸列車を30億ドルで導入し、先月(試験走行を)開始した。また、日本政府は、12月に台湾の李登輝 元総統 (彼は日本で教育を受け、親愛の念を抱く大学時代の元教授と再会を果たした)に観光ビザを発給したが、中国側はこれに激しく反発した」と報道した[ 90] 。
中華民国(台湾)の政治における対日感情
かつての国民党独裁政権下においては、日本の中国侵攻による大陸の被害を重視した教育がなされていたが、李登輝総統以降の台湾民主化による反動、および李自身が日本の台湾統治を肯定していたこともあり、「親日」的な学者の勢力が増大し彼らによる日本統治時代についての肯定的な発言などが表立って唱えられるようになった。李政権時代に採用されていた台湾の歴史教科書 では、日本統治時代に台湾の経済基盤の整備や教育の普及、衛生環境の改善などの近代化がなされたと記述されている(認識台湾 )。李登輝は2009年の講演において、「あなたたちの偉大な祖先の功績を知り、誇りに思ってほしい」と訴え、台湾が日本統治下にあった時代に、日本人技師らの貢献でインフラ 整備などが進められたことを説明し、「公に尽くし、忠誠を尽くした偉大な祖先が作り上げてきた日本精神を学び、あなたたちも大切にしてほしい」と発言した[ 91] 。また李登輝 は、日本統治時代に台湾人が学んで純粋培養されたのは、「勇気 」「誠実」「勤勉」「奉公 」「自己犠牲 」「責任感 」「遵法」「清潔」といった「日本精神」であり、国共内戦 後に中国大陸 から来た国民党は、自分たちが持ち合わせていない価値観だったので、「日本精神」を台湾人の持ち合わせている気質だと定義して、これらの言葉が広まり、台湾に浸透した「日本精神」があったからこそ、台湾は中国文化 に吞み込まれずに近代社会 を確立できたのであり、台湾人の親日の背景にはこうした歴史的経緯があると述べている[ 92] 。また李登輝は、日台は現在のところ正式な外交関係 がないため、経済 ・文化 交流を強化すれば良いという意見が多く、経済・文化交流を促進して、日本人 と台湾人 の心の絆を深めることは重要であるが、日本人が中華意識 に囚われて台湾を軽視した場合、日本は地政学的危機に陥ってしまい、まさしく日台は生命 (運命 )共同体 なのであり、このことを日本人は常に意識して欲しいとしている[ 93] 。
かつて馬英九 総統の外交政策・対日戦略のブレーンで中華民国総統府 国家安全会議 諮問委員を務めた楊永明 は、「一般的に言って、日台間では相互に友好感情が存在するという基本認識がある。台湾はおそらく世界で最も親日的な社会であり、日本でも台湾に対する好感が広範に存在するのである」と指摘している[ 94] 。同じく中華民国総統府国家安全会議諮問委員(閣僚級、日台関係担当)を務めた李嘉進は、「日台は『感情の関係』だ。普通の外交関係は国益が基本だが、日台は特別。お互いの好感度が抜群に高い。戦前からの歴史が育てた深い感情が出発点となっている」と発言している[ 95] 。
2006年10月9日 、陳水扁は中華民国国慶日 の式典に出席するため訪台した日華議員懇談会 のメンバーと会見し、その席で北朝鮮が同日に地下核実験 を実施したことを強く非難するとともに、日本とアメリカとの軍事交流を強化して、両国と準軍事同盟 を構築する必要性を強調した[ 96] 。
東南アジア
東南アジア各国は前述のBBCの調査結果によると日本を高評価しており、また日本の外務省が東南アジア諸国連合 の各国(一カ国約300名)に世論調査(Ipsos香港社に調査依頼)をしたところ、「最も信頼できる国」として日本はトップ(日本33%、米国16%、中国5%、韓国2%)であり[ 97] 、一般的には東南アジアは日本や日本人への感情は良好な国々である[ 注釈 1] [ 9] 。
しかし、第二次世界大戦における日本軍の東南アジア侵攻と占領統治 の影響で、東南アジアの住民の間にも日本による占領統治への批判や感情的軋轢も存在する。軍政への批判としては、いわゆる慰安婦問題、捕虜や現地住民に対する大小の虐殺・虐待、皇民化教育、ヨーロッパ宗主国(イギリス ・オランダ ・フランス )と大日本 帝國陸海軍 による二重支配がしばしば提示されることもある。また、現地で中国語 を扱うマスメディアは、中華人民共和国(北京当局)に配慮して反日的な論調を出したり、民間華僑 団体による反日的な内容の広告を受け入れたりすることがある。
フィリピン は国土が大規模な戦場となりマニラ大虐殺 など戦争の直接の被害を受けたこともあり、他の東南アジア諸国と比較すると日本軍の統治や戦争被害への反感がある。フィリピンはアジアの中では例外的にカトリックが古くから定着し(約8割、キリスト教で9割以上)第二次世界大戦前のスペイン・アメリカ支配が圧政を伴いながらも浸透していたこと、侵攻した日本軍が国土の約3割しか制圧できなかったこと、27万もの反日ゲリラが組織され存命中の彼らやその家族が日本を受け入れがたい心情を抱いている事、また旧ケソン政権 の通貨を廃止し軍票を大量に発行して貨幣経済を混乱に陥れたことなど統治軍政に失敗したこともあり、旧日本軍に対する評価は高くない。また、戦前、フィリピンで建設業等に従事した日本人労働者と現地女性との間に生まれた日系フィリピン人 は、戦後、数十年にわたり強い反日感情の中、身を隠して厳しい環境の中で生活を余儀なくされてきた[ 98] 。しかし1980年代までには戦後の反日感情は緩和しており、日系フィリピン人会 の運動は表立って活発化することが可能となった[ 98] 。近年では、前述のBBC等の調査によればフィリピン国民は概して日本・日本人へ好感を持っている結果(「日本は好影響約70%」対「日本は悪影響約10%」)が出ている。
2012年 12月9日 、フィリピンのアルバート・デル・ロサリオ 外務大臣 (フィリピン) (英語版 ) は『フィナンシャル・タイムズ 』のインタビューに対して、「フィリピンはこの地域でバランスを保つ要素を探しており、日本は重要なバランサーになり得る。フィリピンは、これ(日本の再軍備)を歓迎する」と述べ、南シナ海 で中国 と領有権をめぐり対立しているフィリピンが、中国を牽制するため、日本の再軍備を歓迎すると表明し[ 99] [ 100] 、インドネシア の外務大臣 (インドネシア) (インドネシア語版 ) も同様の態度を示した[ 101] 。『フィナンシャル・タイムズ 』アジア版のデビッド・ピリング編集長は、「当時、暴行や虐殺が普遍的だった日本による侵略の歴史はフィリピン人 の記憶の中に鮮明に残っているはずだが、アルバート・デル・ロサリオ 外務大臣 (フィリピン) (英語版 ) はそれについて大したことではないと表明している。かつて大日本帝国 に蹂躙された国の多くは、韓国 のようには日本に恨みを抱いていない」と述べている[ 101] [ 102] 。
アメリカ合衆国国務副長官 だったリチャード・アーミテージ は、「世界でどの国が優れているか聞いた調査によると、アジアの人々の82%が『日本』と回答しました。彼らは(第二次世界大戦の)日本軍による占領は独立への機会になったと考えています。日本は文化 、政治 、安全保障 の面でも優れた模範を提供でき、その役割は高まっているのです。日本はこの現状をゆったりと構えてとらえ、もっとアジアに関わっていくべきです」と指摘している[ 103] 。
2021年 2月16日 、シンガポール のシンクタンク であるISEASユソフ・イサーク研究所 (英語版 ) がASEAN加盟国 を対象とした調査結果をまとめた報告書を発表したが、日本は「最も信頼できる強大国」(67.1%)「最も好きな旅行先」(30.2%)で1位に選ばれており、「米中の対立 でASEANが直面している潜在的リーダーシップの空白を、ソフト・パワー の強い日本は埋めることができる」と評している[ 104] 。
欧米
第二次世界大戦では、旧日本軍 はイギリス・オランダ・フランスの植民地 を攻撃し、アメリカ合衆国 、1945年からはソビエト連邦 とも戦闘状態に陥った。そして日本に対する反感は日系人 に向けられ強制収容された。この際、同じく枢軸国 で大戦を戦ったドイツ およびイタリア に起源を持つドイツ系アメリカ人、イタリア系アメリカ人の強制収容は行われなかった(日系人の強制収容 )。日本側における連合国軍側兵士の捕虜 の取り扱いについては、戦後の東京裁判 において捕虜への虐待や必要以上の重労働への動員などが取り上げられた。今日でもイギリスを始めとする関係国では、戦時博物館 などに於いて日本軍との戦闘に関する資料が展示され、学校教育の一環で見学者も絶えない。高齢者 を中心として、一定のネガティブな印象を持つ人々がいる。
オランダは17世紀から日本と交流関係を持っているが、現在でも反日感情が見られる国の一つでもある。1971年 の昭和天皇 のオランダ訪問の際に卵が投げつけられたり、手植えの苗を引き抜かれたりした。また、1960年代中頃一人の日本人作家がアンネ・フランクの家 近くの書店にてアンネ・フランク に関する資料を探したところ、客の一人の老婦人から「アンネの悲劇はナチス・ドイツ と手を組んだ日本にも責任がある」と激しく非難された[ 105] 。1986年 にはベアトリクス女王 の訪日が国内世論の反発により中止され、昭和天皇崩御後の1991年 の訪日の際には、宮中晩餐会で『(日本のオランダ人捕虜問題は)お国ではあまり知られていない歴史の一章です』とのスピーチがあった(→オランダ#歴史 )。
ロシアは北方領土問題 などで日本大使館などに対して抗議集会が起こった事があった。
ヨーロッパに限らず、第二次世界大戦に巻き込まれた国家の反日感情の心底には天皇制 が残された事や、大日本帝国 の国家元首かつ大元帥 だった昭和天皇が戦後も引き続き天皇の地位にあった事も要因に挙げられることがある[要出典 ] 。第二次世界大戦当時、イギリス、オーストラリア 、ソ連 、中華民国 などの政治家や民衆は昭和天皇の戦争責任 を主張していたが[ 注釈 10] [要出典 ] 、ダグラス・マッカーサー の政治的思惑で昭和天皇の訴追が却下された[ 注釈 11] 。近衛文麿 元首相や昭和天皇の弟宮でもある三笠宮崇仁親王 は天皇制は維持するものの、昭和天皇自身は退位して皇太子 に譲位するような工作を検討したがマッカーサーや吉田茂 首相は昭和天皇の退位に反対し、そのまま天皇として在位させ続ける事を主張した。マッカーサーが占領政策に天皇を利用すべきと、アメリカ議会や他の戦勝諸国の反対を押し切って戦犯に指名されなかった。この経緯から朝鮮半島 、台湾 、中国、東南アジア 、アメリカ、イギリス、オランダや日本国内では天皇に対して敵意や憎悪を持つ者も存在する事が明らかになっている[要出典 ] 。
2005年 の中国のデモと同時期に、中国系、韓国系アメリカ人により国連本部前でのデモが行われた。
アメリカにおける各種世論調査では反日感情は特に見られない。ギャラップ による「アメリカ人の最も好ましい、好ましくない国」アンケート2008年 度では1位のカナダ92%、2位のイギリス89%、3位のドイツ82%に次いで日本は80%が好ましいとする回答結果が出ている[ 106] 。2010年 度調査では1位のカナダ90%、2位のイギリス87%、3位ドイツ80%に次いで日本は77%が好ましいとする回答結果が出ている[ 107] 。2009年 に外務省 が米国で実施した対日世論調査では、日本を「信頼できる」と答えた人が一般市民で80%、行政 や財界 などに関係する有識者で91%、「アジアで最も重要なパートナー」を質問したところ、日本を挙げたのは一般市民と有識者でそれぞれ46%と44%でいずれも1位であり、2位の中国もそれぞれ39%と42%だった[ 108] 。ギャラップ の2021年 度の日米関係 に関する世論調査 によると、アメリカ人 の日本 に対する意識は圧倒的に好意的な状況が続いており、好意的が84%、非好意的が17%であり、ギャラップ は「一般的にアメリカ人は重要な同盟国 日本に対して高い敬意を払っている。2月に実施した調査では、84%のアメリカ人が日本に対して“非常に”、あるいは“最も”好意を抱いている。1996年 以来、一貫して大多数のアメリカ人は日本を好意的に見ている」と指摘している[ 109] 。国別でみれば、アメリカ人の好意度ランキングでは、トップがカナダ 、2位がイギリス 、3位がフランス で、4位が日本である[ 109] 。アメリカ人にとって日本はアジア で最も評価が高い国である[ 109] 。民主党 支持者の84%、共和党 支持者の80%、無党派 の86%が日本に対して好感を抱いている。アメリカ人男性 の86%、アメリカ人女性 の80%が日本に好意を抱いている。白人 の85%、非白人 の79%が日本に好意的と答えている。教育水準で見ると、大卒以上では好感度は92%と異常といえるほど高く、低学歴でも87%が日本に対して好意的な見方を示している[ 109] 。ピュー・リサーチ・センター がアメリカ人 を対象に、日本 、中国 、インド 、北朝鮮 のアジア 4か国に対する意識調査を行い、最も高い好感度を100度とし、50度は中立的、0度は最も否定的としたところ、2018年 調査では、日本61度、インド51度、中国42度、北朝鮮21度である[ 109] 。2021年 調査では、日本59度、インド48度、中国28度、北朝鮮21度である[ 109] 。また、若年層においては、財団法人日本青少年研究所 が2006年 に日本、米国、中国、韓国の高校生計約7300人を対象に行ったアンケート調査の結果「日本が好き」と答えたのは米国がトップで45.2%、次いで中国24.5%、韓国24.0%。一方、日本の生徒が「好き」と答えた国は米国が39.6%で最も高く、韓国16.7%、中国10.2%で、日米は双方で好感度が高かった [要出典 ] 。
ジャパンバッシング(貿易摩擦)
アメリカ合衆国 の自動車 産業は、1980年代 、小型低燃費な日本車の輸入がオイルショック の追い風もあり壊滅的打撃を被っていた。アメリカの農家 からは日本の農家保護を目的とした輸入制限措置により、不満が噴出していた。そのため次第にアメリカ内の国民対日感情は悪化していった。また1987年に東芝機械がソ連技術機械輸入公団への取引の件について、対共産圏輸出統制委員会 (略称「ココム」。1994年解散)の協定に違反したことが問題視された。尚、当時、日本の商業捕鯨 を停止させる目的で自然保護団体 と環境ロビイスト に押された議員などが日本批判のキャンペーンを実施、これに貿易不均衡に不満を持つ業界団体を加えて、大規模な反日 キャンペーンが方々で開催された。この中には、日章旗を燃やしたり、日本製乗用車をハンマーで叩き潰すといった過激なパフォーマンスが行われた。ただし、これらのパフォーマンスは反日の個人の行為であり組織的なものではないという指摘もある[ 110] 。(→捕鯨問題 )
ロシア
両院に議席を持つロシア自由民主党 が長年反日的な内容の主張をしており、党首のウラジーミル・ジリノフスキー は日本の北方領土返還運動に対して懲罰として東京に核爆弾を落とすべきなどの発言をしている[ 111] 。
オーストラリア
日本は第二次世界大戦当時、オーストラリア にも攻撃を加え、北部・西部沿岸部に空爆 や潜水艦 による攻撃を行った。この際、医療船セントールを攻撃した事件(戦時活動中の医療関係への攻撃は、特に問題視される)においても、第二次世界大戦中の悲劇として伝えられている。また東南アジア方面で活動していたオーストラリア兵2万2000名が日本軍によって捕虜とされたが、内1/3が収容所で死亡しており、捕虜の扱いに関する非人道性が問題となった[ 注釈 12] 。
近年では、オーストラリアは捕鯨問題 をめぐって日本を特に強く非難している国の一つであり、オーストラリアにおける反捕鯨運動の盛り上がりとともに反日 感情の増大が一部で見られ、2008年7月には親日家が多いケアンズ において、レンタカー会社がレンタカーのキャンピング・カーに「Save a Whale,Harpoon a Jap(クジラを救え、ジャップに銛を打ち込め)」という反日的な反捕鯨スローガンをスプレーで書き付けていたことが発覚した[ 112] 。クイーンズランド州 首相アンナ・ブライは、このスローガンを人種差別 的だと非難した[ 112] 。
また、オーストラリアのテレビでは、太った日本人が寿司を食べようとすると、銛が飛んで来て刺さって死ぬという内容のビール会社「Blue Tongue」のCMが放映されている[ 113] 。このCMについてビール研究者のブライス・エディングス(Bryce Eddings)は、「ブルータン社以外のビールを飲むと、クジラの殺害に加担するというのか」として、同社の「安っぽい」販売戦略を批判している[ 114] 。
オーストラリアの反日・反捕鯨運動には日本の女性にも参加者がおり、男女問題やフェミニズムと絡めてこの問題を複雑化している。
2019年に外務省 が実施した世論調査における「オーストラリアにとって今後重要なパートナーとなるのは次のうちどの国か」という設問では、日本は44%でアメリカと同率1位となっている[ 115] 。
脚注
注釈
^ a b c 27カ国のうち韓国を含む25カ国が日本は「主として世界に好影響を与えていると感じる」と回答した人の数が「主として悪影響を与えていると感じる」と答えた人の数を上回っている(全体平均は「好影響」57%対「悪影響」20%)。メキシコと中国の2カ国では日本について「主として悪影響」が多数であった(メキシコ24%対34%中国16%対71%)。[ 8]
^ インディーズバンド百済の日本人罵倒曲「fUCk zAPAN」については、日本国内における一部ネットユーザーの間で、韓国で有名なラッパー「DJ DOC」の作品として大ヒットしたと言う誤報があったが、単なる誤報であり決して意図的に流された悪質なデマでは無い。
^ その影響で土肥原賢二 は華北分離工作を計画した罪でA級戦犯として絞首刑にされた。
^ 広田、有田、川越は三者とも日中両国で防共協定を締結する事で日中関係を改善しようとしたのである。
^ 更に児玉訪中団のメンバーであった藤山愛一郎(大日本製糖社長)は岳父の結城(豊太郎)蔵相のメッセージを新任の外交部長王寵恵 らの国民政府首脳に伝えた。それは日中経済提携の実績によって出先の関東軍や支那駐屯軍を抑制し、両国の関係安定化を図りたいとの趣旨であった。
^ 本来の中国語ではオラトリオ の意味だが、ネットスラングでは「ネット上で人気のあるドラマ」を意味しており、ニュアンスとしては日本語の「神作品」に近い。
^ 中華民国は汪兆銘政権を支えた陳公博などの要人52名を銃殺刑にし、さらに、親日派ゆえに漢奸 とされた約4万人が処刑や処罰を受け、処刑された者には墓を建てることも禁止された。
^ 韓国での日本大衆文化の流入制限
^ 韓国は2004年1月の日本大衆文化第4次開放 で日本語の歌の放送を許したが、放送局側で録画だけに制限していた。事前に放送通信審議委員会を通した上で、放送が決定された 韓国地上波放送で日本歌手が日本語の歌、初の生放送 聯合ニュース 2010年9月13日
^ アメリカの上院は昭和天皇を裁判に掛けることを決議、中国は国民政府海外の雑誌に「ミカド去るべし」の論文を発表、フィリピンの弁護士会はアメリカ大統領に昭和天皇を裁判に掛けるよう要請、オーストラリアは国家元首たる天皇は一兵卒より罪が大きいと天皇を戦争犯罪人として裁くよう公式に要求していた。
^ マッカーサーの本国であるアメリカでは連邦議会上院で昭和天皇の訴追を求める議案が通ったが、この議案を潰した者がマッカーサーである。
^ この件は、オーストラリア在住の漫画原作者・雁屋哲 の漫画『美味しんぼ 』でも取り上げられている。
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関連項目
外部リンク
概念 思想・イデオロギー 関連条約・法規 実例
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