本作はオリコンアルバムチャートにて初登場第1位を獲得した。本作から先行シングルとしてリリースされた「BE MY BABY」および同曲のビデオシングルも第1位を獲得したため、3つのメディアにおいてすべて第1位を獲得する結果となった。また、本作の売り上げは40万枚を超えたため日本レコード協会からプラチナ認定を受けている。
一方で布袋寅泰は20歳の時にロックバンドであるBOØWYのギタリストとしてアルバム『MORAL』(1982年)でメジャー・デビューを果たした[7]。氷室京介とともに結成したバンドであったがデビュー当初は全く売れず、2枚目のアルバム『INSTANT LOVE』(1983年)も不発に終わる結果となった[8]。その後BOØWYは音楽事務所であるユイ音楽工房と契約、レコード会社を東芝EMIへと移籍することになる[9]。3枚目のアルバム『BOØWY』(1985年)リリース後の6月21日に予定されていた渋谷公会堂での単独公演が即日ソールドアウトとなるなど注目を浴び始め[10]、4枚目のアルバム『JUST A HERO』(1986年)がベスト10以内にランクインする[11]。同年にリリースされた5枚目のアルバム『BEAT EMOTION』(1986年)が初登場1位を獲得し名実ともに日本一のバンドとなった[11]。しかし6枚目のアルバム『PSYCHOPATH』(1987年)リリース後、コンサートツアーの最終日となった12月24日の渋谷公会堂公演にてBOØWYは解散を表明[12]。1988年4月4日および5日にに行われた最終公演「“LAST GIGS”」を以って正式に解散となった[13]。
吉川と布袋が知り合ったきっかけは、1985年頃に吉川の友人であったギタリストの鈴木賢司が六本木のレコーディング・スタジオに布袋を連れてきたことであった[14]。その後度々スタジオを訪れるようになった布袋に対し、吉川が布袋に「ちょっとギター、弾いてみる?」と提案したことから吉川の4枚目のアルバム『MODERN TIME』(1986年)に参加することとなった[14]。その後吉川は自身が希望する活動と事務所の体制が全く異なっていたことから事務所からの独立を検討するようになった[15]。一方で布袋は海外への進出やデヴィッド・ボウイとの共演を望んだことによってBOØWYからの脱退を希望していた[16]。同時期に事務所やバンドから独立することとなった吉川と布袋はともに音楽活動を行う方向性を模索するも、契約上の問題で吉川は1年程度活動が不可能となったためにその後に始動するという形を取ることとなった[15]。BOØWY解散後の1988年10月5日、布袋はソロ・デビューアルバム『GUITARHYTHM』をリリース、同アルバムの収録曲であった「DANCING WITH THE MOONLIGHT」をイギリスでシングルとしてリリースするも1週間で廃盤となる[17]。BOØWYメンバーに対して「俺は海外に出るんだ」と豪語していた布袋は、この結果に対して強烈な挫折感を味わう結果となった[18]。同年12月10日、吉川と布袋はCOMPLEXの結成を発表、バンド名は居酒屋で飲みながら行われた議論において、長身である両名が皮肉を込めて「COMPLEX」とする案を思いつき、辞書で調べたところ「COMPLEX」という言葉には複合や融合という意味があることから即決となった[19]。1989年4月8日にはデビューシングル「BE MY BABY」をリリース[19]。同曲はオリコンシングルチャートにおいて初登場第1位を獲得、登場週数は11回で売り上げ枚数は20.9万枚となった[20]。
本作は1989年4月26日に東芝EMIのイーストワールドレーベルからLPレコードおよびカセットテープ、CDの3形態でリリースされた。本作からは同年4月8日に先行シングルとして「BE MY BABY」がシングルカットされた。同曲はリリースから2年後の1991年にトヨタ自動車「トヨタ・セラ」のコマーシャルソングとして使用された他、2008年にも同社の「トヨタ・bB」のコマーシャルソングとして使用された[29][30][31]。また、2019年にはクラシエ「いち髪」のコマーシャルソングとして、女優の川口春奈が口パクで歌唱する形で使用された[32]。本作のジャケット写真は2月22日に撮影が行われており[33]、本作のジャケットは吉川と布袋の顔面のアップショットとなっているが、これについて吉川は「まぁ、よくもこの人相の悪い二人がジャケットに……(笑)」と述べ、布袋とともに音楽雑誌で表紙になった際に「二人とも表紙の顔じゃねぇやな」と両名で言い合っていたという[21]。本作のジャケット写真は2月22日に撮影が行われており、「BE MY BABY」のビデオ撮影は2月28日に行われている[33]。
本作を受けたコンサートツアーは「COMPLEX TOUR 1989」と題し、1989年5月10日の群馬県民会館公演を皮切りに、9月24日の香川県県民ホール公演まで35都市全42公演が実施された[36][37]。同ツアーではCOMPLEXとしての発表曲の他に、吉川および布袋のソロ作品が数曲演奏されている。8月13日の芝浦インクスティック公演の模様を収録したライブ・ビデオ『COMPLEXTOUR'89』が同年11月1日にリリースされている。