1971年の東映フライヤーズ(1971ねんのとうえいフライヤーズ)では、1971年の東映フライヤーズの動向をまとめる。
この年の東映フライヤーズは、田宮謙次郎監督の2年目(途中就任の前年を含む)のシーズンである。
概要
この年は開幕2戦目の西鉄戦で19安打15得点と大暴れしたものの、4月20日から9連敗して早々脱落。その後は5月3日のロッテ戦で5者連続本塁打、8月21日には高橋善正が西鉄戦で完全試合を達成したのが目立つ程度で、4位の南海に13ゲーム差の5位だった。悪い事は重なるもので、シーズン中の8月17日に大川博オーナーが死去し、博の長男でオーナー代行の大川毅が新オーナーに、岡田茂新東映社長がオーナー代行に。しかし大川博の後を受けた大川毅と岡田茂には球団経営の意欲がなく、フライヤーズの運命に黄信号が灯りだした。シーズンオフには大橋穣、種茂雅之と阪急の阪本敏三、岡村浩二、佐々木誠吾との交換トレードが成立。大橋は移籍先の阪急で大いに活躍して翌1972年の優勝に貢献し、阪急黄金時代の立役者の一人となった。
チーム成績
レギュラーシーズン
1971年パシフィック・リーグ順位変動
順位
|
4月終了時
|
5月終了時
|
6月終了時
|
7月終了時
|
8月終了時
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最終成績
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1位
|
近鉄 |
--
|
阪急 |
--
|
阪急 |
--
|
阪急 |
--
|
阪急 |
--
|
阪急 |
--
|
2位
|
阪急 |
0.5
|
ロッテ |
2.5
|
ロッテ |
6.5
|
ロッテ |
1.0
|
ロッテ |
3.5
|
ロッテ |
3.5
|
3位
|
西鉄 |
1.0
|
近鉄 |
6.5
|
近鉄 |
14.0
|
近鉄 |
15.0
|
近鉄 |
15.5
|
近鉄 |
18.0
|
4位
|
南海 |
1.5
|
南海 |
12.0
|
南海 |
17.0
|
南海 |
14.5
|
南海 |
16.5
|
南海 |
22.5
|
5位
|
ロッテ |
2.0
|
東映 |
13.5
|
東映 |
21.0
|
東映 |
24.0
|
東映 |
28.0
|
東映 |
35.5
|
6位
|
東映 |
7.0
|
西鉄
|
西鉄 |
24.5
|
西鉄 |
26.5
|
西鉄 |
32.5
|
西鉄 |
43.5
|
[1]
オールスターゲーム1971
できごと
選手・スタッフ
[4]
表彰選手
ベストナイン
|
選手名 |
ポジション |
回数
|
大杉勝男 |
一塁手 |
3年連続4度目
|
ドラフト
出典
- ^ a b “年度別成績 1971年 パシフィック・リーグ”. 日本野球機構. 2017年6月14日閲覧。
- ^ 毎日新聞1971年5月4日18面「連敗東映 1度"死んで"豪打復活 10回怒りの5連続ホーマー "ゲームセット"から大逆襲」毎日新聞縮刷版1971年5月p93
- ^ 毎日新聞1971年8月22日19面「高橋善(東映)が完全試合 12人目の大記録」毎日新聞縮刷版1971年8月p661
- ^ ベースボールマガジン2002夏季号, ベースボールマガジン社, (2002), p. 123
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1940年代 | |
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1950年代 | |
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1960年代 | |
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1970年代 | |
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1980年代 | |
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1990年代 | |
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2000年代 | |
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2010年代 | |
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2020年代 | |
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1946年の公式戦再開に先立って、1945年は終戦後開催の東西対抗戦にセネタースの選手が参加。 |