1966年の東映フライヤーズ(1966ねんのとうえいフライヤーズ)では、1966年の東映フライヤーズの動向をまとめる。
この年の東映フライヤーズは、水原茂監督の6年目のシーズンである。
概要
前年優勝の南海に前半戦25ゲーム以上つけられながらも、最後は12ゲームに縮めて2位に入ったチームだがこの年はノーム・ラーカーのドジャース時代の同僚だったドン・ジマー(後に大リーグ数球団で監督を務める)が入団。ラーカー・ジマーの現役大リーガーが日本でも同僚になったことから、チームは優勝を予想された。4月は首位の南海と1ゲーム差につける好スタートで、7月終了時点では3.5ゲーム差だったことから優勝が期待された。しかし8月に入るとラストスパートの南海に突き放され、70勝60敗6分で3位に終わった。前年2位躍進の原動力となったラーカーは前年の2割8分から2割5分へと成績が落ちこの年限りで引退。またジマーも年齢のせいか打率が2割に満たず、さらに翌年の大下剛史入団により1年で退団し引退した。カード別では優勝の南海に11勝15敗1分と健闘し、2位の西鉄には15勝11敗2分と勝ち越したものの東京・阪急にはわずかしか勝ち越せなかった。
シーズンオフの11月にはブラジルで開催された「国際プロ野球大会」に参加し、現地でアメリカ大リーグ選抜チームおよびパナマ選抜チームと対戦して6勝5敗の成績を上げた[2]。
チーム成績
レギュラーシーズン
1966年パシフィック・リーグ順位変動
順位
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4月終了時
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5月終了時
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6月終了時
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7月終了時
|
8月終了時
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最終成績
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1位
|
西鉄 |
--
|
南海 |
--
|
南海 |
--
|
南海 |
--
|
南海 |
--
|
南海 |
--
|
2位
|
東映 |
1.0
|
東映 |
4.5
|
西鉄 |
1.0
|
西鉄 |
1.5
|
西鉄 |
3.5
|
西鉄 |
4.0
|
3位
|
南海 |
1.0
|
西鉄 |
5.0
|
東映 |
2.0
|
東映 |
3.5
|
東映 |
5.5
|
東映 |
9.0
|
4位
|
阪急 |
3.5
|
東京 |
8.0
|
東京 |
8.5
|
東京 |
10.5
|
東京 |
12.0
|
東京 |
18.0
|
5位
|
東京 |
4.5
|
近鉄 |
10.5
|
阪急 |
10.5
|
阪急 |
13.0
|
阪急 |
14.5
|
阪急 |
22.0
|
6位
|
近鉄 |
5.0
|
阪急 |
11.0
|
近鉄 |
11.0
|
近鉄 |
13.5
|
近鉄 |
21.5
|
近鉄 |
31.0
|
[1]
オールスターゲーム1966
できごと
選手・スタッフ
[3][4]
表彰選手
ドラフト
出典
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1940年代 | |
---|
1950年代 | |
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1960年代 | |
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1970年代 | |
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1980年代 | |
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1990年代 | |
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2000年代 | |
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2010年代 | |
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2020年代 | |
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1946年の公式戦再開に先立って、1945年は終戦後開催の東西対抗戦にセネタースの選手が参加。 |