日本鋼管野球部(にほんこうかんやきゅうぶ)は、神奈川県川崎市に本拠地を置き、日本野球連盟に加盟していた社会人野球の企業チームである。1987年に解散した。
運営母体は、日本鋼管。
概要
1952年、日本鋼管が『日本鋼管野球部』として神奈川県横浜市を本拠地として設立させた。翌1953年には都市対抗野球に初めて出場し、ベスト8に進出。
1970年に京浜製鉄所が発足したのに伴って、本拠地を神奈川県川崎市に移転した[1]。
しかし、移転から3年間にわたり都市対抗予選での敗退が続き、これを受けて鋼打線と呼ばれる打撃強化に注力したチーム作りが進められた[1]。他社に先駆けてウエイトトレーニングを取り入れ、また練習時間の70%を打撃練習に費やすと言われたほどの方針で、金属バット導入や狭い川崎球場での都市対抗予選に適応していった[1]。
その結果、1973年には都市対抗野球で初優勝を果たし、3年後の1976年の都市対抗野球では2度目の優勝をしている。また、1980年まで8年連続で都市対抗本大会に出場した。
しかし、鉄鋼不況の影響による日本鋼管の厳しい合理化の一環として1987年に当チームは広島県福山市に本拠地を置く日本鋼管福山野球部に統合され、新たにNKK硬式野球部と名乗る事が決まり、同年11月に解散届が日本野球連盟に提出された[2]。選手たちの一部は福山に移籍した。
野球部グラウンド跡地は、1992年にワイルドブルーヨコハマとなったが、それも2001年に閉鎖され、現在はヨコハマアイランドガーデンと言うマンションになっている。
沿革
主要大会の出場歴・最高成績
主な出身プロ野球選手
かつて在籍していた選手
脚注
- ^ a b c 毎日新聞、2003年3月23日付朝刊、神奈川地方面
- ^ 毎日新聞、1987年10月5日付夕刊、P.10
関連項目
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1920年代 |
- 1927 満州倶楽部
- 1928 大連実業団
- 1929 満州倶楽部
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1930年代 | |
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1940年代 |
- 1940 全京城
- 1941 (中止)
- 1942 全京城
- 1943 (中止)
- 1944 (中止)
- 1945 (中止)
- 1946 大日本土木
- 1947 大日本土木
- 1948 西日本鉄道
- 1949 星野組
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