1971年の広島東洋カープでは、1971年の広島東洋カープの動向についてまとめる。
この年の広島東洋カープは、根本陸夫監督の4年目のシーズンである。
概要
根本監督の4年目は山内一弘の引退を除けば前年とほぼ変わらない戦力でスタートし、この年こそAクラス入りが期待されたが、4月は前年6連覇達成の巨人が開幕後に12連勝でスタートダッシュしたこともあり、7ゲーム差の最下位に転落。それでも5月以降は阪神や中日に代わって2位に浮上したりするなど、終始Aクラス争いを演じた。巨人の勢いが落ちた9月以降は阪神やヤクルトに代わって2位定着が期待されたが、最後の最後で大洋に蹴落とされて2年連続で勝ち越しながら4位となった。投手陣では、それまで無名の藤本和宏が先発ローテーションに入り、8月19日には対中日戦で水沼四郎のリードに助けられてノーヒットノーランを達成。それ以外の投手も藤本に刺激されるように勝ち星を伸ばし、2年連続の勝率5割に貢献した。打撃陣では6年目の水谷実雄が外野のレギュラーを獲得し、4年目の井上弘昭も三塁手としてまずまずの成績を残し、4番に座った衣笠祥雄や山内から背番号8を受け継いだ山本浩司は主砲としてこの年も健在だった。しかし、V9へ突き進む巨人の壁は厚く、1975年の初優勝までチームは停滞期に入ることになる。
チーム成績
レギュラーシーズン
1971年セントラル・リーグ順位変動
順位
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4月終了時
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5月終了時
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6月終了時
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7月終了時
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8月終了時
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最終成績
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1位
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巨人 |
--
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巨人 |
--
|
巨人 |
--
|
巨人 |
--
|
巨人 |
--
|
巨人 |
--
|
2位
|
大洋 |
4.5
|
広島 |
4.5
|
広島 |
8.0
|
ヤクルト |
10.0
|
大洋 |
10.0
|
中日 |
6.5
|
3位
|
阪神 |
6.0
|
大洋 |
7.5
|
ヤクルト |
9.0
|
中日 |
12.0
|
広島 |
10.5
|
大洋 |
8.0
|
4位
|
ヤクルト |
6.0
|
ヤクルト |
9.5
|
中日 |
10.0
|
広島 |
12.5
|
中日 |
10.5
|
広島 |
8.0
|
5位
|
中日 |
6.5
|
中日 |
10.0
|
阪神 |
11.5
|
大洋 |
14.0
|
阪神 |
11.0
|
阪神 |
12.5
|
6位
|
広島 |
7.0
|
阪神 |
10.5
|
大洋 |
12.5
|
阪神 |
14.5
|
ヤクルト |
12.0
|
ヤクルト |
19.0
|
[1]
選手・スタッフ
オールスターゲーム1971
表彰選手
ドラフト
脚注
注釈
- ^ 1968年に三塁手部門で受賞しており、通算3度目。
出典
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1950年代 | |
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1960年代 | |
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1970年代 | |
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1980年代 | |
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1990年代 | |
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2000年代 | |
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2010年代 | |
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2020年代 | |
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