西園寺 公名(さいおんじ きんな)は、室町時代前期から中期にかけての公卿。右大臣・西園寺実永の子。官位は従一位・太政大臣。道号は菊畹。号は観音寺相国。
経歴
応永17年(1410年)に西園寺実永の子として誕生。
応永27年(1420年)12月5日に参議となる。永享10年(1438年)に内大臣(1438年 - 1441年)となる。宝徳2年(1450年)4月25日、叙従一位。康正元年(1455年)に太政大臣(1455年 - 1457年)となる。
長禄元年(1457年)8月28日に出家。法名は永存。応仁2年(1468年)に薨去。
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皇親太政大臣 |
白鳳時代 | |
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奈良時代 |
- 舎人親王(知太政官事)720-735
- 鈴鹿王(知太政官事)737-745
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人臣太政大臣 |
奈良時代 | |
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平安時代 | |
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鎌倉時代 | |
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南北朝時代 |
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室町時代 | |
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戦国時代 | |
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安土桃山時代 | |
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江戸時代 | |
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明治時代 | |
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