楠 トシエ(くすのき トシエ、1928年〈昭和3年〉1月11日[1] - )は、日本の歌手・女優・声優である。本名は、楠山 敏江(くすやま としえ)。愛称は、ビンチャン。
来歴・人物
生い立ち
東京市神田区(現在の東京都千代田区)で生まれる[1]。家業は小石川区団子坂にあったテーラー楠山。
1945年(昭和20年)3月、東京市滝野川区(現在の東京都北区)滝野川にあった芙蓉女学校を卒業し[2][3]、同年4月三菱銀行(現在の三菱UFJ銀行)に入行した。
ムーランからトリロー
1949年(昭和24年)、21歳の時、角筈のムーランルージュ新宿座へ歌手として入団[2]し、芸能界入りした。
1951年(昭和26年)のムーラン解散前後から、以前より付き合いのあった三木鶏郎の誘いでNHKラジオ第1『日曜娯楽版』に出演し、一躍全国区の歌手となった。1953年(昭和28年)、25歳の時、「NHK専属タレント第1号」となる[2]。その後も、三木鶏郎グループの一員として、テレビ・ラジオ出演をこなし、『お笑い三人組』(ラジオ第1 1955年11月 - 1960年3月、総合テレビ 1957年 - 1966年3月)、『ひょっこりひょうたん島』(総合テレビ、1964年 - 1969年)、『おはよう!こどもショー』(日本テレビ、1965年 - 1970年代)など、多数の番組に出演した。黒柳徹子らとともに「テレビ女優第1号」と呼ばれる1人となる。
NHK紅白歌合戦7年連続出場
歌手としては、『NHK紅白歌合戦』(総合テレビ・ラジオ第1)に7年連続出場している(詳細は下記参照)。
宮城まり子の『毒消しゃいらんかね』は、ラジオ放送では楠が歌っていたが、楠が当時レコード会社に所属していなかったので、同じトリローソングの歌い手だった宮城へお鉢が回ったもので、同曲で宮城は楠より早く、1954年(昭和29年)に『第5回NHK紅白歌合戦』に出場した。
1958年(昭和33年)の『第9回NHK紅白歌合戦』では、当初番組側が楠を紅組司会に起用する予定だったが、当時は歌手兼司会が認められておらず、歌手としての出場を希望した楠がその打診を断った。
みんなのうた
1961年(昭和36年)4月3日、NHK『みんなのうた』放送開始の初回、楠の『誰も知らない』という曲が採用された。
コマソンの女王として
800曲とも1000曲とも言われるほどCMソングを吹き込み、「コマーシャルソングの女王」と呼ばれている[4]。楠の代表曲である清酒「黄桜」CMソング『かっぱの唄』は、現在も時折放送されるロングランCM曲である。また、内外薬品(現在の富山めぐみ製薬)の『ケロリン』のCMソング『青空晴れた空』は、1958年にシングル(SP盤)発売され、大ヒットした。現在はリメイクバージョンにはなったが、CMに使われている。
2007年(平成19年)12月、キングレコードがかつてのLPレコードのアルバム『みんなが知ってるコマーシャル・ソング集』(1960年、キングレコード)のジャケットを再度ジャケットに採用し、同アルバムを含む2枚組CDアルバム『元祖コマソンの女王 楠トシエ大全』を発売した[5]。
2010年代以降
2010年代以降の活動は確認されていない。
出演
映画
- 1953年 森の音楽会 (芦田漫画映画製作所/奥商会)
- 1954年 落語長屋のお化け騒動(東宝)- お花
- 1954年 その後のウッカリ夫人とチャッカリ夫人 (東京映画/東宝)
- 1956年 チエミの初恋チャッチャ娘(東宝)- 大橋マサ子
- 1958年 陽気な仲間(大映)- お夏
- 1958年 点と線(東映)- かき舟の女中
- 1959年 あばれ街道(東映)- 花奴
- 1959年 濡れ髪三度笠(大映)-
- 1960年 よさこい三度笠(大映)-
- 1961年 お笑い三人組シリーズ(新東宝)- 珠枝
- お笑い三人組 泣き虫弱虫かんの虫の巻
- お笑い三人組 怪しい奴にご用心
- 1961年 ドドンパ酔虎伝(大映)- お勝
- 1965年 大日本チャンバラ伝(日活)- 中村トマト
- 1967年 河内遊侠伝(東映)- 小きん(芸者)
- 1967年 東映列車シリーズ(東映)
- 1968年 ザ・スパイダースの大騒動(日活)- グラマーな女
- 1970年 三匹の牝蜂(東映)- クラブのママ
- 1970年 (秘)セックス恐怖症(東映)- 田村
- 1972年 喜劇 新婚大混戦(松竹)- 矢野和代
- 全員集合!!シリーズ(松竹)
- 1977年 小さなジャンボ(東宝東和)- バルー、コーラス
- 1979年 神様のくれた赤ん坊(松竹)- 小夜子の母
- 1983年 父と子(東宝)- まり代
- 2011年 ムーランルージュの青春(幻野プロ)
ラジオ
テレビ
バラエティー
人形劇
- 声の出演
NHKみんなのうた出演歴
▲はラジオのみの再放送、△はNHK衛星第2テレビ(現:BSプレミアム)の『なつかしのみんなのうた』での再放送。
放送期間 |
曲目 |
再放送
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1961年(昭和36年)4月 |
誰も知らない (初回) |
2003年(平成15年)6月-7月
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1961年(昭和36年)8月 - 9月 |
まね |
2021年(令和3年)8月▲
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1961年(昭和36年)10月 - 11月 |
へのへのもへじ |
(なし)
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1961年(昭和36年)12月 - 1962年(昭和37年)1月 |
日本語のおけいこ |
2021年(令和3年)11月▲ 2025年(令和7年)6月 - 7月▲
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1962年(昭和37年)4月 - 5月 |
ピノキオの歌 |
(なし)
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1962年(昭和37年)8月 - 9月 |
一、二、三、…
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1962年(昭和37年)12月 - 1963年(昭和38年)1月 |
わらいかわせみに話すなよ |
2006年(平成18年)8月15日△ 2006年(平成18年)10月29日△ 2007年(平成19年)1月1日△ 2021年(令和3年)9月[7] 2022年1月23日[8]
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1963年(昭和38年)4月 - 5月 |
春のロンド |
2017年(平成29年)4月-5月▲ 2021年(令和3年)4月▲
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1965年(昭和40年)10月 - 11月 |
誰も知らない (リメイク) |
詳細
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- 1962年に放送された『わらいかわせみに話すなよ』はモノクロ版だが、再放送は全てカラーリメイク版(製作時期は不明)。
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NHK紅白歌合戦出場歴
ドラマ
子供番組
演劇
- 1982年 ゆかいな海賊大冒険 (1982年・1983年・1984年)- カルメン(海賊船の食事係)
外国映画・ドラマ吹替え
CM
おもなディスコグラフィー
シングル
- 1953年『僕は特急の機関士で』(榎本健一 & 楠トシエ & 特急グループ)
- 1958年『青空晴れた空』
- 1961年『かかしのねがいごと』(キングレコード)
- 1962年『かかしのねがいごと』(キングレコード NC-58)
- 1962年『瀬戸田小唄』(キングレコード NC-56)
- 1963年『スチョチョン節』(藤田まこと & 楠トシエ、キングレコード EB-915)
- 『お山の交通ごっこ』(友竹正則 & 中野慶子 & 楠トシエ、キングレコード ED-171)
- 1965年『おーい体操だい』(楠トシエ & ひばり児童合唱団、キングレコード BS-348)
- 1969年『ダイヤモンドのパンツ』(キングレコード BS-942)
- 1969年『恋は炎』(キングレコード BS-985)
- 1971年『ぶんぶくちゃがま』(楠トシエ & ボニージャックス & ひばり児童合唱団、キングレコード ES(H)-91)
- 1976年『かっぱの唄』(楠トシエ & シンガーズ・スリー、日本コロムビア PES-7647)
- 1977年『パンダの赤ちゃん』(10月21日[15]、楠トシエ & 杉並児童合唱団、キングレコード DQ-1012)
- 『のら猫ミュータン』(ポリドール・レコード DI-1387)
EP
- 1962年『おべんとつけてどこいくの』(キングレコード EC-145) - 4曲入りEP
アルバム
- 1958年『ビンちゃんの四季(楠トシエ・ホームソング集)』(WESTMINSTER WJ-1)- 第13回芸術祭奨励賞(レコード部門)
- 1960年『みんなが知ってるコマーシャル・ソング集』(キングレコード KH-28)
- 2007年『元祖コマソンの女王 楠トシエ大全』(12月、キングレコード KICS-1349〜50)
その他
- 1957年『ナゴヤ地下街の歌・モグラのチカちゃん』
- 1959年『うちのママは世界一』(楠トシエ & ボニー・ジャックス)
- 『東京こどもクラブ』
- レコードB面で「うたとおはなし」を担当するびんちゃんで登場
註
関連項目
外部リンク
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司会 | |
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人形声優 |
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特撮コーナー |
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| 行け!ゴッドマン& 行け!グリーンマン 登場怪獣 |
両作に登場 | |
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行け!ゴッドマンのみ登場 | |
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行け!グリーンマンのみ登場 | |
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アニメコーナー |
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のどじまん |
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小学生野球大会 |
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楽曲 | |
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関連項目 | |
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関連人物 | |
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