日本とタンザニアの関係 (にほんとタンザニアのかんけい、スワヒリ語 : Uhusiano kati ya Japan na Tanzania 、英語 : Japan–Tanzania relations ) では、日本 とタンザニア の関係について概説する。日本とタンザニア連合共和国の関係 とも。概ね友好的な関係を築いている。
両国の比較
歴史
1961年 12月 、現在のタンザニア にあたる領域のうち大陸部にあたる地域「タンガニーカ 」がタンガニーカ共和国 としてイギリス から独立。平和的な独立であったため、日本 はすぐさまこれを承認し外交関係が樹立された[ 3] 。
遅れて1963年 12月 、インド洋 に浮かぶザンジバル諸島 がタンガニーカ とは別の独立国「ザンジバル王国 」として独立。これは一か月足らずでザンジバル革命 を経て「ザンジバル人民共和国 」に変わり、1964年 4月 にはザンジバル独立からわずか一年足らずでタンガニーカと合邦、「タンガニーカ・ザンジバル連合共和国 」となった。これは現在のタンザニア の直接の原型となる国家で、日本 とザンジバル の外交関係はこれに吸収された。なお、ザンジバル は現在でもザンジバル革命政府 によって強い自治権を以て統治されている地域であり、タンザニア連合政府とは別個の大統領 や独自の行政機能を持つ[ 3] 。
1966年 2月 、日本 はダルエスサラーム に在タンザニア日本国大使館 を開設。一方でタンザニア は1970年 2月 、東京 に駐日タンザニア大使館 を開設した[ 3] 。
外交
二国間関係
日本 は東アジア 、タンザニア は東アフリカ に位置しているため地理的・文化的な接点は少ない。一方でタンザニア は複数政党制 でありながら民族 を基盤とする政党結社を認めていないこと、民族諸語ではなく公用語 であるスワヒリ語 によって初等教育 が施されているため各部族ではなくタンザニア人としての意識が強いこと、特定の民族が政治的実権を握っていないことなど、アフリカ の中では比較的安定した民主主義 を構築できている。また資本主義 や自由主義 といった価値観もおおむね共有する友好国である。そのことから近年の経済成長も相まって日本企業 が進出しやすい状況となっており、次代の新興国 としてその将来性が注目されてもいる。
また、日本 の常任理事国 入りについてタンザニア は一貫して賛成を表明している[ 21] 。
日本要人のタンザニア訪問
大統領のキクウェテを表敬訪問する秋篠宮文仁親王 および文仁親王妃紀子 (2014年7月)
総理大臣 がタンザニア を訪問したことはない。しかし閣僚としては2008年 に高村正彦 が外務大臣 として29年ぶりにタンザニア を訪問、隣国ケニア の情勢について意見が交わされている[ 21] 。また2010年 には外務大臣 だった岡田克也 が南アフリカ共和国 と並んでタンザニア を訪問しタンザニア大統領 のジャカヤ・キクウェテ に表敬[ 22] [ 23] 。2013年 には経済産業大臣 の茂木敏充 がアフリカ開発会議 のフォローアップのために訪問を実施している[ 24] 。
副大臣級としては2014年 に三ツ矢憲生 外務副大臣 がタンザニア を訪問[ 25] [ 26] 。翌2015年 には同じく外務副大臣 の木原誠二 がタンザニア を訪問しタンザニア大統領 のジョン・マグフリ に表敬した[ 27] 。2018年 には佐藤正久 も外務副大臣 としてタンザニア を訪問、ジョン・マグフリ などタンザニアの要人に表敬した[ 28] [ 29] 。
また2007年 には浜田昌良 外務大臣政務官 がウガンダ とともにタンザニア を訪問[ 30] 。2012年 には村越祐民 外務大臣政務官 が訪問しジャカヤ・キクウェテ 大統領 に表敬[ 31] 。2014年 には石原宏高 外務大臣政務官 がルワンダ やエチオピア と並んでタンザニア を訪問した[ 32] 。
さらには2014年 7月 、皇族 としては初めて秋篠宮文仁親王 および文仁親王妃紀子 がタンザニア を訪問している[ 33] 。
タンザニア要人の訪日
近年では2010年 にタンザニア首相 (英語版 ) のミゼンゴ・ピンダ が訪日、当時内閣総理大臣 だった鳩山由紀夫 と首脳会談 を実施した[ 34] 。続く2013年 にはタンザニア大統領 としてジャカヤ・キクウェテ が訪日し、安倍晋三 と首脳会談を実施。この会談では主に日本 とタンザニア との間の二国間投資協定の交渉開始に向けた予備協議を開始することが確認された[ 35] 。2015年 にはミゼンゴ・ピンダ 首相が再び訪日、仙台市 で開催される国連防災世界会議 に出席するとともに前回に引き続き首脳会談を実施して安倍晋三 と二国間関係についてが話し合われた[ 36] 。2019年 にはタンザニア首相 (英語版 ) のカシム・マジャリワ が訪日、安倍晋三 と首脳会談を実施した[ 37] 。これらが首脳級の訪日である。
上記以外には2014年 にモハメッド・ガリブ・ビラール (英語版 ) が訪日し官房長官 であった菅義偉 を表敬[ 38] 。このほかにも多数の閣僚が訪日を実施している[ 3] 。
経済関係
ダルエスサラーム はアフリカ 有数の世界都市 として日本企業の進出が期待されている
2020年 の日本 の対タンザニア貿易は、輸出が271.39億円、輸入が87.62億円となっており、貿易額としてはアフリカ諸国 の中では中位に位置する。主要な輸出品目は自動車 や鉄鋼 、主要な輸入品目は金属鉱物やコーヒー 、ゴマ 、たばこ 、魚介類 などである[ 3] 。
また日本 はアメリカ合衆国 やイギリス 、カナダ などに次ぐタンザニア の主要な援助国である[ 3] 。近年の主要な開発援助は技術協力に「ダルエスサラーム都市交通マスタープラン改訂プロジェクト(2016年‐2018年)」[ 39] や「天然ガス普及促進プロジェクト(2017年‐2020年)」[ 40] 、有償資金協力に「小規模灌漑開発事業(2013年、34.43億円)」[ 41] や「ケニア-タンザニア連系送電線事業(2016年、118.47億円)」[ 42] 、無償資金協力に「ザンジバル・マリンディ港魚市場改修計画(2014年、9.35億円)」[ 43] や「ダルエスサラーム市交通機能向上計画(2013年、11.08億円)」[ 44] や「タザラ交差点改善計画(2013年、31.25億円)」[ 45] などが挙げられ、主にインフラ面の支援が多いことが窺える。また「第二次タザラ交差点改善計画(2014年、3.46億円)」「第三次タザラ交差点改善計画(2015年、17.22億円)」のように第二次、第三次と継続的な支援が行われている場合も多い[ 46] [ 47] 。
文化交流
1978年 9月28日 には日本・タンザニア協会が、2006年 4月18日 には日本タンザニア友好協会が設立され、両協会が日本における日・タンザニア交流で中心的役割を果たしている[ 3] 。
文化的支援も多い。文化無償資金協力として視聴覚機材供与(1986年度)、映画制作用機材供与(1985年度)、理科実験機材供与(1981年度)、ザンジバルテレビ局への番組ソフト供与(1997年度)、国立博物館へ展示用機材供与(1999年度)、タンザニア国営テレビ局への番組ソフト供与(2002年度)、ンゴロンゴロ自然保護区ビジターセンター展示及び視聴覚機材整備(2010年度)などがある。草の根文化無償資金協力としては、ペンバ島多目的スポーツ施設建設(2013年度)、タンザニア野球ソフトボール連盟野球グラウンド整備計画(2016年度)など[ 3] 。
外交使節
駐タンザニア日本大使
駐日タンザニア大使
すべてを網羅はしていない。
駐日タンザニア大使館
脚注
参考文献
タンザニア連合共和国(United Republic of Tanzania)基礎データ 外務省
栗田和明、根本利通(著、編)『タンザニアを知るための60章【第2版】 (エリア・スタディーズ58) 』2015/4/10
関連項目
外部リンク
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