大阪取引所
株式会社大阪取引所(おおさかとりひきじょ、英: Osaka Exchange, Inc.、略称: 大証、OSE)は、株式会社日本取引所グループ(JPX)の子会社で、市場デリバティブ取引を扱う金融商品取引所である[注釈 2]。総合取引所(金融系及びコモディティ系の取引のできる取引所)の一つ[注釈 3]。大阪府大阪市中央区北浜に所在する。 本項では大阪証券取引所等、後節#記載対象の法人と期間に記した法人・時代について主に記載するほか、大阪証券取引所ビルについても記載する。 記載対象の法人と期間本項では、主に以下に記した法人・時代について記載する。
→2013年1月1日の商号変更後の同法人の活動等については日本取引所グループを参照
概説諸藩の蔵屋敷があった江戸時代の大坂の米穀取引所を起源に、五代友厚らが発起人となって設立された大阪株式取引所が前身である。なお、1730年(享保15年)に設立された堂島米会所で行われた帳簿上の差金の授受によって決済を行う「帳合米取引」が、世界で最初の公設の商品先物取引である。この伝統から、大阪株式取引所の草創期から帳合米取引をベースにした定期取引(および後の清算取引、現行法でいう先物取引の方法にあたる)が行われていた[注釈 4]。 太平洋戦争後は大阪証券取引所(大証)として、東京証券取引所(東証)とともに日本の株式市場の一翼をなしていた。ただし、大証の株式市場においては、株式の電子化が進んだ結果、東京証券取引所との重複上場銘柄の多くは東証での取引が中心となり、大証では出来高が少なかったり、一日の取引が成立しないこともあった。一方、任天堂や京セラなど、京都に本社を置く企業の中には大証での出来高が東証での出来高を上回るものも存在した。 2011年以降の東証との経営統合により、日本取引所グループ(東証・大証の経営統合後に設立された持株会社)での市場デリバティブ専門取引所に位置付けられることとなった。それに伴い、旧大証の現物市場は東証に移管された一方、東証が持っていたデリバティブ市場の移管を受けた。最終的に2014年3月24日に現社名に改名している。 大阪株式取引所創立株主人員大阪株式取引所設立出資者の上位は下記の6名である。
先物取引の大証大阪は旧大証時代から指数先物・オプション市場において重要な地位にあった。具体的には、日経225先物等、株価指数先物の日本における取引シェアは約60%を占め、同オプション取引においてはほぼ100%を占めていた。また、デリバティブ取引の売買高ランキング(2008年)では大証は世界15位であり、26位の東京金融取引所や33位の東京証券取引所などを抜いて日本では最も上位にあった[2]。 上場投資信託(ETF)の上場にも意欲的で、日本で初めて株式以外の商品を対象にした金ETFを、2007年8月10日に上場し、同年10月23日には、上海証券取引所に上場している主要50銘柄の株価で算出する上証50指数に連動する海外株価指数連動型ETFを上場した。海外の株価指数に連動するETFの日本国内上場はこの例が最初であった。 新興市場の創設とJASDAQ統合2000年に新興企業向け株式市場であるナスダック・ジャパン市場を創設したのを皮切りに、各取引所が新興市場を創設。店頭市場(JASDAQ)とナスダック・ジャパン市場が2003年3月末の統合に向けた協議に入る。 システム障害や災害等の対応策として、2008年3月31日に兵庫県中部にデリバティブ取引の売買システムのバックアップ施設を設置した。また、現物株の売買システムについては、ジャスダック証券取引所と提携し、どちらかのシステムが稼働不能になった場合、相手方のシステムで取引を執行させる体制を引いた[3]。 一方、ジャスダック証券取引所の大株主である日本証券業協会は、証券取引所の再編の一環として、経営体力の低下したジャスダック証券取引所を、売買システムのバックアップ体制で提携関係にある大証と経営統合させることを検討した。 その後、大証はジャスダック証券取引所に対して2008年11月19日から12月17日までの間に株式公開買い付けを行い、発行済み株式の76.1%を取得、連結子会社とした[4][5]。2010年4月1日には大証を存続会社としジャスダック証券取引所を吸収合併[6][7]、そして同年10月、旧JASDAQ・NEO・ヘラクレスの3市場を統合し、新JASDAQが発足した[8]。 デリバティブへの取組み2006年7月18日に、日経225先物取引を10分1に小口化した日経225miniの取引を開始した[9]。 2007年9月18日に、株価指数先物・オプション取引の夜間取引であるイブニング・セッション(16時30分から19時までの取引時間)を開始した[9]。(その後も段階的に時間延長を行い、2011年に「ナイト・セッション」に名称を変更。2016年7月以降は翌朝午前5時30分まで延長) 2009年7月21日には、国内の証券取引所としては初となる、外国為替証拠金取引(FX)を扱う市場「大証FX」を開設した[10]。これは、国内初の原則オークション方式による外国為替取引である (東京金融取引所のくりっく365は、マーケットメイカー方式。なお、大証FXは現在取引休止)。 2010年3月16日、大証は2011年1月〜3月中に行うデリバティブの新売買システム導入に伴い、日経平均先物などのデリバティブ取引の午前立会いと午後立会いの間に設けていた、午前11時〜午後0時半の間の昼休みを廃止、日中取引は午前9時から午後3時10分までの「一場制」とすることを発表した。ただし、現物株取引に関しては従来どおり昼休みを設けていた[11]。 日本取引所グループ発足、大阪取引所へ[9]2013年1月1日、株式会社東京証券取引所グループと株式会社大阪証券取引所が合併し、日本取引所グループが発足。 2013年7月12日を以て現物市場を東京証券取引所に統合。同年7月16日からはデリバティブ(金融派生商品)に特化。市場デリバティブ取引に係る清算機関を日本証券クリアリング機構(JSCC)に一本化。 2014年3月24日、東証の国債先物取引やTOPIX先物取引などのデリバティブ市場を吸収し、商号を「株式会社大阪取引所」に変更した。東証との経営統合については、東京証券取引所グループ#大証との経営統合を参照のこと。 取扱い商品の拡大2020年7月27日より、東京商品取引所の貴金属、ゴム、農産物の各商品にかかる取引のうち、アルミニウム・粗糖取引と金現物取引を除いて大阪取引所へ移管された[12]。休止中のアルミニウムは引き続き東京商品取引所で休止扱いとし、休止中の粗糖は上場廃止となった。金現物取引は移管対象外。 2021年9月21日より、CME原油等指数先物取引の取引が開始された。 取扱い商品
立会時間デリバティブ
かつては前場の株式取引時間が東京証券取引所より10分早い午前8時50分から始まっていたが、その後午前9時00分に改められている。 デリバティブ取引は、2011年2月14日に導入された新売買システム(J-GATE)によって前場と後場の区別がなくなり、09:00 - 15:10 の連続取引となった。さらに、2011年7月19日より夕場(イブニング・セッション)が延長され、翌3:00までとなり、ナイト・セッションとなった。 2016年7月19日のデリバティブ売買システム「J-GATE」のリプレース時に、株価指数先物の日中立会の開始時刻を8時45分へ繰り上げるとともに、デリバティブのナイト・セッションの終了時刻を5時30分まで延長した[15]。 現物(現在は廃止)
システムかつて取引システムのプログラム改修や開発は、大阪府吹田市佐井寺4丁目1(大阪証券業協会が所有する大阪証券業協会総合運動場(証券グラウンド)内)に位置する取引所電算センターの中で日夜行われていた。 取引システムには、2006年よりAIXを使った日立製作所のオープンシステムが使われていたが、先物取引システムについては、2011年2月14日にNASDAQ OMXのパッケージソフトを使ったシステム「J-GATE」に更改された。 2016年7月19日にデリバティブ売買システム「J-GATE」がリプレースされた。[9] 沿革大阪株式取引所→詳細は「大阪株式取引所」を参照
証券会員制法人 大阪証券取引所
株式会社 大阪証券取引所(初代)
株式会社 大阪証券取引所(2代)
株式会社 大阪取引所
旧上場会社上場銘柄の数2013年7月12日時点の上場会社数は以下の通り。
最終単独上場会社以下は2013年7月12日の大阪証券取引所現物市場最終日時点での上場企業である。これらはそのまま2013年7月16日の東京証券取引所への現物市場取引統合後も、そのままのカテゴリーで配置転換上場されている。 市場第一部
市場第二部
大阪証券取引所ビル
平和不動産の所有で、下層階は旧市場館の外観を保存したものとなっている。エントランスホールの大型モニターには、大阪取引所の顔である日経225先物取引の取引値が表示されている。 テナントは、地下1階と1階に「ポンテベッキオ」など飲食店が、2階は銀行とクリニック、3階には大阪経済大学(北浜キャンパス)が入居し、社会人向けの実践的カリキュラムを提供している。5階は見学スペース「OSEギャラリー」(2015年2月2日オープン)となっている。 オフィス棟の上層部にはSCSKの西日本(北浜)オフィスや証券会社が多数入っている。 旧市場館は1935年長谷部竹腰建築事務所の設計で竣工。施工は大林組。2004年の新ビルでも円形のエントランスホールの外観のみ残されている。 なお、当ビルに入居する取引所が「大阪証券取引所」から「大阪取引所」に(実質的には)名称が変更された[注釈 7]後も、ビルの名称は「大阪証券取引所」の名を冠したままとなっている。 脚注注釈
出典
関連項目
外部リンクInformation related to 大阪取引所 |