ベヴ・ベヴァン
ベヴ・ベヴァン(Bev Bevan、1944年11月24日 - )は、イギリスのロック・ドラマー。ザ・ムーブ、エレクトリック・ライト・オーケストラ (ELO) のオリジナル・メンバーとして著名。1983年から1984年にはブラック・サバスのツアー・メンバーとしても活動した。 キャリアイングランド、バーミンガムのスパークヒル出身[1]。高校卒業後、デパートのバイヤーとして働いていた。プロとしての音楽キャリアはデニー・レインのグループ、ディプロマッツへの助っ人参加がスタートであった。その後は1966年、カール・ウェイン&バイキングスに加入し、それがザ・ムーブ、エレクトリック・ライト・オーケストラ(以下ELO)へと発展していった。ベヴァンはドラム、パーカッションのほか、ザ・ムーブ時代にはボーカルもこなした(「Zing! Went the Strings of My Heart」「Ben Crawley Steel Co」の2曲をレコーディングしてもいる)。 ELOは1971年にファースト・アルバムをリリース。以降、1970年代から1980年代の初頭まで、ソングライターにしてマルチプレイヤーのジェフ・リン、ロイ・ウッド(ファースト・アルバムのみで脱退)、ベヴァンを中心に世界的な人気を博す。 1976年には、ベヴァン自身のソロ・シングル「Let There Be Drums」(サンディ・ネルソンの曲のカバー)をリリース。1980年にはELOのバイオグラフィを出版した。 1983年、イアン・ギラン擁するブラック・サバスのアルバム『悪魔の落とし子』収録の2曲 (「Trashed」「Zero the Hero」) のPVに出演、そのままビル・ワードの代役として「Born Again tour」にも参加した。 1986年3月15日、ベヴァンの企画立案により、バーミンガム小児病院のためのチャリティ・イベント「ハートビート」が開催された。ムーディー・ブルース、ロバート・プラント、UB40、ザ・ロイ・ウッド・バンド、ELOが参加したこのイベントは大成功を収めた[2]。 1988年、既に活動を停止していたELOの復活をジェフ・リンに打診するもリンはこれに同意せず、ベヴァンはリン抜きでの活動再開を決意。当初ELOの名称使用を巡って紛糾したが、結局「ELO Part II」を明記することで両者は合意。ELO Part II はベヴァンの下、良く言えば民主的に運営されたが、オリジナルELOの中心人物であったジェフ・リンに相当する創作の核を持たず、結局オリジナルほどの成功は収められぬまま2000年に解散を発表する(その後、ベヴァン以外のメンバーが、バンド名をシンプルにジ・オーケストラ(The Orchestra)と変えてグループは存続した)。 ベヴァンは、2001年にリリースされた『ズーム』(ジョージ・ハリスン、リンゴ・スターらをゲストに迎えて制作された、事実上ジェフ・リンのソロ・アルバム。ELOの在籍経験者ではリチャード・タンディのみが参加)以降の作品を除く、すべてのELO名義のアルバムのレコーディングに参加した。 2004年のカール・ウェインの死後、フィル・トゥリー、ELO Part II時代の同僚フィル・ベイツらとベヴ・ベヴァンズ・ムーブを結成。ザ・ムーブ時代の曲をセットの中心に据えたツアーを敢行した(その後、ベイツは2007年7月に脱退し、ジ・オーケストラに加入した)。 ベヴァンは現在、BBCのローカル・ラジオ放送局BBCウェストミッドランズで毎週日曜日午後の番組を担当しているほか、バーミンガムで週1回発行されるタブロイド紙サンデー・マーキュリーの紙面上でレコード・レビューを担当、同紙のブログでも執筆活動を行っている。 2011年1月のベスト・オブ・ブロードストリート・アワードで、バーミンガムのウォーク・オブ・ザ・スターズに選出された。 私生活イングランド中部のウォリックシャーに妻、息子と暮らしている。彼はウルヴァーハンプトン・ワンダラーズFCの熱狂的なサポーターである。 脚注
外部リンク
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