フォークロック 現地名
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フォークロック (英語 : Folk rock )は、音楽 のジャンル の一つで、フォーク とロック の要素を融合した音楽を指す。全盛期は1960年代 半ばから1970年代 前半である。フォーク音楽に、電気楽器 を導入したことで誕生したとされている。
歴史
アメリカ合衆国
1964年6月9日の19時から翌10日の1時30分にかけ、ボブ・ディラン はニューヨークのコロムビア・スタジオで14曲をレコーディングした[ 1] 。同年8月8日、そのうちの11曲を収録した4作目のアルバム『アナザー・サイド・オブ・ボブ・ディラン 』が発売された。収録から漏れたのは「デニス」、「ママ、ユー・ビーン・オン・マイ・マインド」、そしてランブリン・ジャック・エリオット とデュエットした「ミスター・タンブリン・マン 」[ 2] であった。同年8月、ロジャー・マッギン 、ジーン・クラーク 、デヴィッド・クロスビー 、マイケル・クラークから成るグループ「ジェット・セット」のマネージャーのジム・ディックソンはディランの音楽出版社から「ミスター・タンブリン・マン」のアセテート盤を入手した。バンドのメンバーは当初、同曲にあまり感銘を受けなかったが、マッギンは拍子を変え、ビートルズ のようなサウンドを目指し、メンバーとともにリハーサルを開始した[ 5] 。ちょうど8月11日に米国でも『ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ! 』が公開され[ 7] 、メンバーはたちまち映画の4人にとりこになった。マッギンはリッケンバッカー の12弦ギター、クラークはラディック のドラム・キットを揃えた[ 9] 。10月、クリス・ヒルマン がベーシストとして加わり[ 10] 、ジェット・セットはバンド名をバーズ に変えた。
1965年1月13日、14日、15日の3日間、ディランはエレクトリック・セットの楽曲と従来のスタイルの楽曲の両方をレコーディングした。その中には「ミスター・タンブリン・マン」の再録音も含まれていた[ 11] 。それから5日後の1月20日、バーズはロサンゼルスのコロムビア・スタジオで、テリー・メルチャーのプロデュースの下、「ミスター・タンブリン・マン」のレコーディングに取り掛かった。メルチャーの判断により、演奏はマッギンのみが12弦ギターで参加し、ラリー・ネクテル (ベース)やハル・ブレイン (ドラム)らによってベーシック・トラックが録られた。
同年3月22日、ディランの5作目のアルバム『ブリンギング・イット・オール・バック・ホーム 』が発売される。A面にエレクトリック・サウンドの曲を、B面にアコースティックを主体とした曲を収めたこのアルバムによって、ディランは「フォークロックを発明した」とも言われる[ 12] 。同年4月12日、バーズはシングル「ミスター・タンブリン・マン」を発表[ 13] 、デビュー曲ながら6月26日付のビルボード・Hot 100 で1位を記録。そのほか米国のキャッシュボックス、イギリス、アイルランドでも1位に輝いた。
ジャーナリストのエリオット・シーゲルは6月12日発行のビルボード誌において、「フォークロック 」という言葉を初めて使った。シーゲルはバーズに言及するとともに、ビリー・J・クレイマー 、ジャッキー・デシャノン 、ソニー&シェール らが「シングルにフォーク志向の素材を取り入れ始めた」と書き、ラヴィン・スプーンフル などを新しいフォークロックバンドとして挙げた。
1965年 7月のニューポート・フォーク・フェスティバル (英語版 ) で、ディランはマイク・ブルームフィールド やアル・クーパー らとともにロック・バンドとして演奏し、激しいブーイング を浴びた[ 15] 。当初、聴衆の側から音楽的堕落、世俗や機械文明への迎合といった反発があったことから、当時の若者によるフォークの解釈を知ることができる。同年7月20日に発売されたディランの「ライク・ア・ローリング・ストーン 」が全米2位を記録。フォークロックは北アメリカにおける主要な音楽ジャンルとなった.[ 16] [ 17] 。バーズはピート・シーガー の「ターン・ターン・ターン 」をカバーし、この曲も全米1位を記録した[ 18] 。
タートルズ は1965年、ロサンゼルスに設立されたばかりのレコード会社、ホワイト・ホエール・レコードと契約した。デビューシングルに選んだのはディランの「悲しきベイブ 」だった。同年7月に発売された同曲[ 19] は全米8位を記録した。同年9月13日、サイモン&ガーファンクル のシングル「サウンド・オブ・サイレンス 」が発売[ 20] 。同年12月、ママス&パパス のシングル「夢のカリフォルニア 」が発売。
アメリカ合衆国で最もフォークロックが活動的であったのは1960年代中頃から1970年代中頃だった。これはヒッピー [ 注釈 1] 現象とほぼ時を同じくする。ボブ・ディランやそれ以前のウディ・ガスリーらのミュージシャンのフォークソング、フォーク・リヴァイヴァル におけるボーカル・グループ、ロックなどの要素が融合され、さらにハンク・ウィリアムズ らの古いカントリーからの影響も見られるようになった。
1967年にはスコット・マッケンジー 、ジェファーソン・エアプレイン らがヒットを放った。
1968年、ジュディ・コリンズ は前年にリリースしたアルバム『Wildflowers 』から、ジョニ・ミッチェル 作の「青春の光と影 」をシングルカット。ビルボード・Hot 100で8位を記録し、ビルボードのイージーリスニング・チャートで3位を記録した。
1970年代にはジャクソン・ブラウン 、ブルース・スプリングスティーンら、80年代にはスザンヌ・ヴェガ、トレイシー・チャップマンら、90年代以降には4ノン・ブロンズ、シックスペンス・ノン・ザ・リッチャーらが活躍した。
イギリス
1964年6月19日に発売されたアニマルズ による「朝日のあたる家 」のカバー・バージョンもフォークロックの範疇に含まれることがある[ 21] 。同曲はビルボードHot100、キャッシュボックス、全英シングルチャート、カナダRPMなどでいずれも1位を記録した。
ボブ・ディランらを刺激した、アメリカの反体制的な文学ビート・ジェネレーションは、モダン・ジャズ を愛好し、イギリスのモッズ 文化誕生のきっかけの一つにもなった。戦後世代のイギリスの若者の間でのフォークやロック、ブルース、ブルース・ロックのブームが、1960年代に到来した。
ビートルズやローリング・ストーンズらを中心としたブリティッシュ・インヴェイジョンは、アメリカ、イギリスのフォーク・ロックの隆盛に、大きな影響を与えた[ 22] 。フォーク・ミュージシャンによる取り組みでは、ドノヴァン が1965年デビュー、1966年(イギリス発売は1967年)ドノヴァンはアルバム「サンシャイン・スーパーマン 」を発表。この年からプロデュースを担当するミッキー・モスト が初期サイケデリック・ロック の影響をここに持ち込みアレンジに工夫を凝らした。
1968年ペンタングル 結成。フォークソロ歌手ジャッキー・マクシー とそのギタリストバート・ヤンシュ 、ジョン・レンボーン に、ドラムスとウッド・ベースはジャズ奏者で、アコースティック楽器を電気増幅で音量を大きくした、ジャズ色のあるアレンジでトラディショナル・ブリティッシュ・フォークやオリジナルを演奏した[ 23] 。1962年創業でフォーク作品中心に販売していたトランスアトランティック・レコード(en )と契約、この頃はイギリスで「エレクトリック・フォーク」(Electric Folk) とも呼んでいた。
1967年デビューのフェアポート・コンヴェンション はイギリス独自のフォーク・ロックを提示した。1970年スティーライ・スパン は、フェアポート・コンヴェンションを脱退したアシュリー・ハッチングスが結成した。ギター奏者マーティン・カーシー が参加。アルバム『テン・マン・モップ、あるいはレザヴォア・バトラー氏捲土重来 』発表後、ハッチングスとカーシーは脱退、スティーライ・スパンはマディ・プライヤー を中心にドラムス担当を加入させトラディショナル・フォークをロック寄りにしたフォークロックを展開した。
マーティン・カーシーは再び伝承民謡でソロ活動の基本に戻り、平行してアシュリー・ハッチングスらのセッションやブラス・モンキー に参加し現在に至る。左派系のトピック・レコードは、フォークのレコードを多数発表した。そしてヒッピー・バンド、インクレディブル・ストリング・バンド のようなイギリスのフォークロックにおける試みは、サイケ・フォークへ繋がっていく。
北アメリカでの動きに触発され、イギリス やケルト圏 でも様々なフォークロックの様式が見られるようになった。スコットランド 、ウェールズ 、コーンウォール 、ブルターニュ など、各地域の民俗音楽とロックの融合が図られた。この音楽的試みには、フォーク・ミュージック(民俗音楽)とロック双方の分野のミュージシャン が取り組んだ。そして更に、ヨーロッパ の他の地域でもフォークロックに取り組む音楽家が現れてきた。ウディ・ガスリー [ 注釈 2] とピート・シーガー 、および戦前1930年代 の左翼人民戦線 運動から生まれた文化に強く影響を受けている。
西欧、南欧、北欧、東欧
スウェーデンではガルバナ、ジェゼベル、ビョルン&ベニーなどが活躍した[ 24] 。フランス のフォークロックではTri Yannらが活動した。アイルランド では、ヴァン・モリソン [ 注釈 3] とゼム[ 注釈 4] が活躍した。後年、ザ・ポーグス らがアイルランド民謡とパンク・ロック を結び合わせた。
ドイツ のフォーク・ロックには、オライリー・バンド、ダルタニアンらがいた。ノルウェー では、ゴーテ が、ノルウェーの伝承文学 のひとつであるスティーヴ(stev、即興詩)とロックの融合が試みられた。東欧のルーマニア では、1962年 に結成されたトランシルヴァニア・フェニックス や、スピタルル・デ・ウルジェンツァ が活動した。また、ウクライナの西方に位置するモルドバ のズドッブ・シ・ズドッブ は、民族音楽とロックを融合した楽曲を発表した。
日本のフォークロック
1960年代後半、GS時代のカバーとしては「今日を生きよう」をカバーしたテンプターズ [ 25] 、PPM の「500マイル 」をカバーしたザ・スパイダース 、 フォーク・サイドでは、「ベリー・ラスト・デイ」(PPM)のトワ・エ・モワ、ママス&パパス 「夢のカリフォルニア 」のモダン・フォーク・フェローズなどがあげられる。アメリカのバーズ 、ラヴィン・スプーンフル などを経てカバー/コピーから吸収し、日本の民謡 (フォーク)を取り入れた寺内タケシとバニーズ 、などのバンドやフォーク・グループが登場し、マイク眞木「バラが咲いた 」の作詞・作曲を浜口庫之助 が担当。村井邦彦[ 注釈 5] 、いずみたく らが新しい日本のポップス・ロック音楽を模索していた。
1969年 11月村井邦彦 が日本コロムビア との契約から発足、村井は先行して1967年 作曲家業を開始、作詞家山上路夫 、安井かずみ などと共作し、様々なバンドやミュージシャンのプロデュースと編曲家を務めている。アルファ初期には赤い鳥 、ガロ [ 注釈 6] などが在籍、他社東芝音工 に村井と山上が楽曲提供したトワ・エ・モワ など カレッジ・フォーク 系[ 注釈 7] とも呼ぶミュージシャンたちと制作作業を行った。
フォーク系ミュージシャンは他に岡林信康、高田渡、加川良、フォーク・クルセダーズ、ソルティ・シュガー、五つの赤い風船、遠藤賢司、あがた森魚、頭脳警察、初期のRCサクセション、上條恒彦と六文銭、森山良子 、トワ・エ・モワ、五つの赤い風船 、マイク眞木 、ザ・リガニーズ 、ふきのとうなどが活躍した。70年代前半には、井上陽水 、吉田拓郎 が大ヒットを放った。荒井由実は1975年 に、ばんばんに「いちご白書をもう一度」を提供した。1970年代後半には、ニューミュージックの登場により、フォークロックは衰退していった。
前史
都市を拠点としてフォークソングを歌い始めたのは、アルマナック・シンガーズ であった。このグループは、1930年代後期から1940年代 初期にかけて、ガスリー 、シーガー 、リー・ヘイズ他、メンバーを替えつつ活動した。第二次世界大戦 下を経て1947年 に、シーガーとヘイズは、ロニー・ギルバート、フレッド・ヘルマンと組み、ウィーヴァーズ を結成する。ウィーヴァーズは、レッドベリー の「アイリーン」をカバーし大ヒットさせ、この分野は一般大衆の間に広がっていった。文学 で1950年代 に隆盛をきわめたビート・ジェネレーション は、ジャズと密接な関係を持つ一方、ボブ・ディランらその後のフォーク・シンガー達に大きな影響をもたらした。
彼らは1950年代初期の赤狩り に巻きこまれ、1955年 、ピート・シーガー は下院非米活動委員会で、彼の思想的な所属を証言することを拒否したことで、有罪判決を受けた[ 26] 。シーガーらのサウンド、および民俗音楽や社会問題 を題材とした楽曲は、キングストン・トリオ 、チャド・ミッチェル・トリオ や、ピーター・ポール&マリー、モダン・フォーク・カルテットなどに影響を与えた。彼らの歌詞や音楽性は、プロテスト・フォークやブロードサイド・バラッド(時事問題を扱う社会性の強い歌)の発展に大きく寄与した。
1963年 のワシントン大行進には、ボブ・ディラン や俳優マーロン・ブランド らが参加している。
主なミュージシャン
米国/カナダ
ソロ・シンガー
アメリカ、カナダのフォークロック音楽家
ボブ・ディラン [ 27]
ニール・ヤング [ 注釈 8]
バリー・マクガイア [ 注釈 9]
メラニー[ 注釈 10]
ウッドストック・フェスティバルに出演。
バフィー・セントメリー[ 注釈 11]
映画『いちご白書 』の主題歌「サークル・ゲーム 」(ジョニ・ミッチェル作詞作曲)で知られる、ネイティヴ・アメリカン系の女性フォークシンガー。
ホセ・フェリシアーノ [ 28]
リッチー・ヘヴンス
ジョニ・ミッチェル [ 注釈 12]
カナダ出身。
ティム・ハーディン
ティム・バックリー
ロジャー・マッギン
ギリアン・ウェルチ
マンハッタン出身、ロサンジェルス育ち。ブルーグラス、オールドタイム、ネオトラディショナル・カントリーのシンガーソングライター。
フィル・オクス [ 29]
1940年、テキサス州エル・パソ出身。トピカルソング・シンガー。
アーロ・ガスリー [ 注釈 13]
ドン・マクリーン [ 注釈 14]
ジム・クロウチ
1943年、フィラデルフィア 出身。1973年飛行機事故で死去。
レナード・コーエン
カナダ モントリオール出身。詩人、小説家、シンガーソングライター。
ジュディ・コリンズ
ポール・サイモン
「母と子の絆 」がヒット。
アート・ガーファンクル
ハリー・チェイピン
フレッド・ニール
ジェリー・ジェフ・ウォーカー
「ミスター・ボージャングルス 」を作曲したシンガーソングライター。
ジェシ・コリン・ヤング
元ヤングブラッズ。
ジョン・セバスチャン
ゴードン・ライトフット
カナダのシンガーソングライター。1938年生まれ。1950年代後半に活動開始。
ロボ
「片思いと僕」を発表。
ウォーレン・ジヴォン [ 注釈 15]
ジョーン・バエズ
ジュディ・シル
ジョン・プライン
スティーヴ・グッドマン
ジャクソン・ブラウン
ブルース・スプリングスティーン
スザンヌ・ヴェガ
トレイシー・チャップマン
リンダ・パーハクス
ジョアンナ・ニューサム
グループ
イングランド・ダン&ジョン・フォード・コーリー [ 30]
インディゴ・ガールズ
1985年にジョージア州で結成したデュオ。
グレイト・ビッグ・シー
カナダのフォークロック・バンド。北アメリカにおける初期のフォークロックに良く類似している。
グレープス・オブ・ラズ
カナダのフォークロック・バンド。1983年結成、1992年解散。
CSN&Y
ケイト&アナ・マグリガル
ケルタエ
ケープブレトン島 とニューファンドランド島 の民俗音楽を融合させたケルト・フォークロック・バンド。それぞれの伝承曲の持ち味を残しつつ、ロックやジャズの要素を含んでいる。
サイモン&ガーファンクル
サウザー・ヒルマン・フューレイ・バンド [ 31]
シールズ&クロフツ
シックス・ペンス・ノン・ザ・リッチャー
スピリット・オブ・ザ・ウェスト
カナダのバンド。北アメリカにおける初期のフォークロックに良く類似している。
ザ・ダックス
ニール・ヤングのロック・バンド。1977年に活動。
タートルズ
1965年にカリフォルニアで結成。「ハッピー・トゥゲザー 」やボブ・ディラン の「悲しきベイブ 」のカバーがヒット。
ニュー・クリスティ・ミンストレルズ
バーズ
バッファロー・スプリングフィールド
ザ・バンド
ピーター・ポール&マリー
ファッグス
4ノン・ブロンズ
フラタニティー・オブ・マン [ 注釈 16]
ボー・ブラメルズ
1963年 にサンフランシスコ で結成。ビートルズ などのイギリスのバンドに影響を受けている。
ホーリー・モーダル・ラウンダーズ
ママス&パパス
ミミ&リチャード・ファリーニャ
ヤングブラッズ
ラヴィン・スプーンフル
ロギンス&メッシーナ
その他(USA)
一般的にはフォークロックに分類されていないが、その傾向が見られるソロ・ミュージシャンとバンド。
グィック・シルヴァー・メッセンジャー・サーヴィス
グレイトフル・デッド
1965年にサンフランシスコで結成。フォーク、ブルーグラス、ブルース、カントリー、ジャズなどを融合させたサイケデリックロック・バンド。
ソニー&シェール
1960年代の男女デュオ。
ジェファーソン・エアプレイン
1965年にサンフランシスコで結成。活動当初はフォークロックを指向していたが、やがてサイケデリックロックへと転身した。
モビー・グレープ
1966年 にカリフォルニアで結成。ジャズ、カントリー、ブルースなどを融合させたサイケデリックロック・バンド。
ラヴ
1965年 にロサンジェルスで結成。ロックンロール、ガレージロック、フォークなどを融合させたサイケデリックロック・バンド。
イギリス/アイルランド
シンガーソングライター
キャット・スティーヴンス
ヴァン・モリソン
チーフタンズ とフォークロックの楽曲を共同制作している。
ディック・ゴーハン
英国のフォーク、フォークロックのミュージシャン。
アル・スチュアート
ビリー・ブラッグ
ジャッキー・マクシー
ドノヴァン
リチャード・トンプソン
フェアポート・コンヴェンションの創設メンバーの一人。フォークロックのギタリストとしても著名。
ロイ・ハーパー
英国のフォーク歌手。
エディ・リーダー
アン・ブリッグス
フィラモア・リンカーン
ルーシー・ローズ
ロジャー・ウィテッカー
アンディ・ホワイト(SSW)
シンガーソングライター。1962年、北アイルランド のベルファスト 生まれ。1985年デビュー。
ゴードン・ギルトラップ
英国 の著名なギタリスト 。1948年生まれ。フォークロック以外にも、フォーク、ロック、ブルースなど、多彩な分野で活動している。
エイミー・マクドナルド
1987年生まれ。スコットランド 出身のシンガーソングライター 。
グループ
アメリカ(UK)
インクレディブル・ストリング・バンド
1965年、結成。サイケデリックなフォーク・バンドとして知られているが、フォークロック・バンドとして活動を開始した。
エナジー・ オーチャード
アイルランドのフォークロック・バンド。1980年代後半、北アイルランド のベルファスト で結成。
カパーケリー
スコットランドのフォーク・バンド。
ザ・コアーズ
1991年に結成した、アイルランドのフォークロック・バンド。
サンダークラップ・ニューマン
スティーライ・スパン
イギリスのフォークロック・バンド。1970年に結成され、2006年現在も活動中。
シャーリー&ドリーコリンズ
代表作は、アンセムズインエデン。姉がドリー、妹がシャーリー。
ヴィグラス&オズボーン[ 注釈 17]
ドクター・ストレンジリー・ストレンジ (アイルランド)
ドリーム・アカデミー
ティラノザウルス・レックス
ファイブ・ハンド・リール
フェア・グラウンド・アトラクション ヒット曲「パーフェクト」。
フェアポート・コンヴェンション
1967年 にイギリスで結成したフォークロック・バンド。ウェストコースト風のカバーから活動を開始したが、イギリス民謡を取り込んでいくようになった。
フォザリンゲイ
フォレスト
プランクシティ
1972年に結成されたアイルランドのフォーク・バンド。
ヘッジホッグ・パイ
ブリティッシュ・トラッドをベースとしたプログレッシブ・ロック色が強いバンド。
ペンタングル
1967年にイギリスで結成したフォークロック・バンド。
ザ・ポーグス
アイルランド人のシェイン・マガウアンを中心として1982年に結成された、イギリスのフォークロック・バンド。
ホースリップス
アイルランドのジグ 、リール 、をベースとしたケルトロック・バンド。
マグナ・カルタ
1969年にロンドンで結成したフォークバンド。
ランリグ
スコットランドのフォークロック・バンド。1973年に結成。ゲール語 によるロックを演奏する。
リンディスファーン
イギリスのフォークロック・バンド。
ルネッサンス
イギリス民謡とクラシック音楽をベースとしたプログレッシブ・ロック・バンド。1969年にイギリスで結成。
その他(UK)
レヴェラーズ
イギリスのロック・バンド。ノン・フォークとされているが、フェアポート・コンヴェンションとも共演している。1988年結成。イギリス民謡とパンクロックを混合。
ジェスロ・タル
イギリスのプログレッシブ・ロック・バンド。全ての楽曲にフォークの要素がある訳ではないが、『神秘の森』(Song From The Wood、1977年)、『逞しい馬』(Heavy Horses、1978年)、『ストーム・ウォッチ~北海油田の謎』(Stormwatch、1979年)は、フォークロックの分野に属する。
ストローブス
1964年にイギリスで結成したロック・バンド。ブルーグラス・バンドとして活動を開始し、一時、リック・ウェイクマン が参加していたことがある。フォークロックや、プログレッシブロックなど多様な音楽性を表現し、労働党を支持した「パート・オブ・ユニオン」(1972)のヒットがある。
ホリーズ 「バス・ストップ」など
エルトン・ジョン 「ユア・ソング」など
ジョージ・ハリスン 「ギヴ・ミー・ラヴ」など
ジョン・レノン 「平和を我等に 」(ギヴ・ピース・ア・チャンス)など
ニック・カーショウ 「ザ・リドル」
西欧/北欧
パーソンズ・パック
スウェーデンのフォークロック・バンド。[ 32] 。
グンドゥラ・クラウス
ドイツのフォーク・バイオリスト。1992年にデビュー。ロサンゼルスでブルーグラスやケイジャン音楽を学び、アイルランドでアイルランド民謡やフォークロックを学んだ。
ロイツマ
フィンランドのフォークユニット。
オセアニア
レッドガム
オーストラリアのフォークロック・バンド[ 注釈 18] 。
脚注
注釈
^ 反戦平和を主張した。グレイトフル・デッドやジョン・レノン、ニール・ヤングら多くのミュージシャンも強い影響を受けている。
^ 「我が祖国 (英語版 ) 」で知られる。アーロ・ガスリーの父親。
^ ゼムを脱退後に発表した「ブラウン・アイド・ガール 」がヒットした。
^ 代表曲は「グローリア」。
^ 「エメラルドの伝説 」「夜と朝の間に」などを作曲
^ 代表曲は「学生街の喫茶店」
^ 「カレッジ・フォーク 」は、一説には東芝音工が考案した用語、宣伝キャッチコピーとされる。日本のフォーク系音楽ミュージシャンなどの説明とアングラ・フォークなど区別に他社レーベルなども使用した。用語として1970年を前後する時期(昭和40年代)に活躍したコーラス、ハーモニーに主点を置くフォークのミュージシャンやグループなどに用いられることが多い。
^ バッファロー・スプリングフィールド、CSN&Yなどに在籍した。
カナダ出身。1972年の「孤独の旅路」が全米1位を記録
^ 「イヴ・オブ・ディストラクション」がヒットした。
^ 72年に「ブランニュー・キー」がヒットしたヒッピー系女性シンガー。
^ 「ユニバーサル・ソルジャー」は反戦歌として知られている。カナダの女性歌手。
^ 「サークル・ゲーム」「青春の光と影 」の作者。
^ ウディ・ガスリーの息子。
^ 「アメリカン・パイ」が大ヒットした。
^ 1978年に「ロンドンのオオカミ男 」がヒットした。
^ 映画「イージー・ライダー」のサントラ盤収録
^ 「秋はひとりぼっち」が1972年に日本でヒット。
^ 1983年に「アイム・オンリー19」がオーストラリアのナショナル・チャートで1位の大ヒットになった
出典
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参考文献
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関連項目
フォーク・ミュージック
サブジャンル 融合ジャンル 地域別
関連項目 関連用語