こじし座 (こじしざ、Leo Minor)は現代の88星座 の1つ。17世紀 末に考案された新しい星座 で、ライオン がモチーフとされている[ 1] [ 4] 。しし座 とおおぐま座 の間の領域に位置しており、4等星より明るい星がなく目立たない星座である。α星が存在しない4つの星座のうちの1つとして知られる[ 注 1] 。
主な天体
この星座にはβ星はあるがα星はない。これは、フランシス・ベイリー が1845年 に刊行した星図『British Association Catalogue』 の中でこの星座の星にギリシア文字 の符号を振った際に、現在の46番星にαの符号を振り忘れたことによるものと考えられている[ 4] 。
恒星
国際天文学連合 (IAU) によって2個の恒星に固有名が認証されている[ 5] 。
46番星 :見かけの明るさ 3.83等の[ 6] と特に明るい星ではないが、こじし座で最も明るい恒星。「プラエキプア [ 7] (Praecipua[ 5] )」という固有名を持つ。
HD 82886 :国際天文学連合の100周年記念行事「IAU100 NameExoworlds」でアルバニア に命名権が与えられ、主星はIllyrian、太陽系外惑星はArberと命名された[ 8] 。
その他、以下の恒星が知られている。
由来と歴史
中国・清朝の百科事典『古今図書集成 』の星宿圖。
2世紀 頃の古代ローマ の学者クラウディオス・プトレマイオス は著書『アルマゲスト 』の中で、現在のこじし座の領域にある星々を「星座に属さない星」として記録していた[ 4] 。オランダ のペトルス・プランシウス は、1612年 に製作した天球儀 の上で、これらの星をヨルダン川 に見立てた「ヨルダン座 」を置いた[ 11] 。このヨルダン座は、のちの1624年 にヤコブス・バルチウス の著書『Usus Astronomicus Planisphaerii Stellati』で星図 に描かれたことから、バルチウスが考案した星座であると誤解されることもある[ 11] 。
こじし座は、17世紀末にポーランド 生まれの天文学者ヨハネス・ヘヴェリウス によって考案された[ 4] 。ヘヴェリウスの死後の1690年に妻によって刊行された著書『Prodromus Astronomiae』に収められた星図『Firmamentum Sobiescianum』と星表『Catalogus Stellarum』に記載されたのが初出である。ヘヴェリウスは、プランシウスがヨルダン座を置いた領域を、やまねこ座 ・りょうけん座 ・こじし座の3星座に改めた[ 4] 。
1922年 5月にローマ で開催されたIAUの設立総会で現行の88星座が定められた際にそのうちの1つとして選定され、星座名は Leo Minor 、略称は LMi と正式に定められた[ 12] 。新しい星座のため星座にまつわる神話や伝承はない。
中国
中国の天文では、こじし座の星々は三垣 の太微垣 と紫微垣 、二十八宿 の朱雀 七宿の星宿 に跨っていた[ 13] 。太微垣では「少微」という星官 に52番星が「大夫」、41番星が「議士」という星名で属した[ 13] 。紫微垣では「勢」という星官に34番星と33番星が属した[ 13] 。星宿では「内平」という星官に22・21・13・18の4星が属した[ 13] 。
呼称と方言
日本では、明治末期には既に「小獅子 」という訳語が充てられていた。これは、1909年(明治42年)1月刊行の日本天文学会 の会報『天文月報』第1巻10号に掲載された「一月の空」という記事の星図でうかがい知ることができる[ 14] 。この訳名は、1925年 (大正14年)に初版が刊行された『理科年表 』にも「小獅子(こしし) 」として引き継がれ[ 15] 、この訳名が1943年(昭和18年)刊行の第19冊まで継続して使われた[ 16] 。1944年 (昭和19年)に天文学用語が改訂されると、その際に読みが「こじし 」と改められた[ 17] 。そして、戦後の1952年 (昭和27年)7月に日本天文学会が「星座名はひらがなまたはカタカナで表記する」[ 18] とした際に、Leo Minor の日本語の学名は「こじし 」と定まり[ 19] 、これ以降は「こじし」という学名が継続して用いられている。
脚注
注釈
出典
ウィキメディア・コモンズには、
こじし座 に関連するメディアがあります。
座標 : 10h 00m 00s , +35° 00′ 00″