「青葉城恋唄」(あおばじょうこいうた)は、仙台城(青葉城)の城下町を基礎に発展した宮城県仙台市の風景を用いた、星間船一による失恋の叙情詩で、さとう宗幸によってイ長調の曲が付けられ歌謡曲となった。
1978年(昭和53年)5月5日にさとうのメジャー・デビュー曲としてシングル発売され、同年6月1日にダークダックスもシングル発売した。
仙台市、宮城県はもちろん、東北地方を代表するご当地ソングとみなされており、歌詞にある仙台の雅称「杜の都」を広めた。
同年に日本作詞家協会大賞を受賞した。
概要
東京の企業を脱サラしたさとう宗幸(本名:佐藤宗幸、現・宮城県大崎市古川育ち[2])は地元の宮城県に戻って、1977年(昭和52年)4月からNHK-FM仙台(宮城県仙台市)の「FMリクエストアワー」においてDJとなり、同ラジオ番組内のコーナーでリスナーから寄せられた詩に曲をつけて歌を創作していた。同年6月、リスナーだった仙台在住の星間船一(本名:星捷一。現・宮城県東松島市出身[2])が寄せた詩をもとに、さとうが編詩をし[† 1]、5分ほどで当曲が誕生した[2]。
当曲の反響は良く、仙台市内で繰り返し流された[2]。そして、地元宮城県ではさとう宗幸の曲として定着していった[3][4]。その頃、当曲はデモテープの3曲目[4]に入れられてキングレコード(東京都)に持ち込まれた。3曲目ながら、ディレクター(当時)の赤間剛勝(仙台市出身)が気に入るところとなり[2]、レコーディングされることになった[4]。地元で人気とは言え全国的には無名のさとうを宣伝費をかけずに売り出す手法として赤間は、長年キングレコードの専属で当時ポリドールへ移籍していた有名コーラス・グループのダークダックスと競作させることにした[3][4]。
1978年(昭和53年)5月5日にさとうの当曲が発売された。さとうの周辺では「3万枚」が現実的な目標であった[2]が、発売10日で5万枚を超える売り上げとなった[5]。しかし、約1ヶ月遅れの6月1日にダークダックスが当曲を発売すると、当初はダークダックスの方が売上が多かった[6]。
同年6月12日に宮城県沖地震が発生すると、復興の意をこめて[2]さとうが生中継で歌い上げたり、半年前に完成したばかりの国鉄(現JR東日本)仙台駅(現駅舎)でも特急列車が到着する度に流されたりされるようになる[† 2][7][8]など、さとうの歌う当曲も全国へ発信されるようになった。キングレコードもさとうをプッシュすることにし、仙台七夕花火祭(8月5日)の西公園ステージでは、当曲を歌うことになっていたダークダックスに対抗し、浴衣を着た宮城学院女子大学生約10人が並ぶ前でさとうが当曲を歌い上げる演出を行った[6]。そして、仙台七夕まつり(毎年8月6日・7日・8日開催)頃から売上が逆転した[3][6]。
当時は「地方の時代」という言葉が流行語だった[3][7]が、東京から東北本線特急利用でも4時間以上かかる仙台[† 3](現在は東北新幹線で最速90分[9])から発信された当曲は「地方発の歌」の代表的存在として多くのメディアに紹介され[3]、全国的にも「青葉城恋唄」はさとうの曲として定着した。そのため当曲でさとうはこの年の「第20回日本レコード大賞・新人賞」「第7回FNS歌謡祭・最優秀新人賞」にも選ばれ、さらに『第29回NHK紅白歌合戦』にも初出場を果たした。
1978年1月19日に放送開始されたTBS系列・生放送音楽番組『ザ・ベストテン』には、同年8月3日に「今週のスポットライト」コーナーで初出演。それから約4か月後の12月14日、第9位と当番組で初めて10位以内に入る。翌週の12月21日には最高順位の第8位に上昇、合計2週間ランクインされた。
最終的な売上はさとう宗幸110万枚[10]、ダークダックス30万枚[11]となり、ダークダックスとしてはヒットし損ねた結果になったが、当曲がきっかけとなり、ダークダックスのマンガさんこと佐々木行(福島県出身、愛知県育ち)と、さとう宗幸(岐阜県出身、宮城県育ち)が親類(はとこ)にあたることがわかった。
さとうが「青葉城恋唄」を発売してから約3ヶ月半後の8月21日には倍賞千恵子にカバーされ、倍賞のアルバムに収録されて発売された。さらに同年には秋庭豊とアローナイツ、翌1979年(昭和54年)には新沼謙治、大屋政子、石川さゆり、八代亜紀、森昌子、フランク永井、五木ひろし、和田弘とマヒナスターズと、男性歌手・女性歌手問わず次々カバーされた。また、1979年には香港で広東語バージョンが、1980年には台湾で(台湾)国語バージョンが発売されるなど、中華圏でも早い内から次々カバーされた。所ジョージが本作と同じコード進行を用いて「西武園恋唄」というパロディソング(コミックソング)を作ったこともある。その後も数々のアーティストにカバーされ、さとうのフォークソング、ダークダックスの合唱曲とは曲調が異なるムード歌謡、演歌、R&B、テクノポップ、ジャズ、ヒーリング・ミュージック、イージーリスニング、ボサノヴァ[† 4]などにアレンジされた楽曲も生まれた。このような過程で当曲は、さとうやダークダックスのファン以外にも浸透していくことになった。さとう自身も当曲を何度もシングルで再発売し、「さとう宗幸全曲集」や「青春歌年鑑」など複数のアルバムにも収録しており、現在では懐メロの定番ソングとなっている。
仙台で活躍していたシンガーソングライター・さとうは当曲により全国区になり、TBSテレビの桜中学シリーズドラマ『2年B組仙八先生』(1981年 - 1982年)で主役の伊達仙八郎を演じ、政宗ブームを生んだNHK大河ドラマ『独眼竜政宗』(1987年)で支倉常長を演じるなど、俳優としても活躍することになった。1990年代以降、全国的にカラオケボックスが広がるが、当曲のカラオケビデオでは、俳優経験があるさとう自身が出演している。
地元の宮城県では、仙台七夕まつり期間になると、祭り会場のアーケード街などで、島倉千代子の「七夕おどり」や「ミス仙台」と共に当曲が繰り返し流されている。また、1988年(昭和63年)からJR仙台駅の在来線ホームにおいて、当曲をモチーフにした宮城フィルハーモニー管弦楽団(1989年より仙台フィルハーモニー管弦楽団)演奏の発車メロディが、替わって2016年(平成28年)からは新幹線ホームにおいて、当曲を編曲した仙台フィル演奏の発車メロディが使用されている[12][13]。
2004年(平成16年)プロ野球再編問題の結果、仙台を本拠地として新規参入した東北楽天ゴールデンイーグルスでは、応援団が作成したチャンステーマのイントロ部分にも当曲が使用されている。その他、仙台市民・宮城県民または出身者のカラオケでの定番曲となっており、県民歌・市民歌のように扱われ歌われている[† 5]。
さらに、日本の高校野球では宮城県代表の高校が、阪神甲子園球場のアルプススタンドにて、当曲を応援歌として演奏される事が有る。特に2022年夏・第104回全国高等学校野球選手権大会において、仙台育英高校が初めての「白河の関越え」と成る、東北勢で悲願の全国制覇を果たした際、さとう本人が「東北に新しい光を注いでくれて、心から感動しました。優勝おめでとうございます」と祝福のコメントを述べていた[14]。
TBS系列の2時間ドラマである月曜ゴールデン「医師・円城寺修『杜の都の死刑囚』」(2011年12月5日)、および、「医師・円城寺修Ⅱ『恨みの報酬』」(2012年6月4日)でも、遠藤浩二によるエンディング挿入歌として使われるなど、近年でも仙台のご当地ソングとして認識され続けている。
歌詞に描かれた場面の画像
青葉城(仙台城)本丸の
伊達政宗騎馬像付近から見た
杜の都(仙台市)の眺望(2010年5月31日撮影)。
関連年表
収録曲
さとう宗幸盤
シングル「青葉城恋唄」
- 1978年(昭和53年)5月5日発売盤
- 青葉城恋唄
- 昔きいたシャンソン
- 1989年(平成元年)7月21日発売盤
- 青葉城恋唄
- 岩尾別旅情
- 昔きいたシャンソン
- 萌ゆる想い(『2年B組仙八先生』主題歌)
- 1993年(平成5年)6月23日発売盤
- 青葉城恋唄
- 追憶
- 青葉城恋唄(オリジナル・カラオケ)
- 追憶(オリジナル・カラオケ)
- 1998年(平成10年)6月26日発売盤
- 青葉城恋唄
- 青葉城恋唄(オリジナル・カラオケ)
- 岩尾別旅情
- 岩尾別旅情(オリジナル・カラオケ)
- 2003年(平成15年)10月1日発売盤
- 青葉城恋唄
- 岩尾別旅情
- 萌ゆる想い(『2年B組仙八先生』主題歌)
- 青葉城恋唄(オリジナル・カラオケ)
- 岩尾別旅情(オリジナル・カラオケ)
- 萌ゆる想い(オリジナル・カラオケ)
アルバム「青葉城恋唄」
1978年(昭和53年)発売盤
- SIDE A
- 青葉城恋唄
- 北の旅
- ねむるオンネトー
- 遠くへ行きたい
- みちのく挽歌
- 人はみな旅人なのさ
- SIDE B
- 忘れ言葉
- 坊がつる讃歌
- 四つに島から
- 北への想い
- 場面
ダークダックス盤
1978年(昭和53年)6月1日発売盤
- 青葉城恋唄
- 作詞:星間船一、作曲:さとう宗幸、編曲:小野崎孝輔
- あんな男に惚れちまって
カバー
主なカバーのうち、レコーディングして発売されたもの(そのアーティストにとって初収録)を以下に記す。以下のほかに、各歌手の全集、ベスト・アルバム、コンピレーション・アルバムなどに収録されている例もある。
カバー曲は、歌詞はそのままに、さとうが作曲したメロディラインを用いて伴奏やリズム等を編曲(アレンジ)している例がほとんどだが、アマチュアミュージシャンがさとうとは異なるメロディをつけた「新説 青葉城恋唄[25]」という試みも見られる。また、歌詞をフランス語に訳したカバー曲や、中国語(北京語・国語・台湾華語・広東語)で新たに作詞した歌詞を用いたカバー曲も存在する。
受賞歴
脚注
注釈
- ^ 「杜の都」の部分は、星間の原詞では「青葉城仙台」となっていた。また「季節(とき)はめぐり」の部分について、レコード初版時は「時はめぐり」としていたのを、阿久悠の助言により「季節」に「とき」と読ませる歌詞に変更している。
- ^ 前年6月時点で特急は下りだけでも仙台駅に一日あたり24本停車した。同年の大晦日には当曲が一日中流された。
- ^ 1978年(昭和53年)当時の東京と仙台との間の移動は、高額な運賃を払って東京国際空港(羽田)〜仙台空港の定期航空便(1982年の東北新幹線開業から3年後の1985年に廃止)に乗るか、最速達電車でも上野〜仙台間が約4時間かかる東北本線に乗るか、岩槻IC〜築館ICで開通していた東北自動車道(東北縦貫自動車道)を高速バスやマイカーで移動する必要があった。
- ^ 録音・発売されていないが、元劇団四季所属のミュージカル女優・木村花代が、ボサノヴァ風アレンジの青葉城恋唄をコンサートで歌っている。
- ^ 宮城県出身で横浜大洋ホエールズ/横浜ベイスターズとシアトル・マリナーズで投手として活躍した佐々木主浩もカラオケ十八番にしていた。
- ^ a b 2008年時点で確認されている文献による。
- ^ 1984年(昭和59年)閉店。
- ^ さとうの『青葉城恋唄』(1978年盤)のレコーディング・ピアニスト。
- ^ サザンオールスターズは、さとう宗幸のメジャー・デビューから約1ヶ月半後の1978年(昭和53年)6月25日に『勝手にシンドバッド』(ビクター)でメジャー・デビューしたバンド。『勝手にシンドバッド』は同年10月9日付けオリコン・ランキングで最高位の3位となるが、このときさとうの『青葉城恋唄』は9位だった。
- ^ 仙台市にある東北大学の学生だった小田和正を中心に結成。
出典
関連項目
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1974年(上期・下期)は最優秀ホープ賞として発表。1991年からはショータイム形式に変更。 |