青森空港
青森空港(あおもりくうこう、英: Aomori Airport)は、青森県青森市にある地方管理空港である。なお、本項では、旧空港開港以前の航空事案についても記述する。 概要青森市中心部から南方に約10キロメートル(バスで約35分)の標高198メートルの山腹に位置する、本州最北端の空港である。 1964年(昭和39年)11月5日開港[1]。当時のターミナルビルは現在の滑走路東端に位置しており、滑走路は10/28方向であった。しかし八甲田山系に位置し雪深いことから当初は5月から10月末までの夏季のみしか運用を行えず、標高200mの山上に位置し「空母に着艦するよう」と評され圧迫感があるとして不評が相次ぎ平内町や上磯海岸への移転が県議会で提案されていた[2]。
新空港計画の立地を巡る政略→「津軽選挙」も参照
中選挙区時代は非常に津軽選挙の色合いが濃く、権謀術数が絡む複雑な政略が展開されていた。「待ちの政治家」と評された竹内俊吉新知事は、青森空港の新空港建設にあたり、鶴田町と弘前市の境界地域への移転を予定していた[3]。しかし、盟友の田沢吉郎(津島文治の娘婿)が旧浪岡町と青森市の境界地域にある旧空港周辺の大地主であったことから、俊吉の息子竹内黎一との選挙協力の観点で動けなかった。最終的に、新知事となった俊吉の側近北村正哉によって移転計画は撤回された。なお、新空港は旧空港に比べやや浪岡側に位置するため、工事計画ではできるだけ青森側に寄せるよう修正されている。 その後、浪岡町と青森市が合併して中核市へ移行した際、津軽選挙に由来する影響で浪岡町政が混乱し、怪文書も出回る事態となった。南部地方では三沢飛行場の民間機運航機能が一時期八戸飛行場に移転していたものの、青森県立三沢航空科学館の整備により固定化された。なお、北村正哉は三沢市の出身である。
新空港開港後2005年(平成17年)6月7日には定期国際線の2路線が同時に就航10周年を迎えた。特にソウル・仁川便は韓国人スキーヤーの県内誘客に寄与している[5]。 滑走路は06/24方向に3,000mで、滑走路24に計器着陸装置 (ILS) が設置されている。2007年(平成19年)3月15日にILSカテゴリーIIIaが運用開始され、濃霧による欠航は2006年度が89便あったが、導入後の2007年度は0便となり「濃霧に弱い空港」の汚名を返上した[6][注釈 1]。また、国内空港の中でも屈指の雪の多さに悩まされているが、管理する青森県は2013年、作業スピードの早さから「日本一」との呼び声もある空港除雪隊を「ホワイトインパルス」と命名し、インターネットなどを活用してPRに力を入れている[8]。
統計利用者数
元のウィキデータクエリを参照してください. 年間利用客は、1998年(平成10年)から2002年(平成14年)は150万人以上あり[9]、東北地方では仙台空港に次ぐ利用者数がある空港であったが、2002年12月に東北新幹線が八戸駅まで延伸されたことで、利用客が新幹線に転移し2008年(平成20年)度は年間利用客が1,131,513人[10] に減少し、秋田空港に次ぐ3位となった[11](ミニ新幹線である秋田新幹線は所要時間が長く、秋田空港では青森空港ほど新幹線への転移が起こらなかった[12])。さらに2010年12月、東北新幹線が新青森駅まで延伸後、新幹線の速達化で新青森-東京間が最速2時間台で結ばれるようになると、さらに利用者が新幹線に転移し、年間利用者が80万人台で推移するなど[9][13]、一時、減少が続いていた。2013年(平成25年)度は、国内826,196人、国際34,749人[14]。 →「東北地方 § 空港」も参照
しかし、2014年(平成26年)7月からの大阪、札幌便のダブルトラック化で、利用客数は、大阪便は前年同月の2.1倍の18,146人、札幌便は、1.5倍の12,548人と、利用客が大きく増えた[15]。2015年(平成27年)度には年間利用客が1,010,552人と再び100万人を超え、2018年(平成30年)度には国際線の好調も相まって1,196,270人まで増加するなど、新型コロナウイルス感染拡大前の2019年(令和元年)度まで年間利用客110万人台で推移していた[16]。 その後も2023年(令和5年)度に、青森−大阪(伊丹)、札幌(新千歳)を運航する全日本空輸(ANA)において、両路線とも搭乗客数が新型コロナウイルス感染拡大前の2019年(令和元年)度を上回り、過去最多を記録するなど、好調が続いている[17]。2023年(令和5年)度、コロナ禍で落ち込んでいた年間利用客は1,160,836人にまで回復した。 国際線においても好調で、新型コロナウイルス感染拡大収束後、2024年(令和6年)1月に再開した大韓航空青森-ソウル(仁川)線の国際定期便にて、再開した1月20日から3月末までの利用者数が6,525人、利用率は71.2%となるなど順調な滑り出しとなっている[18]。また、2019年(令和元年)度に約23,000人の搭乗者数を記録し好調だった、エバー航空青森-台北(桃園)線の国際定期便も2024年(令和6年)10月29日に再開された[19]。初日の搭乗率は、台北からの便と青森からの便のいずれも95%を超えた[20]。 →「日本の空港 § 統計情報」も参照
以下に1995年度以降の定期便乗降客数(国内線と国際線の合計)を示す[21]。マウスポインタを棒グラフに合わせると、該当年度の数値がポップアップする。
沿革旧空港開港以前旧空港
新空港
空港ターミナルビルは地上3階建てのものが滑走路北側に1棟あり、ボーディングブリッジは5基を備える。運営および物販などを目的とする「青森空港ビル株式会社」が運営しており、株主には自治体や航空会社・金融機関のほか、電力会社・陸運業者および地元メディアが名を連ねている。
路線国内線
東京線にはエアバスA300-600R(旅客定員290名)が就航していたが、2011年2月をもって運用が終了し、翌月から比較的小型の機材に変更された[48]。しかし、同年3月11日に発生した東日本大震災で東北新幹線が全線不通となったことに伴う輸送力増強(機材変更)のため、同年5月31日までの間[49]、MD-90(旅客定員150名)に代わり再び運用に就いた[50]。
国際線
新型コロナウイルス感染拡大により、両路線とも一時運休していたが、ソウル(仁川)線は2024年(令和6年)1月20日に再開し、台北(桃園)線は同年10月29日に再開した[19][20]。2025年1月現在、両便とも週3回での運航を続けている[52]。 かつて就航していた定期航路・航空会社
2004年夏期には、JALグループの臨時増便で日本エアコミューターも就航していた。
かつてはダリアビア航空 (KHV) がロシア・ハバロフスク空港へ就航していた。しかし、運航するダリアビア航空が財務状況悪化のため、2008年9月20日をもって全便の運航を停止。通年運航の新潟空港便はウラジオストク航空が引き継いだが、夏期季節運航の当空港便は2009年度夏期スケジュールに運航予定がない[53] ほか、以降も運航されてない。 交通当空港は、青森市街(青森市役所)から約13km、約30分、弘前市街(弘前市役所)から約30km、約50分の位置にある[54]。県庁所在地の市街地まで距離が、東北地方で最も近い空港となっている。
路線バス本数・所要時間・料金等の詳細は、該当項目や公式サイトを参照。 タクシー青森空港のターミナル到着ロビーにタクシー乗り場があり、青森市内、新青森駅、青森駅にアクセスすることができる。 脚注注釈出典
参考資料
外部リンク
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