"丸 に 左三蓋松(まる に ひだりさんかいまつ)"は、立川流の定紋 である。
立川 志の輔 (たてかわ しのすけ、1954年 〈昭和 29年〉2月15日 - )は、日本 の落語家 、タレント 、司会者 。本名:竹内 照雄(たけうち てるお)。富山県 新湊市 (現:射水市 )出身。一般社団法人 落語立川流 代表。㈱シノフィス 所属。出囃子 は『梅は咲いたか』。血液型はA型。
来歴
生い立ち・学生時代
富山県(富山市 )岩瀬で生まれたが、幼いころに両親が離婚[ 2] 。その1年後に母親が亡くなり、新湊市で古道具店を営む母方の祖父母宅で祖父母と母親の兄の伯父夫婦家族と5歳のころから共に生活し、伯父夫婦には実の子のように育てられた。祖父が落語を好み、落語 との出会いは家族がテレビで見ていた5代目柳家小さん だったが、大学生になるまでは落語には興味を持っていなかった。父親とは、2000年ごろに楽屋に訪ねてくるまで交流はなかった[ 2] 。
高校は富山県立新湊高等学校 へ進学。祖父が建てた別家で一人暮らしを始める[ 2] 。ソフトテニス 部に所属し、富山県代表でインターハイ に出場したこともある。
祖父が「この子は大学へは行かせてやってくれ」と伯父夫婦に頭を下げ頼んだことにより、大学へ進学することとなった。学生時代には伯父夫婦から仕送り(学費、生活費など)を受けていた。明治大学経営学部 に進学。在学中は落語研究会 (落研)所属。同落研での伝統ある高座名「紫紺亭志い朝 」を2年先輩の三宅裕司 (4代目)から引き継ぎ、5代目紫紺亭志い朝として活動。その後、2年後輩の渡辺正行 に譲る(6代目)。大学卒業後、すぐに落語家に入門しなかったのは、落語家になると前座修行と並行して自由にアルバイトすることが許されないため、結果的には仕送りを受け続けることになると考えたからである。先輩の三宅裕司の影響もあり、演劇にも興味があり、演劇の勉強ならばアルバイトをしながらでもできると思い演劇の世界へと進んだ。演劇の勉強をしたことは、少なからず落語家としての志の輔にも反映されている。
アルバイト、会社員時代、談志門下入門
大学卒業後は、さまざまなアルバイト をしながら、劇団「シェイクスピア・シアター 」や劇団「昴 」の養成所に所属、演劇の勉強をする。その後、串カツ屋でのアルバイト生活がメインとなり、アルバイト後によく食事に行っていた新宿ゴールデン街 で知り合った広告代理店関係者に誘われて、金沢市 の広告代理店、株式会社ニットーに入社。テレビCM制作などに従事、ディレクターとして制作した仏壇店のコマーシャルは石川県 で30年以上放映された[ 3] 。高校時代の同級生と結婚[ 2] 。28歳のころ、社長から「現場も営業も経験したけれど、これからどうする?」(社内でどの職種で働きたいか)という話があり、自身では頭の片隅で落語のことが忘れられず、「半分以上は落語家がいいんじゃないか」と思いながらも「このまま会社にいるのは失礼で、自分自身が辛い」と感じ、区切りをつけるために退社。
大学在学中の落研時代から3代目古今亭志ん朝 への憧れが強かったが、国立演芸場 での「談志ひとり会」で7代目(自称5代目)立川談志 の『芝浜 』を観たことが、談志に入門する決め手となった。この時の談志の『芝浜』は、従来の『芝浜』とは異なる作風へと劇的に変化したものだった。
落語家への転職を半年近く悩み、大学の同級生で落研でも一緒だった談志門下の立川談之助 に相談し、決意する。談志門下には大学の後輩の立川談幸 がいるが、志の輔のほうが入門が後だったため、談幸は兄弟子である。1983年 1月、28歳で入門。「志の輔 」の前座名で立川流の落語家となる[ 注 1] 。
売れっ子に
1983年 、師匠・談志が一門と共に落語協会 を脱退。志の輔が寄席 定席での前座 修行を直前に控えての脱退劇だったため、志の輔は前座として寄席での仕事や高座に上がることは一度もなかった。
前座修行中、通常はほぼ無収入なのだが、前職の広告関係の知り合いからナレーションの仕事などの依頼があり、小遣い程度の収入はあった。
1984年 10月、二つ目 に昇進。高座名も引き続き「志の輔」を名乗る。この頃から「志の輔」の名前を付けた落語会を開催するようになる。1984年2月に開催した、上野本牧亭での「勝手に志の輔の会」など。
1985年 、情報ワイド番組『朝のホットライン 』(TBSテレビ )レポーターに就任。その後、他の放送局からの仕事も一気に増えて売れっ子となった。
1990年 5月、「志の輔」の名前のまま、落語立川流 真打 に昇進。
2003年 から毎年1回、志の輔を座長に富山県出身の芸能人を集めて「越中座」という寄席形式での公演を富山県民会館 にて開催。2006年 からは東京でも開催し、ゲストに笑福亭鶴瓶 が昼夜公演に飛び入り出演した(鶴瓶はその後、富山公演にも県外出身者ながら特別出演した)。志の輔は、昼公演では越中語(富山弁 )で落語、夜公演では英語落語 に挑戦した。富山県内の落語会では越中語(富山弁)での落語を披露することも多い。
2003年 3月、現代落語の衰退を憂い、東西、流派を超えた落語家達と共に落語家グループ「六人の会 」を結成し、「東西落語研鑽会」などの落語会を開催。2004年 から2008年 までは、毎年7月、「六人の会」を中心に「大銀座落語祭 」を開催した。
2004年に「志の輔らくご in パルコ vol.9」で初演した新作落語『歓喜の歌 』は映画化され、2008年2月に公開、志の輔自身も落語家役で短く出演した。同年、大泉洋 主演により、北海道テレビ 開局40周年記念作品 としてテレビドラマ 化され(オリジナルとは設定がやや異なる)、9月7日 にテレビ朝日 系で全国放送された。
2008年6月7日 、志の輔の故郷である富山県 の富山市 中央通り の商業ビル「セプラビル」3階にあった映画館を改装し、北陸銀行 グループにより「てるてる亭 」を開設。定員266名の演芸ホールの「席亭のような、館長のような、番頭のような者」に就任。開設にあたり、運営関係者からは「ホール名のどこかに『志の輔』を入れてほしい」と提案されたが「照れてしまう」との事で、志の輔の本名が「照雄」で「照ちゃん」と呼ばれていたことから「てるてる亭」と命名した。自身もほぼ毎月1回、同ホールで「志の輔のこころみ」と題した落語会を開催している。
2015年の秋の褒章にて、紫綬褒章 を受章[ 1] [ 4] 。
2018年 4月、富山国際大学 の客員教授 に就任。任期は2021年 3月までの3年間[ 5] 。
2020年12月17日からサンケイホールブリーゼ で「志の輔らくご in 大阪2020」を公演予定だったが、12月18日朝に公演スタッフ1名に体調不良者が出たためPCR検査を受けたところ、そのスタッフから陽性反応を確認。12月18日 - 20日公演は急遽中止となった[ 6] 。志の輔は当該スタッフと濃厚接触者だったことから12月31日まで健康観察期間となったことに伴い、12月31日 に出演が予定されていた横浜にぎわい座 の「クライマックス寄席」への出演も見合わせた[ 7] 。
2021年 1月4日 、肺炎のため入院したことを発表[ 8] 。健康観察期間最終日の2020年12月31日に体調不良を感じ、病院で診察を受けたところ肺炎と診断されたことを明らかにした。抗原検査は陰性。翌5日から予定していた『PARCO劇場 オープニング・シリーズ 志の輔らくご 伊能図完成200年記念「大河への道」』の全公演が中止となった[ 8] 。1月7日、退院[ 9] 。2月11日に富山市中央通りにあるてるてる亭 で行われた「志の輔のこころみ」で「ハナコ」を演じ、復帰を果たした[ 10] 。
2024年1月、落語立川流の代表を土橋亭里う馬 から引き継ぐ。6月、落語立川流の一般社団法人 化に伴い、代表に就任した[ 11] 。
芸歴
受賞歴
1990年 - 第44回文化庁芸術祭賞 演芸部門
2008年 - 第57回芸術選奨文部科学大臣賞 大衆演芸部門
特徴
新しい解釈をもとに演劇 的要素も取り入れ、古典落語 を現代にも通じる芸能へと展開させて演じている落語家。師匠・7代目(自称5代目)立川談志 も志の輔の芸を高く評価している。
落語立川流 所属の落語家だが、現在は個人事務所「オフィスほたるいか」を立ち上げて独自にマネージメントを行い、「日暮里寄席」などの立川流一門の定期興行には殆ど参加せずに、全国各地での独演会や落語会への出演で、年間150本以上の高座を務めている(定席の寄席には出演できないが、人気が高いために高座に上がる回数は多い)。
立川流関連の会で、2019年現在志の輔が出演・参加しているのは、国立演芸場 の「立川流落語会」、よみうりホール での「談志まつり」、談春・生志・雲水との「傳志会」である。
毎年、新作落語 の会「志の輔らくご」を開催し、好事家だけのものではない新感覚の落語を提案している。各種メディアに取り上げられることも多く、新たな落語ファンをも発掘。独演会や落語会など「チケットの取りにくい落語家」の代表格になっている。
新作落語を殆どやらなかった師匠と異なり数多くの新作落語を創作し、口演している。最初の創作落語は『親の顔 』。小説家・清水義範 の短編小説『バールのようなもの』をもとにした新作落語で、創作にあたって清水義範本人から許可をもらった。それ以降、清水義範とは交流があり、「自分の作品はいつでも落語にしてよい」とのお墨付きをもらっている。他にも、清水義範の短編小説やエッセイをもとにした『バス・ストップ』(原作:『バスが来ない』)、『みどりの窓口』(原作も同名)などの新作落語があり、志の輔が口演する新作落語の代表作となっている。
1996年 からは「志の輔らくご in パルコ 」を、渋谷PARCO劇場 で毎年開催(2005年 は未開催(PARCO劇場の改装工事などの関連もあり))。2006年 1月 には「志の輔らくご in パルコ vol.10」で、落語界でも初めての同一会場での1か月公演を行い話題となる。以後、2016年に渋谷PARCOが休館になるまで毎年1月に公演が行われていた。2020年1月にPARCO劇場が再オープンした際には、こけら落とし 公演として『志の輔らくご 〜PARCO劇場こけら落とし〜』が上演、冒頭では、志の輔が三番叟 を舞ったのちに落語に入った。2021年も公演が予定されていたが、公演初日の前日である2021年1月4日に志の輔の体調不良により全公演中止が決定した[ 8] 。
2004年 の「志の輔らくご in パルコ vol.9」で初演された新作落語『歓喜の歌 』では、落語演目終了後、高座の後ろ幕が開き、雛壇に並んだ本物のママさんコーラスグループによって『歓喜の歌 』が合唱された。この際、志の輔は引き抜きで燕尾服風な衣装に着替え、指揮の真似をした。『メルシーひな祭り』を講演時も、落語演目終了後に高座の後ろ幕が開き、『メルシー――』の登場人物である商店街の店主らが登場、雛壇上に並んだ。このように、大きなステージでの連続公演などでは、舞台装置、照明効果、音響効果などを駆使して演劇的な要素も取り入れた演出を行う。
落語以外の古典芸能である狂言 や能 とコラボレーションした新作落語も口演し、狂言師 、能楽師 との共演もしている。
エピソード
学生時代
新入生の頃に明治大学和泉校舎 で、落語研究会 (落研)の先輩に学内での落語会に誘われ、先輩たちが演じる「生の落語」を初めて観る。その際、観客の学生たちが大爆笑するのに衝撃を受け、落研に入会した。それまでは、落語に対しては「NHKテレビで放送していて、お爺さんが座布団に座ってやっていて、家のお爺さんが観て楽しんでいる、お爺さん同士の楽しみ」程度の認識しか持っていなかった(生まれ育った環境などでの感想)。落研に入部後、初めて衝撃を受けたプロの落語家は、リズミカルで歌い上げるように落語を演じる3代目古今亭志ん朝 。落研時代には下手ながらも真似をしており、落研の先輩の三宅裕司 、後輩の渡辺正行 も志ん朝の落語をコピーしていた。
劇団研究生時代
様々なアルバイトをしながら、劇団の研究生として演劇の勉強をしていたが、授業の中で「訛りを直す」授業があり、数人の「訛り」のある学生に対してがメインの授業に対し不信感を覚えて、劇団の養成所には行かず、アルバイトをする生活となる(劇団の研究生になるのには、「訛りは、個人的に直してから入るのが当然だろう?」と 当時の志の輔は思った。自身は、大学在学中の落研時代に「訛り」を直された経験がある)。
落語家として
広告代理店での会社員生活を経て、7代目(自称5代目)立川談志 に弟子入りを希望し、談志と面談した。志の輔の提出した履歴書を見て、談志は「あぁ〜、劇団やってみても駄目、サラリーマンやっても駄目、落語家にでもなってみようって、そういう了見なんだ。ま、そこら辺でウロウロしてろ」と話し、入門を許可した。
談志に入門してからの苦労を、高座や出演番組などで度々語っている。その際は、師匠・談志の偏屈な性格に苦しんだ過去をオーバーに表現する。
その一方、談志は志の輔を「立川流の最高傑作 」と高く評価している。これは、志の輔が入門3か月後に談志一門が落語協会を脱退していることから、「寄席を経験しない弟子第1号」として志の輔を「立川流の実験台」と位置付け、結果成功を収めたことによる評価である。
「落語で食べる(落語家で生計を立てる)」ということは、落語家を志した時から考えていなかった。「『落語家になる』『落語家でいる』ということのほうが先で、『食う』『食わない』は別物だった」とインタビューで語っている。
入門から数か月、志の輔は前座見習いとして師匠・談志に付き人として同行していた。路線バス での移動中、突然、談志から「志の輔、俺やめるわ」と言われ、当初は「何をやめるんだろう? 今日の予定は何だったろう?」と思ったが、談志の言った「やめる」とは「寄席を辞める(=落語協会 脱退)」という意味だった。
談志から初めて教わった落語の噺は『道灌 』。談志一門では『道灌』は最初に教わる噺の一つであり、噺の中での登場人物の設定、長屋などの部屋の構造、登場人物の部屋での位置関係など、落語の表現方法における基本を教わる。
趣味・交友関係
主な受賞歴
主な演目
新作落語
古典落語
主な著書
著書
絵本
『古典と新作らくご絵本 モモリン』立川志の輔(著)、ばばけんいち(編)、いぬんこ(イラスト)(2016年、あかね書房 )
『お笑いえほん(2)しちふくじん』立川志の輔(著)、倉本美津留 (編集)、中川学 (イラスト)(2016年、岩崎書店)
共著・監修ほか
『古典落語100席』(1992年、PHP研究所 / 1997年、PHP文庫) - 選・監修
『志の輔・好江のつっこみ料理』(1994年、情報センター出版局) - 内海好江 との共著
『立川志の輔のらくがき川柳新鮮流 』『平成7年版 志の輔のらくがき川柳新鮮流』『立川志の輔のらくがき川柳新鮮流 シリーズ3』(1994 - 1996年、冬青社)らくがき川柳新鮮流会(著)
『千字寄席』(2000年、PHP研究所) - 監修
『話の後始末』(2001年、マドラ出版 ) - 天野祐吉 との共著
『茂山家の人びと 京都の狂言師』 - 小佐田定雄 ・橘蓮二との共著、2006年、淡交社 )
『歓喜の歌 』立川志の輔(原作)真辺克彦 (脚本) 松岡錠司 (監督・脚本)(2007年、角川文庫 )
『21世紀のあくび指南 志の輔・宗久おもしろ落語対談 』(ざぶとん亭風流企画 、2007年)のちに『志の輔・宗久 風流らくご問答』(文春文庫 、2008年) - 玄侑宗久 との共著
CDブック 英語落語で世界を笑わす! シッダウン・コメディにようこそ』 (2008年 、研究社 ) - 大島希巳江 との共著
『大河への道』(2022年、河出文庫 )協力:森下佳子 、2022「大河への道」フィルムパートナーズ、執筆協力:長谷川康夫 、飯田健三郎
写真集
インタビュー・その他関連書籍
『六顔萬笑』六人の会 (著)橘蓮二(撮影)小野幸恵 (構成)(2004年、近代映画社 )
『北村薫のミステリびっくり箱』北村薫 (著)(2007年、角川書店 )
『芸術の神様が降りてくる瞬間』茂木健一郎 (著)(2007年、光文社 )
『師匠噺』浜美雪(著)(河出書房新社、2007年)(講談社+α文庫 、2015年)
『落語ファン倶楽部 vol.4 極附!志の輔・昇太 誌上ふたり会 』笑芸人 (編)(白夜書房 、2007年)
『落語家の了見―噺家30人「笑って、うなって、ジーンとする話」』浜美雪(著)(徳間書店 、2010年)
『待ってました!花形落語家たっぷり語る』吉川潮(著)(新潮社 、2011年)
『家の履歴書―各界12人が語る「私の原点」』梶山寿子(著)(光文社 知恵の森文庫、2012年)
『わたしが子どもだったころ (3)』NHK「わたしが子どもだったころ」制作グループ(編)、(ポプラ社、2012年)
『違和感のススメ』松尾貴史 (著)(2020年、毎日新聞出版) - 立川志の輔×松尾貴史対談「違和感とは共感である」
主なCD・DVD・ビデオテープ
CD
『志の輔らくご 両耳のやけど 1〜10』 テイチクエンタテインメント
1.お血脈・蜘蛛駕籠
2.宿屋の仇討・千両みかん
3.八五郎出世・芝居の喧嘩
4.井戸の茶碗
5.唐茄子屋
6.鼠穴
7.紺屋高尾
8.小間物屋政談
9.らくだ
10.五貫裁き・茶の湯
『志の輔らくご らくごのごらく 1〜5』 ソニー・ミュージックジャパンインターナショナル
1.はんどたおる・死神
2.へっつい幽霊・雛鍔
3.みどりの窓口・しじみ売り
4.抜け雀
5.新・八五郎出世
6.帯久
『志の輔らくごBOX』CD5枚組 コロムビアミュージックエンタテインメント
(1)バスストップ・猫の皿
(2)だくだく・踊るファックス
(3)猿後家・ねずみ
(4)みどりの窓口・御神酒徳利
(5)帯久
DVD
『志の輔らくご in パルコ vol.9』 パルコエンターテインメント
『志の輔 らくごのおもちかえりDVD 1〜3』 アスミックエース
1.歓喜の歌 2007
2.ガラガラ
3.メルシーひな祭り
『午前様らいぶ 1〜5』
1.三軒長屋
2.百年目
3.山崎屋
4.宿屋の仇討
5.紺屋高尾
ビデオテープ
『志の輔らくご 午前様らいぶ 1〜3』
1.親の顔・ねずみ (2001.1.6 サントリーホール 収録)
2.みどりの窓口・ぬけ雀 (2002.1.12 サントリーホール 収録)
3.バスストップ・井戸の茶碗 (2003.1.11 サントリーホール 収録)
タレント活動
現在の出演番組
テレビ番組
ラジオ番組
志の輔ラジオ 落語DEデート - パーソナリティ
(2008年4月6日 - 、文化放送 、毎週日曜 6:00 - 6:40)(2008年4月 - 全国4局でも放送)
(2007年4月7日 - 2008年3月29日、文化放送、毎週土曜 7:00 - 7:55)(2007年10月 - 全国8局でも放送)
志の輔&雷鳥のなんでか?ニッポン - パーソナリティ
過去の出演番組
テレビ番組
テレビドラマ
バラエティ・情報番組
朝のホットライン (1985年 - 1989年、TBSテレビ ) - リポーター
クイズ世界はSHOW by ショーバイ!! (1988年 - 1995年、日本テレビ) - ナレーション、レポーター、特番での早押しクイズ司会
クイズ日本昔がおもしろい (1988年、TBSテレビ) - 愛川欽也 司会時代前期の解答者
土曜HOTスタジオ 志の輔のハイお昼です(富山テレビ ) - 司会
志の輔トマトクラブ(富山テレビ) - 司会
運命GAME (1991年、フジテレビ )- ゲーム進行役
くらべてみれば (1991年、NHK総合)- 司会
まんがで読む古典(1992年、NHK教育 ) - 徒然草 の回で吉田兼好 を演じる。
タモリの音楽は世界だ (1992年、テレビ東京 ) - 準レギュラー
なんとかしてヨ! (1992年、テレビ東京) - 司会
トランタン白書 (テレビ東京) - 司会
紺野美沙子の科学館 (テレビ朝日) - レポーター
落語のピン (1993年、フジテレビ)
なせばなるほど(1994年、NHK総合) - パネリストとして出演。
ためしてガッテン (1995年 3月29日 - 2016年3月16日、NHK総合) - 司会
スーパー知恵MON (1999年 - 2000年、TBSテレビ) - 司会
志の輔らくご in Parco(2005年12月28日 19:40 - 22:00 ほかリピート放送、WOWOW )
『こぶとり爺さん』『歓喜の歌 』『浜野矩随』を放送(2004年12月9日収録、「志の輔らくご in パルコ Vol.9」より)。
志の輔らくご in Parco 十年、ひと笑い。(2006年2月25日 12:55 - 15:25 ほかリピート放送、WOWOW)
『はんどたおる』(2006年1月6日収録)、『ディアファミリー』『忠臣ぐらっ』(2006年1月13日収録)を放送(「志の輔らくご in パルコ Vol.10」より)。
情熱大陸 「落語家・立川志の輔 落語という笑いにかくも深刻な人はいない」(2007年1月7日 23:00 - 23:30、毎日放送 、ドキュメンタリー )
志の輔らくごの世界へようこそ 其の壱(2007年3月21日 11:30 - 13:50 ほかリピート放送、WOWOW)
『メルシーひな祭り』『中村仲蔵』を放送(2007年1月6日収録、「志の輔らくご in パルコ vol.11」より)。
笑う岐阜に福来る 第4回全日本学生落語選手権(2007年3月25日 8:00 - 8:55、NHK-BS2 ) - 「第4回 全日本学生落語選手権・策伝大賞」の審査員として参加。
志の輔らくごの世界へようこそ 其の弐(2007年4月30日 11:00 - 13:20 ほかリピート放送、WOWOW)
『徂徠豆腐』『七福神』(2007年1月13日収録)、『新版・しじみ売り』(2007年1月20日収録)を放送(「志の輔らくご in パルコ vol.11」より)。
わたしが子どもだったころ (2007年9月19日 22:00-22:44、NHK-BShi 。別放送日にNHK総合テレビでも数回放送) - 本人も出演、ナレーション。役者による子供時代の再現ドラマなどがあった。
志の輔らくご in PARCO 2008年 歓喜の歌(2008年4月29日 12:10 - 13:40 ほかリピート放送、WOWOW)
『歓喜の歌 』(2008年1月19日収録、「志の輔らくご in パルコ 2008」より)を放送。映画『歓喜の歌』メイキング映像や出演者のインタビューなども担当。
ソロモン流 「落語家・立川志の輔を徹底解明」(2008年9月14日 21:54 - 22:48、テレビ東京、ドキュメンタリー)
志の輔らくご in PARCO 2009(2009年3月20日 9:30 - 11:50、WOWOW)
『狂言長屋』『柳田格之進』を放送(2009年1月26日収録、「志の輔らくご in パルコ 2009」より)。番組中盤、過去の「志の輔らくご in PARCO」より「名場面・名フレーズ集」。
志の輔らくご in PARCO 2010(2010年3月22日 18:00 - 20:20、WOWOW)
『身代りポン太』『踊るファックス2010』『中村仲蔵』を放送(2010年1月30日収録、「志の輔らくご in パルコ 2010」より)。
桂三枝のすべて 〜六代桂文枝 襲名〜(2012年 7月29日 、NHK BSプレミアム )
復活!100万円クイズハンター2012 (テレビ朝日 ) - 司会
ガッテン! (2016年 4月13日 - 2022年 2月2日 、NHK総合 ) - 司会
SWITCHインタビュー 達人達(たち) (
NHKE テレ)
芸術か芸能か 市村正親 ×立川志の輔(2016年8月13日)
立川志の輔×東京03 ・飯塚悟志 (2023年7月27日・8月3日)
樹木希林 さん特別番組 〜おもしろうて、やがて不思議の樹木希林〜(2019年9月10日、テレビ朝日)[ 31] - MC
劇場の灯を消すな! PARCO劇場 編(2020年10月31日 、WOWOW )
テレビドラマ
水曜プレミア 「大岡多聞の事件日誌」(主演:みのもんた 。2005年、TBSテレビ) - ナレーション
林家三平ものがたり おかしな夫婦でどーもスィマセン!(2006年、テレビ東京) - 3代目三遊亭金馬 役
ラジオ番組
かってに志の輔 (1989年、TBSラジオ )
志の輔ラジオ 気分がいい! (1990年 - 1996年、文化放送 ) - パーソナリティ
山藤章二プロデュース 立川志の輔のステージキング! (文化放送)
志の輔ラジオ 土曜がいい! (2003年 - 2007年3月31日、文化放送) - パーソナリティ
ときめき放送局 ニューウェーブ25時(1985年 - ?、アール・エフ・ラジオ日本 ) - パーソナリティ(小川乃り子、松澤一之 と)
若者通り22時 夜はこれから(1985年 - 1986年、茨城放送 ) - 火曜日パーソナリティ
志の輔 らくごのごらく(放送期間不明、北日本放送ラジオ) - パーソナリティ
志の輔・シゲル のてるてるシゲシゲ - パーソナリティ(毎週日曜 12:30 - 13:00、再放送 毎週月曜 20:00〜20:30、2009年4月 - 2013年9月、北日本放送ラジオ、全国11局でも放送)
志の輔&もみ の師匠!コレ知ってます? - パーソナリティ(毎週日曜 12:30 - 13:00、2014年1月 - 2018年4月、北日本放送ラジオ、全国12局でも放送)
月刊志の輔レディオ(放送期間不明、FMとやま ) - パーソナリティ
志の輔落語 スペシャルセレクション(放送期間不明、FMとやま) - パーソナリティ
立川志の輔の無イミダス(放送期間不明、FMとやま) - パーソナリティ
立川志の輔の無イミダス2000(放送期間不明、FMとやま) - パーソナリティ
立川志の輔の無イミダス21(放送期間不明、FMとやま) - パーソナリティ
志の輔のおしゃべりアフター5(放送期間不明、FMとやま) - パーソナリティ
映画
CM
その他
弟子
真打
二ツ目
その他
演じた俳優
脚注
注釈
^ ラジオ番組『志の輔ラジオ 落語DEデート 』(2011年10月23日、文化放送 )において、ゲスト出演した女優・藤田朋子 とのトークで「Wikipediaには虚偽の記載も含まれている」という話題になり、「『アルバイト云々で立川流に入った』なんて、これだけは勘弁してくれ」と志の輔本人が発言している
^ なお、父である志の輔は東日本大震災 後の2012年から3年間ほぼ日刊イトイ新聞 の主催で「気仙沼さんま寄席」を開催しており、それ以降も主催者を変更して毎年気仙沼で落語会を開催し続けている。
出典
関連項目
外部リンク
(日本語)