日本自由党(にほんじゆうとう)は、1945年(昭和20年)から1948年(昭和23年)まで存在した日本の保守政党。
党史
1945年(昭和20年)10月、旧立憲政友会(正統派)系の鳩山一郎、河野一郎、芦田均らを中心に、旧立憲民政党に属していた三木武吉らも参加して結党。直接の母体となったのは政党解消後に旧政友会正統派の翼賛政治に批判的な議員が中心となって結成した会派・同交会である[3]。同交会は翼賛選挙で9名しか当選者を出せず1942年(昭和17年)5月に解散したが[5]、その後も同志的結束を崩さず敗戦後直ちに自由党の結党に向かった[3]。
東条内閣の末期、国会の開院式で天皇を待つ行列の中で鳩山一郎と三木武吉は「近衛と木戸の火いたずらから起こった火事の跡始末」を二人でやると誓い合っていた。
終戦一週間後、軽井沢から東京に戻ってきた鳩山は芦田均らと自由主義派議員の集まりであった同交会メンバーを中心に政党の結成に動いた。鳩山は無産政党勢力を含めた結集を考え反東条で共闘した西尾末広らと会談し保革にまたがる進歩的政党を提案したが断られた。
昭和20年(1945年)9月6日に総裁鳩山一郎、幹事長に河野一郎を抜擢して、参加代議士43名にて新党が設立された。
鳩山一郎を中心とする自由党は、保守政党人や財界人らによって戦後保守政党の初名乗りを上げて結成された。「ポツダム宣言を実践し、軍国主義的要素を根絶」「自由な経済活動を促進」などを綱領に掲げ[4]、軍国主義の打破と民主的な責任ある政治体制の確立、自由経済による経済再建、思想・学問などの自由の保障による文化の振興を掲げた。
1946年(昭和21年)、第22回衆議院議員総選挙で自由党が第1党となり、鳩山への大命降下(組閣指示)が確実であったが、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)より公職追放命令が出たため鳩山は吉田茂に後継総裁へ就任要請し吉田は受諾。吉田は一旦総務になり、第1党の代表として大命降下を受け5月22日内閣総理大臣に就任した。その後、三木武吉公職追放後は総務会長に、そして、8月の党大会で正式に総裁に就任した。日本国憲法制定後の最初の第23回衆議院議員総選挙では日本社会党に敗れて第2党に転落、下野した。
野党となった日本自由党は、日本社会党との連立政権に反対して離党した元民主党議員からなる同志クラブ・民主クラブと合同し、民主自由党となる。
綱領
- 一、自主的にポツダム宣言を実践し軍国主義的要素を根絶し世界の通義に則って新日本の建設を期す
- 二、国体を護持し、民主的体制を確立し、学問、芸術、教育、信教を自由にして、思想、言論、行動の暢達を期す
- 三、財政を強固にし、自由なる経済活動を促進し、農工商各産業を再建して国民経済の充実を期す
- 四、政治道徳、社会道義を昂揚し、国民生活の明朗を期す
- 五、人権を尊重し、婦人の地位を向上し、盛んに社会政策を行い、生活の安定幸福を期す
略史
- 1945年
- 1946年
- 4月 第22回衆議院議員総選挙で第1党。
- 5月 鳩山一郎総裁公職追放。
- 8月 党大会で、吉田茂総裁就任。
- 1947年
- 3月 衆議院解散
- 4月 第23回衆議院議員総選挙で第2党に転落。
- 5月 首班指名で、日本社会党・片山哲が内閣総理大臣に選出され、下野する。
- 1948年
役職
歴代総裁一覧
歴代執行部役員表
党勢の推移
衆議院
参議院
選挙 | 当選/候補者 | 非改選 | 定数 | 備考 |
(結党時) | -/- | - | - | 参議院は存在せず |
第1回通常選挙 | 38/73 | - | 250 | 第1回のみ全員選挙、追加公認+6 |
- 当選者に追加公認は含まず。追加公認には会派に加わった無所属を含む。
- 第22回総選挙の定数には、選挙を実施できなかった沖縄選挙区(定数2)含む。
- 第22回総選挙では、他に法定得票不足で定数を満たせなかった選挙区の再選挙で当選者1。
- この節の参考文献:石川(一部山口による加筆)『戦後政治史』
脚注
参考文献
関連項目
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総裁 | |
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幹事長 | |
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総務会長 | |
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政務調査会長 | |
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参議院議員会長 | |
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一旦解党し、民主自由党を結党 |
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前身: 自由党・日本民主党 |
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保守本流 |
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宏池会(池田派 → 前尾派 → 大平派 → 鈴木派 → 宮澤派) → 木曜研究会(加藤派 → 小里派 → 谷垣派 → 古賀派に合流×) 、※新財政研究会(堀内派 → 丹羽・古賀派) → 宏池政策研究会(古賀派 → 岸田派 → ×)、※大勇会(河野派) → 為公会(麻生派) → 志公会(麻生派)、※有隣会(谷垣グループ → ×)
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木曜研究会(佐藤派) → 周山会(佐藤派) → 周山クラブ(保利グループ → 福田派に合流×)、※七日会(田中派) → 政治同友会(田中派) → 木曜クラブ(田中派 → 二階堂派 → ×)、※経世会(竹下(登)派 → 小渕派) → 平成政治研究会(小渕派) → 平成研究会(小渕派 → 橋本派 → 津島派 → 額賀派 → 竹下(亘)派 → 茂木派)、※改革フォーラム21(羽田・小沢派 → 新生党に合流×)
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白政会(大野派) → 睦政会(大野派) → 一新会(船田派 → ×)、※一陽会(村上派) → 巽会(水田派 → ×)
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保守傍流 |
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十日会(岸派 → ×)、※党風刷新懇話会 → 党風刷新連盟 → 紀尾井会(福田派) → 八日会(福田派) → 清和会(福田派 → 安倍(晋太郎)派 → 三塚派) → 21世紀を考える会・新政策研究会(三塚派 → 森派) → 清和政策研究会(森派 → 町村派 → 細田派 → 安倍(晋三)派 → ×)、※政眞会(加藤派 → 新生党に合流×)、※愛正会(藤山派 → 水田派に合流×)、※(南条・平井派 → 福田派に合流×)、※交友クラブ(川島派 → 椎名派 → ×)、※(亀井グループ → 村上・亀井派に合流×)
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春秋会(河野派 → 森派 → 園田派 → 福田派に合流×)、※新政同志会(中曽根派) → 政策科学研究所(中曽根派 → 渡辺派 → 旧渡辺派 → 村上派 → 村上・亀井派に合流×) → 志帥会(村上・亀井派 → 江藤・亀井派 → 亀井派 → 伊吹派 → 二階派 → ×)、※近未来政治研究会(山崎派 → 石原派 → 森山派 → ×)、※さいこう日本(甘利グループ)、※国益と国民の生活を守る会(平沼グループ → 日本のこころに合流×)
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政策研究会(松村・三木派) → 政策同志会(松村・三木派) → 政策懇談会(松村・三木派 → ) → 政策懇談会(三木派) → 新政策研究会(河本派) → 番町政策研究所(河本派 → 高村派 → 大島派 → 山東派 → 麻生派に合流×)、※(松村派 → ×)、※(早川派 → 福田派に合流×)
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火曜会(石橋派)、二日会(石田派 → 三木派に合流×)
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青嵐会 |
青嵐会、自由革新同友会(中川グループ → 石原グループ → 福田派に合流×)
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保守新党 |
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83会 |
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水月会 |
さわらび会(石破グループ) → 水月会(石破派 → 石破グループ)
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無派閥 |
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※は派閥離脱、太字は現在への系譜、括弧内矢印は派閥継承。 |
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