高志会

代表の海部俊樹

高志会(こうしかい)は、かつて存在した日本政治団体院内会派

1994年(平成6年)、羽田孜内閣総辞職に伴う首班指名選挙において、日本社会党委員長村山富市に投票する方針に反発して自民党を離党し、自ら非自民勢力の首班候補となった海部俊樹を代表とするグループ。

概要

自民党の政治改革推進派が結成した党内勉強会が起源。1990年1月に政治改革三法が成立後、海部俊樹や野田毅など、政治改革推進議員連盟の有志が勉強会「月曜会」を発足[1][2]。座長に野田、事務局長に野呂昭彦、顧問に海部と後藤田正晴を選出[3]

同年5月、「政治に高い志を持とう」との海部の発案で「高志会」に改称。

同年7月、羽田内閣の総辞職に伴う首班指名選挙で非自民・非共産勢力は海部を候補に擁立。海部と同じ番町政策研究所河本敏夫派)所属の野呂、今津寛に加え、自民党政治改革本部幹部の野田・津島雄二保岡興治がそれぞれ自民党を離党[4][5]

7月15日に海部を代表とする会派「高志会」結成[6]。党内勉強会としての高志会は解散となった。

後に政党連合自由改革連合の母体となり、新進党に合流した(津島は新進党に参加していない)。

脚注

  1. ^ 「「政治改革まだ5合目」、月曜会初会合で後藤田氏」『共同通信』1994年4月5日。2022年12月8日閲覧。
  2. ^ 「政権奪還へ動く(2)、「改革派の動向」、再分裂の火種残る」『共同通信』1994年5月2日。2022年12月8日閲覧。
  3. ^ 「首相指名選挙に自民処分、中曽根、渡辺氏は酌量、「高志会」機能停止に、海部氏ら推進派の離党で」『共同通信』1994年7月12日。2022年12月8日閲覧。
  4. ^ 「野田毅、津島雄二両氏が離党届を提出」『共同通信』1994年7月7日。2022年12月8日閲覧。
  5. ^ 「保岡興治氏が自民党離党届」『共同通信』1994年7月14日。2022年12月8日閲覧。
  6. ^ 「説得実らず6人どまり、海部氏ら、きょう「高志会」結成」『共同通信』1994年7月15日。2022年12月8日閲覧。