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1952年に結党された社会主義政党の「協同党」とは異なります。 |
日本協同党(にほんきょうどうとう)は、1945年12月18日に結成された協同組合主義、労使協調を標榜した中道政党。
概要
賀川豊彦の提唱により創設された。賀川が設立に関わった共栄火災海上保険株式会社の社長を協同組合運動の同志である井川忠雄が務めていたこともあり、同社の本支店に県本部を設置され、当初の実質的な活動の中心は賀川の地元で灘消費購買組合、神戸消費購買組合を中心とした兵庫県本部であった。協同民主主義を標榜し、協同組合主義を経済原則に掲げ、戦争で大きな打撃を蒙った産業、経済、文化を、勤労、自主、相愛を基調とする協同組合主義により再建し、協同組合が産業の復興の中核となることを主張した。
結党メンバーには、船田中、赤城宗徳、井川忠雄など、戦争期に東条英機に反旗を翻した護国同志会の出身者、千石興太郎、黒沢酉蔵らがいた。党を指導する船田、千石らは、かつて近衛新体制運動に積極的に係わったものの、戦時体制下では非主流派となったため、終戦後の新たな体制の担い手となり得ると考えていた。しかし1946年(昭和21年)1月4日、GHQは黒沢、船田、千石らを公職追放とすることを決定し、日本協同党の代表世話人、世話人、委員計30名のうち、追放を免れたのは世話人の井川忠雄、委員の北勝太郎の2名のみであった。党存続の危機に見舞われた日本協同党は2月23日に緊急幹部会を開催し、井川を中心として党再建に乗り出すこととした。井川はまず日本協同党が自由党の左、社会党の右の存在とし、協同主義は統一的な協同組合行政を確立する理念であると主張した。2月28日には第一回の党全国代表者会議の席で、常任世話人として井川の他、船田中の実弟である船田享二、山本実彦らを選出した[5][6]。
日本協同党は衆議院議員選挙を睨み、まず社会党との連携を模索した。社会党としても戦後の結党時、協同組合関係者を取り込む動きもあり、日本協同党と社会党との提携は不自然ではなかった。しかしGHQ内には日本協同党は日本を穏健化し、安定化させるのに寄与すると評価する声とともに、日本協同党のメンバーには中道やや右よりの政党であるとの合意があると見る向きもあった。4月10日の第22回衆議院議員総選挙において、日本協同党は94名の候補者を擁立するが、14名の当選にとどまった。思わしくない選挙結果を受けて、日本協同党は社会党との連携以外に諸派、無所属議員のとの連携を図るようになった27日、中央委員長に山本、副委員長に北、書記長に井川という日本協同党の新執行部が選出された。これと前後して無所属議員で結成された院内会派大同倶楽部内に新党結成の動きが起こり、更に日本協同党と大同倶楽部との合同を目指す動きが起こった。山本は改造社社長であり、戦前に2期、民政党の衆議院議員を務めており、経歴からも協同主義のイデオロギーに必ずしもこだわらない人物であった。この動きは北勝太郎を中心とした日本協同党内の農村派の反対によりいったん立ち消えになったかに見えたが、結局日本協同党や日本農本党などの諸派、大同倶楽部は、5月8日に協同組合主義を党是とする新党、協同民主党の結成に合意するに至った[7][8][9]。
ところが協同組合主義の党是に多くの大同倶楽部所属議員からクレームが出され、議員の多くは日本協同党との合同に加わらずに新党結成を目指すこととなり、院内会派日本民主党準備会を結成した。進んでいた話が突然上手くいかなくなった背景には、他の大政党からの工作があったものと推測されている。結局日本協同党は日本農本党、日向民主党などいくつかの小会派によって5月24日に協同民主党を結成した。なお日本民主党準備会は院内会派新政会を経て、9月25日、国民党を結成。翌1947年になって、協同民主党と国民党が合同、国民協同党の結成へと至る[10][11][12]。
執行部役員表
(参考文献:村川一郎・石上泰州『日本の政党』1995年3月、丸善株式会社・丸善ライブラリー、ISBN 4-621-05153-9)
歴代日本協同党委員長一覧
脚注
- ^ a b c 吉田健二 日本大百科全書(ニッポニカ) コトバンク. 2019年2月24日閲覧。
- ^ a b c d 世界大百科事典 第2版 コトバンク. 2019年2月24日閲覧。
- ^ a b c d ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 コトバンク. 2019年2月24日閲覧。
- ^ a b 百科事典マイペディア コトバンク. 2019年2月24日閲覧。
- ^ 塩崎(1982)pp.102-103
- ^ 竹中(1998)pp.174-175
- ^ 塩崎(1989)p.82
- ^ 竹中(1998)pp.175-176
- ^ 竹内(2013)p.30
- ^ 塩崎(1989)p.83
- ^ 竹中(1998)pp.177-181
- ^ 竹内(2013)pp.29-30
参考文献
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前身: 自由党・日本民主党 |
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保守本流 |
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宏池会(池田派 → 前尾派 → 大平派 → 鈴木派 → 宮澤派) → 木曜研究会(加藤派 → 小里派 → 谷垣派 → 古賀派に合流×) 、※新財政研究会(堀内派 → 丹羽・古賀派) → 宏池政策研究会(古賀派 → 岸田派 → ×)、※大勇会(河野派) → 為公会(麻生派) → 志公会(麻生派)、※有隣会(谷垣グループ → ×)
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木曜研究会(佐藤派) → 周山会(佐藤派) → 周山クラブ(保利グループ → 福田派に合流×)、※七日会(田中派) → 政治同友会(田中派) → 木曜クラブ(田中派 → 二階堂派 → ×)、※経世会(竹下(登)派 → 小渕派) → 平成政治研究会(小渕派) → 平成研究会(小渕派 → 橋本派 → 津島派 → 額賀派 → 竹下(亘)派 → 茂木派)、※改革フォーラム21(羽田・小沢派 → 新生党に合流×)
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白政会(大野派) → 睦政会(大野派) → 一新会(船田派 → ×)、※一陽会(村上派) → 巽会(水田派 → ×)
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保守傍流 |
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十日会(岸派 → ×)、※党風刷新懇話会 → 党風刷新連盟 → 紀尾井会(福田派) → 八日会(福田派) → 清和会(福田派 → 安倍(晋太郎)派 → 三塚派) → 21世紀を考える会・新政策研究会(三塚派 → 森派) → 清和政策研究会(森派 → 町村派 → 細田派 → 安倍(晋三)派 → ×)、※政眞会(加藤派 → 新生党に合流×)、※愛正会(藤山派 → 水田派に合流×)、※(南条・平井派 → 福田派に合流×)、※交友クラブ(川島派 → 椎名派 → ×)、※(亀井グループ → 村上・亀井派に合流×)
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春秋会(河野派 → 森派 → 園田派 → 福田派に合流×)、※新政同志会(中曽根派) → 政策科学研究所(中曽根派 → 渡辺派 → 旧渡辺派 → 村上派 → 村上・亀井派に合流×) → 志帥会(村上・亀井派 → 江藤・亀井派 → 亀井派 → 伊吹派 → 二階派 → ×)、※近未来政治研究会(山崎派 → 石原派 → 森山派 → ×)、※さいこう日本(甘利グループ)、※国益と国民の生活を守る会(平沼グループ → 日本のこころに合流×)
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政策研究会(松村・三木派) → 政策同志会(松村・三木派) → 政策懇談会(松村・三木派 → ) → 政策懇談会(三木派) → 新政策研究会(河本派) → 番町政策研究所(河本派 → 高村派 → 大島派 → 山東派 → 麻生派に合流×)、※(松村派 → ×)、※(早川派 → 福田派に合流×)
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火曜会(石橋派)、二日会(石田派 → 三木派に合流×)
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青嵐会 |
青嵐会、自由革新同友会(中川グループ → 石原グループ → 福田派に合流×)
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保守新党 |
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83会 |
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水月会 |
さわらび会(石破グループ) → 水月会(石破派 → 石破グループ)
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無派閥 |
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※は派閥離脱、太字は現在への系譜、括弧内矢印は派閥継承。 |
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