打席でバットを振るマーク・マグワイア (2001年)
メジャーリーグベースボール (英語 : Major League Baseball 、英語発音: /méɪdʒɚ líːg béɪsb`ɔːl/ ; 略称: MLB )は、アメリカ合衆国 、及びカナダ 所在の合計30球団により編成される、世界で最高峰のプロ野球 リーグであり、北米4大プロスポーツリーグ の1つである[ 注 1] 。厳密には、1903年 に発足したナショナルリーグ とアメリカンリーグ の2つのリーグの共同事業機構で、両リーグの統一的運営をしている。
日本 では「メジャーリーグ 」「大リーグ 」(だいリーグ)とも呼ばれる。昭和時代においては「アメリカ大リーグ 」と呼ばれていた。メジャーリーグの別名「ビッグリーグ (Big League)」の呼称は、2024年現在においても使用されている[ 1] 。
メジャーリーグベースボール(以下、MLB)は、ナショナルリーグとアメリカンリーグの2リーグ(各々15球団)からなり、アメリカ合衆国に本拠地を置く29球団(アメリカン・リーグ14、ナショナル・リーグ15)とカナダに本拠地を置く1球団(アメリカン・リーグ所在)の全30球団から構成されている。各チームはリーグごとに東地区、中地区、西地区に所属する。アメリカ合衆国外からは過去にモントリオール・エクスポス とトロント・ブルージェイズ の、共にカナダの2チームが参加していたが、2005年 にエクスポスがワシントンD.C. に本拠を移転(同時にワシントン・ナショナルズに球団名変更)したため、アメリカ合衆国外チームは2024年現在ブルージェイズの1チームのみである。
試合形式は、レギュラーシーズンとポストシーズン で構成され、最終的に各リーグの優勝チームがワールドシリーズ と呼ばれる優勝決定戦を行いワールドチャンピオンを決定する。レギュラーシーズンは4月初旬から9月下旬にかけて各チームが162試合を行い地区優勝とワイルドカード入りを争う。10月初旬からポストシーズンがトーナメント形式で行われる。トーナメントでは各段階ごとにワイルドカードシリーズ 、ディビジョンシリーズ 、リーグチャンピオンシップシリーズ 、ワールドシリーズと冠される。
歴史
「メジャーリーグ」の誕生
1850年代 後半、ニューヨーク スタイルの「ベースボール 」は南北戦争 を期にアメリカ合衆国北東部 を中心に各地に普及し、野球の最初のアマチュアリーグとなる全米野球選手協会 (NABBP)が生まれた。NABBPは12年間続き、最も拡大した1867年には400以上のチームがメンバーとなっていた。1860年代 前半には選手 の中に報酬 をもらって野球をする、いわゆるプロ 選手が登場しはじめていたとされる。プロ選手に関する正式な規定は1868年に制定され、翌1869年に結成されたシンシナティ・レッドストッキングス は、プロ選手だけで構成された初めてのプロチームとなり、地方各都市を巡業してその名を馳せた[ 2] 。レッドストッキングスの成功をうけ、あとを追うようにプロチームが各都市に次々に誕生したが、次第にプロ選手とアマチュア選手の間で内部分裂がおき、全米野球選手協会はアマチュア組織とプロ組織に分割することとなった。こうして、1871年には最初のプロ野球リーグ、全米プロ野球選手協会 (ナショナル・アソシエーション、NA)が創設されたが[ 3] 、リーグ運営は5年で破綻してしまった[ 4] 。この時、現在に残るチーム、シカゴ・ホワイトストッキングス(のちのシカゴ・カブス )とボストン・レッドストッキングス(後のアトランタ・ブレーブス )が誕生している[ 5] [ 6] 。
19世紀のボルチモア・オリオールズ (ナショナルリーグ、1896年)
1876年 に現在まで続くナショナルリーグ (NL) が発足。このリーグが最初のMLBとされる。1876年4月22日フィラデルフィア にあるジェファーソン・ストリート・グラウンズ で最初の試合が行われた。NLは所属選手の契約を強制し高額報酬によるライバルリーグへの流出を防ぎ、これまでは頻繁に起きた優勝を逃したチームの消化試合の中止をなくし全てのスケジュールを予定通り行うなど、ナショナル・アソシエーションの欠点を改善していった[ 7] [ 8] 。契約に「リーグ間の移籍禁止条項」を設けたことで初期には選手との対立もあったが結果的にこれが功を奏し、ライバルリーグはユニオン・アソシエーション (UA、1884年 )、プレイヤーズ・リーグ (PL、1890年 )といずれも短命に終わった。最も成功したアメリカン・アソシエーション (AA、1882年 – 1891年 )とは1884年 から1890年 にかけてNLとリーグ優勝チーム同士の対戦(現在のワールドシリーズ )が行われた。
解体した2つのリーグにいたチームは1892年 にNLに統合されたが、12球団あったNLは1900年 から8球団へ統合・削減し、ボルチモア 、クリーブランド 、ルイビル 、ワシントンD.C. から球団がなくなる。一方でウエスタンリーグというマイナーリーグが1900年にアメリカンリーグ (AL) へと改称し、ルイビルを除くNLの球団削減でメジャー球団がなくなった都市へ進出。
1901年 にALは自らを「メジャーリーグ」と宣言したが、NLがそれに反発、シカゴのレランドホテルで他のマイナーリーグも交えた会議が行われた。この会議でALはMLBとして容認され、数多く存在するマイナーリーグを総括する新しいナショナル・アソシエーションが設立された。ナショナル・アソシエーションはマイナーリーグベースボール (MiLB) として今日まで続いている[ 9] 。
1902年 にNL、AL、ナショナル・アソシエーションはそれぞれの独立経営と、共同経営を併せ持つ新しい協定に調印した。この合意は、のちにブランチ・リッキー により洗練され、整備されていった今日のMiLBの基礎となる分類システムも確立した。この翌年から両リーグ勝者によるワールドシリーズ が行われることになる[ 10] [ 11] 。
後に短命となったMiLBのいくつかは正式にMLBとみなされ、その統計と記録は現在の2つのMLBのものに含まれている。1969年 に、アメリカプロ野球100周年を機にMLB機構の指定により『野球記録特別委員会』が設置され、そこで過去消滅したリーグを含め以下の6つのリーグを「メジャーリーグ」として認める、という決定がなされた。
それ以外の野球リーグでプロとして活動した経歴を持つ選手の記録については、現在この裁定に基づき、どこからどこまでをMLB記録とするかといった分類が行われている。ただしこの裁定には一部研究者が異論を唱えており、ナショナル・アソシエーション (1871年 - 1875年)[ 注 2] 、アフリカ系アメリカ人 (黒人)中心に運営された「ニグロリーグ 」のうち、特に運営基盤が確立されていた1920年 - 1948年 の期間[ 注 3] 、現在のALの前身でマイナーリーグであった「ウェスタンリーグ 」がアメリカンリーグと改称しナショナル・リーグの傘下であった1900年 のアメリカンリーグなどもMLBとして扱うべきなどの意見がある。2020年12月17日、MLB機構は、「ニグロリーグ」に含まれる下記の7つのリーグの記録についてメジャーリーグの地位を与えると発表した[ 17] [ 18] [ 19] 。
デッドボール時代
サイ・ヤング (1911年のベースボールカード )
1900年 から1919年 までの期間は、一般に「デッドボール時代 」と呼ばれる。この時代の試合は得点が低い傾向があり、ウォルター・ジョンソン 、サイ・ヤング 、クリスティ・マシューソン 、モーデカイ・ブラウン 、グローバー・アレクサンダー などの投手たちが試合を支配した。その要因はいくつかあるが、ひとつには、この時代に使われていた「デッドボール(飛ばないボール)」と呼ばれた、とても緩みやすく投げるほどに糸がほつれ飛距離が出なくなるボールに原因があった[ 20] 。それに加え、オーナーは3ドル(現在の価値で40ドル程)の新しいボールを購入することを嫌っていたため、ファウルボールもまれだったその当時、ファンはホームランボールでさえ投げ返さなければいけなかった。ボールは柔らかくなるまで、時には革がめくれ上がるまで試合で使い回された。そのため噛みタバコ のヤニや、草、泥などで常に汚れていた[ 21] 。
また、極一部の選手ではあったがボールを噛んで傷をつけたり、故意に汚すなどして投球に変化を加えるスピットボール を操る投手もいた。これは1921年 にスピットボールの使用が禁止されるまで続いた。さらに、シカゴ・カブス のウエスト・サイド・パーク やボストン・レッドソックス のハンティントン・アベニュー・グラウンズ に代表される、センターが現在の球場より200フィート (61 m)ほども広い球場があり、そのためホームランはまれで、単打 、犠打 、盗塁 、ヒットエンドラン などの「スモールボール 」が当時の戦略の要となっていた[ 22] 。内野安打 をかせぐためにボルチモアチョップ などの戦法が編み出された[ 23] 。ボルチモアチョップは、ボールをあえて前に飛ばそうとせず地面にたたきつけ、打球にグラブが届かないほど高く跳ねている間に一塁を駆け抜けるというものだった[ 24] 。
20世紀初頭、ファウルストライクルールが採用された。これによって試合時間が大幅に短縮されたが、これまでのような大量得点試合が減り、試合で1点をとるのがより困難になった。19世紀のルールでは、ファウルボールはストライクとしてカウントされなかったため、打者は、ストライク がカウントされないまま投手に球数を投げさせることが出来たため、打者にとっては大きな利点であった。1901年からナショナルリーグが先にファウルストライクルールを採用し、1903年 からアメリカンリーグでも採用された。しかしこのルールによって大量得点試合が減るということがファンの間では不満となっていた[ 25] 。
追い打ちをかけるように1917年 にアメリカ合衆国が第一次世界大戦 に参戦 すると、開催こそ継続されたものの選手の出征が相次ぎ、1918年 にはレギュラーシーズンが短縮された。
1919年 にシカゴ・ホワイトソックス とシンシナティ・レッズ で行われたワールドシリーズにおいて、MLB史上最悪の不祥事であるブラックソックス事件 が起き、MLBは社会的信用を失うことになってしまった[ 26] 。ホワイトソックスの選手だった、ジョー・ジャクソン 、エディ・シーコット 、レフティ・ウィリアムズ 、チック・ガンディル 、フレッド・マクマリン 、スウィード・リスバーグ 、ハッピー・フェルシュ 、バック・ウィーバー は賄賂を受け取ってわざと試合に負けた容疑で刑事告訴された[ 27] 。この8名の選手はメジャーリーグから永久追放 処分となった[ 28] 。
ベーブ・ルースの登場
ベーブ・ルース (1920年)
1910年代に下落した野球の人気は1920年 におきた悲劇と、一人の選手の登場によって回復していった。1920年8月16日クリーブランド・インディアンス のレイ・チャップマン がバッターボックスで頭部に投球を受け、数時間後に死亡した。チャップマンは、試合中に死亡した唯一のMLB選手となった。この悲劇は、当時の選手がヘルメットをかぶっていなかったことにも原因があるが、結果的には「デッドボール時代」を終わらせる手助けとなった。それまでは試合後半になると、ボールが軟らかくなり不規則な動きを見せ、汚れ見えづらくなっていたが、ボールが汚れるたびに取り替えるというルールが生まれたからである。ボールを取り換えることにより飛距離が飛躍的に伸びる結果になった。この頃から「ライブボール時代 」が始まった。
同年、ボストン・レッドソックス よりニューヨーク・ヤンキース にベーブ・ルース が移籍。これまで投手として活躍していたルースであったが、前年に当時のMLB記録となった29本塁打を記録。ヤンキースでは打者に専念すると、不可能と思われていた自身の本塁打記録を大幅に更新する54本を放ち、翌1921年 には59本と3年連続で本塁打記録を塗り替えた[ 29] [ 30] 。ルースを擁するヤンキースは、1921年に初のリーグ優勝を、1923年 にはワールドシリーズ初優勝を果たす[ 31] 。1927年 、ルースは本塁打記録を60本に更新、さらにルー・ゲーリッグ の台頭などで強力打線となったヤンキースは、1930年代の終わりまでに、11度のワールドシリーズに出場し、8度の優勝を果たすこととなる[ 32] 。この時代には1試合当たりの得点も上昇。この打撃戦をファンは支持し観客動員は増加した[ 33] 。
世界恐慌と第二次世界大戦
1929年 頃始まった世界恐慌 の影響を受けて、野球の人気は再び下降を始めた。
1932年 までに、利益を上げたMLBチームは2チームだけだった。野球のチケット価格には10%の娯楽税が課せられ、観客動員は減少した。オーナーは契約選手を25人から23人に減らし、最優秀選手でさえも賃金を引き下げた。チームは生き残りをかけて、ナイターゲーム の実施、ラジオでのライブ中継、女性の無料入場などの改革を行ったが、大恐慌の前には歯が立たなかった[ 34] 。
追い打ちをかけるかのように1939年 に第二次世界大戦 が開戦。MLBでもチームに所属している選手500人以上が出兵を余儀なくされ、深刻な選手不足を引き起こした。彼らの多くは、出兵している軍人を楽しませるサービス野球チームでプレーした。この時期のMLBチームは、兵役対象外の青少年、年長の選手で構成されていることになった。中には精神的、道徳的に不適格だった者もいた。その一方、肉体的にハンディキャップをおった選手にも機会をあたえることになった。片腕がなかった外野手のピート・グレイ のような選手も、MLBに進出することができた。しかし、黒人がMLBのロースターに含まれることはなかった[ 35] 。黒人選手は、戦争で人手不足であっても、MLBの出場は認められず、依然としてニグロリーグ でしかプレーできなかった[ 36] 。はじめて黒人がMLBに登場するのは、1947年のジャッキー・ロビンソン である。戦時中の灯火管制 により、野外照明を暗くしなければならなかったため、ナイターでの試合が困難になった[ 36] 。
1942年 には国内でも開催中止論も広まりつつあったが、1月14日に、初代コミッショナー であるケネソー・マウンテン・ランディス は、当時の大統領であるフランクリン・ルーズベルト 宛てに手紙を送り、新たなMLBシーズンの開始と戦時中の野球の継続を嘆願した。大統領の返信には「野球を続けるのが最善であると正直に思っている。失業者は少なく、誰もがこれまで以上に長時間厳しい労働を強いられることになるだろう。ということは、今まで以上に全国民がリクリエーションの機会を持つべきだ。」と書かれていた。この手紙は「グリーンライトレター(青信号の手紙)」と呼ばれアメリカ野球殿堂 博物館に保管されている[ 37] 。
こうして大統領の承認を得て、戦時中も試合は継続された。スタン・ミュージアル 、テッド・ウィリアムズ 、ジョー・ディマジオ などのスターたちのキャリアは中断されたが、チームは引き続きMLBでプレーすることになった[ 38] 。しかし、各球団とも選手の出征が相次いだことによる深刻な選手不足は変わらず、1945年のMLBオールスターゲーム は中止となった。
「カラーライン」の打破
ジャッキー・ロビンソン (1954年)
1880年代にはMLBにも黒人選手が存在したが、選手、リーグの激しい反発により、短期間で姿を消す事となった。それ以降、黒人選手との契約を禁止する規則は存在しなかったものの、1940年代半ばまで黒人選手はMLBでプレイできなかった。ただし同じ有色人種でも、肌の黒くないヒスパニック系やネイティヴアメリカンの選手はプレイできた[ 39] 。
1945年 にブルックリン・ドジャース の社長兼ゼネラルマネジャー であるブランチ・リッキー は、プロの野球リーグに黒人野球選手を本格的に入団させようと動き出した。彼はニグロリーグ の有望選手のリストの中からジャッキー・ロビンソン を選んだ。リッキーはロビンソンに、彼自身に向けられる差別に「やり返さない勇気を持つ」事を求め、月額600ドルの契約を結ぶ事に同意した。ロビンソンは、ドジャースのファームクラブであるモントリオール・ロイヤルズ に1946年 シーズンから参加、1880年代から続くインターナショナルリーグ において57年ぶりの黒人野球選手となった[ 40] 。
翌年、ドジャースはロビンソンをMLBに呼び寄せた。1947年 4月15日にロビンソンはエベッツ・フィールド で14,000人以上の黒人を含む26,623人の観衆の中でMLBデビューを果たした。黒人野球のファンは、それまでのニグロリーグのチームの観戦を放棄し、ドジャースの試合を見るためにブルックリンに殺到した。ロビンソンの売り出しには、新聞や白人MLB選手の大多数が反対であった。監督のレオ・ドローチャー はチームに「私は選手の肌が黄色であろうと黒であろうと、ヤンキースのストライプが好きでも構わない。自分はこのチームの監督だ。チームに必要な選手であれば使う。もし自分に反対する者がいるならトレードで出て行くことになるだろう。」と語った[ 41] 。
対戦相手のフィラデルフィア・フィリーズ はドジャースとの対戦を前にロビンソンが出場するなら対戦を拒否すると通告。それに対し、コミッショナーのハッピー・チャンドラー はドジャースを支持し、当時のNL会長のフォード・フリック は対戦を拒否したら出場停止処分を課すと発表し、問題の鎮静化を図った。ロビンソンは何人かの選手から励ましを受け、チームメイトのピー・ウィー・リース はチームメイトの前で真っ先にロビンソンと握手をして見せた。球場でロビンソンが誹謗中傷を受けていると、リースは守備時にロビンソンに歩み寄り、黙って肩を組んで観客席を見回した。この光景に観客の誹謗中傷は徐々に減っていった。ロビンソンはどんなときも常に紳士的に振る舞い、シーズン終了時にはチームメイトや報道陣から受け入れられるようになった[ 42] 。ロビンソンは、この年から制定された最優秀新人選手賞 を受賞した[ 43] 。
3か月も経たないうちに、ラリー・ドビー がクリーブランド・インディアンス と契約し、ALも黒人選手を受け入れると[ 44] 、翌年、他の多くの黒人選手がMLBに入った。サッチェル・ペイジ はインディアンスと契約し、ドジャースはスター捕手だったロイ・キャンパネラ とドン・ニューカム を追加した。ドン・ニューカム は後にサイ・ヤング賞 を受賞した[ 45] 。
女性選手との契約の禁止
1952年 にMLBは女性選手との契約締結を禁止した。その禁止条項は1992年 に解除されたが、その後も女性選手との契約は存在しない[ 46] 。
しかし上記のニグロリーグにはトニ・ストーン (英語版 ) 、マミー・ジョンソン (英語版 ) 、コニー・モーガン (英語版 ) の3人の女性選手がプレーしていた。ストーンとモーガンは二塁手 でジョンソンは投手 、ストーンは1953年 から1954年 、ジョンソンは1953年から1955年 、モーガンは1954年から1955年までプレーしていた。
編成と拡張
ドジャー・スタジアム (2007年)
エンゼル・スタジアム・オブ・アナハイム (2019年)
1903年から1952年 までの半世紀にわたって、MLB球団の本拠地はボストン (2球団)、ニューヨーク (3球団)、フィラデルフィア (2球団)、ワシントンD.C. (1球団)、ピッツバーグ (1球団)、クリーブランド (1球団)、シンシナティ (1球団)、デトロイト (1球団)、シカゴ (2球団)、セントルイス (2球団)で変動がなかった。東海岸 (ニューイングランド ・中部大西洋岸 )と中西部 の東半分(五大湖地域 およびミズーリ州 )に限られるが、鉄道 の時代では東端のボストンと西端のセントルイス間の移動にも約24時間を要していた。
1953年 にボストン・ブレーブス がミルウォーキー へ移転し、観客動員数が28万人から182万人へ増加した。続けて、1954年 にセントルイス・ブラウンズ がボルチモア へ移転、1955年 にフィラデルフィア・アスレチックス がカンザスシティ へ移転した。いずれも、2球団が本拠地を置く都市において観客動員数が低迷していた球団の他都市への移転である。西端がセントルイスに代わりカンザスシティとなったものの、まだミズーリ州どまりだった。
50年代の後半ともなると旅客機 が普及し大衆化も近い時代で、西海岸 への移転が現実味を帯びてくるようになった。野球専門家の間で「この頃の初期拡大期に最も影響力があったオーナー」と考えられているブルックリン・ドジャース のオーナーであったウォルター・オマリー [ 47] は、1958年 シーズンの前にブルックリン・ドジャースをロサンゼルス へ移転させた[ 48] 。オマリーがTIME 誌の表紙になるほどの大事件だった[ 49] 。全米一の熱狂度と評されていたニューヨークのファンから「世界三大悪人はヒトラー 、スターリン 、そしてオマリー」と非難された[ 50] 。
1958年シーズンの前に西海岸へ移転したのはドジャースだけでなく、ニューヨーク・ジャイアンツ もサンフランシスコ へ移転しており、ドジャースのライバル球団でもあるジャイアンツの西海岸への移転もオマリーが持ちかけたものだった。ジャイアンツは1950年代に入り成績、観客動員ともに落ち込み、本拠地ポロ・グラウンズ の老朽化もあり、球団幹部はニューヨークからの脱出を考えていた時だった。ジャイアンツのオーナーであるホーナス・ストーンハム はミネソタ州 への移転を検討していることをオマリーに打ち明けると、オマリーはNLで当時西端だったセントルイスでさえロサンゼルスまで1,600マイル(2,575 km)も離れており[ 51] [ 52] 、1球団より2球団で移転した方が訪問チームにとっても西海岸への遠征が経済的になり[ 53] 、ライバル関係維持のためにも揃って西海岸へ移転したほうが良いとストーンハムを説得した。オマリーはさらにサンフランシスコ市長 であったジョージ・クリストファー をニューヨークに招き、ストーンハムと面会させた。コミッショナーのフォード・フリック の要望を無視して行われたこの会合で[ 54] 、ストーンハムはサンフランシスコへの移転を決めた。結果的にドジャースとジャイアンツの西海岸への移転は大成功となり、ドジャースは1試合で78,672人の観客を動員し、MLBにおける1試合での最多動員記録を叩きだした[ 48] 。
1950年代に行われた上記5球団の移転により、2球団が本拠地を置く都市はシカゴのみとなった。3球団が本拠地を置く唯一の都市から一転、2球団を同時に失ってシカゴ以下の地位に落とされたニューヨークでは球団を取り戻す機運が高まり、リーグ拡大の契機となった[ 50] 。
1961年 にワシントン・セネターズ がミネアポリス に移り、ミネソタ・ツインズとなった。同年にロサンゼルス・エンゼルス と移転したセネターズの代わりに新しく作られたワシントン・セネターズ の2チームがALに加盟。
1962年 にNLにはヒューストン・コルト45’s とニューヨーク・メッツ が加盟。コルト45’s(4年目からアストロズに改称)は、1899年にルイビル・カーネルズ がなくなって以来初めての南部 を本拠地とするチームとなった。メッツは、大都市ニューヨークに復活したチームとして多大な期待を受けたが、最初のシーズンで40勝120敗と大敗した。その後も最下位が定位置と成りつつあったが、創立8年目の1969年 に突如100勝62敗の好成績でリーグ初優勝。そのままワールドシリーズも制してしまった。結果的にメッツは1960年前半に加入した4チームでワールドシリーズタイトルを獲得した最初のチームになった。
1966年 にMLBはミルウォーキー・ブレーブス がアトランタ に移り「ディープ・サウス 」に進出。
1968年 にカンザスシティ・アスレチックス はさらに西のオークランド に移転した。
1969年 に両リーグはそれぞれ2チームの拡張フランチャイズを迎え入れた。ALは、シアトル・パイロッツ (シアトル で悲惨な1シーズンをおくった後にミルウォーキーに移転)とカンザスシティ・ロイヤルズ を加えた。NLは、サンディエゴ・パドレス と、初のアメリカ国外のカナダ フランチャイズとなった、モントリオール・エクスポズ を加えた。これによって、両リーグ12チームと巨大化したため、この年から東西2地区制に移行した。2地区に分かれたことで優勝チームが2チームとなったためワールドシリーズの前哨戦としてリーグチャンピオンシップシリーズ が始まった。
1972年 にワシントン・セネターズ はアーリントン に移り、テキサス・レンジャーズになった。
1977年 にALが再び拡大し、シアトル・マリナーズ とカナダ第2のチームとなったトロント・ブルージェイズ が加わった。その後、しばらく新しいチームは追加されず、1990年代までチームの移転もなかった。
1993年 にNLはマイアミ にフロリダ・マーリンズ 、デンバー にコロラド・ロッキーズ を加えた。
1994年 に東中西3地区制に移行した。
1998年 にNLは西地区のフェニックス にアリゾナ・ダイヤモンドバックス 、ALは東地区にのフロリダ州 タンパ にタンパベイ・デビルレイズ が加わった。タイガースがAL東部地区から中部地区に、リーグのバランスをとるため、ブルワーズがAL中地区からNL中地区に移動。リーグ間の移動が初めて行われた。
2001年 のシーズン後、オーナー会議が開かれリーグの縮小、いくつかのチームの廃止が検討され、多くのオーナーによって縮小に賛成票が投じられた。その中でモントリオール・エクスポズとミネソタ・ツインズが廃止に最も近い2チームであった。しかし、ツインズが2002年 シーズンのプレーを要求した裁判所命令を受け、MLBの縮小計画は中止された。MLBのオーナーは、少なくとも2006年までリーグの縮小をしないことに同意した[ 55] 。エクスポズは、深刻な財政難で球団経営が行き詰まり、30年以上なかった本拠地の移転が行われ、2005年 にワシントンD.C.に移転してワシントン・ナショナルズとなった。結果、セネタースがテキサスに移転して以来33年間不在だったチームをアメリカ合衆国の首都に戻すことになった。一方モントリオール はフェデラルリーグ を除き、1901年以来MLBの本拠地があった都市で現在チームを運営していない唯一の都市となっている。
2013年 にインターリーグ の開催時期が見直され、試合のスケジュールの関係でチーム数のバランスが悪かった地区の整理が行われた。ヒューストン・アストロズがNL中地区からAL西地区に移動。前述のブルワーズ以来2例目となるリーグ間の移動となった。これで全地区5チームずつの均等配置となった。
2018年7月17日にコミッショナーのロブ・マンフレッド がテレビ番組内にて、32球団 に拡張する意向を示した。 候補地としてラスベガス やポートランド 、シャーロット やナッシュビル 、モントリオール とバンクーバー の6都市を挙げた。その上、メキシコ についても「長い目で見ればあり得る」と語った[ 56] 。
投高打低とルールの改定
1試合当たりの得点の変化
1960年代後半、一旦は打者有利の時代になった野球は再び投手有利の時代になっていた。この時期の1試合あたりの得点は過去最低だった1900年後半の水準まで落ち込んだ[ 57] 。ボストン・レッドソックス のカール・ヤストレムスキー は、1968年 にMLBの歴史の中で最も低い.301の打率でALの首位打者 となった[ 58] 。デトロイト・タイガース のデニー・マクレイン は31勝を記録し、1934年 のディジー・ディーン 以来、1シーズン30勝した唯一の投手となった[ 59] 。セントルイス・カージナルス の投手ボブ・ギブソン は、わずか防御率 1.12を達成することで同様の偉業を達成した[ 60] 。リーグ全体でも投手全体の平均防御率が1919年以来の2点代となり[ 61] [ 62] 、ALの平均打率にいたっては.230とMLB至上最低を記録した[ 63] 。
1968年12月にMLBのプレールール委員会は投打の均衡を保つため1969年 のシーズンから、従来の肩から膝までのストライクゾーンを肩から脇の下まで引き下げ、投手のマウンドの高さを15インチ(38.1センチメートル)から10インチ(25.4センチメートル)に下げることを決めた[ 64] 。
1973年 にNLよりもはるかに低い出場率で苦しんでいALは、打者の負担を減らし得点倍増を目指し、指名打者 (DH)制を導入した[ 65] 。2022年 からはNLでも指名打者制が採用されている。
球場建築ラッシュと人工芝の流行
世界初のドーム球場 アストロドーム
1960年代から1970年代にかけて、老朽化した野球場の立て替えとリーグ拡大によりできた新球団の新球場の建設ラッシュが起こった。この頃の流行は多目的球場とドーム球場だった。
野球人気が拡大する中ナショナル・フットボール・リーグ (NFL)も急速に発展しており、野球とアメリカンフットボール 両方のプロチームを持つ都市の多くは、野球のみを目的とした施設ではなく、両方ができる施設を建設したほうが経済的だったことから、1953年 に開場したミルウォーキー・カウンティ・スタジアム を皮切りに多目的球場が多く建設された[ 66] 。多目的球場は野球とフットボールの両方を収容する必要があり楕円形のデザインをしていたため、古いスタジアムよりも相対的にいびつな野球場の形になってしまった。いびつで広いグラウンドは普通の広さの外野であれば本塁打になるはずの打球がただの外野フライになったり、ファールがフライアウトになったりという現象がたびたび起こった。このような特徴はプロ野球の本質を変え、本塁打や打撃力よりも防御率の高さが目立つ結果となった。
1965年 に世界初の全天候型屋根付き球場アストロドーム が開場。球場に屋根を付ける発想は、アストロズの本拠地ヒューストン が夏は高温多湿で雨が多く蚊の大量発生にも悩まされる、そんな気候に左右されない快適な環境をとの発想からだった。開場当初は屋外球場と同じ環境でプレーできるように透明のアクリル屋根であったが、光が選手の目に入りプレーに支障をきたすことから、すぐに太陽光を通さないパネルに替えられた。この際、球場内の芝が光を遮られたことで枯れてしまう問題が起きた。それを解消するため世界初の繊維による人工芝 「アストロターフ」が開発された。アストロターフは維持コストが安く天然芝からの転換も容易なことから多くの野球場で採用された。人工芝は打球が早くなる特徴があり、今までより盗塁とスピードが重要視されるようになった。人工芝の表面はボールがより速く移動し、より高く跳ねたので、三遊間や一二塁間の「穴」を通しやすくなり盗塁もしやすくなった。チームは投手を中心にした構成に転換していった。投手の球速を保つため中継ぎ がより重要視されるようになった。そのため先発投手 は試合を完投 する必要はなくなった。先発投手は6から7イニングを投げて中継ぎにつなぐだけで十分だった。この頃は盗塁の増加に反比例して本塁打数は減少した。本塁打はウィリー・メイズ が1965年に52本を打った後、50本を超えたのは1990年までジョージ・フォスター が1977年に到達したのみだった。
1980年代、多くの球場で採用された人工芝であったが、下地がコンクリートやアスファルトで固く選手の足腰に負担がかかるという声があがるようになる。
1989年 に世界初の開閉式屋根付き球場のスカイドーム が開場すると、屋根付きでありながら天然芝の生育が可能となる[ 注 4] 。
1992年 に天然芝のオリオール・パーク・アット・カムデン・ヤーズ が開場すると、レトロ 回帰の新古典式野球専用球場が主流となっていき、徐々に人工芝の球場は減少していった。
現代野球と薬物問題
1994年 にサラリーキャップ 制度導入を巡って経営者側と選手会 側が対立し、シーズン最中の8月から翌1995年4月にかけてMLB史上最長のストライキ が発生。ストライキは232日間にわたり、1994年のワールドシリーズ も中止された。選手会との協議の結果サラリーキャップ制度の導入は見送られたが、選手の報酬総額が相対的に高い球団に対する課徴金制度(ぜいたく税)が導入された。このストライキで一時大規模なファン離れが生じる結果となってしまった。
1995年 にドジャースに野茂英雄 が入団。マイナー契約(40人枠外での契約)であったが5月にMLBへ昇格し、デビューすると13勝と活躍し新人王を獲得した。この日本人の活躍は国外の市場を開拓する契機となり、のちに多くの海外出身選手がメジャーデビューした。1997年 にMLB以外のプロスポーツリーグ では積極的に行われてきたインターリーグ を導入。これまでサブウェイ・シリーズ のニューヨーク・ヤンキース対ニューヨーク・メッツに代表される同都市にあるチーム同士の対戦はワールドシリーズでしかかなわなかったため、好カードがレギュラーシーズンで見られるとあってファンには好評価であった。
1998年 のマーク・マグワイア とサミー・ソーサ によるシーズン最多本塁打記録争い などで盛り上がり、観客数もスト前の水準に回復した。1990年代後半から2000年代前半に本塁打量産ブームが起き、2001年 にはバリー・ボンズ が73本塁打を放ち、現在のシーズン本塁打記録を樹立した。しかし2007年 12月13日に発表されたミッチェル報告書 と呼ばれる報告書では89人の実名が挙げられ、その中にはバリー・ボンズ、アレックス・ロドリゲス 、マニー・ラミレス 、マーク・マグワイア、ラファエル・パルメイロ 、ジェイソン・ジアンビ 、ホセ・カンセコ ら多くのMLBを代表する強打者がアナボリックステロイド を使用していたことが後に判明した。
強打者が増えてくる中、投手は打者のパワーに対抗するため、様々な球種を開発する必要があった。ジャイロボール [ 67] のような新しい球種は、力のバランスを守備側に戻すことができた。1950年代から1960年代のスライダー や1970年代から1990年代のスプリットフィンガーファストボール などの球種で野球の試合が変わった。1990年代にはチェンジアップ が復活し、トレバー・ホフマン 、グレッグ・マダックス 、ジェイミー・モイヤー 、トム・グラビン 、ヨハン・サンタナ 、ペドロ・マルティネス 、ティム・リンスカム などの投手によって巧みに投げられた。近年、リンスカム、ジョナサン・サンチェス 、ウバルド・ヒメネス などの投手はスプリットの握りでチェンジアップを投げる、「スプリット・チェンジ」を投げるようになった[ 68] [ 69] [ 70] [ 71] 。
2008年 にビデオ判定 が導入され、2014年 からはその範囲が拡大されチャレンジ方式が採用された[ 72] [ 73] [ 74] 。
ギャラップ調査 によれば「一番見るのが好きなスポーツ」は1960年代半ばにアメフトが野球に代わってトップに立った。以後その差は開くばかりで、2017年の調査ではアメフトが37%、野球は9%と4倍以上の差になっており[ 75] 、MLB人気がマイナー化したことがうかがえる。
所属チーム(アメリカンリーグ・ナショナルリーグ)[ 76]
WS :ワールドシリーズ優勝回数、LS :リーグ優勝回数、DS :地区優勝回数、WC :ワイルドカード回数
リーグの構成と変遷
現在、MLBに所属する30チームはアメリカ合衆国 の17の州とコロンビア特別区 、カナダ の1州に本拠地を置いている。ナショナルリーグ、アメリカンリーグともに15チームが所属。さらに各リーグに所属するチームは地図上で東中西の3つの地区に分割される。
各地区はすべて5チームずつで構成される。30チームに増加した当初より、各地区5チームごとの同数に分ける案も出されていたが、2012年まではインターリーグが現在のNPB におけるセ・パ交流戦 と同様に、特定の期間(MLBでは5月から7月の間)のみの集中開催だったため、各リーグ15チームの奇数になった場合試合を組めないチームが必ず1チームでき、年間の試合スケジュールを組むのが困難だったため、当初はアメリカンリーグ(中地区)の1チーム(ミルウォーキー・ブルワーズ)をナショナルリーグ(中地区)に配置しアメリカンリーグを14(東5・中5・西4)チーム、ナショナルリーグを16(東5・中6・西5)チームとしていた。その後、2013年からインターリーグを年間通じて行う方式に改正し、アメリカン・ナショナル両リーグ内の試合を組めない1チーム同士で常に試合が行われることによりこの問題は解消され、同年にナショナルリーグ(中地区)の1チーム(ヒューストン・アストロズ)がアメリカンリーグ(西地区)に配置され、各地区が5チームずつに分けられた。
年間スケジュールと試合システム
スプリングトレーニング
スプリングトレーニングの試合風景
シーズンが始まる前の2月中旬から3月下旬にかけて日本の春季キャンプ にあたるスプリングトレーニングが行われる。このキャンプが行われる時期はまだ気温が低く雪が降るなどの地域があるため、暖かい地域のアリゾナ州 とフロリダ州 にあるマイナーリーグ の本拠地がキャンプ地に選ばれている。アリゾナ州をキャンプ地にするチームでカクタスリーグ (Cactus League サボテンのこと)、フロリダ州をキャンプ地にするチームでグレープフルーツリーグ (Grapefruit League )が形成され、公式戦と同じような形式でオープン戦 が行われるが、この間の記録は公式記録とはならない。
スプリングトレーニング開始時点で各チームの26人ロースター (MLB登録枠)は確定しておらず、40人ロースター (MLB登録拡大枠)の選手と、ロースター外の招待選手 と呼ばれるベテランのFA 選手や傘下マイナー球団所属の有望選手の中から、レギュラーシーズン開始までに開幕のロースター枠をめぐってふるい分けが行われる。レギュラーシーズンよりもベンチ入り選手数が多いため、チームを2分割し同じ日に違うチームと対戦するスプリットスクワッド などの方式が採られる場合もある。
レギュラーシーズン
メジャーリーグの試合風景
4月上旬から9月下旬にかけ、1チームあたり162試合のレギュラーシーズンが行われる。
162試合の内訳は、2023年から導入されるフォーマットでは以下のとおり。
同地区4チームと各13試合:計52試合
同リーグ・他地区(10チーム)のうち、4チームと各7試合、6チームと各6試合:計64試合
インターリーグ :計46試合
各チームに定められた「地理的なライバル」(natural rival)[ 注 5] と4試合
それ以外の14チームと各3試合
これにより、1シーズンに全チームと少なくとも3試合は対戦することとなる。
1960年までの試合数は、リーグ各チーム総当たり(22回戦×7チーム)の154試合であった。アメリカンリーグは1961年 から、ナショナルリーグは翌1962年 から現在の162試合(18回戦×9チーム)になり、1969年に始まった2地区制時代は12球団時は同地区5チーム×18試合=90試合、他地区6チーム×12試合=72試合の計162試合であったが、アメリカンリーグは1977年 から、ナショナルリーグも1993年 には14球団に増えたことから、同地区6チーム×13試合=78試合、他地区7チーム×12試合=84試合の合計162試合になった。その後、1994年に3地区制となった上、地区によって所属チーム数が違っていたためばらつきがあるが、同地区と60試合程度、同リーグの他2地区と各45試合程度、その他インターリーグが数試合の合計162試合になった。両リーグ15チームずつとなった2013年以降は同地区4チーム×19試合=76試合、他地区10チーム×6または7試合=66試合、インターリーグ20試合の合計162試合である[ 77] 。2022年までのフォーマットでは、同地区4チームと計76試合(各19試合)、同リーグの他2地区10チームと計66試合(6チームと各7試合、4チームと各6試合)、インターリーグ20試合の対戦となっていた。インターリーグの内訳は「地理的なライバル」と4試合、ある地区1チームと4試合、その地区の残り4チームと3試合となる。ただし、同地区対決となる場合は1チームと6試合、2チームと4試合、2チームと3試合となり、この場合「地理的なライバル」は考慮されていなかった。
2012年以前のインターリーグ は、例年5月中旬から6月中旬の間に数試合行い、その後一旦同リーグ内のカードに戻った後、6月上旬から7月中旬の間で再び数試合行うという日程となっており、合計18試合程度行われていた。
自チームの本拠地球場と相手チームの本拠地球場でほぼ均等に試合が組まれるが、インターリーグの対戦によっては、どちらか一方の本拠地球場で全3試合を開催するケースが多い。ただし、各チーム1シーズンのホームゲームとアウェイゲームの数が均等になるように、開催球場のバランス調整が行われている。
両リーグとも予告先発 制度を採用している。先発投手は試合ごとではなく対戦カードごとにまとめて予告される。なお、全試合指名打者制 (DH)が採用される(ナショナルリーグでは2021年以前は2020年を除き採用されていなかった)。
試合は引き分けなしの時間無制限で行う。なお2020年 から、延長戦では毎回無死二塁の状況から攻撃を開始するタイブレーク 制を採用している。降雨などで「タイゲーム」となった場合はサスペンデッド が宣告され、この場合は次の日以降に中断した時点から再開し決着が付くまで試合が行われる。その場合の試合は、移動日や1日にその日予定されていた試合と順延になった試合の2試合行うダブルヘッダー などで消化される。大乱闘などで試合続行不可能になったり、そもそも相手チームが到着せず、試合ができない場合などは、フォーフィッテッドゲーム (forfeited game、没収試合 )となることがある。
怪我や疾病のために試合出場が困難と診断された選手は負傷者リスト (IL)に登録されてアクティブ・ロースター から外れ、所定日数が経過するまでは復帰できない。他にも、忌引 や育休 などの目的でロースターを一時離脱できる制度がある。その間は傘下マイナーリーグなどから代替選手を補充することができる。
レギュラーシーズン中、40人ロースター内の選手のトレード は7月31日前後[ 78] まで可能となっている。そのため、特にトレード期限日直前には主力選手が絡む駆け込みトレードが多く成立する。
9月1日になると、アクティブ・ロースター (ベンチ入りし、試合出場も可能な人数)の枠が26人から28人へ拡大される。なお2019年までは最大40人に拡大されていた(通称「セプテンバー・コールアップ 」。コールアップ (call up) は「(チームに)選抜される」の意)。このルールにより、9月以降は傘下マイナーチームに待機していた選手が複数名MLBのベンチに加わることとなり、幅広い選手起用が可能になる。この時期にメジャーデビューを果たす若手選手も多く見られる。ただし、ポストシーズン のアクティブ・ロースターは26人であり、また8月31日時点で当該チームの40人ロースターに登録されていなかった選手は原則、ポストシーズンのロースターには登録できない[ 注 6] [ 79] 。
MLBでは新古典派球場ブームにより、天候に左右されないドーム球場 は減る傾向にあるため、雨による中止が多く見られる。ただ、レギュラーシーズンの試合日程が過密であり、20から30連戦という日程が少なくないため[ 注 7] 、数時間にも及ぶ試合中断を挟んだ上でも試合を成立させることは珍しくない。これに加え、国内でも時差 が3時間あり[ 注 8] 、気候にも大きな差がある広大なアメリカ本土・カナダを縦横に移動するために各球団が飛行機をチャーターするため[ 80] [ 81] 、深夜早朝を問わず航空会社のダイヤに左右されず最も都合の良い時間に移動することが可能[ 注 9] ではあるものの、肉体的な負担はとても大きい。1シーズンの総移動距離は約73,000キロにも達し、これは地球 1.8周分に相当する[ 82] 。たとえ主軸のレギュラー野手であっても疲労回復のため定期的に先発から外すことが多く、162試合全てに出場する選手は毎年リーグに数えるほどしかいない。
前記のような延長時間無制限や過密日程、投手枠の制限 もあるため、大差がつき敗戦が決定的となった試合や、延長戦途中で投手を使い果たした場合などに、日本プロ野球ではほとんど見られない「野手がリリーフ 投手として登板」という場面が発生することがあり、例えば2015年にはイチロー を含め、延べ27人の野手がリリーフ登板している[ 83] 。
各チームが基本的に162試合全てを消化するルールだが、162試合すべてが必ず行われるとは限らない。ポストシーズン進出可否が完全に決定し、且つ地区順位も確定しているチーム同士による(雨天中止などによって順延されたゲームの)再試合は、仮に選手やチームの何らかのタイトル・記録にかかわる場合であっても基本的に行わないこととなっている[ 84] 。
オールスターゲーム
7月にはオールスターゲーム が行われる。当初はオールスター選手の祭典的な位置づけであったが、2003年から2016年までは勝ったリーグにワールドシリーズ での本拠地開催優先権であるホームアドバンテージ が与えられることとなったため、引き分け試合がなくなり以前より本気の試合展開になった。
ジョージ・W・ブッシュ大統領 によるワールドシリーズの始球式 (2001年 )
ポストシーズン
10月に入るとポストシーズンゲームが行われる。
2022年からは、各リーグとも162試合の成績を元に各地区の勝率1位の3チームとワイルドカード 3チームを加えた6チームずつによるトーナメント戦を行う。
2021年までは、ワイルドカードは2チームのみであり、両者の1試合の「ワイルドカードゲーム 」の勝者がディビジョンシリーズに進んでいた。
2011年までは、ワイルドカードは1チームのみであった。
ワイルドカードシリーズ
2022年より導入された「ワイルドカードシリーズ 」は、ディビジョンシリーズ への出場権をかけて4チームにより行われる。地区優勝チームは成績順にシード1,2,3となる。そのうちシード3のみがワイルドカードシリーズに参加し、シード1,2は免除される。ワイルドカードとなった3チームは成績順にシード4,5,6と呼ばれる。シード3と6が、シード4と5がそれぞれシード上位の本拠地で最大3試合を行い、先に2勝したチームがディビジョンシリーズに進出する。
2012年から2021年までは、ワイルドカードは2チームのみであり、成績上位のチームの本拠地で行われる1試合のワイルドカードゲーム のみの勝者がディビジョンシリーズに進んでいた。
ディビジョンシリーズ
ディビジョンシリーズ (地区シリーズ)は、前述の「ワイルドカードシリーズ 」を勝ち抜いたチームのうちシード4あるいは5にあたるチームとリーグ勝率1位のチーム、そしてシード3あるいは6にあたるチームとリーグ勝率2位のチームの組み合わせで試合を行う。最大5試合が行われ、一方が3勝すればシリーズは終了し、そのチームがリーグチャンピオンシップシリーズに進出する。
2012年から2021年までは、ワイルドカードチームと勝率1位のチーム、そして勝率2位と3位のチームの組み合わせであった。さらに1998年から2011年までは、最高勝率チームとワイルドカードのチームが同地区の場合、ワイルドカードとリーグ勝率2位のチーム、勝率1位チームと勝率3位チームの組み合わせで行っていた(ワイルドカードから見れば、対戦相手は必ず別の地区の地区勝率1位の2チームのうち勝率の高いほうとなる)。1995年から1997年は2試合-3試合で開催され、第3~5戦を本拠地で開催できる権利も持ち回りで決められていた。
1981年はストライキにより前後期制をとり、前期優勝チームと後期優勝チームによる地区優勝決定シリーズが行われた。
リーグチャンピオンシップシリーズ
リーグチャンピオンシップシリーズ (リーグ優勝決定シリーズ)は、ディビジョンシリーズ を勝ち上がった(1969年 - 1993年は東西それぞれの地区優勝を果たした)各リーグの2チームの対戦となる。試合は7戦4勝制(1969年 - 1984年は5戦3勝制)で行われ、4勝(1969年 - 1984年は3勝)したチームが出た時点でシリーズは終了し、リーグ優勝となりワールドシリーズ出場権を獲得する。
地区制度導入以前は1位に2球団が並んだ場合、アメリカンリーグは1試合制、ナショナルリーグは3試合制のプレーオフを実施していた。
ワールドシリーズ
ワールドシリーズ はアメリカンリーグ、ナショナルリーグの優勝チームが対戦する。7戦4勝制で行われ、4勝したチームがワールドシリーズチャンピオンとなる。例外として、1903年 と1919年 から1921年 の4回は9戦5勝制で行われた。
現在、ワールドシリーズチャンピオンになった経験があるチームは30チーム中25チームで、残りの5チームは一度もワールドシリーズチャンピオンの栄冠を獲得していない。なかでもシアトル・マリナーズ はリーグ優勝もかなっていない[ 85] 。これまでの最多出場チームはニューヨーク・ヤンキース の40回でありヤンキースは1960年以前から存在するナショナルリーグの8球団を全部ワールドシリーズで倒している。ヤンキースの優勝回数27回も30チーム中で最多である。
ドラフトとマイナーリーグ
ドラフト は、戦力の均衡を目的に1965年から導入された[ 86] 。毎年6月または7月に開催され、アメリカ・カナダ ・プエルトリコ ほか合衆国領 在住の学生および独立リーグ の選手を対象に、ウェーバー方式 で1チームあたり数十名の新人選手が指名される。指名選手とはマイナー契約(40人ロースター 外での契約)しか締結できないため、ほぼ全ての選手はマイナーリーグで数年間の育成を経たのち、有望選手がMLB昇格を果たしていく。
ドラフト指名対象外の国(ドミニカ共和国 、ベネズエラ 、メキシコ 、アジア各国など)に在住する16歳以上の海外アマチュア選手[ 87] は「International Amateur FA(国際アマチュアFA)」選手として扱われ[ 88] 、球団別に毎年定められる契約金総計(インターナショナル・ボーナス・プール)の範囲内で自由獲得できるルールとなっている[ 89] 。
またシーズンオフの12月(ウィンターミーティング 最終日)には、40人ロースター外で且つMLB傘下に一定年数以上在籍している他チームの現役選手を指名し獲得できるルール・ファイブ・ドラフト (ルール 5 ドラフト)が開催される。この制度は選手の飼い殺しを防ぐ目的で行われる。
マイナーリーグベースボール (Minor League Baseball , MiLB )は、独立採算制で運営されている北アメリカ のプロ野球リーグのうち、MLBの傘下に入る協定を結んでいるリーグを指す[ 90] 。MiLB所属チームは、最上位のAAA級からルーキーリーグまで5階級のクラスに分かれ、各クラス内でリーグを組み、公式戦を実施している。MLB所属チームは、各クラスのMiLB所属チームを直営するか、または各地域の既存の独立資本チームと選手育成契約 (PDL) を結んで選手およびコーチを派遣することで、自らの下部組織としている。
MiLBは、各フランチャイズでの野球振興のほか、MLBのアクティブ・ロースターに入っていない選手、故障した選手、MiLBチームが独自に獲得した選手たちの育成・調整目的の場となり、これらの選手をMLBに供給する役割も担っている。
コミッショナー制度
1920年にブラックソックス事件 が発覚し、野球人気が低迷した。人気を回復するため中長期的な展望、戦略、迅速な意思決定をする必要に迫られた各オーナーたちが話し合い、中立的な意思決定機関として1920年にコミッショナー制度が導入された。そして、連邦地裁判事だったケネソー・マウンテン・ランディス が初代コミッショナーに就任。制度導入以後はしばらくコミッショナーと両リーグ会長の三頭体制をとっていたが、1999年を最後に両リーグ会長職は廃止されている。
経営
MLBは経営においてはカルテルであり、これについてはアメリカの法令において特別な例外規定により独占禁止法の適用を免れている。このためチームの総数の制限、収益の組織的分配、本来なら個人の自由な経済活動を制限するドラフト制度などを合法的に行える。特にドラフト制度と収益の分配は各チームの実力を均一化させ試合内容を充実することで、観客動員数およびテレビの視聴率を上げている。一方で日本のプロ野球は経営自体はたいてい赤字でチームのオーナー企業の宣伝が経済活動の基盤である。このため強いチーム(のオーナー企業)がわざわざ弱いチーム(のオーナー企業)に便宜を図って実力の均衡を図ることにメリットが存在しない。野球チームの経営はオーナー企業の広報活動の二次的なものに過ぎないからである。MLBでのそれぞれのチームはたいてい独立組織で黒字であり、逆に複数の企業がそのチームの威光の宣伝効果を求めてスポンサーになるという構造になっている。またMLBのチーム数は大都市のステータスとしてプロ野球チームの招致を希望するアメリカの都市の数より少なめに設置されている。これによりアメリカのプロ野球チームはさまざまな経済的優遇措置を招致都市から引き出すことができる。そのもっとも重要なものは、チームが使用するスタジアムを地元の自治体の予算で建設し無料で使用できることで、これだけで毎年で数百万ドル(数億円)にあたる補助金となっている。日本のプロ野球チームが二軍を維持するのがやっとなのに、アメリカのプロ野球チームが五軍まで維持できるのは経営そのものにこのような構造的違いがあるからである。
MLBの2006年の観客動員数は前年比1.5%増の7,604万3,902人と3年連続で増加し過去最高を記録している。30チーム中24チームが200万人を超え、8チームが300万人を超えており、年々入場券の平均価格が上がっているにも拘らず観客動員数は増加傾向である。現在までの年間観客動員数最多チームはニューヨーク・ヤンキース で420万518人、最少チームはフロリダ・マーリンズ で116万5,120人、全チームの平均は253万4797人となっている。また、2006年のマイナーリーグベースボール の観客動員数は4,171万357人で、MLBと合わせた観客動員数は1億1,775万4,259人となっている。入場券の売り上げだけで巨額なものとなっており、放送権収入、商標権収入、スポンサー収入、グッズ収入なども含めたMLB全体の総収入は1995年に約13億8,499万ドル、1996年に約17億7,517万ドル、1999年に約27億8,687万ドル、2005年に約47億3,300万ドルなどと年々増加し、2006年には約52億ドル(約6,130億円)に達した。これは、NFL の約60億ドルに次ぐ額となっている。
その後も放映権の高騰などMLBの総収入は増加を続け、2014年には90億ドル、2018年には103億ドルを記録するなど増加の一途をたどっている。
また、チームの資産価値 も年々上昇しており、アメリカの経済誌フォーブス が2014年4月に発表したMLB各チームの平均資産価値は8億1,000万ドルとなっている。1位はニューヨーク・ヤンキースの25億ドルであり、2014年8月時点ではNFL のダラス・カウボーイズ とニューイングランド・ペイトリオッツ に次いでアメリカのプロスポーツチームとして3番目の規模である。
MLB30位(最下位)のタンパベイ・デビルレイズ は4億8500万ドルの価値と算定されている。また、2014年の統計ではMLBの30チーム中19チームが黒字である。赤字のチームにヤンキースやドジャースもあるが、後述の課徴金制度のためヤンキースなどの収入の多いチームは多額の課徴金を支払っており、これが赤字の原因の一つとなっている。さらに、各チームの収入にヤンキースはYESネットワーク による収入、カブスはWGNによる収入が含まれていないなど実際には各チームの収入はもっと多いとされている。また、チームの収益が選手年俸の伸びより速く増加しているため、全体の営業利益は2004年の1億3,200万ドルから2005年には3億6,000万ドルにまで増加している。選手の平均年俸も年々増加し、2001年に初めて200万ドルを超え、2006年の平均年俸は269万9,292ドルとなっている。また、2008年の全30チームの年俸合計額は28億7,935万7,538ドルで過去最高を更新している[ 92] [ 93] 。さらに8年後の2016年には年俸合計額が40億ドルを突破し、平均年俸も過去最高の447万ドルを記録するなどこちらも年々増加し続けている。
MLBにおこる問題とその対処
薬物問題
近年、メジャーリーグベースボールではバリー・ボンズ やマーク・マグワイア の本塁打量産、ホセ・カンセコ の暴露本 『禁断の肉体改造 』出版による薬物使用の告白、かつて活躍した選手の急死などでドーピング 疑惑が注目されている。以前から薬物使用に甘いと言われてきたが、近年は毎年抜き打ち検査が実施されている。2005年からは薬物検査に関する規定を導入し、その内容は違反1回目で10日間、2回目で30日間、3回目で60日間、4回目で1年間の出場停止、5回目でコミッショナーが裁定を下すというものであった。しかし、導入当初は罰金を支払えば試合に出ることができるという逃げ道も設けていたことを、合衆国下院 の政府改革委員会から追及された。さらに、これでも未だに他のスポーツに比べて制裁が甘いという批判があり、2006年から違反1回目で50試合、2回目で100試合の出場停止処分、3回目で永久追放という更に厳しい新規定を導入した。だが、この永久追放に関しても救済措置が設けられている。
2007年12月13日にMLBの薬物使用実態調査「ミッチェル報告書 」が公表され、現役、引退問わず89名の選手の名前が記載されている。バリー・ボンズ、ロジャー・クレメンス 、アンディ・ペティット 、ミゲル・テハダ 、エリック・ガニエ など大物現役選手や、アレックス・カブレラ 、ジェフ・ウィリアムス ら日本のプロ野球に在籍経験のある選手も含まれている。
ストライキ
1972年 以来、労働契約 が満了するたびに、選手のストライキ が5度、所有者のロックアウト が3度発生している。いずれも収益に関する問題だった。1981年 には50日間に及ぶストライキ の影響により、前後期のスプリットシーズン制 で開催されている。1994年から1995年にかけてのストライキ はサラリーキャップ 制度の導入に反発したもので期間も232日と過去最長に及び、1994年のワールドシリーズ も中止になった。またこの他に2002年 にもストライキの計画があったが、寸前で交渉が妥結した。2013年 時点では1994年から1995年にかけてのストライキを最後にストライキは一度も行われていない。
戦力均衡策
2014年(2015年1月)までコミッショナーを務めていたバド・セリグ は、かつて収益や観客動員の少ないミルウォーキー・ブルワーズ のオーナーを長年務め、チームの経営難に苦慮した経験を持っていたため、コミッショナーに就任して以来戦力均衡策の導入に積極的だった。インターリーグ(交流戦)、プレーオフでのワイルドカード、年俸総額が一定の額を超えたチームに課徴金(Luxury Tax、ぜいたく税)を課す課徴金制度などを導入した。また、サラリーキャップ制や収益の完全分配などを導入することも検討されている。1965年に導入されていた完全ウェーバー制ドラフトなどもあり、2001年以降ワールドシリーズの優勝チームが毎年入れ替わっている。ただし、所属選手の年俸総額を比較すれば各チームの戦力差に大きな開きが明らかであり、制度を充実させても、補強に積極的なチームとそうでないチームがあるとされている。
収益分配制度
MLBの収益分配制度は2つある。1つ目はBase Planと呼ばれるもので、各チームの純収入(総収入から球場経費 を除いた額)に20 %課税し、各チームから集められた課税金の4分の3が全チームに均等に分配され、4分の1が全チームの平均収入を下回るチームに下回る額に比例して按分分配するという内容(スプリット・プール方式)である。前述した1994年のストライキを受けて1996年に導入され、その後、2002年8月に締結された労使協定で、税率が34 %で課税額の全てを全チームに均等分配する内容(ストレート・プール方式)に改められた。2つ目はCentral Fund Componentと呼ばれるもので、収入の高いチームに課税して、一定の規則のもと収入の低いチームに再分配するという内容(スプリット・プール方式)[ 94] 。
この制度の目的は、収入の低いチームにより多くの分配金を分配することで収支を改善し、戦力均衡を促すことにあった。ところが、チームがポストシーズンに進出できなくなると球団側は有力選手を放出し、チーム全体の年俸総額を下げて多額の分配金を受け取ることを画策するようになり、結果的に戦力の均衡は達成できなかった。
そのため、2002年8月に締結された労使協定において、球団側が選手に支払う年俸総額が一定額を超えた場合、超過分に課徴金を課す「課徴金制度」(Luxury Tax、ぜいたく税)が導入された。4年間に一定額を超えた回数に応じて税率を引き上げていく内容となっており、2003年は40人枠の年俸総額が1億1,700万ドルを超えたチームは超過額の17.5 %を課税された。以降、2004年は1億2,050万ドルで1回目22.5 %・2回目30 %、2005年は1億2,800万ドルで1回目22.5 %・2回目30 %・3回目40 %、2006年は1億3,650万ドルで1回目0 %・2回目40 %・3回目40 %・4回目40 %課税されることとなっており、年俸の高騰を抑制し戦力の均衡を図った(ポスティングシステムによる入札金に、課徴金制度は適用されない)。その結果、2001年以降ワールドシリーズ の優勝チームが毎年入れ替わるなど、一定の成果を上げている。
また、2006年10月24日に締結された新労使協定では、Base Planにおける税率が34 %から31 %に変更され、またCentral Fund Componentでは、Base Planで再分配される全額の41.066 %分の額が、Base Planで支払う側のチームから受け取る側のチームにBase Planとは別に再分配されるよう変更された。支払う側のチームの負担額は、各チームの収入が全チームの平均収入の超過分に応じて、Base Planの41.066 %分の額が按分徴収され、その徴収額は受け取る側のチームにスプリット・プール方式で再分配される。それと同時に、チームの収入の定義を「過去3年間の平均値(変動制)」から「2005 - 2006年の実績値と2007 - 2008年の売上げ予測の平均値(固定制)」に変更された。
チーム収入の定義が変動制から固定制に変更されたことにより、各チームの収入増減が分配額に影響しないようになった。この結果、全チームの限界税率は31 %で統一され、安易な有力選手の放出が抑制されるため戦力が均衡しやすくなっている。
課徴金制度の年俸総額の一定額や、選手の最低年俸は、労使協定によりある程度のスパンをもって決められる[ 95] [ 96] 。
なお、日本のメディアにおいて「ぜいたく税制度によって徴収された課徴金は年俸総額の低いチームに配分される」と報道されることがあるが、これは上述のCentral Fund Componentと混同した誤りであり、課徴金は収益分配の対象ではない。
徴収されたぜいたく税は、最初の250万ドルが内部留保 され、それを超えた額については、75 %が選手の福利厚生 財源として、残りの25 %が“業界成長基金”(IGF:Industry Growth Fund)の財源として用いられることになる。IGFは1996年の労使協定において、アメリカやカナダをはじめとする全世界で野球を普及させる目的で設置されたものである[ 97] [ 98] [ 99] 。
2018年までに贅沢税を課された球団とその金額[ 95]
チーム
年
総税額
ヤンキース
2003年 - 2017年
$319.6 MM
ドジャース
2013年 - 2017年
$149.7 MM
レッドソックス
2004年 - 2007年、2010年 - 2011年、2015年 – 2016年、2018年
$34.5 MM
タイガース
2008年、2016年 - 2017年
$9.0 MM
ジャイアンツ
2015年 - 2017年
$8.8 MM
カブス
2016年
$2.96 MM
ナショナルズ
2017年 - 2018年
$2.65 MM
エンゼルス
2004年
$927,059
テレビ放映権
配当が契約に含まれているチームと放映権料[ 100]
チーム
契約
エンゼルス
総額25億ドル
2013年 - 2028年、持ち株比率25%
レンジャーズ
総額30億ドル(1億ドルの契約ボーナス込み)
2015年 - 2034年、持ち株比率10%
アストロズ
総額32億ドル
2013年 - 2032年、持ち株比率45%
パドレス
総額14億ドル
2012年 - 2031年、持ち株比率20%
ニューヨーク・ヤンキース 戦のテレビ 野球中継 のブース。YESネットワーク 、マイケル・ケイ (英語版 ) 、ケン・シングルトン 、ポール・オニール
MLBのテレビ 放映権 は、全国放送に限りMLB機構が管轄し、ローカル放送は各チームがFOXスポーツネット (FSN)に代表されるRegional Sports Network(RSN、ローカルスポーツ専門チャンネル)や地元放送局などと直接契約を結んでいる。
ただし、WGN や2007年9月までのTBS [ 注 11] のようなスーパーステーション (地上波ローカル局とサイマル放送 を行っている全米向けケーブルテレビ 向け放送局)と契約しているチーム(WGNはシカゴ・カブス とシカゴ・ホワイトソックス 、TBSはアトランタ・ブレーブス )の試合は結果的に全米で視聴可能となるため、放送局はチームに支払う放映権料とは別に機構に対していわゆる「スーパーステーション税」を支払う必要がある。
チームの本拠地が大都市であれば収入が大きくなり、小都市だと収入が少なくなるため、レギュラーシーズン・ポストシーズン全試合の放映権を管轄しているNFL とは違い、チームによって放映権料収入は大きく異なる。1984年、ボストン・レッドソックス がNew England Sports Network(NESN) を設立したのを皮切りに、ニューヨーク・ヤンキース (Yankees Entertainment and Sports Network(YES) )、ニューヨーク・メッツ (SportsNet New York(SNY) )など、チーム自らがローカルチャンネルを設立する例もある。これは別会社に入るお金までは課税されないためであり、その別会社がチームに支払う放映権料を低く抑えれば、リーグからの課税額も少なくなるだけにそのメリットは大きい。
なお、このように番組がスポーツ専用チャンネルに特化している米国では、その契約からも、テレビ中継は試合の途中で終わることはない。
また、アメリカでは元々商法行為に対する規制が厳しく、機構側の一括管理による独占・寡占契約はなされてこなかった。しかし、1961年 の法律制定により解禁され、NFL がCBS と独占契約を結んだ(1960年に発足したAFL(アメリカン・フットボール・リーグ 、1970年にNFLと合併)がABC と5年間の長期契約を結び、NFLを脅かす存在になったことが一因)ことを皮切りに、アメリカのプロスポーツ界では機構側が放映権を一括して複数年にわたる大型契約を結ぶようになった。その機構側が契約した放映権料はコミッショナー事務局のプール分を除いた額が30球団で均等に分配される。
現行の放映権契約
FOXとTBSの2006年の放映権契約内容
FOX
レギュラーシーズン土曜日午後の試合
オールスターゲーム
奇数年のアメリカンリーグチャンピオンシップシリーズ
偶数年のナショナルリーグチャンピオンシップシリーズ
ワールドシリーズ
TBS
レギュラーシーズン日曜日午後の試合[ 注 12]
ディビジョンシリーズ全試合
奇数年のナショナルリーグチャンピオンシップシリーズ
偶数年のアメリカンリーグチャンピオンシップシリーズ
地区優勝やワイルドカードゲーム (2021年まで)
従来、全国放送はESPN (レギュラーシーズン。2005年 までの6年間8億5,100万ドル)とFOX (ポストシーズンなど。2006年 までの6年間25億ドル)の2社が契約していた。
ESPN とは2005年9月、2006年から8年間23億6,800万ドルの新契約にこぎつけたものの、FOXはMLBの視聴率低下によって広告収入が放映権料を下回ったとして値下げを主張、交渉は難航していた。ESPNは主にレギュラーシーズンの平日および日曜夜の試合を中継する。
2006年7月11日、FOXおよびTBSとの間に契約が成立した。放映権料は2007年 からの7年間で2社合計で約30億ドル(FOX18億ドル・TBS5億ドルという報道もある[ 101] 。両社の契約内容は右記のとおり。
なお、2006年3月13日に、ヨーロッパのテレビ局「North American Sports Network 」(NASN、2007年にESPNの傘下入り)が、2006年から5年間MLBの試合を放映する契約を結んだ。オープン戦からワールドシリーズまでの年間275試合が、イギリス 、アイルランド 、ドイツ 、スイス 、オランダ などのヨーロッパ7ヶ国で放送される。
日本での放送
日本向け放映権は電通が2004年 から6年間2億7500万ドルで契約。テレビ放送では、日本放送協会 (NHK)・TBSテレビ (TBS)・フジテレビジョン で放送している。2008年まではスカパーJSAT (スカパー! 、スカパー!e2 )、モバHO! でも放送していた。
NHK・TBS・フジテレビは日本人選手が出場する予定の試合やオールスターゲーム・ポストシーズンを中心に生中継など行っている。当初は地上波では上記3局で月ごとのローテーションを決めていたが、その後週単位のローテーションに変更された。大抵系列BSでの中継であり、特にNHK BSでの中継本数が多く、BSデジタル放送受信世帯数を押し上げる要因のひとつにもなっている。注目カードは地上波で中継される場合もある。2006年のワールドシリーズはフジテレビでダイジェストとして放送された。また、メジャーリーグ開幕戦を日本の東京ドーム にて開催する場合は日本テレビ が中継を担当している(年度によってはフジテレビで中継する場合もある)[ 102] 。
スカパー!ではスカチャン (旧パーフェクト・チョイス )にて500試合から600試合の生中継に加えて再放送を行っていた。スカパー!e2では、スカチャン(旧スカチャン!)にて毎日1・2試合程度生中継を行っていた。2006-2007年はJ sports Plus (現J SPORTS 4)でも中継を行っていた(2007年は月曜夜に1試合録画中継)。
2007年4月、モバイル放送 (モバHO!)がモバイル放送権を獲得、同年5月より「チャンネルONE」(映像協力・スカパー!)で原則毎日1試合放送していた。また、同年7月より2008年9月まで「モバイル.n」(映像協力・NHK)で月2試合程度放送していた。
2009年、電通は2015年までの契約延長に合意した。新しい契約では、NHK、TBS、フジテレビに加えて、テレビ朝日 、テレビ東京 、J SPORTS でも放送されることになった[ 103] 。一方で民放キー局 のうち、日本テレビだけは放映権料の高騰を理由として、2009年から放映権を獲得しておらず、試合映像の配信も2022年シーズンまで受けていなかった[ 注 13] [ 104] [ 105] [ 106] 。前述のMLB公式戦を日本で行う場合は例外として、MLBとの間で個別に放映権を購入した上で生中継を行っている[ 102] 。
J SPORTSについては、CS放送の独占放映権に加えて、BS放送(2011年10月よりJ SPORTS 1・2を放送開始、2012年3月よりJ SPORTS 3・4を放送開始)の放映権(非独占)も獲得、同年6月より放送を開始している。
ラジオ放送では、ニッポン放送 が1996年頃より独占放送権を持ち、「メジャーリーグ中継 」を通常番組を休止して中継したり、通常番組内で日本人選手登板部分のみの中継を行っている。
インターネット配信
2002年より配信開始。2012年現在ではMLB.TVプレミアム(1,2MBまたは800k)とMLB.TV(400k)に分かれる。契約には月額、年額があり、契約すると全試合見られる。自動更新されるため解約には事前申請が必要。最初はPCのみだったが最近はAndroid端末、iPhone・iPad等iOS端末やPS3、XBOXの家庭用ゲーム機に対応している。
MLB.TVにも放送権がついており、TV放送と同じで一部の地域ではNFL等他のスポーツ中継と同様にブラックアウトされることがある。
2010年8月30日よりYouTubeにて録画での試合映像などの配信が開始された[ 107] 。
2023年シーズンはカナダ 、ドイツ 、イタリア 、スイス 、オーストリア にて配信されている。2016年から2019年までは日本でも配信されていた[ 108] 。
2018年シーズンより週1試合を独占配信することを発表している[ 109] 。
2019年シーズンから一部試合のライブ配信を開始。2022年シーズンは計15試合を182か国で無料独占配信した[ 110] 。
LIVE SPORTS MEDIAが開始した配信サイト。2020年よりDAZNに代わり日本向け配信を独占的に開始[ 108] 。2021年より韓国向けも独占配信。2023年シーズンはエンゼルス戦全試合を含む1日最大8試合を配信。
2021年7月1日よりSPOZONE(当時)とのパートナーシップによりレギュラーシーズンの中継を開始[ 111] 。
2022年シーズンから毎週金曜日の2試合を「Friday Night Baseball」とのタイトルで配信。アメリカや日本など、世界8か国にて配信[ 112] [ 113] 。
2022年シーズンに1日最大2試合、合計324試合を配信していた[ 114] 。
脚注
注釈
出典
^ “MLB 2024 TOPPS BIG LEAGUE BASEBALL HOBBY【製品情報】 ”. www.tradingcardjournal.com . Trading Card Journal (2024年3月6日). 2024年5月7日時点のオリジナル よりアーカイブ。2024年5月7日 閲覧。
^ History: Legend of the Cincinnati Red Stockings . 1869 Cincinnati Red Stockings Vintage Base Ball Team (2007). Retrieved October 15, 2010.
^ "National Association of Professional Base Ball Players" . britannica.com . 2008年9月10日閲覧 。
^ Rader, Benjamin (2008). Baseball: A History of America's Game . University of Illinois Press. p. 29. ISBN 0-252-07550-1 . https://books.google.com/?id=6jplRWwEmVIC&pg=PA27&lpg=PA27&dq=nabbp+baseball#v=onepage
^ Spatz, Lyle (2012). Historical Dictionary of Baseball . Scarecrow Press. p. 236. ISBN 0-8108-7954-9 . https://books.google.com/?id=ViiCha8LoBgC&pg=PA236&dq=cubs+braves+napbbp#v=onepage
^ 日本雑学研究会『大雑学6ザ・メジャーリーグ』毎日新聞社 、2005年、27 - 28頁頁。ISBN 4-620-72096-8 。
^ Noble, Marty (23 September 2011). "MLB carries on strong, 200,000 games later: Look what they started on a ballfield in Philadelphia in 187 6" . MLB.com. 2011年9月30日閲覧 。[B]aseball is about to celebrate its 200,000th game — [in the division series on] Saturday [October 1, 2011] ...
^ Events of Saturday, April 22, 1876 . Retrosheet. Retrieved September 30, 2011.
^ "Minor League Baseball History" . MiLB.com. 2008年9月10日閲覧 。
^ 日本雑学研究会、31頁
^ "1903 National Agreement" . Society for American Baseball Research. 2008年9月10日閲覧 。
^ "American Association (19th Century)" . Baseball-Reference.com. 2013年10月14日閲覧 。
^ "1884 Union Association" . Baseball-Reference.com. 2017年1月25日閲覧 。
^ "1890 Players' League" . Baseball-Reference.com. 2013年10月14日閲覧 。
^ "1914 Federal League" . Baseball-Reference.com. 2013年10月14日閲覧 。
^ "1915 Federal League" . Baseball-Reference.com. 2013年10月14日閲覧 。
^ "ニグロリーグの成績をMLB公式記録に認定 約3400人が新たにメジャーリーガーに" . FullCount . 17 December 2020. 2021年1月1日閲覧 。
^ "ニグロリーグがメジャーリーグ公式記録に認定 様々な問題も" . MLB.jp . 17 December 2020. 2021年1月1日閲覧 。
^ Mike Petriello (18 December 2020). "How Negro Leaguers may alter leaderboards" . MLB.com . 2021年8月1日閲覧 。
^ McNeil, William (2006). The Evolution of Pitching in Major League Baseball . McFarland. p. 60. ISBN 0-7864-2468-0 . https://books.google.com/?id=6ODvYhwnhn0C&pg=PA60&dq=deadball+era+yarn#v=onepage
^ Keating, Peter. “The game that Ruth built” . Boston.com. オリジナル の2011年9月18日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20110918184533/http://www.boston.com/news/globe/ideas/articles/2006/05/07/the_game_that_ruth_built/ November 24, 2013 閲覧。
^ Daniel Okrent, Harris Lewine, David Nemec (2000) "The Ultimate Baseball Book", Houghton Mifflin Books, ISBN 0-618-05668-8 , p. 33 .
^ Burt Solomon (2000) "Where They Ain't: The Fabled Life And Untimely Death Of The Original Baltimore Orioles", Simon and Schuster, ISBN 0-684-85917-3 Excerpt .
^ Lieb, Fred (1955). The Baltimore Orioles: The History of a Colorful Team in Baltimore and St. Louis . SIU Press. p. 46. ISBN 0-8093-8972-X . https://books.google.com/?id=BahcUaZZebYC&pg=PA46&dq=%22baltimore+chop%22#v=onepage
^ Foul strike rule . Baseball-Reference.com.
^ 藤澤文洋 『メジャーリーグ・スーパースター名鑑』研究社 、2003年、216 - 218頁頁。ISBN 4-327-37689-2 。
^ “History Files – Chicago Black Sox: The Fix ”. Chicago History Museum. 2013年10月29日時点のオリジナル よりアーカイブ。2013年10月26日 閲覧。
^ “History Files – Chicago Black Sox ”. Chicago History Museum. 2014年8月15日時点のオリジナル よりアーカイブ。2013年10月26日 閲覧。
^ McNeil, William (1997). The King of Swat: An Analysis of Baseball's Home Run Hitters from the Major, Minor, Negro, and Japanese Leagues . McFarland. p. 32. ISBN 0-7864-0362-4 . https://books.google.com/?id=inW5x6SDgkYC&pg=PA32&lpg=PA32&dq=babe+ruth+ned+williamson#v=onepage
^ “Progressive Leaders & Records for Home Runs ” (英語). Baseball-Reference.com . 2009年4月10日 閲覧。
^ “Indians uncover lost Chapman plaque ”. ESPN.com. October 31, 2013 閲覧。
^ “New York Yankees: Team History and Encyclopedia ”. Baseball-Reference.com. October 31, 2013 閲覧。
^ 日本雑学研究会、35頁
^ Belson, Ken (January 6, 2009). “Apples for a Nickel, and Plenty of Empty Seats” . The New York Times . http://www.nytimes.com/2009/01/07/sports/baseball/07depression.html?pagewanted=all&_r=0 October 31, 2013 閲覧。
^ Anton, Todd and Bill Nowlin (eds.) (2008). When Baseball Went to War . Triumph Books. pp. 7–9. ISBN 1-60078-126-8 . https://books.google.com/?id=pYovAQAAQBAJ&printsec=frontcover&dq=baseball+world+war+II#v=onepage
^ a b Martin, Alfred (2008). The Negro Leagues in New Jersey: A History . McFarland. pp. 104–105. ISBN 0-7864-5192-0 . https://books.google.com/?id=FV0uF_RwC00C&pg=PA104&dq=negro+leagues+world+war+II#v=onepage
^ Roosevelt, Franklin. "Green Light Letter". January 15, 1942.
^ Weintraub, Robert. “Three Reichs, You're Out ”. Slate.com. November 24, 2013 閲覧。
^ 出野哲也、スラッガー 「メジャーリーグ100の基礎知識」『スラッガー 』2003年5月号、日本スポーツ企画出版社 、2003年、雑誌15509-5、88頁。
^ “The Jackie Robinson Foundation ”. Jackie Robinson Foundation. 2013年6月28日時点のオリジナル よりアーカイブ。2013年7月4日 閲覧。
^ . “Leo Durocher ”. Society for American Baseball Research. July 4, 2013 閲覧。
^ Newman, Mark (April 13, 2007). “1947: A time for change ”. MLB.com. September 12, 2009 閲覧。
^ Rookie of the Year Awards & Rolaids Relief Award Winners . Baseball-Reference.com. Retrieved November 24, 2013.
^ Doby was AL's first African-American player . ESPN Classic. June 26, 2003. Retrieved November 24, 2013.
^ Finkelman, Paul (ed.) (2008). Encyclopedia of African American History, 1896 to the Present: From the Age of Segregation to the Twenty-First Century, Volume 1 . Oxford University Press. p. 145. ISBN 0-19-516779-1 . https://books.google.com/?id=6gbQHxb_P0QC&pg=PA145&dq=dodgers+black+players#v=onepage
^ “Are Women the Next Demographic to Integrate into Major League Baseball? ”. September 13, 2011 閲覧。
^ “Veterans elect five into Hall of Fame: Two managers, three executives comprise Class of 2008 ”. National Baseball Hall of Fame and Museum (2007年12月3日). 2007年12月4日時点のオリジナル よりアーカイブ。2008年1月19日 閲覧。
^ a b Murphy, Robert (2009). After many a summer: the passing of the Giants and Dodgers and a golden age in New York baseball . New York: Sterling. ISBN 978-1-4027-6068-6
^ “Walter O'Malley” . Time . (April 28, 1958). http://www.time.com/time/covers/0,16641,19580428,00.html April 28, 2008 閲覧。
^ a b 出野哲也 「歴史が動いた日-1958年4月15日 ドジャースとジャイアンツ西海岸移転後初の公第戦」『スラッガー 』2007年5月号、日本スポーツ企画出版社 、2007年、雑誌15509-5、90 - 92頁。
^ “Worldwide Timetable ” (PDF). American Airlines (2007年11月1日). 2007年3月12日時点のオリジナル よりアーカイブ。2007年11月24日 閲覧。
^ “Identifying Locations ”. colostate.edu. 2008年2月8日時点のオリジナル よりアーカイブ。2007年11月24日 閲覧。
^ “Walter in Wonderland” . Time . (April 28, 1958). http://www.time.com/time/magazine/article/0,9171,868429,00.html April 28, 2008 閲覧。
^ “Scoreboard” . Time (Time, Inc.). (May 20, 1957). http://www.time.com/time/magazine/article/0,9171,809519,00.html April 30, 2008 閲覧。
^ “Plans involving Angels and A's never seriously considered ”. ESPN.com . November 24, 2013 閲覧。
^ 大リーグ球団拡張 コミッショナーがラスベガスなど6都市をリストアップ スポーツニッポン、2018年7月21日閲覧
^ "1968 – The Year of the Pitcher " Sports Illustrated , August 4, 1998. アーカイブ 2013年5月21日 - ウェイバックマシン
^ “Year by Year Leaders for Batting Average ”. baseball-almanac.com. September 8, 2008 閲覧。
^ Bailey, Mary (2000年). “When Denny McLain stood baseball on its ear ”. The Detroit News . 2009年1月13日時点のオリジナル よりアーカイブ。2008年9月8日 閲覧。
^ “Bob Gibson Statistics ”. baseball-reference.com. September 8, 2008 閲覧。
^ “American League Pitching Encyclopedia ”. baseball-reference.com. 2017年2月3日 閲覧。
^ “National League Pitching Encyclopediaistics ”. baseball-reference.com. 2017年2月3日 閲覧。
^ “American League Batting Encyclopedia ”. baseball-reference.com. 2017年2月3日 閲覧。
^ William Leggett (March 24, 1969). “From Mountain To Molehill” . Sports Illustrated . オリジナル の2012年8月26日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20120826001422/http://vault.sportsillustrated.cnn.com/vault/article/magazine/MAG1082211/index.htm March 9, 2009 閲覧。
^ Merron, Jeff (2003年). “Blomberg first permanent pinch-hitter ”. ESPN.com . September 8, 2008 閲覧。
^ “Timeline: Artificial turf in Major League Baseball” . Bleacher Report . (September 24, 2009). オリジナル の2013年10月24日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20131024070428/http://bleacherreport.com/articles/260764-timeline-artificial-turf-in-major-league-baseball October 13, 2013 閲覧。
^ Jeff Passan (2006年). “Searching for baseball's Bigfoot ”. Yahoo! Sports. September 6, 2008 閲覧。
^ Mazzoni, Wayne (1995年). “What makes Greg Maddux so good and can we teach it?” . findarticles.com. http://findarticles.com/p/articles/mi_m0FIH/is_n5_v65/ai_n18606862 September 9, 2008 閲覧。 [リンク切れ ]
^ Kalk, Josh (2007年). “Anatomy of a player: Tom Glavine ”. hardballtimes.com. September 9, 2008 閲覧。
^ Curry, Jack (March 3, 2008). “Santana's Changeup: Hitters Never See It Coming” . The New York Times . http://www.nytimes.com/2008/03/03/sports/baseball/03santana.html?_r=1&ex=1205211600&en=32bc22a3d855ca04&ei=5070&emc=eta1&oref=slogin September 9, 2008 閲覧。
^ Shaikin, Bill (January 6, 2005). “Anaheim Sues the Angels” . Los Angeles Times . http://articles.latimes.com/2005/jan/06/sports/sp-angels6 June 28, 2013 閲覧。
^ MLB誤審89%減へ 来季ビデオ判定拡大
^ メジャーリーグ大改革ビデオ判定を大幅拡大
^ 大リーグ、10億円かけビデオ判定センター始動へ Archived 2014年8月22日, at the Wayback Machine .
^ 「世界的にはマイナースポーツ」「アメリカでの人気は低下」...某女性タレントの発言から考える野球の“真の世界的人気”<SLUGGER>(1/3ページ) THE DIGEST 2023.09.08 (2023年10月6日閲覧)
^ “MLB歴代優勝チーム一覧・通算優勝回数リスト - スポーティングニュース ”. www.sportingnews.com (2024年10月31日). 2024年10月31日 閲覧。
^ Mark Newman (2012年9月12日). “MLB releases 2013 schedule with new wrinkles ” (英語). MLB.com. 2016年9月27日 閲覧。
^ 年度により、期限日は数日程度異なる。
^ “今季から変わったプレーオフの出場資格 ”. BASEBALLKING(株式会社フロムワン) (2015年10月5日). 2016年10月7日 閲覧。
^ TIMES編集部, ABEMA (2021年10月15日). “飛行機内は「1人が3席分」「60インチのテレビでゲームする」川崎宗則氏が明かすメジャーリーガーの移動事情 | 野球 | ABEMA TIMES | アベマタイムズ ”. ABEMA TIMES . 2024年1月12日 閲覧。
^ “メジャーと日本との違いはチャーター機移動にあり [メジャーリーグ All About]”. All About(オールアバウト) . 2024年1月12日 閲覧。
^ 松井通信 2003/11/04 今シーズンの移動距離、地球1・8周 【ゴジラが見た大リーグ・1】 Archived 2009年9月23日, at the Wayback Machine . 北國新聞
^ 大リーグで登板 「投手・イチロー」の舞台裏 スポーツライター 丹羽政善、日本経済新聞サイト、2015年10月26日
^ “プレーオフまでに間を空けない「MLB方式」を採用すべき!? | BASEBALL KING ”. BASEBALL KING (2016年10月11日). 2024年1月12日 閲覧。
^ ワールドシリーズ未制覇は5球団に、マリナーズは唯一の進出なし -MLB -日刊スポーツ 2023年11月2日
^ 出野哲也 、スラッガー 「メジャーリーグ100の基礎知識」『スラッガー 』2003年5月号、日本スポーツ企画出版社 、2003年、雑誌15509-5、87頁。
^ 契約時に16歳以上で、且つ9月1日時点または契約1年目シーズン終了時に17歳以上となり、且つ過去1年以内に高校に入学していない選手が対象
^ “International Amateur Free Agency & Bonus Pool Money ” (英語). MLB.com. 2024年1月17日 閲覧。
^ ただし、各国アマチュア連盟やプロリーグなどでの移籍制限規定があればそれを尊重する。菊地慶剛 (2017年11月18日). “大谷翔平がマイナー契約しか結べなくなった背景” (日本語). Yahoo! Japan 個人. https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/d0502c28047c2712907b733d1a031a77af98b389 2019年11月8日 閲覧。 / “過去2年で“使いすぎ”カブスら契約金たった30万ドル” (日本語). スポニチアネックス . (2016年12月9日). https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2016/12/09/kiji/K20161209013872820.html 2017年11月3日 閲覧。
^ 出野哲也 、スラッガー 「メジャーリーグ100の基礎知識」『スラッガー 』2003年5月号、日本スポーツ企画出版社 、2003年、雑誌15509-5、70頁。
^ The World’s 50 Most Valuable Sports Teams 2022 Forbes com. 2022年9月24日閲覧。
^ ヤンキースが年俸トップ 08年球団別年俸総額 (共同) - 産経ニュース 2008.12.24 11:01 Archived 2009年1月25日, at the Wayback Machine . 2009年5月23日閲覧。
^ 08年球団別年俸総額はヤンキースがトップ (共同) - Sponichi Annex 2008年12月24日 10:44 Archived 2009年9月24日, at the Wayback Machine . 2009年5月23日閲覧。
^ “MLB’s Evolving Luxury Tax | FanGraphs Baseball ”. 2019年1月4日 閲覧。
^ a b “Baseball Competitive Balance "Luxury" Tax ”. www.stevetheump.com . 2019年1月4日 閲覧。
^ “2017-2021 Basic Agreement ”. MLBPlayers.com (December 1, 2016). 2018年1月1日 閲覧。
^ https://tomoyasuzuki.jugem.jp/?eid=18
^ https://tomoyasuzuki.jugem.jp/?eid=22
^ https://tomoyasuzuki.jugem.jp/?eid=284
^ a b https://www.nikkei.com/article/DGXZZO51289480S3A200C1000000/?df=2
^ http://www.tv-asahi.net/html/a_media/439.html#4 Archived 2007年9月29日, at the Wayback Machine .
^ a b “イチローを、見ないのか ~MLB、今年は日本で開幕! イチロー7年ぶり日本凱旋!!~ ”. 日本テレビ (2019年1月31日). 2022年8月13日 閲覧。
^ Major League Baseball International renews four broadcast agreements and signs one new television deal
^ “日テレ、メジャーリーガー切り捨て…映像配信受けず ”. 夕刊フジ (2009年4月7日). 2009年4月10日時点のオリジナル よりアーカイブ。2022年8月13日 閲覧。
^ “各社「大谷翔平」で特需も… 「日テレ」が動画を放送できない事情 ”. 週刊新潮 (2018年6月6日). 2022年8月13日 閲覧。
^ “日テレ「DayDay.」好スタート 武田真一アナにタイミングよく強力な“援軍” ”. 週刊新潮 . p. 1 (2023年4月5日). 2023年4月6日 閲覧。
^ 読売新聞 - YouTube、メジャーリーグ全試合の配信開始 [リンク切れ ]
^ a b “2020年シーズン 「SPOZONE」でのライブ配信が決定 ”. MLB.jp (2020年7月1日). 2021年5月14日 閲覧。
^ “Facebook、メジャーリーグ25試合の独占配信権を獲得” . CNET Japan . (2018年3月12日). https://japan.cnet.com/article/35115968/ 2021年5月16日 閲覧。
^ “YouTube、大リーグの15試合を無料配信へ ”. CNET Japan (2022年4月15日). 2022年4月15日 閲覧。
^ 『「ABEMA」、7月1日(木)午前8時より メジャーリーグベースボールのレギュラーシーズン公式試合、166試合を完全生中継 』(プレスリリース)ABEMA、2021年6月29日。https://www.cyberagent.co.jp/news/detail/id=26395 。2021年7月22日 閲覧 。
^ “Apple TV+でメジャーリーグ観戦が可能に 週に1度のダブルヘッダー「Friday Night Baseball」、日本でも ”. ITmedia NEWS (2022年3月9日). 2022年3月9日 閲覧。
^ “米大リーグがまた放映収入 今季から毎週金曜にアップルTVで試合配信 ”. スポーツ報知 (2022年3月9日). 2022年3月9日 閲覧。
^ “2022年のMLB配信決定!1日最大2試合、324試合をライブ&見逃し配信 ”. Hulu News & Information (2022年3月25日). 2022年3月25日 閲覧。
関連項目
クラッカー・ジャック
外部リンク
1870 - 80 - 90 - 1900 - 10 - 20 - 30 - 40 - 50 - 60 - 70 - 80 - 90 - 2000 - 10 - 20 -
カテゴリ