上から時計回りに、ボストン の金融街 夜のスカイライン、コネチカット州 ニューヘイブン にあるイェール大学 の建物、メイン州 のケープネディック 、バーモント州 のマンスフィールドヒル からの眺め、マサチューセッツ州 ケープコッド の漁師 たち。
ニューイングランド (New England )は、アメリカ合衆国北東部 の6州(北から南へメイン州 、ニューハンプシャー州 、バーモント州 、マサチューセッツ州 、ロードアイランド州 、コネチカット州 )を合わせた地方である。ボストン はこの地方における最大の都市であり、中心的存在である。漢字 表記は新英蘭 。
歴史
詳細は「 History of New England 」を参照
*以下の記述で「州」とは、1776年 のアメリカ独立宣言 以降の名称であることに注意。便宜上、現在の名称で記している。
アメリカ合衆国で最も古い地域
ニューイングランドのルーツは、アメリカ合衆国建国の母体となったイギリスの13植民地 の中で北部を占めていたニューイングランド植民地群 (英語版 ) である。ニューイングランド植民地の中で初めて植民に成功したのはプリマス植民地 (1620年設立)である。また、13植民地の南部植民地群 (英語版 ) の中で初めて植民に成功したのはバージニア植民地 (1607年設立)である。中部植民地群 (英語版 ) (もともとはオランダの植民地ニューネーデルランド )の中で最初に植民に成功したのはニューアムステルダム (現ニューヨーク市 、1624-25年設立)である。ニューネーデルランドは1664-74年にイギリスに割譲され、ニューヨーク植民地 およびニュージャージー植民地 となった。
13植民地の中でも特に古い、バージニアとニューイングランドはアメリカ合衆国の中で最も歴史の古い地域と言える。とは言え、イギリス系植民者による都市建設以前に、スペイン系植民者はアメリカ大陸植民で1世紀先行していた。メキシコ 以南のアメリカ大陸に領土を広げていたニュースペイン は、現在はアメリカ合衆国となっている地域にも領土を拡大するようになった。その初期に建設された都市フロリダ州 セントオーガスティン (1565年設立)はアメリカ合衆国の中でひときわ古い歴史を持つ。(また、スペイン人入植者はまずはカリブ海 の島々を拠点とし、次にメキシコに進出したため、これらの地域にはさらに古いヨーロッパ系の都市が存在する。ドミニカ共和国 のサントドミンゴ がヨーロッパ人によるアメリカ大陸で永続する最古の植民都市で、1498年設立である。)もちろん、それ以前にはネイティブアメリカン による集落が各地に存在していた。例えば、アメリカ合衆国の領土内でも大規模なネイティブアメリカンの都市は、カホキア (600年頃設立)、アコマ・プエブロ (1100年頃設立)、タオス・プエブロ (1000年頃設立)などがあった。しかし、これらの都市はアメリカ合衆国と言う国家設立の母体となったわけではなく、後にアメリカ領土として併合された。
なお、これらの定住が永続した初期の植民地が建設される以前からも、探検隊による遠征や、漁船などによるキャンプ、永続しなかった交易所や砦、失敗した植民地などが存在したことにも注意が必要である。イギリス系のこれらの例については「イギリスによるアメリカ大陸の植民地化#北アメリカのイギリス植民地リスト 」を参照のこと。
初期の入植
フランス人の入植者によって、1604年 にメイン州のセント・クロイ島 に入植が試みられたが、1605年 にはカナダ のポート・ロワイアル (英語版 ) へ移住している。ポート・ロワイアルはニューフランス で最初に植民に成功した都市となった(続いてケベック が2番目の都市となる)。
イギリス人によるニューイングランドへの植民は、1606年 4月10日にイングランド王 ジェームズ1世 の勅許 を受けたバージニア会社 に端を発する。バージニア会社は、イングランドのロンドン に拠点を置くロンドン会社とプリマス に拠点を置くプリマス会社からなり、ロンドン会社は東海岸の南部、プリマス会社は北部の開拓を与えられた。1607年 、ロンドン会社によりイギリスで初めての恒久的植民地がバージニア州 のジェームズタウン に建設され、その数ヶ月後にはプリマス会社によってメイン州 にポパム植民地 が建設された。ポパム植民地は一年で放棄された。ジェームズタウン建設の指導者であったロンドン会社のジョン・スミス は、1614年 にメイン州からマサチューセッツ州 の湾岸を探検し、このエリアをニューイングランドと名付けた。この時の記録はA Description of New England として1616年 に出版された。これ以降、イギリス でこの地域への入植者が募集された。1620年 11月3日、プリマス会社は勅許によってニューイングランドのプリマス評議会 (英語版 ) となり、ニューイングランドがこの地域の正式名称となった。同年11月21日、後にピルグリム・ファーザーズ と呼ばれるイギリスの清教徒 たちが乗ったメイフラワー号 がマサチューセッツ州プロビンスタウン に到達した。その後、プリマス に上陸し、プリマス植民地 を建設した。
植民地時代
プリマス植民地を端緒に、イギリス のピューリタン がマサチューセッツへ移住を始め、各植民地を設立していった。
1629年 にはボストン を中心とするマサチューセッツ湾植民地 が設立された。1636年 にはロードアイランド植民地 とコネチカット植民地 が設立された。1637年 には、ニューヘイブン植民地 が設立され、1662年 にコネチカット植民地に統合された。また1637年に、北のニューフランス 、南のニューネーデルラント に対抗するため「ニューイングランド連合 」が結成されたが、1680年代 初頭に解消された。1686年 には、オランダ領であったニューヨーク植民地 、ウエストジャージー植民地 およびイーストジャージー植民地 を含むニューイングランド王領 が形成されたが、1689年 に解消された。1691年 にはニューハンプシャー植民地 がマサチューセッツ湾から独立し、設立された。同時に、マサチューセッツ湾植民地は、プリマス植民地およびメイン植民地 (英語版 ) などを併せて、マサチューセッツ湾直轄植民地 となった。
都市の発達
ヨーロッパで宗教的に迫害されたグループによって創設されたという背景から、ジェームズタウン などの東海岸南部の植民地はヨーロッパの投資家のための経済的利益を動機に建設されたのに対し、プリマス などの東海岸北部では宗教的自由や理想を動機に建設されたという違いが、ニューイングランドの文化を特徴付けている。
マサチューセッツ湾植民地は大量の入植者を受け入れ、その中心であるボストン は直ちにイギリス系の北アメリカ植民地で最大の都市となった[ 1] 。17世紀のアメリカの植民地では農業が中心の経済であったため都市はあまり発達せず[ 注 1] 、1700年の時点ではボストンが唯一6000人以上の人口を抱える都市であった[ 2] [ 3] [ 4] 。(1740-50年頃になってフィラデルフィア が、1760年頃にはニューヨーク がボストンの人口を上回るようになった。これらアメリカ植民地時代の三大都市はいずれも良港を持ち、交易が発達していた。)
13植民地時代、バージニア植民地の人口が最大であったが(1720年頃、マサチューセッツ植民地が人口を上回った時期が少しの間あったものの)、南部植民地では大規模プランテーション が一般的で、これら北部の都市のような人口の多い都市はあまり育たなかった。
アメリカ最古の大学であるハーバード大学 の前身ニューカレッジは、1636年にマサチューセッツ州ケンブリッジ に設立された。(ジェームズタウン近郊にある全米で二番目に古いウィリアム・アンド・メアリー大学 の前身ともされるヘンライコポリス・カレッジは1618年 設立の勅許を受けたが、ウィリアム・アンド・メアリー大学の設立は1693年 である。)
1775年 にはレキシントン・コンコードの戦い がマサチューセッツ州コンコード にて勃発し、アメリカ独立戦争 の発祥地となっている。(そして、ジェームズタウン近郊で起こったヨークタウンの戦い が独立戦争を終結させることとなった。)
アメリカ合衆国独立以降
19世紀 にはニューイングランドの商人や漁師や捕鯨船が有名になった。
インディアンに対する大虐殺
もともとはワンパノアグ族 やポウハタン族 、ナラガンセット族 、イロコイ族 など、多様なインディアン 部族 が領土としていた地域であり、イギリスのピューリタン入植と同時に民族浄化 の対象にされた [要出典 ] 。
マサチューセッツ湾植民地 やコネチカット植民地 の入植白人 たちは、この地のインディアンたちを「狼と同種のけだもの」とみなし、植民地を挙げて絶滅政策を採った[要出典 ] 。女子供に至る大量虐殺 を受けたインディアンたちは同盟を組んで1675年に、白人が「フィリップ王戦争 」と呼ぶ北米植民地戦争 を起こした。この戦いは白人入植者側の圧勝に終わり、4000人を超えるインディアンが虐殺され、酋長 や戦士が残虐に処刑された。
ほとんどの部族が絶滅寸前に追い込まれ、また他州へ追い払われたのち18世紀に入っても、イロコイ族 は白人との戦いをやめなかった。植民地軍司令官だったジョージ・ワシントン は、ニューイングランドのインディアン部族、特にイロコイ族の徹底絶滅を指示し、彼らの集落を根こそぎ破壊する焦土作戦 を指揮した。ワシントンは大統領に就任した後も、「この地のインディアンを根絶やしにするように」と閣僚に命じてインディアン戦争 を続行させた。
現在、侵略者による虐殺を生き延びたインディアンたちは、インディアン権利団体「ニューイングランド・アメリカインディアン連合 」を結成し、合衆国政府に対して様々な権利要求を行っている。
地理
州
ニューイングランドには次の6州が含まれる。
主要都市
太字 は各州の州都 を示す。
コネチカット州
ニューハンプシャー州
バーモント州
マサチューセッツ州
メイン州
ロードアイランド州
文化
関連項目:Notable New Englanders
アメリカの代表的なスープ、クラムチャウダー はニューイングランドで始まった。ニューイングランド料理は魚介類 を中心とする献立が多い。都会を離れると山と森が多い地域で、たくさんの人が紅葉狩りのために旅行する。
関連項目
脚注
注釈
^ アメリカの都市人口は全人口の10%以下であった。
出典
^ Population in the Colonial and Continental Periods From its foundation in 1630, Boston was the most populous town in American colonies. Population in the colonial and continental periods
^ Historical Metropolitan Populations of the United States
^ The Coffee-House: A Cultural History 著者: Markman Ellis In 1670 Boston was the largest city in British North America and, with more than 7,000 residents
^ Colonial America To 1763 著者: Thomas L. Purvis From 1630 to 1710, approximately one of every twelve colonists usually lived in cities, even though no urban community except Boston ever had more than 6,000 residents during that time.
^ “New England's Dark Day” . The Weather Doctor Almanac . (2004). http://www.islandnet.com/~see/weather/almanac/arc2004/alm04may.htm
^ “An Account of a Very Uncommon Darkness, in the State of New England, May 19, 1780”. The Analytical Review, Or History of Literature, Domestic and Foreign, on an Enlarged Plan . p. 519 [要文献特定詳細情報 ]
外部リンク