1948年の野球(1948ねんのやきゅう)では、1948年の野球界における動向をまとめる。
競技結果
日本プロ野球
ペナントレース
1948年のペナントレースは8球団による20試合ずつの総当たり制の140試合で行われた。
個人タイトル
ベストナイン
社会人野球
東京六大学野球
旧制高校野球
新制高校野球
メジャーリーグ
できごと
- 日本プロ野球においてフランチャイズ制が暫定導入される。
1月
2月
4月
5月
- 5月1日 - 巨人の中尾碩志が対阪急戦で日本プロ野球通算100勝、史上5人目[2]。
- 5月16日 -巨人の川上哲治が対金星スターズ戦(仙台)の1回に2ラン本塁打と3ラン本塁打を放ち、日本プロ野球新記録の1イニング5打点[3]。1イニング2本塁打は日本プロ野球初[4]。
- 5月28日 - 巨人の川崎徳次が対中日ドラゴンズ戦で、日本プロ野球通算1000投球回、史上26人目[2]。
- 5月28日 - 阪急の天保義夫が対南海戦で日本プロ野球通算1000投球回、史上27人目[2]。
- 5月29日 - 巨人の川崎徳次が対中日戦で、9回裏無死一塁の場面で登板、中日の杉山悟への初球を逆転サヨナラ2ラン本塁打されサヨナラ負け。日本プロ野球史上初の1球による敗戦を記録、スコアは13対12。
6月
7月
- 7月5日 - 中日の山本尚敏が対阪急戦の8回に代走で登場した際と、その後打者一巡で打席が回り、安打を放ち出塁した際にそれぞれ二盗を記録、1イニング2度の二盗は日本プロ野球史上初。この試合で阪急の森弘太郎が日本プロ野球通算1500投球回、史上7人目[2]。
- 7月10日 - 巨人は対太陽戦で6月27日の対急映戦から球団新記録の9試合連続2桁安打[2]。
- 7月19日 - 急映の白木義一郎が対巨人戦で日本プロ野球通算1000投球回、史上28人目[2]。
8月
9月
10月
- 10月2日 - 大阪の藤村富美男が対金星戦(甲子園)において、日本プロ野球史上初のサイクル安打を達成[8]。
- 10月15日 - 太陽の真田重蔵が対巨人戦で日本プロ野球通算1500投球回、史上9人目[2]。
- 10月16日 - 巨人がこの日の対太陽戦(大須)で球団記録(2012年現在)の1試合27安打と、最多得点の26点、14日からの同カード3連戦の合計で56安打で連続3試合安打の最多球団記録(2012年現在)。7本塁打は当時の球団新記録。試合は26対5で巨人が勝利[2]。
- 10月19日 - 巨人の中尾碩志が対金星戦で日本プロ野球通算1000奪三振、史上3人目[2]。
11月
12月
- 12月2日 - 中日球場が開場。
- 12月21日 - 急映フライヤーズから大映が分離し、大映は金星スターズと合併し、名称は「大映スターズ」に。急映フライヤーズは名称を前年までの東急フライヤーズに戻す[1]。
誕生
1月
2月
3月
4月
5月
6月
7月
8月
9月
10月
11月
死去
脚注
- ^ a b c d e f 中日ドラゴンズ 編『中日ドラゴンズ70年史』中日新聞社、2006年、47頁。ISBN 4806205141。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t 各種記録達成者一覧[リンク切れ] セ・リーグ公式サイト
- ^ 川上はこの年10月6日の対大陽ロビンス戦でも1イニング5打点を記録。
- ^ 宇佐美徹也『日本プロ野球記録大鑑』講談社、1993年、410頁。ISBN 4062061082。
- ^ この時投げた若林が1940年8月11日に、対西日本戦で森弘太郎と157球試合を行っているが、公式記録においては戦前の記録は除外されているため。
- ^ 『ベースボールマガジン』、ベースボール・マガジン社、2011年11月、63 - 64頁。
- ^ “無安打無得点試合 (ノーヒットノーラン)”. 日本野球機構公式サイト. 2015年11月25日閲覧。
- ^ 達成当時は記録として認識されていなかった(詳細はサイクル安打参照)。
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