大塚アスレチックス(おおつかアスレチックス)は、1947年から国民野球連盟に参入した日本のプロ野球球団。1948年には金星スターズ(現・千葉ロッテマリーンズの前身の一つ)を買収し、統合した。
球団の歴史
1947年、国民野球連盟の発足に伴って大塚製作所所有の軟式野球チーム「大塚アンブレラ」をプロ化するとともに、選手を招きいれ、国民リーグに加盟、興行を行った。監督には元巨人、阪急(現・オリックス)監督の三宅大輔が監督として迎えられた。練習は千葉県松戸市にあった大塚製作所の工場敷地内にて行われ、選手寮は葛飾区金町にあった同社の従業員寮内に作られた。翌年、リーグは解散したが、他の国民リーグ所属チームから職を失った選手を引き入れた上で当時未加盟プロだった大映野球と共に1948年1月17日から10日間、九州を中心に巡業を行った。帰京後、大塚幸之助は日本野球連盟会長の鈴木龍二(後のセ・リーグ会長)とベースボール・マガジン社社長の池田恒雄(2002年没)の仲介で金星スターズのオーナー橋本三郎と会談を行い、その結果2月26日に250万円で金星スターズを買い取った。大塚はそのまま金星スターズと大塚アスレチックスを合併させ、新生金星スターズを作った。ただし、この新生金星スターズに合流した国民リーグ出身の選手は8名のみである。
チーム成績・記録
- 1947年夏季リーグ 17勝13敗 勝率.567 2位/4チーム
- 1947年秋季リーグ 15勝6敗 勝率.714 1位/4チーム
- 1948年1月九州巡業 詳細不明
母体
- 大塚製作所……洋傘部品製造。大塚幸之助が経営していた。
- 大塚幸之助……オーナー。軍需産業を転換した大塚製作所を経営。プロ野球に関わったことで国税当局から叩かれ、税務調査を受ける羽目になった。これによって、大塚製作所の経営は打撃を受けたと言われる。大映野球に合併後も同球団に関わり、永田雅一の個人的スタッフとして、永田の関与した大毎(東京)オリオンズ(現・千葉ロッテマリーンズ)、東京球場、ペプシコーラ日本代理店、ならびに東京スポーツ新聞に関係した。最晩年は東スポ監査役であった。
所属選手・監督
関連項目
- 国民野球連盟
- その他
外部リンク