1975年の野球(1975ねんのやきゅう)では、1975年の野球界における動向をまとめる。
競技結果
日本プロ野球
ペナントレース
セリーグ
パリーグ
*優勝はプレーオフで決定。2位以下はプレーオフの結果に関係なく勝率順で決定
パシフィック・リーグプレーオフ
1975年 パシフィック・リーグプレーオフ
日付 |
試合 |
ビジター球団(先攻) |
スコア |
ホーム球団(後攻) |
開催球場
|
10月15日(水) |
第1戦 |
近鉄バファローズ |
11 - 7 |
阪急ブレーブス |
阪急西宮球場
|
10月16日(木) |
第2戦 |
近鉄バファローズ |
4 - 5 |
阪急ブレーブス
|
10月17日(金) |
移動日
|
10月18日(土) |
第3戦 |
雨天中止 |
藤井寺球場
|
10月19日(日) |
阪急ブレーブス |
3 - 0 |
近鉄バファローズ
|
10月20日(月) |
第4戦 |
阪急ブレーブス |
5 - 3 |
近鉄バファローズ
|
年間優勝:阪急ブレーブス
|
日本シリーズ
1975年 日本シリーズ
日付 |
試合 |
ビジター球団(先攻) |
スコア |
ホーム球団(後攻) |
開催球場
|
10月25日(土) |
第1戦 |
広島東洋カープ |
3 - 3 |
阪急ブレーブス |
阪急西宮球場
|
10月26日(日) |
第2戦 |
広島東洋カープ |
1 - 5 |
阪急ブレーブス
|
10月27日(月) |
移動日
|
10月28日(火) |
第3戦 |
阪急ブレーブス |
7 - 4 |
広島東洋カープ |
広島市民球場
|
10月29日(水) |
第4戦 |
雨天中止
|
10月30日(木) |
阪急ブレーブス |
4 - 4 |
広島東洋カープ
|
10月31日(金) |
第5戦 |
阪急ブレーブス |
2 - 1 |
広島東洋カープ
|
11月1日(土) |
移動日
|
11月2日(日) |
第6戦 |
広島東洋カープ |
3 - 7 |
阪急ブレーブス |
阪急西宮球場
|
優勝:阪急ブレーブス(初優勝)
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個人タイトル
ベストナイン
オールスターゲーム
高校野球
大学野球
社会人野球
メジャーリーグ
できごと
1月
- 1月20日 - パ・リーグは東京・銀座の連盟事務所にて理事会を開き、今季から実施する指名打者制度についてメジャー・リーグで指名打者制を採用しているアメリカン・リーグの方式を採用すると決定[1]。
- 1月27日 - ニューヨーク・クーパーズタウンにあるアメリカ野球殿堂館にて、元巨人で現ロッテ監督の金田正一のプロ通算400勝目を達成した試合のウイニング・ボールとグラブのアメリカ野球殿堂入りの認証式が行われる[2]。
3月
4月
5月
6月
7月
- 7月6日 - 阪神のジョージ・アルトマンが甲子園球場での対中日ダブルヘッダー第2試合の15回戦の4回裏に7号本塁打を放ち、通算200本塁打を達成。外国人選手としてプロ野球史上初めての記録[52]。
- 7月8日 - パ・リーグの後期が開幕[53]。
- 7月11日 - 巨人の王貞治が後楽園球場での対阪神9回戦の8回裏に16号本塁打を放ち、プロ野球史上初の通算650本塁打を達成[54]。
- 7月13日 - ロッテの山崎裕之が宮城球場での対太平洋後期1回戦で2回表に安打を放ち、プロ通算1000安打を達成[55]。
- 7月17日 - 太平洋の土井正博が平和台球場での対近鉄後期三回戦に9回裏にサヨナラ18号2点本塁打を放ってプロ入り通算1001点とし、プロ野球史上10人目の1000打点を達成[56]。
- 7月26日 - 中日球場の中日対広島18回戦において1回裏に球場の照明灯の1基が故障したため審判団は試合を中断。修理の見込みがないため1時間20分経過した20時5分、審判団と両チームの監督が協議してノーゲームとなる[57]。
- 7月30日 - 岡山球場で阪神対中日17回戦が行われ阪神が中日に3-2で勝ち、公式戦2500勝を達成[58]。
- 7月31日 - 阪急の加藤秀司が対太平洋後期3回戦の8回裏に18号3点本塁打を放ち、プロ通算100本塁打を達成[59]。
8月
- 8月1日 - ロッテの成田文男が川崎球場での対阪急後期8回戦で完投勝ちして9勝目を挙げ、プロ通算150勝を達成[60]。
- 8月3日 - 第46回都市対抗野球大会の決勝戦が後楽園球場で15時より行われ、電電関東の千葉市が大昭和製紙北海道の白老町を3-0で下し、2度目の優勝[61]。
- 8月5日
- 巨人の王貞治が川崎球場での対大洋14回戦の4回表に20号本塁打を放ち、プロ野球史上初の通算1500得点を達成[62]。
- ロッテの鈴木皖武が宮城球場での対南海後期4回戦の2回表に2番手で救援登板し、プロ通算500試合登板を達成。史上32人目[63]。
- 8月8日
- 広島の外木場義郎が西京極球場での対阪神16回戦の5回表に遠井吾郎から三振を奪い、プロ通算1500奪三振を達成[64]。
- 大洋のジョン・シピンが中日球場での対中日14回戦の8回表に20号本塁打を放ち、プロ通算100本塁打を達成[65]。
- 8月14日 - 阪神の安仁屋宗八が後楽園球場での対巨人16回戦の6回裏途中からリリーフ登板して10勝目を挙げ、プロ通算100勝を達成[66]。
- 8月16日 - 巨人の王貞治が後楽園球場での対大洋18回戦の7回裏に適時打を放ち、野村克也に次いでプロ野球史上2人目の通算4500塁打を達成[67]。
- 8月17日 - 近鉄の鈴木啓示が日生球場での対阪急後期3回戦に登板しプロ通算2000奪三振を達成[68]。
- 8月20日 - 阪神の米田哲也が広島球場での対広島20回戦に先発登板して5回まで投げ、金田正一に次いでプロ野球史上2人目の通算5000投球回を達成[69]。
- 8月21日 - 大洋の松原誠が宮城球場での対ヤクルト18回戦に先発出場し、プロ通算1500試合出場を達成[70]。
- 8月24日 - 第57回全国高等学校野球選手権大会の決勝戦が阪神甲子園球場で行われ、千葉県代表の習志野が愛媛県代表の新居浜商を5-4で破り1967年(第49回)以来8年ぶり2回目の優勝[71]
- 8月27日
- 阪急の高井保弘が宮城球場での対ロッテダブルヘッダー第2試合の後期11回戦の1回表に指名打者の森本潔の代打で出場して6号本塁打を放ち、これで通算の代打本塁打が19となり、ジェリー・リンチの持つメジャーリーグ記録の代打本塁打18を上回る[72]。
- 太平洋の江藤慎一が平和台球場での対日本ハム後期11回戦に出場し、プロ通算2000試合出場を達成[73]。
- 8月28日 - 日本ハムの東田正義が平和台球場での対太平洋後期12回戦の6回表に6号本塁打を放ち、プロ通算100本塁打を達成[74]。
- 8月31日 - 阪急の足立光宏が山形県営球場での対近鉄後期7回戦に先発し、プロ通算600試合登板を達成[75]。
9月
- 9月2日 - 中日球場で行われた中日対広島21回戦で、5回表に中日の星野仙一が広島の外木場義郎から三振を奪い、セ・リーグ通算10万個目の奪三振となる[76]。
- 9月3日 - 阪神の池田祥浩が対ヤクルト21回に8番・左翼で先発出場し、プロ通算1000試合出場を達成[77]。
- 9月4日 - 巨人の土井正三が後楽園球場での対大洋22回戦の9回表に安打を放ち、プロ通算1000安打を達成[78]。
- 9月6日
- 太平洋の監督兼選手の江藤慎一が藤井寺球場での対近鉄後期7回戦の九回表に二塁打を放ち、プロ通算2000安打を達成[79]。
- 近鉄の小川亨が藤井寺球場での対太平洋7回戦に先発出場し、第1打席から第4打席まで無三振で連続180打席無三振となり、吉田義男が1964年に記録した179打席無三振の記録を破るプロ野球新記録を達成。第5打席で三振を喫したため、記録は180でストップ[80]。
- 9月10日 - 広島市民球場での広島対中日25回戦の九回裏、二死二塁の場面で、広島の山本浩二が中前に安打を打ち二塁走者の三村敏之が本塁へ突入するが、中堅からの返球を受けた中日の捕手の新宅洋志が三村の顔面をタッチしてアウトとなり試合終了。このプレーを巡って両軍がベンチから飛び出して乱闘に発展し、また興奮したファンが多数グランドへ降りてきて中日選手に襲い掛かるなど騒乱状態となる。さらに球場を出たファンが中日ナインの移動バスを取り囲む騒ぎが起きる[81]。
- 9月11日 - 広島の球団代表の重松良典が広島市民球場にて記者会見し、この日試合予定だった広島球場での広島対中日26回戦を中止にすると発表。前日にファンがなだれ込み騒乱状態となったことを受けて、広島はセ・リーグに対し「警備に自信がないでのこのカードを10月に回すことを認めてほしい」との要望を出して認められたため[82]。
- 9月13日 - 日本ハムの張本勲が後楽園球場での対ロッテ後期11回戦の6回裏に安打を放ってシーズン100本目の安打となり、17年連続100安打を達成、長島茂雄のプロ野球記録と並ぶ[83]。
- 9月14日 - 広島のリッチー・シェーンがユダヤ教信者懺悔の日という宗教的理由でこの日の広島市民球場での対巨人24回戦を欠場[84]。巨人は3-4で敗れ、球団ワースト新記録の9連敗となる[85]。
- 9月15日 - 南海の野村克也が西宮球場での対阪急後期13回戦の7回表に二塁打を放ち、プロ通算1000本長打を達成[86]。
- 9月18日 - 巨人は後楽園球場での対ヤクルト26回戦に5-4でサヨナラ勝ちし、連敗を11で止める[87]。
- 9月21日 - 西宮球場にて阪急対近鉄のダブルヘッダー第10、11回戦が行われ、第2試合で近鉄が阪急に3-0と勝利し、後期優勝を達成[88]。
10月
- 10月4日 - 近鉄の西本幸雄監督が日生球場での対日本ハムダブルヘッダー第1試合の後期11回戦に勝利し、監督として通算1000勝を達成。史上7人目[89]。また、近鉄の清俊彦が第2試合の同12回戦に4番手で救援登板し、シーズン3勝目を挙げ、プロ通算100勝を達成。史上66人目[90]。
- 10月10日
- 大洋対中日26回戦が川崎球場で行われ大洋が中日に12-8で勝利し、巨人の球団創設以来初の最下位が決定[91][92]。
- パ・リーグのシーズン公式戦全日程が終了[93]。
- 10月11日 - ヤクルトの大杉勝男が広島球場での対広島25回戦の7回表に13号本塁打を放ち、プロ通算300本塁打を達成[94]。
- 10月12日 - 太平洋のオーナーの中村長芳が福岡市の博多都ホテルにて16時より記者会見し、監督兼選手の江藤慎一の留任、球団社長兼球団代表の坂井保之の社長選任、専務の青木一三の球団代表就任を発表[95]。
- 10月15日 - 広島が後楽園球場での対巨人26回戦に4対0で勝利し、球団創設以来26年目で初のセ・リーグ優勝を達成[96][97]。
- 10月18日 - 日本ハムは六本木の球団事務所で中西太の監督解任を発表[98]。
- 10月20日 - パ・リーグのプレーオフの第4戦が藤井寺球場で行われ阪急が近鉄を5-3で下し、3年ぶりのパ・リーグ制覇[99]。
- 10月21日
- セ・リーグのシーズン公式戦全日程終了[100]。シーズン観客動員数が初めて900万人を突破し、1試合あたりの平均観客動員数が初めて2万人を越える[101]。
- 阪神の米田哲也が中日球場での対中日26回戦でシーズン10勝目(阪急で2勝、阪神で8勝)を挙げ、19年連続10勝を記録[102]。
- 10月23日 - 沢村賞選考委員会は12時から東京・丸の内の山水楼にて選考を行い、広島の外木場義郎を選出[103]。
- 10月27日 - 巨人は野球評論家の杉下茂が一軍投手コーチに就任したと発表[104]。
11月
12月
誕生
1月
2月
3月
4月
5月
6月
7月
8月
9月
10月
11月
12月
死去
出典
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野球の歴史 |
1870年代 | |
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1880年代 | |
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1890年代 | |
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1900年代 | |
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1910年代 | |
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1920年代 | |
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1990年代 | |
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2000年代 | |
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2020年代 | |
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