マルタ・アルゲリッチ(2015年)
マリア・マルタ・アルゲリッチ (Maria[ 1] Martha Argerich スペイン語発音: [ˈmaɾta aɾxeˈɾitʃ] , カタルーニャ語発音: [əɾʒəˈɾik] 、1941年 6月5日 - )は、アルゼンチン ・ブエノスアイレス 出身のピアニスト 。2021年現在、世界のクラシック音楽 界で高い評価を受けているピアニストの一人である[ 2] [ 3] [ 4] [ 5] [ 6] [ 7] 。
名前
Argerichの読み方については、「アルゲリッチ」が普通であるが、アルゲリッチの母国であるアルゼンチンがスペイン語 を公用語としていることから、その読み方で「アルヘリッチ」、「アルヘリチ」などとも表記される。また、日本ではドイツ語 読みで「アルゲリッヒ」「アルゲリヒ」と表記されていた時期もある。アルゲリッチ自身は来日時のインタビューで「どちらの呼び方が正しいのかよく聞かれるが、自分の先祖はスペインのカタルーニャ 地方出身で、カタルーニャ語 の読み方では『アルジェリック』になる。しかし、自分としては『アルゲリッチ』が気に入っているので、これに決めている」という主旨の発言をしている。映画『アルゲリッチ 私こそ、音楽![ 8] 』では、三女のステファニーが自らの苗字をアルゲリッシュと発音している。
アルゲリッチという苗字は珍しく、バルセロナ に一族がいると言われるほか、クロアチア のアルゲリチという村にルーツがあるとの説もある[ 9] 。
来歴
ブエノスアイレス の中産階級 家庭に生まれた[ 10] 。父フアン・マヌエル・アルゲリッチは経済学教授や会計士を務め[ 11] 、その祖先は18世紀 にカタルーニャ地方からアルゼンチンへ移住 している。母フアニータ(旧姓ヘラー)は、ベラルーシ からのユダヤ系 移民の2世であるが、ユダヤ教 からプロテスタント に改宗していた[ 12] 。
保育園 時代に同じ組の男の子から「どうせピアノは弾けないよね」と挑発された際、やすやすと弾きこなした[ 13] ことがきっかけで才能を見出され、2歳8ヶ月からピアノを弾き始める。5歳の時にアルゼンチンの名教師ヴィンチェンツォ・スカラムッツァ (en:Vincenzo Scaramuzza )にピアノを学び始める。
1949年 (8歳)、公開の場でベートーヴェン のピアノ協奏曲第1番ハ長調作品15 を演奏した。翌1950年(9歳)にはモーツァルト のピアノ協奏曲ニ短調K466 とバッハ のフランス組曲ト長調BWV816 を演奏した。
ブエノスアイレス知事のサベテという人物がマルタの熱烈なファンだったため[ 14] 、1954年 8月13日 、サベテの仲立ちにより大統領府でアルゲリッチ親子と会ったフアン・ペロン 大統領 は、マルタに留学希望の有無を尋ね、「フリードリヒ・グルダ に習いたい」との申し出に従って、アルゲリッチの父を外交官に、母を大使館職員にそれぞれ任命し[ 15] 、1955年 初頭から一家でウィーン に赴任させた[ 16] 。これに伴って家族とともにオーストリア に移住したアルゲリッチは、ウィーン とザルツブルク で2年間グルダ に師事した後[ 注釈 1] 、ジュネーヴ でマガロフ 、マドレーヌ・リパッティ (ディヌ・リパッティ 夫人)、イタリア でミケランジェリ 、ブリュッセル でアスケナーゼ に師事した。10代を過ごしたウィーン時代に、プエルトリコ 出身の「最高にハンサム な男の子」を相手に処女 を喪失 したと自ら発言している[ 17] 。
1957年 、ブゾーニ国際ピアノコンクール 優勝。またジュネーブ国際音楽コンクール の女性ピアニストの部門においても優勝し、第一線のピアニストとして認められるものの、更にその後も研鑽を続ける。1959年 には、ブルーノ・ザイドルフォーファー のマスタークラスを数回受講している。アルゲリッチは絶対音感 の持ち主ではなく、調性 を正しく認識していないこともあり、聴衆の一人から「ト長調 の前奏曲」の演奏を褒められても自分が弾いた曲のどれを褒められたのか判らず、考え込んだことがある[ 18] 。
1960年 、ドイツ・グラモフォン からデビューレコードをリリースする。22歳の時、中国系スイス人の作曲家で指揮者のロバート・チェン (陳亮声[ 19] )と最初の結婚 をするが、1964年 、長女リダの出産前に離婚 。
1965年 、ショパン国際ピアノコンクール で優勝し、最優秀マズルカ 演奏者に贈られるポーランド放送局賞 (マズルカ賞)も受賞した[ 注釈 2] 。
1969年 、1957年に出会った指揮者のシャルル・デュトワ と2度目の結婚、後にデュトワとの間に娘が出来る。
1970年1月、大阪万博 の年の幕開けに初来日。浜松市 などの諸都市でリサイタルを開く。当時は「アルゲリッヒ」と表記されていた。
1974年の2度目の来日の際に飛行機の中で夫婦喧嘩となり、アルゲリッチは日本 の地を踏まずUターン し、離婚。後に、ピアニストのスティーヴン・コヴァセヴィチ と3度目の結婚。
ソロやピアノ協奏曲 の演奏を数多くこなすが、1983年頃からソロ・リサイタルを行わないようになり、室内楽 に傾倒していく。ヴァイオリニストのギドン・クレーメル 、イヴリー・ギトリス 、ルッジェーロ・リッチ 、チェリストのロストロポーヴィチ 、マイスキー など世界第一級の弦楽奏者との演奏も歴史的価値を認められている。
1990年代後半からは、自身の名を冠した音楽祭やコンクールを開催し、若手の育成にも力を入れている。1998年から別府アルゲリッチ音楽祭 、1999年 からブエノスアイレスにてマルタ・アルゲリッチ国際ピアノコンクール 、2001年 からブエノスアイレス・マルタ・アルゲリッチ音楽祭 、2002年 からルガーノ にてマルタ・アルゲリッチ・プロジェクト を開催している。
受賞歴には、フランス 政府芸術文化勲章 オフィシェ(1996年)、ローマ・サンタ・チェチーリア協会員(1997年)、グラミー賞 (1999年、2004年、2005年)、ミュージカル・アメリカ誌・Musician of the Year(2001年)、第17回高松宮殿下記念世界文化賞 (音楽部門、2005年)、旭日小綬章 (若手音楽家の育成等に寄与したとして、2005年)、旭日中綬章 (2016年[ 20] )などがある。
演奏スタイル
デビュー時には、ライヴで極度にテンポが速いという報道をされた[ 21] [ 22] 。
レパートリー
レパートリーはバロック音楽 から古典派 、ロマン派 、印象派 、現代音楽 まで非常に幅広い。J.S.バッハ 、スカルラッティ 、ハイドン 、モーツァルト 、ベートーヴェン 、シューベルト 、シューマン 、ショパン 、リスト 、メンデルスゾーン 、ブラームス 、チャイコフスキー 、ドビュッシー 、ラヴェル [ 23] 、フランク 、サン=サーンス 、クライスラー 、バルトーク 、ラフマニノフ 、スクリャービン 、プロコフィエフ 、ストラヴィンスキー 、ショスタコーヴィチ 、ルトスワフスキ 、メシアン など。一方で、スティーヴン・コヴァセヴィチ 、ネルソン・フレイレ 、アレクサンドル・ラビノヴィチ 、近年ではアルゲリッチお気に入りの若手ピアニストたちとともにピアノ2重奏や連弾 による演奏会も行っている。母国アルゼンチンの作曲家では、ヒナステラ 、ピアソラ 、ロペス=ブチャルド 、グアスタビーノ 、ラーサラ 、ラミレス など。日本人 の作品では、1995年 に小澤征爾 のバースデイ・コンサートで、大江光 のチェロとピアノのための「お話-A Talk[ 24] 」をロストロポーヴィチ との共演で世界初演した。
ただし、マウリツィオ・ポリーニ ほかに見られるベートーヴェンのソナタ全集のような体系的な録音を果たす前に、ソロ活動から半分引退してしまった。このため、BOXセットが発売されても人気のためにすぐに売り切れてしまい[ 25] 、各種レーベルが権利を保持したままで全貌が掴みにくい[ 26] 。
人物
日本とのつながり
1970年 に初来日[ 33] し、以後、幾度も来日している。
大分県 別府市 とは特につながりが深く、1994年に別府ビーコンプラザ ・フィルハーモニアホール名誉音楽監督に就任し、1998年から開催されている別府アルゲリッチ音楽祭 の総監督を務め、2007年には同音楽祭の主催団体である財団法人アルゲリッチ芸術振興財団(Argerich Arts Foundation)の総裁に就任している[ 34] 。支援者が資金を拠出し、別府アルゲリッチ音楽祭の拠点となるコンサートホール「しいきアルゲリッチハウス 」が2015年に完成している[ 35] [ 36] 。
アルゲリッチは、1998年以降は毎年の別府アルゲリッチ音楽祭のために欠かさずに来日している。ただし2020年度は新型コロナウィルスの感染拡大 のため音楽祭開催、来日ともに2021年へ延期、2021年度の別府アルゲリッチ音楽祭も新型コロナウイルス感染拡大のため中止された[ 37] 。
2021年 5月、大分県はアルゲリッチの誕生日である6月5日を「マルタ・アルゲリッチの日[ 38] 」と制定した。
2022年 5月、大分県の芸術・文化振興への大きな功績に対し県民栄誉賞が授与された[ 39] 。
脚注
注釈
^ 当時グルダに恋をしていた、と自ら語っている[ 14] 。
^ 1965年 の第7回ショパン国際ピアノコンクール 出場時の映像の一部を観ることができるが、第1次予選での「英雄ポロネーズ 」作品53の映像は、客席側から撮影されているフィルム以外は、全てコンクール後に撮影された時のものが使われている。正面(および手のアップ)から撮影されたフィルムは音とアルゲリッチの動きと合致していない部分がほとんどであること、またコンクール時アルゲリッチが使用したピアノはスタインウェイ 社製であったにもかかわらず、ベヒシュタイン 社のピアノを弾いているということが挙げられる。スケルツォ第3番 の映像もコンクール後撮影された時のフィルムであり、第2次予選での実況録画・録音ではない。
^ 稀に語られることがあるが、ロストロポーヴィチとの間に子どもがいるというのは全くの誤りである。当然ロストロポーヴィチとは結婚もしていない。
^ リダ・チェンがピアニストのフー・ツォン との間に生まれた子どもだと言うのは間違いである。
出典
^ オリヴィエ・ベラミー『マルタ・アルゲリッチ 子供と魔法』p.11。
^ “The 20 Greatest Pianists of all time ” (英語). Classical Music . 2021年12月5日 閲覧。
^ “The 25 best piano players of all time ” (英語). Classic FM . 2021年12月5日 閲覧。
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^ “FRÉDÉRIC CHOPIN ”. www.deutschegrammophon.com . 2024年5月8日 閲覧。
^ “Martha Argerich, the one and only ”. /www.euronews.com . 2024年5月8日 閲覧。
^ “'Just extraordinary' - Martha Argerich and the Lucerne Festival Orchestra pay homage to Claudio Abbado ”. www.euronews.com . 2024年5月8日 閲覧。
^ “<TV>5/30(日) NHK BSプレミアム 映画『アルゲリッチ 私こそ、音楽!』 ”. www.universal-music.co.jp . Universal-Music (2021年5月8日). 2021年12月5日時点のオリジナル よりアーカイブ。2024年5月8日 閲覧。
^ 『マルタ・アルゲリッチ 子供と魔法』p.10。
^ 吉澤ヴィルヘルム 『ピアニストガイド』青弓社 、印刷所・製本所厚徳所、2006年2月10日、53ページ、ISBN 4-7872-7208-X
^ 『マルタ・アルゲリッチ 子供と魔法』p.12。
^ 『マルタ・アルゲリッチ 子供と魔法』p.15, 17。
^ 『マルタ・アルゲリッチ 子供と魔法』p.10-11。
^ a b 『マルタ・アルゲリッチ 子供と魔法』p.57。
^ 『マルタ・アルゲリッチ 子供と魔法』p.58。
^ "People" April 07, 1980 "A Top Woman Pianist, Martha Argerich, Nearly Gave Up Her Steinway for Steno" By Fred Hauptfuhrer, Mary Vespa
^ 『マルタ・アルゲリッチ 子供と魔法』p.66。
^ 『マルタ・アルゲリッチ 子供と魔法』p.102。
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^ 『マルタ・アルゲリッチ 子供と魔法』p.192。
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^ “1970年には現代最高のピアニストのひとり、マルタ・アルゲリッチの初めての日本公演を行った。 ”. www.kajimotomusic.com . KAJIMOTO. 2024年4月6日時点のオリジナル よりアーカイブ。2024年5月8日 閲覧。
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^ “しいきアルゲリッチハウス ”. 公益財団法人アルゲリッチ芸術振興財団. 2018年9月7日時点のオリジナル よりアーカイブ。2018年9月7日 閲覧。
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^ “「マルタ・アルゲリッチの日」の制定及びPR動画等の公開について ”. 大分県ホームページ . 2021年9月6日 閲覧。
^ “アルゲリッチさんに県民栄誉賞 ”. www.nishinippon.co.jp . 大分・日田玖珠版. 2024年5月8日 閲覧。
参考文献
オリヴィエ・ベラミー『マルタ・アルゲリッチ 子供と魔法』音楽之友社
吉澤ヴィルヘルム『ピアニストガイド』青弓社
外部リンク
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