1976年の近鉄バファローズでは、1976年の近鉄バファローズの動向をまとめる。
この年の近鉄バファローズは、西本幸雄監督の3年目のシーズンである。
概要
柳田豊・島本講平などの移籍組や鈴木啓示・神部年男などの既存戦力組の活躍でチームは前年後期優勝を果たし、この年もAクラス入りが予想されたが前年同様阪急の開幕ダッシュを許し、移籍組の柳田やこの年日本ハムから移籍の阪本敏三が活躍するものの前期は借金8の5位で終了。後期は借金を1にとどめ4位に浮上するが、優勝の阪急や2位の南海の背中は遠く、西本監督が就任した1974年以来2年ぶりのBクラスでシーズンを終えた(通算成績では57勝66敗7分の4位)。投手陣では前年後期優勝の原動力となった鈴木・神部・柳田をはじめ、太田幸司や井本隆などもそれなりの成績を収めチーム防御率3.04はリーグ3位と健闘。打撃陣でも不動の4番・クラレンス・ジョーンズや伊勢孝夫、羽田耕一なども奮闘し、ジョーンズは36本塁打で2度目の本塁打王となった。しかし前期の借金を返済できずBクラスに沈み、球団創設以来の初優勝はお預けとなった。
チーム成績
レギュラーシーズン
1976年パシフィック・リーグ順位変動
前期
順位
|
4月終了時
|
5月終了時
|
前期成績
|
1位
|
阪急 |
--
|
阪急 |
--
|
阪急 |
--
|
2位
|
ロッテ |
2.5
|
ロッテ |
2.0
|
南海 |
9.5
|
3位
|
南海
|
南海 |
4.0
|
ロッテ |
10.0
|
4位
|
日本ハム |
4.5
|
近鉄 |
8.0
|
日本ハム |
13.0
|
5位
|
太平洋 |
4.5
|
日本ハム |
8.0
|
近鉄 |
14.5
|
6位
|
近鉄 |
7.0
|
太平洋 |
11.0
|
太平洋 |
18.0
|
|
後期
順位
|
7月終了時
|
8月終了時
|
後期成績
|
1位
|
南海 |
--
|
南海 |
--
|
阪急 |
--
|
2位
|
ロッテ |
1.0
|
ロッテ |
1.5
|
南海 |
2.0
|
3位
|
日本ハム |
1.5
|
阪急 |
2.5
|
ロッテ |
3.5
|
4位
|
近鉄 |
4.0
|
近鉄 |
4.5
|
近鉄 |
7.0
|
5位
|
太平洋 |
4.0
|
日本ハム |
6.0
|
日本ハム |
11.5
|
6位
|
阪急 |
4.5
|
太平洋 |
6.5
|
太平洋 |
15.0
|
|
*阪急が前後期完全優勝したため、プレーオフは行わずそのまま年間優勝[1]
オールスターゲーム1976
できごと
選手・スタッフ
[2][3]
表彰選手
リーグ・リーダー
|
選手名 |
タイトル |
成績 |
回数
|
ジョーンズ
|
本塁打王 |
36本 |
2年ぶり2度目
|
ドラフト
脚注
注釈
出典
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1950年代 | |
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1960年代 | |
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1970年代 | |
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1980年代 | |
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1990年代 | |
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2000年代 | |
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