尾西 和夫基本情報 |
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国籍 |
日本 |
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出身地 |
大分県中津市 |
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生年月日 |
(1953-08-04) 1953年8月4日(71歳) |
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身長 体重 |
178 cm 75 kg |
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選手情報 |
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投球・打席 |
右投右打 |
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ポジション |
投手 |
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プロ入り |
1975年 ドラフト2位 |
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初出場 |
1976年5月9日 |
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最終出場 |
1976年8月14日 |
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経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) |
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尾西 和夫(おにし かずお、1953年8月4日 - )は、大分県[1]出身の元プロ野球選手(投手)。
来歴・人物
中津工業高校では、エース、三番打者として1971年夏の甲子園県予選を勝ち抜き中九州大会決勝に進出するが、鶴崎工の藤沢哲也にノーヒットノーランを喫し甲子園出場はならなかった。高校同期に春日祥之輔(捕手)がいる。
高校卒業後は、新日本製鐵堺へ入団。1973年のドラフト会議で読売ジャイアンツから5位指名されるが拒否し、会社に残留した[1]。
1975年、ドラフト会議で近鉄バファローズから2位指名され入団[1]。1年目の1976年に1軍で9試合に登板するが、1977年からは1軍での登板が無く、1981年限りで引退した[1]。
1982年から1989年まで近鉄で打撃投手を務めた。
高校時代から技巧派投手でならし、スリークォーターから、カーブを投げる。また、インコースに切れ込むシュートは抜群だった。
詳細情報
年度別投手成績
記録
- 初登板:1976年5月9日、対南海ホークス前期8回戦(日生球場)、9回表に3番手で救援登板・完了、1回無失点
- 初奪三振:同上、9回表に野村克也から
背番号
- 37 (1976年 - 1981年)
- 84 (1982年 - 1985年)
- 94 (1986年 - 1989年)
脚注
- ^ a b c d プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、132ページ
関連項目
外部リンク