1952年の近鉄パールスでは、1952年の近鉄パールスの動向をまとめる。
この年の近鉄パールスは、藤田省三監督の3年目のシーズンである。
概要
藤田監督就任3年目のチームはこの年こそ最下位脱出が期待されたが、開幕ダッシュに失敗すると球団ワーストの13連敗を喫するなどで最下位を独走。シーズン終了前、藤田監督に代わって親会社の近鉄本社が資本参加していた朝日放送の野球解説者だった芥田武夫を新監督に招聘。しかし同根球団の南海の2連覇を許したどころか、6位の東急に19.5ゲームも離されるぶっちぎりの最下位でシーズンを終えた。
チーム成績
レギュラーシーズン
1952年パシフィック・リーグ順位変動
順位
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4月終了時
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5月終了時
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6月終了時
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7月終了時
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予選終了時
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最終成績
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1位
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毎日 |
--
|
毎日 |
--
|
南海 |
--
|
南海 |
--
|
南海 |
--
|
南海 |
--
|
2位
|
大映 |
1.0
|
大映 |
3.0
|
大映 |
4.0
|
毎日 |
3.5
|
毎日 |
5.5
|
毎日 |
1.0
|
3位
|
南海 |
2.0
|
南海 |
4.0
|
毎日 |
4.5
|
西鉄 |
6.5
|
西鉄 |
9.0
|
西鉄 |
8.5
|
4位
|
東急 |
4.0
|
東急 |
6.5
|
西鉄 |
6.0
|
大映 |
8.0
|
大映 |
18.0
|
大映 |
21.0
|
5位
|
西鉄 |
5.0
|
阪急 |
8.5
|
阪急 |
9.0
|
阪急 |
8.5
|
阪急 |
21.0
|
予選敗退
|
6位
|
阪急 |
6.5
|
西鉄 |
9.5
|
東急 |
12.5
|
東急 |
13.0
|
東急 |
21.5
|
7位
|
近鉄 |
9.5
|
近鉄 |
17.5
|
近鉄 |
23.5
|
近鉄 |
27.5
|
近鉄 |
40.5
|
- 各108試合の予選リーグ後、上位4チームでの決勝リーグ(4試合ずつの総当り)を行い、最終順位を決定
*1-4位は予選リーグ(108試合)と決勝リーグ(12試合)の通算勝率、5位以下は予選リーグの勝率順で決定
[1]
オールスターゲーム1952
できごと
選手・スタッフ
[2]
表彰選手
脚注
出典
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1950年代 | |
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1960年代 | |
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1970年代 | |
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1980年代 | |
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1990年代 | |
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2000年代 | |
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