1952年の野球(1952ねんのやきゅう)では、1952年の野球界における動向をまとめる。
競技結果
日本プロ野球
ペナントレース
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*1-4位は予選リーグ(108試合)と決勝リーグ(12試合)の通算勝率、5位以下は予選リーグの勝率順で決定
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日本シリーズ
1952年 日本ワールドシリーズ
日付 |
試合 |
ビジター球団(先攻) |
スコア |
ホーム球団(後攻) |
開催球場
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10月11日(土) |
第1戦 |
南海ホークス |
3 - 6 |
読売ジャイアンツ |
後楽園球場
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10月12日(日) |
第2戦 |
南海ホークス |
0 - 11 |
読売ジャイアンツ
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10月13日(月) |
移動日
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10月14日(火) |
第3戦 |
読売ジャイアンツ |
0 - 4 |
南海ホークス |
大阪球場
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10月15日(水) |
第4戦 |
読売ジャイアンツ |
6 - 2 |
南海ホークス
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10月16日(木) |
第5戦 |
読売ジャイアンツ |
1 - 4 |
南海ホークス
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10月17日(金) |
移動日
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10月18日(土) |
第6戦 |
南海ホークス |
2 - 3 |
読売ジャイアンツ |
後楽園球場
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優勝:読売ジャイアンツ(2年連続2回目)
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個人タイトル
ベストナイン
オールスターゲーム
高校野球
大学野球
社会人野球
メジャーリーグ
できごと
- パ・リーグはこの年のみ、7チーム18回戦制によるリーグ戦を行い、終了時点での上位4球団による4回戦制のリーグ戦を行い、両方の成績を総合して順位を決めている。
1月
2月
3月
4月
5月
6月
- 6月3日 - 名古屋の山崎善平が門司市営老松球場での対大洋ダブルヘッダー第2試合の9回戦でプロ野球新記録となる1試合6盗塁を記録[17]。
- 6月4日 - 国鉄の杉浦清が対大阪戦でNPB史上8人目の通算100本塁打を達成[9]。
- 6月7日 - 巨人の別所毅彦が対大阪戦でNPB史上6人目の通算1000奪三振を達成[9]。
- 6月7日 - 南海ホークスは対東急戦でNPB史上初の毎回得点で、18対4で勝利する。
- 6月8日 - 広島の笠松実が対大洋戦でNPB史上17人目の通算1500投球回を達成[9]。
- 6月10日 - 南海ホークスが7日の対東急戦での20安打に続き、対近鉄パールス戦(大阪)で11安打を記録し、日本プロ野球史上3度目の2試合連続毎回安打を記録。試合は7対0で南海が勝利[19]。また初回に得点したことで、前試合から10イニング連続得点の日本プロ野球記録も更新。
- 6月11日 - 南海の柚木進が対近鉄戦でNPB史上43人目の通算1000投球回[9]。
- 6月15日 - 巨人の別所毅彦が大阪球場での対松竹ダブルヘッダー第2試合の11回戦に先発し、9回2死まで完全試合を継続していたが、、27人目の打者の神崎安隆に安打を打たれ、記録達成ならず。なお神埼はこれがプロで唯一の安打となった[20][21]。
- 6月18日 - 大洋の岩本義行が甲子園球場での対阪神11回戦で通算100本塁打を達成。プロ野球史上9人目[22]。
- 6月19日 - 阪神の金田正泰が対大洋12回戦で通算1000安打を達成。プロ野球史上10人目[23]。
- 6月19日 - 名古屋の服部受弘が対松竹戦(岐阜)でNPB史上12人目、球団初の通算100勝を達成[9]。
- 6月21日 - 松竹の小鶴誠が対大洋戦でNPB史上初の通算150本塁打を達成[9]。
- 6月22日 - 西鉄の川崎徳次が対毎日戦でNPB史上10人目の通算2000投球回を達成[9]。
- 6月24日 - 大洋の藤井勇が対名古屋戦でNPB史上10人目の通算1000試合出場を達成[9]。
- 6月28日 - 国鉄の金田正一が対松竹戦で自身2度目の毎回15奪三振を記録。
- 6月29日 - 大映が対毎日戦の1回に10回に日本プロ野球史上初の1試合2三重殺。試合は4対2で大映が勝利。
7月
- 7月16日 - 西鉄対毎日12回戦が午後4時45分から平和台球場で行われたが、西鉄が5-1とリードの3回裏途中で雨で約1時間試合が中断。再開後、午後7時半の4回裏、審判団は視界が悪くなったとして試合中止を決定。これに対し、毎日側が日没ノーゲームを狙って延滞行為を働いたとして怒った観客がグラウンドに飛び降りて審判団と毎日の選手を取り囲む騒動が起きる。騒動を鎮静化するため福岡市警の武装警察官が約30名出動し、さらに毎日監督湯浅禎夫がマイクを通じてファンに謝罪した[27]。
- 7月20日 - 毎日の本堂保弥が対南海戦でNPB史上11人目の通算1000試合出場を達成[9]。
- 7月21日 - 名古屋の杉下茂が対大洋戦でNPB史上44人目の通算1000投球回を達成[9]。
- 7月23日 - 南海の飯島滋弥が対毎日戦(伊東)で球団史上初の通算100本塁打を達成。
- 7月26日 - 巨人の大友工が大阪球場対松竹ロビンス12回戦に先発し、ノーヒットノーランを達成[29]。
- 7月27日 - 松竹の小鶴誠が大阪球場での対巨人ダブルヘッダー第2試合の14回戦でプロ通算1000安打を達成[30]。
- 7月28日 - 大映の飯島滋弥が対毎日戦でNPB史上10人目の通算100本塁打を達成[9]。
- 7月30日 - 南海の飯田徳治が対大映戦で通算100本塁打を達成。
- 7月31日 - 名古屋の西沢道夫が対大阪戦(甲子園)で通算1000試合出場を達成。
- 7月31日 - 名古屋の西沢道夫が対大阪戦でNPB史上12人目の通算1000試合出場を達成[9]。
8月
- 8月2日 - 毎日の土井垣武が対阪急戦でNPB史上12人目の通算1000安打を達成[9]。
- 8月3日 - 大阪の梶岡忠義が対大洋戦でNPB史上13人目の通算100勝を達成[9]。
- 8月8日 - 巨人は旭川球場での対広島11回戦に7対0で勝利し、日本プロ野球初の球団通算1000勝(518敗38分)を達成[31]。
- 8月15日 - 毎日の本堂保弥が対大映戦でNPB史上13人目の通算1000安打を達成[9]。
- 8月16日 - 毎日の河内卓司が対大映戦の6回に1イニング3盗塁(二盗、三盗、本盗)を記録。日本プロ野球史上10度目。
- 8月17日 - 巨人の別所毅彦が対大洋戦でNPB史上4人目の通算2500投球回を達成[9]。
- 8月17日 - 名古屋の杉山悟が甲子園球場での対阪神ダブルヘッダー第2試合の16回戦で19号本塁打を打ち、通算100本塁打を達成[33]。
- 8月20日 - 名古屋の野口明が対松竹戦(中日)でNPB史上14人目、球団初の通算1000安打を達成[9]。
- 8月31日 - 阪神の真田重蔵が対名古屋戦でNPB史上7人目の通算1000奪三振を達成[9]。
9月
10月
- 10月3日 - 巨人が後楽園球場での対国鉄戦20回戦に15対2で勝利して2年連続でセ・リーグ優勝達成[34]。
- 10月9日
- 南海対大映の23回戦が大阪球場で行われ、シーズン最終戦の南海が6対1で勝利して2年連続でパ・リーグ優勝[35]。
- セ・リーグは1952年度の表彰選手を発表。最優殊勲選手に巨人の別所毅彦、最優秀新人に国鉄の佐藤孝夫、沢村賞に中日の杉下茂がそれぞれ選出される[36]。
- 10月12日 - 大洋対松竹の23回戦が下関市営球場で行われ、大洋が3対0で勝利。敗れた松竹は残り3試合に全勝してもシーズン最終勝率が3割未満に終わり、リーグ戦終了後の「連盟会長による処罰対象」となることが確定する。
- 10月13日 - 大洋対松竹の26回戦が下関市営球場で行われ、松竹が8対1で勝利。松竹は全日程を終了し、結果的にこの試合が同球団による最終試合となる。
- 10月18日 - 日本シリーズ第6戦が後楽園球場で行われ、巨人が南海に3対2で勝利し4勝2敗で2年連続日本シリーズ優勝達成[37]
11月
- 11月17日 - 処罰問題に関し、松竹の田村駒治郎オーナーは球団存続の意思を表明。しかしその後に他球団との合併交渉が開始される。
- 11月28日 - 毎日は来季の陣容を発表。総監督に湯浅禎夫が復帰し、監督に二軍監督の若林忠志が就任[38]。
12月
誕生
1月
2月
3月
4月
5月
6月
7月
8月
9月
10月
11月
12月
死去
出典
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野球の歴史 |
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