長崎電気軌道株式会社(ながさきでんききどう)は、長崎市内で路面電車路線を営業する軌道事業者である。
通称は長崎電軌、長崎電鉄など。地元住民の間では電車という名称もよく使われている(JRを「JR」「列車」「汽車」などと呼び区別している)。同社が過去に「長崎電鉄」などという社名を採用していたことはないが、電話帳にも「長崎電気軌道」以外に「長崎電鉄」という表記で記載されている。公式サイトのURLのホスト名は www.naga-den.com だが、「長電」といえば、長野県にある「長野電鉄」の略称として用いることが一般的で、長崎電気軌道が「長電」と呼ばれることはほとんどない。
1914年(大正3年)8月2日設立。1915年(大正4年)11月16日、病院下(現在の大学病院) - 築町(現在の新地中華街)間の電気軌道(路面電車)を開業し[4]、現在、5路線4系統を営業する。戦後の一時期はバス事業も行っていたが、経営不振などから1971年(昭和46年)に長崎自動車(長崎バス)に事業を譲渡し、撤退している[5]。
長崎市は狭隘な谷間に線状に市街地が形成され、面的広がりを持たない。これは公共交通機関を運営するにあたり集客面で有利な条件である。また、均一制運賃の採用、車両や線路の敷石などを他の企業から譲り受け、カラー電車、電車内の広告などの宣伝料により黒字経営を実現している。
長崎市北部や滑石方面への延伸計画があるが、勾配・道路幅の制約・建設費といった問題で進展していない。2008年12月には長崎駅付近の連続立体交差化事業により、高架駅となる長崎駅下へ路面電車を延伸する構想を出したが[64]、2012年10月にこの構想は廃止されることになった[65]。旭大橋の架け替えを条件に、浦上川対岸の稲佐・飽の浦方面へ延伸する構想も出している[64]。
また、国や長崎県・長崎市による松が枝国際観光船埠頭の拡張整備に伴い、大浦海岸通から松が枝方面への延伸及び車庫の新設と単線区間になっている大浦海岸通 - 石橋間の複線化を行う計画が出されている[66][67]。この計画の実現によって、赤迫 - 公会堂前 - 大浦海岸通 - 石橋(松が枝)のルートを走る路面電車の直通運行を検討している[68][69]。
2007年7月2日、九州運輸局から2006年に起こした3件の追突・接触事故を報告しなかったとして、安全管理などの改善を求める行政指導を受けた。事故の中には、運転士が骨折する事故もあったが、会社は「軽微な事故と認識していた」という[70]。
運賃は1984年(昭和59年)6月1日にそれまでの1乗車90円から100円(子供は50円)に改定して以降、25年にわたり値上げを行わなかった。1989年の消費税導入、1997年の同税率引き上げの際も、「10円の値上げは便乗値上げになる」として消費税は転嫁されず、100円のまま据え置かれた。2008年に今後のバリアフリー対応や運行情報管理システムなどの導入といった設備投資や安全対策で経費の増大が見込まれるため、2009年度以降運賃を値上げする方針であることが明らかにされ[71][72]、2009年8月3日に上限運賃を1乗車120円(子供60円)に変更することを九州運輸局に認可申請し[73]、同年8月31日に認可された。そして、同年10月1日より25年ぶりに運賃を値上げし、120円とした。120円に値上げされた後も2014年4月に消費税率の引き上げが実施されたが、消費税は転嫁されずに120円のまま据え置かれた。
その後、2018年12月25日には運賃を1乗車130円(子供70円)に再び値上げすることを九州運輸局に認可申請した[74]。2019年2月26日付で認可され、同年2月27日付で運賃改定の届出を提出し、同年4月1日より130円への改定が実施された[54]。
2021年6月23日に九州運輸局に運賃改定の申請をし、認可されたため同年10月1日から140円に値上げされた[60][61]。
2022年9月1日より、ICカードによる乗車で(乗り継ぎも含め)2電停以内の乗車となる場合、大人100円、小児50円の運賃で乗車できる「ICチョイ乗り割引」を開始した[75]。西浜町停留場での乗り継ぎ/4系統による直行や、片方向にしかない昭和町通停留場など、一部区間では乗車する系統や方向によって電停数が異なるが、その場合でも2電停以内のみの割引適用となる[76]。
直行便がない、あるいは直行便の運行時間が限られる4号系統の電停間を移動するのに際して、nagasaki nimocaなどの全国相互利用交通系ICカードによる乗車の場合に、2乗車目を無料とする乗り換え制度が設定されている[77]。
なお、以下の場合は乗り換え運賃が適用されない[77]。
11枚綴り1000円の回数券を発行していたが、2008年3月20日より長崎スマートカードでも回数券利用が可能となり[39]、2008年12月にツーマン車(150形・160形)を除いた全車両で使用可能となったため、回数券は2008年12月31日に発売を終了した。2009年9月30日まで使用可能で、それ以降は2009年12月31日まで払い戻しが行われていた。また、長崎スマートカード導入とともに運賃箱が自動両替機付きのものに更新され、薬袋のような両替袋と手動運賃箱もツーマン車を除いて姿を消した。ただし、イベント等で混雑する場合は、係員が手動運賃箱と長崎スマートカードのカードリーダーを持って停留場に立つ。2009年1月10日より長崎電気軌道でも定期券タイプの長崎スマートカードが発売されていた[39]。
2020年3月22日に「nagasaki nimoca」が導入され、nimocaなどの全国相互利用交通系ICカードが利用可能となった[55]。定期券もnimocaでの発売となった[55]。
また、沿線に観光名所が多いことから、1977年(昭和52年)8月より一日乗車券を販売している(500円)[78][26]。観光案内所や、提携先のホテル等で購入が可能であるが、車内では購入できない[79]。2008年からは九州旅客鉄道(JR九州)が発行する「旅名人の九州満喫きっぷ」でも全線利用できる[80]。さらに2013年4月からはスマートフォンを利用した「モバイル一日乗車券」の販売を[45]、2018年2月からは購入時より24時間有効の「モバイル24時間乗車券」の販売を開始した[1]。
2019年6月現在、長崎電気軌道は下記の5系統を運行している[81]。停車場所は路面電車の乗降場なので「停留場」という名称となる[82]が、路線図には「電停」という表記も見られる[82]。
長崎電気軌道は下記の5路線計11.5 kmを有している[89]。全線軌間1435mm、直流電化 (600V)[90]。
停留場の番号は、1984年5月30日に宝町(下り)と大波止(上り)に試験的に設置された停留場名表示板に初めて表示された。その後、9月から10月にかけて長崎駅前や築町には上り下りとも番号入りの表示板が設置されたほか、他の主要停留場にも下りまたは上りに設置され、その後、順次設置が進められた[99]。これに伴い、一日乗車券も1984年8月から発売されたものには、路線案内図の各停留場名に番号が印刷されるようになった。なお、安全地帯の端部に設置されている行燈式の停留場標識には、1987年に番号を表示している。さらに2012年には、各停留場名表示板や行燈標識等の番号は、新たに運転系統別に色分けしたリングで囲んだものに変更されている。
赤迫停留場から順に11番から通しで昭和町通停留場を除く全停留場に振ってある。なお、停留場廃止により欠番が生じた場合でも番号は詰めない。詳しくは各系統の記事を参照。
2018年8月1日に、以下の13停留場の名称が変更された[53][1]。
このほか長崎県、静岡県内に月極有料駐車場、貸しビルなどを所有する[102][104][105]。
2020年4月1日時点で超低床車6両、花電車1両を含む72両が在籍している[106]。括弧内の数字は在籍車両の車番を示す。
鉄軌道事業者としては珍しく営業用車両に鉄道無線を装備していない。緊急連絡用の携帯端末を各車両に装備している。
長崎西洋館の「長崎路面電車資料館」に、運転台部分のモックアップや部品等が展示されている[120]。また、長崎市東古川町に廃車車両(800形など[121])の部品を利用した飲食店があった[122]が、2017年12月をもって閉店している[123]。
かつては電車の製作をおこない、他の軌道会社にも納入していた。
自社用に1916年から1924年まで53両 (11-63) が製造された。他の軌道会社には1917年に富山電気軌道13・14(竣工図では丹羽電気製作所)、四国水力電気13-16、土佐電気鉄道48-52(竣工図では丹羽電気製作所)、1923年筑後軌道45-47を製作している。他に九州電灯鉄道6両、九州水力電気17両(西鉄福岡市内線)の改造工事をしている[124]。
2015年(平成27年)に創業100周年記念で作られた公式キャラクターで、長崎の尾曲がり猫をモチーフとした[126]猫の姿であるが、設定上は性別不明の妖精である[127]。頭には電車を模したマスクを被り、肩からは路面電車グッズとカステラの入った電車形のバッグを提げ、お腹には出島形のポケットがついている[127]。性格はいたずら好きでやんちゃだが、頭のマスクには思ったことが表示されてしまう方向幕がついていることから、嘘をつくのは苦手ということになっている[127]。なお、同年8月に初めて披露された花電車87号(2代目)の塗装は、本キャラクターがモチーフとなっている[126]。
1964年(昭和39年)、車体全体に商業広告を施した全面広告車(カラー電車)を日本の路面電車として初めて実施した[24]。発案者によると、西日本鉄道の大牟田線・福岡市内線等を走行していたキャッチフレーズ入り電車が着想のヒントになったという[128]。最初のスポンサーはカネボウ化粧品で、同年9月より3両が運行を開始した[24]。現在でも、地元企業から全国的に有名な企業のものまで数多くの企業がスポンサーをつとめている[24]。契約は一か月単位で、それとは別に最低契約期間が車種によって定められている[129]。
2004年度から2008年度までは、長崎電気軌道が主催となり「長崎の街に似合うカラー電車コンテスト」が行われていた[24]。カラー電車のデザイン性向上と企業・利用者への認知度上昇を目的として、人気投票と社内審査で、「カラー電車大賞」、「デザイン賞」などを選定した[24]。
なお、長崎の景観に配慮して、全在籍車両の40%を超えないように調整されている。
1953年(昭和28年)から1971年(昭和46年)までの18年間、電鉄バスや長崎電軌バスの名称でバス事業を行っていた[5]。
長崎電気軌道は1932年1月に長崎 - 諫早間の乗合自動車運輸営業願書を、翌年には長崎市内の同願書を提出したが、長崎県営バス(長崎県交通局)が1934年3月に開業したことから、諫早線の願書を取り下げた。1936年4月には長崎バス(長崎自動車)も開業したが、それでも1950年頃まで長崎市内唯一の交通機関は路面電車であった[5]。 しかし、戦後の経済復興によりライバル会社による市内のバス運行が急激に拡充されていったことから、軌道事業防御の目的で再び乗合バスの免許を申請[5]。1953年4月1日より蛍茶屋 - 住吉間の電車路線と並行する形で市内線バスの営業を開始した[5]。都市計画による道路新設拡幅にともない路線は延長され、1955年3月1日からは一般貸切バスを、1963年9月16日からは定期観光バスも営業を開始した[5]。しかし、バス事業参入時点で競合他社に有望な路線を押さえられていたことから輸送量は伸び悩み、バス事業の赤字を軌道事業の黒字で補填する状態であった[5]。さらに、モータリゼーションの進展や人件費等の高騰により、バス事業のみならず本業の軌道事業の経営も悪化した[5]。長崎電気軌道の経営陣は、今後、運賃値上げや合理化等の経営努力をもってしてもバス事業の経営好転は望めないと判断[5]。1971年3月1日にバス事業を長崎バスに完全譲渡し、軌道事業に一本化した[5]。
このような状況に陥ったバス事業兼営の路面電車事業者は路面電車を廃止してバスに一本化したケースが多く、バスを廃止して路面電車に一本化したケースは全国でも珍しいが、これはバス路線が長崎バスや県営バスと競合する区間が多かったことなどがあげられる[注 7]。
石原裕次郎主演の映画『若い人』では、この会社のバスが登場している。
バス事業末期の路線。番号と運行系統。
■1号 - □2号 - ■3号 - ■4号 - ■5号
長崎西洋館 - 長崎スマートカード
長崎県営バス / 長崎県央バス | 長崎バス / さいかい交通 / 長崎市コミュニティバス | させぼバス / 佐世保市営バス(カード廃止前に事業廃止) | 西肥バス | 島鉄バス
長崎電気軌道
松浦鉄道
軌道法に拠る路線のみ。△印は一部区間が別路線として現存、▼印は廃止後ほぼ同区間に別路線が開業。
この項目は、バスに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:バス/PJバス)。
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