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赤塚真人

あかつか まこと
赤塚 真人
本名 赤塚 真人
生年月日 (1951-03-19) 1951年3月19日
没年月日 (2024-07-04) 2024年7月4日(73歳没)
出生地 日本の旗 日本茨城県日立市
民族 日本人
血液型 O型[1]
ジャンル 俳優
活動期間 1967年 - 2024年
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赤塚 真人(あかつか まこと、本名は同じ、1951年昭和26年〉3月19日[1] - 2024年令和6年〉7月4日[2][3])は、日本の俳優劇団裏長屋マンションズ座長。

本名同じ[4]。「まさと」と読まれがちだが「まこと」である。命名の由来は、ろくに働かず家に居つかなかった父親が、久しぶりに帰宅した時に誕生したため、「真人間になりますように」の願いを込めて名づけられたという。

血液型はO型。趣味水彩画作詞ギター茨城弁釣り[4]

来歴

茨城県日立市出身[4]。少年期に家族とともに上京し、東京都江東区で育つ。

1966年江東区立深川第三中学校を卒業。東京工業高等学校(現・日本工業大学駒場中学校・高等学校)中退[4]

男はつらいよ』で観た渥美清に共感したことで俳優になることを決意[4]

劇団ひまわりを経て東宝に入り、1967年の東宝映画『でっかい太陽』の生徒役で本格デビュー[4]。子役・青年役で映画出演したのち、松竹映画『同胞』(忠次役)での軽妙な演技が認められて売れっ子となる。

幸福の黄色いハンカチ』を筆頭に山田洋次監督作品に多く出演。三枚目かつ善良な役が定番である。 杉良太郎主演作への出演も多い[注 1]

2007年1月30日から2月3日まで、千代田区内幸町ホールでの演劇『掌(たなごころ)一杯の温もり -親子戦争-』の主演を務めた。これは、昭和40年代人気を博した日本テレビ日曜夜8時の青春学園シリーズ(日本テレビ・東宝製作)でメイン監督を務めた高瀬昌弘監督の病後復帰作。赤塚は、1967年に『でっかい青春』でデビュー、翌年の『進め!青春』にも出演し、高瀬監督に教えを受けている。

2002年には劇団TA2を旗揚げ。以後東京の小劇場をベースに人情喜劇を上演。2007年夏からは組織変更にともなって団体名を「劇団裏長屋マンションズ」とし、座長として活動している。

2024年7月4日、食道癌のため茨城県つくば市の医療施設で死去[2][3]。73歳没。

人物

  • 義理や友情を重んじる昔気質で、友人がパーソナリティを務める山形放送ラジオ『なつメロリクエスト電話でこんばんは!』(現『なつかし楽し歌謡アワー』)に頻繁に友情出演し、爆笑トークを繰り広げている。
  • 私生活では、男女2人の子供に恵まれたが、子供が幼い時に離婚。妻は出て行き、残された子供2人を男手ひとつで育て上げた。本人は「子供が幼い時に、妻は買い物に出かけて帰らないまま15年が過ぎ去った」と笑いのネタにして『ライオンのごきげんよう』で披露しており、そのしゃべりの面白さで、『ごきげんよう』に出演する度に、年間MVPや月間MVPを受賞している。その話術を本人は、山形でのラジオ出演やトークショーで鍛えたと語る。

出演

テレビドラマ

映画

Vシネマ

CM

ラジオ

脚注

注釈

出典

  1. ^ a b 『テレビ・タレント人名事典』(第6版)日外アソシエーツ、2004年6月、16頁。ISBN 978-4-8169-1852-0 
  2. ^ a b "赤塚真人さん死去、73歳…「男はつらいよ」「幸福の黄色いハンカチ」出演". 讀賣新聞ONLINE. 読売新聞社. 2024年7月5日. 2024年7月5日閲覧
  3. ^ a b 赤塚真人さん死去 俳優”. 時事ドットコム (2024年7月5日). 2024年7月5日閲覧。
  4. ^ a b c d e f 河北新報 1982年11月10日 20面「登場」コーナー
  5. ^ “「江戸前の旬season2」渡部豪太が放浪癖のある次男・柳葉鮭児役に、3名の続投も”. コミックナタリー (ナターシャ). (2019年9月28日). https://natalie.mu/comic/news/349323 2023年6月2日閲覧。 

外部リンク


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