西武バス飯能営業所(せいぶバスはんのうえいぎょうしょ)は、埼玉県飯能市美杉台5丁目4-1に所在する西武バスの営業所である。
主に埼玉県飯能市と入間市、狭山市、所沢市などの西武池袋線沿線地域と東京都青梅市、西多摩郡瑞穂町周辺の路線を担当する。営業所の最寄り停留所は「美杉台ニュータウン」である。
営業所の敷地内には西武バスの子会社である「西武総合企画飯能営業所」と西武グループのタクシー会社である「西武ハイヤー飯能営業所[1]」を併設している。2000年(平成12年)から2010年(平成22年)までは西武自動車(3代)飯能営業所を併設しており、秩父地方の一部路線を管轄する西武バス飯能営業所小鹿野支所を擁していた。本項ではこれらに加え、飯能営業所に統合されて消滅した「西武バス青梅営業所」についても記述する。
1989年(平成元年)4月1日に、西武池袋線飯能駅北口に設置されていた「西武バス狭山営業所飯能支所(旧・飯能営業所)」と、青梅市日向和田に存在した「西武バス青梅営業所」を統合したうえで、飯能市美杉台に移転して開設されたのが現在の飯能営業所である。青梅営業所は青梅街道沿いのJR青梅線宮ノ平駅 - 日向和田駅間の中間である和田橋付近に位置しており、停留所名は「日向和田車庫」だった。しかし近隣には西東京バスの停留所および折返場が存在したことから、区別するために「西武日向和田車庫」と呼ばれることもあった。青梅営業所だった敷地の一部は民間の高齢者介護施設「デイサービスのぞみ[2]」が建設されており、隣接していた西東京バスの折返場の跡地は「セブンイレブン青梅日向和田3丁目店」[3]とその駐車場となっている。
なお、1965年(昭和40年)頃までの青梅営業所は、現在でも都営バスが運行する「万年橋」停留所付近にあり、日向和田への移転後も折返場として使用していたほか、飯能駅前にあった旧・飯能営業所の跡地は1992年(平成4年)10月23日に開業した駅ビル「西武飯能ぺぺ[4]」の敷地の一部として活用されている。
飯能営業所が担当する地域の飯能・青梅地区は歴史が古く、昭和初期の時点で武蔵野鉄道(現在の西武池袋線の前身)によって運行されていた路線に遡る。ただしその多くは武蔵野鉄道が独自に開設したものでは無く、いくつかの中小事業者が担当していた路線を継承したものである。現在の西武バスに繋がる最古の路線の一つとして、東京府下で、1921年(大正10年)に本橋トクによって開業した「武蔵境 - 田無町」線(西武バス滝山営業所を参照)と並び[5]、飯能地域においても1925年(大正14年)に大井八郎によって開業した「入間川(現・狭山市) - 豊岡町(現・入間市) - 飯能」線が記録されている[5]。この地域で中心的存在であったのが青梅自動車[5]で、近藤熊次によって1928年(昭和3年)に創業してからは1933年(昭和8年)に「青梅 - 飯能」「青梅 - 金子 - 豊岡町」「青梅 - 御岳」に路線を開業した[5]。運転手は近藤自らが行い、妻が車掌を勤め、青梅鉄道に対抗すべく、武蔵野鉄道との格安乗り継ぎ切符を発行していたことが青梅市の資料に記録されて残っている。
なお、武蔵野鉄道は1930年代に「飯能営業所」として「飯能 - 入間川」「飯能 - 坂戸」線を開業させ、1933年(昭和8年)には「飯能 - 狭山」「豊岡町 - 狭山」「飯能 - 吾野」線を次々に開業、1934年(昭和9年)には吾野共同自動車組合を譲受し、吾野・高麗から坂戸方面への長距離路線も開設するなど路線網を広げていった。1926年(大正15年)に開業した秩父自動車との連絡によって秩父方面へのアクセスも確保している。
しかし同時期には各地において中小事業者による競争が激化するようになり、1933年(昭和8年)「自動車交通事業法」が交付された。交通企業の合理化と交通事業の統制を目的としたもので、ここで「1路線に1事業者」の原則が示された。こうした中で事業者の自主統合の流れが進み、1936年(昭和11年)には現在の西武バスに繋がる各路線でも、鉄道会社への統合が進んでいった[5]。武蔵野鉄道は経営難に陥ったため、1932年(昭和7年)に箱根土地が参加する[5]。1938年(昭和13年)には戦時統合のために「陸上交通事業調整法」が発布され、戦時体制下での交通事業者の統合が進められて西武においても箱根土地を主導とする統合が進められた。まず青梅自動車は青梅電気鉄道(電化により青梅鉄道から改称された)並行路線を同社に譲渡[5]し、武蔵野鉄道は1930年代に青梅自動車を[5]、1940年代には秩父自動車を買収して[5]、青梅・飯能・狭山・秩父エリアに路線網を築いた[5]。また、箱根土地の子会社である「多摩湖鉄道」(現在の西武多摩湖線の前身)は親会社の路線拡大方針に従い、中小事業者を買収したことによって、自社沿線のみならず村山 - 箱根ケ崎 - 青梅、川越 - 豊岡町 - 箱根ケ崎 - 拝島という長距離路線を手中に収めた上[5]、西武バスの母体となった東浦自動車を傘下に収めることとなった[5]。
武蔵野鉄道は1940年(昭和15年)に「多摩湖鉄道」を合併[5]する。戦時中は路線の休止または廃止、車両の代燃化なども余儀なくされたが[5]、終戦直後の1945年(昭和20年)9月22日に武蔵野鉄道が旧・西武鉄道(現在の西武新宿線の前身で母体は川越鉄道)を合併する形で「西武農業鉄道」が発足、1946年(昭和21年)11月15日に現行社名の「西武鉄道」へ変更した[5]。
路線バス事業の統合も箱根土地の主導で行われ、1946年(昭和21年)3月に統合母体となる東浦自動車を「武蔵野自動車」と改称した上で[5]、同年6月に西武農業鉄道へ統合された各鉄道会社のバス路線を譲受して一社に統合した[5]。1947年(昭和22年)2月には本社を所沢へ移転し、同年11月に「西武自動車」へ社名変更、ここで戦後の西武バスの歴史がスタートした[5]。
西武自動車発足後の1948年(昭和23年)以降は、各地で路線の復旧が進められた[5]。青梅・飯能地区では同年、「飯能 - 高麗川 - 坂戸」線が新設された[5]。1950年代から1960年代にかけては路線新設が続き、1953年(昭和28年)に青梅 - 立川、1958年(昭和33年)に青梅 - 成木[5]、1960年(昭和35年)に青梅 - 小作[5]、青梅 - 狭山湖[5]、1962年(昭和37年)に飯能 - 名栗森河原[5]の路線を新設した。1961年(昭和36年)には豊岡町 - 小河内ダム間の急行運転を開始し、大宮 - 飯能、立川 - 飯能・豊岡町の長距離路線が開業するなど、急速に路線網を拡張していった[5]。1969年(昭和44年)4月には社名を西武バスに変更している[5]。
1970年代から全国的にバス事業は低迷期に入り、西武バスでは採算性の悪い青梅営業所の路線を整理することとなった。また旧・飯能営業所管内でも、青梅 - 立川の路線を当時の立川営業所(初代)と共同運行していたが、それらの長距離路線もモータリゼーションによって定時運行が困難になり廃止された。西武バスではこの時期に青梅 - 箱根ケ崎、箱根ケ崎 - 拝島[5]からも撤退している。
1975年(昭和50年)[注釈 1]には、青梅営業所管内では入間市駅・飯能駅への路線を除く全路線を廃止し路線網を大幅に縮小[5]、吉野・上成木・吹上方面は都営バス青梅支所が運行を引き継いだ[5](小作方面は西東京バスが代替路線を運行)。青梅営業所管内では、飯能駅・入間市駅発着系統を残すのみとなった。
同1975年、旧・飯能営業所は狭山台団地そばに開設された狭山営業所の支所となり、狭山営業所飯能支所として、以下の3路線を青梅営業所との共管で担当した。
1989年(平成元年)4月1日、飯能駅の橋上駅舎化と南口開設に伴い、狭山営業所飯能支所を飯能駅北口から飯能市美杉台へ移転の上、青梅営業所と統合して現行の新・飯能営業所を発足させた。これにより、同年3月31日をもって青梅営業所は廃止され、日向和田車庫は閉鎖された。青梅営業所の車両は新・飯能営業所へ転属し、ナンバープレートが多摩・八王子ナンバーから所沢ナンバーへ変更された。
1995年1月16日、国際興業バス西浦和営業所川越分車庫(当時)管轄であった日高市の武蔵高萩駅周辺の路線撤退により、西武バス飯能営業所と川越営業所が、国際興業バスの路線運行を引き継いだ。
2001年3月16日の路線再編により、新・飯能営業所に残っていた青梅駅発着の2系統(飯41、入市32)も起終点が河辺駅・東青梅駅に変更され、西武バスは青梅営業所発祥の地であった青梅駅から撤退した。現在、西武バスの路線は青梅駅に乗り入れていない[6]。
2006年4月1日、高萩駅周辺を運行する飯53・53-1、国際興業バスから移管された高萩01・02・03が、イーグルバスへ移管された。
2008年7月18日より、川越営業所・狭山営業所管内と同時にPASMO・Suicaの利用を開始。これにより西武バスの一般路線全線において交通系ICカードでの乗車が可能となった。
現・飯能営業所および飯能駅南口の開設とともに設定された。美杉台地区の山の上へ移転した飯能営業所から飯能駅発着の各系統の出入庫路線としても機能する。飯能駅北口発着路線が狭山営業所管轄となって数年、2015年3月末現在の出入庫ダイヤは、飯能駅 - 岩井堂・東青梅駅・河辺駅の飯41系統関連のみとなっている。
飯20沿線には住宅地の他に企業の研修所があるため、日中でも比較的高頻度で運行されている。大河原工業団地への足としても機能し始め、2014年のダイヤ改正以降、日中時間帯を中心に増便が続いている。
開通当初から5時台の始車と23時台の終車までの運行を実施していることに加え、国際興業バス飯能営業所から日高地区の路線を移管されてからは運行時間帯をさらに拡大し、出入庫を兼ねた運行本数の増回もあって、利便性の高い路線となった。
2017年3月25日より、飯22系統が運行開始された[7]。
2017年11月1日から、「大河原工業団地東」は「ユーエイキャスター前」へ名称変更となった[8]。
青梅自動車によって開設された飯能 - 青梅の路線をベースとする歴史の古い路線で、柳川・小曽木地区を走った最初の路線。「小曽木郷誌」によれば、戦前から終戦直後までの状況について「当初は本数が多く期待されたが、後に時間の不正確さや戦時中の代燃車運行、1日数回に減便されたことに対する利用者の不満が高まった。しかし、都営バスの開通による競争で改善されるようになった(要旨)」と記されている。戦前の飯能 - 青梅線は、「飯能昭和史年表」によれば畑トンネル(飯能市下畑)を経由していたが、戦後になってから西武がこの経路での運行を廃止したため、1955年に国際興業バス飯能営業所の前身である名栗林材交通が飯能駅 - 間野線を開通させ、トンネル経由の運行を復活させたということである。1989年3月31日まで、飯41は青梅営業所が管轄していた。
1987年10月1日より都営バスに合わせ、柳川 - 岩井堂において平日の一部時間帯を除きフリー乗降制の運用を開始。並行して、時に二輪車の「すり抜け」防止を目的とした、蛍光灯式の「乗降中」ランプを、西武バス一般路線車では初めて取り付け始めた。その以前から、東青梅 - 柳川 - 岩井堂では梅74・梅76との共通定期券の取り扱いを行っている。なお、西武バスでは唯一のフリー乗降制を導入している。
平成以降、青梅側の発着点は長らく青梅駅であったが、2001年3月16日に河辺駅発着へ切り替えられた。河辺は都市機能の集積化を目的とした整備事業が進行中で、青梅市内において特に発展の著しい地区である。河辺駅発着へ変更した当初は、河辺駅発着の飯41も青梅街道から一旦外れ、東青梅駅北口のみずほ銀行前に設けられた「東青梅駅」停留所を経由していたが、2007年11月16日より経由を取りやめ、その後2023年4月1日に飯41は廃止されている。
飯42は、美杉台 - みどり橋 - 岩井堂を回送で出入庫する。
大正末期に栗原枡治なる人物によって開業した、狭山自動車商会の「豊岡町駅 - 箱根ケ崎 - 拝島線」を起源とする。栗原の路線は、この付近において埼玉県と多摩地域を結ぶ数少ない交通手段の一つとして始まったが、1931年に八高線が開通すると鉄道との競争のために度重なる値下げを余儀なくされ、徐々に経営困難に陥った。
これを1935年に多摩湖鉄道(現在の西武多摩湖線の前身)が買収したことで、西武との関係が始まった。1938年には拝島から八王子へ延伸されたが、当時は拝島橋が未開通だったため、拝島の渡しで船にバスを載せて多摩川を渡っていたとの記録が残されている。終戦後は八王子への運行が廃止されて立川へ延伸したものの、定時性確保のために箱根ケ崎を境に折返し運行される便数が増えていき、1970年代には完全に分割され、箱根ケ崎以南が廃止された。
青梅営業所の管轄だった頃は、本線である入市31(入間市駅 - 箱根ケ崎駅)は1時間に1本運行されていて、出入庫として農協前 - 箱根ケ崎駅の運行が1往復ある程度であった。1995年1月16日には入市31-1を二本木地蔵まで、入市31-2を入間市博物館までそれぞれ延長した。
後年設定された入市31-3:大妻女子大学行きは、同大学狭山台キャンパスへのスクールバスの補完を目的に、二本木地蔵前最終便の行先を振分けて設定された。営業終了後は大妻女子大学からそのまま北上して駿河台大学脇を通り、東京都道・埼玉県道195号富岡入間線へ出て、みどり橋から美杉台へ向かっていた。この大妻ダイヤは2015年3月31日終車をもって運行終了し、代替としてダイヤが入市31-1に割り振られた。
当路線は沿線に武蔵工業団地・狭山台工業団地などの工業団地や流通センターが多いため、一定数の運行本数が設定され、遅めの終車時刻が確保されている路線だった。
2008年4月10日、保谷硝子工場跡に大型ショッピングセンター「三井アウトレットパーク入間」が開業すると、アクセス路線として入市30、入市30-1、入市30-2が新設された。これらの路線は船久保工場 - 宮寺北でアウトレット構内の停留所を経由する(入市30は構内折返し)。4月30日には「宮寺北」停留所が「三井アウトレットパーク前」に改称、「人事院前」停留所が「人事院研修所」に改称された。
同年7月16日にはアウトレット構内に入るまでの渋滞対策として、構内に入らない入市30-4を土休日の午前に新設したほか、土の午前10時台に直行系統(入市30-5)が設定され、入間市駅 - アウトレット間は毎時5本の運行で利便性の高い路線となり、路線利用者が従来の約3倍に増える結果となった。午後の入間市駅方面は全便アウトレット構内経由になり、アウトレット構内折返便以外の二本木方面は構内に入らなくなる。12月16日には入市30-5を入市30-3へ系統番号変更、入市30-6が新設され、入市30-4が休止された。
入間市駅 - アウトレット間は、西武バス公式サイトで表示・閲覧できるバス時刻表の他に臨時便が運行され、土休日の午後には臨時便を合わせて1時間あたり6-7本運行されている時間帯もある。だが土休日を中心に国道16号がアウトレットパークへの入場待ちで渋滞し定時運行が困難となっている。渋滞は圏央道入間IC出口の通過待ち車両が本線上にまで繋がるときもある(入間インターチェンジ#周辺も参照)。
一方で、箱根ケ崎駅発着便は1日4〜5往復である。後述の小手03と共に、西多摩郡瑞穂町内の大人普通運賃は初乗り100円となっている。
2017年3月25日改正より、土休日の入間市駅発アウトレット方向に限り「準急」系統の運行を開始した。入間市駅発車後は、東金子までは各停留所に停車、人事院研修所と船久保工場前を通過する[9]。
2018年10月1日より、大妻女子大学狭山台キャンパス跡地に同年7月18日に竣工した中村屋武蔵工場[10]への通勤輸送として、入市42、入市52、入市62が新設された。併せて系統番号の改番が行われ、アウトレットパーク構内経由は40番台、国道16号上の「アウトレットパーク前」停留所経由は50番台、工業団地経由は60番台にそれぞれ変更された[11]。入市52はかつての入市31-3の事実上の復活となった。
青梅自動車時代から続く歴史ある路線。戦前は青梅自動車時代から武蔵野鉄道との連絡切符を発行して、東京市街から青梅・奥多摩方面への観光ルートの役割を果たし、中央本線 - 青梅電気鉄道(現・JR青梅線)経路との競争も繰り広げられた。
かつては入間市駅・今井分校(のちの今井会館前、現・今井市民センター前) - 万年橋・吉野・御嶽といった青梅駅を跨いだ運行形態が主体だったが、1971年6月、出入庫便を除き青梅駅を境に運行系統が分割された。青梅駅以西は吉野 - 御嶽間を廃止したのち、1975年4月に東京都交通局に譲渡された。
1989年4月1日、青梅営業所廃止に伴い日向和田車庫発着を廃止し、入市33-1(当時は寺竹発着)を新設。東京都道・埼玉県道218号二本木飯能線を経由して飯能営業所への回送出入庫を行う。のちに隣の南峯停留所の位置を調整して南峯発着とした。
2001年3月16日、東青梅 - 青梅駅間は飯41とともに廃止された。入市32系統は河辺駅北口への乗り入れを開始し入市32-1の折り返し便、また、入市32-3:原今井 - 河辺駅北口の区間便を新設し、青梅市側利用者に便宜をはかった。
JA西東京 - 河辺駅北口で都営バスと共通定期券を取り扱っている。
金子駅発着の入市34系統は出入庫路線ではなく、入間市駅から金子駅で折り返して入間市駅に戻るというダイヤである。これに対し、金子駅まで数100メートルの距離にある「金子駅入口」発着の小手07系統は、出入庫路線であるため金子駅前へは乗り入れない。 長く1日1往復の運行であったが、2014年のダイヤ改正により、1日2往復の運行となった。2017年12月現在、平日1往復・土休日2往復となっている[12]。東青梅駅まで運行されていた入市32系統は2023年3月をもって廃止となり、枝番の入市32-1~3が運行を継続している。
定時運行が難しくなっていた所沢営業所管轄の所13(所沢駅 - 西所沢駅入口 - 宮寺 - 箱根ケ崎駅)を改正して成立した。所沢入間バイパス工事に併せて、大六天・北野回りの経路と、国立病院(現・西埼玉中央病院)・狭山ヶ丘駅回りの経路を同時に新設した。所13は、大正末期に本橋頴一が開業した所沢 - 箱根ケ崎 - 青梅の路線を起源とする古い路線で、本橋の路線は「ムサシノ自動車」と呼ばれたが、こちらは青梅自動車と異なり、旧・西武鉄道(西武新宿線の前身)を経由して、西武自動車に引き継がれた。
所沢営業所から移管された当初は車両運用の都合上、中型車で運行されていたが、平日朝ラッシュ時の大六天回りは、所沢駅からの路線バスが多数運行されていた優等路線を引き継いだために、満員状態での運行を余儀なくされていた。後年の改正で、小手指地区の西武バスは飯能営業所管轄がメインとなり、一般大型車の運用も見られるようになった。小手07は飯能営業所への出入庫路線で、小手指駅方面は早朝、金子駅入口方面は午後と夜間のみ数本の運行。多くは美杉台 - 宮寺西を回送する。宮寺西にはバスが数台停められるスペースがある。小手02系統のみ所沢営業所との共同運行であるが、所沢が担当するのは平日朝の早稲田大学行き2本と小手指駅行き1本である。
当時所沢管轄だった小手02(小手指駅 - 早稲田大学)、西武総合企画の小手指駅 - 早大所沢キャンパスのスクールバス救済のため、一時期小手06・07で、早大経由の小手06-1(初代)・07-1が運行されていた。
2009年9月16日のダイヤ改正以降、本線の小手指駅 - 箱根ケ崎駅は運行本数が減少傾向にあり、現在は土曜日のみに小手指駅南口行きのみの運行になった。このため、西埼玉中央病院方面へのアクセス確保として、小手09・小手09-1・小手10が運行開始されている。
2016年3月26日の改正で、(2代)小手06‐1:小手指駅 → 内手線が新設された。
ぶしニュータウン線は、入間市にある西武池袋線仏子駅と同市北部のぶしニュータウンを結ぶ路線であり、開通は1983年である。住宅地と駅を結ぶ性格に加え、新光工業地域への通勤の足としての使命も併せ持っている。「ぶしニュータウン南」の停留所名は設定当初は「案内所前」であった。
1989年4月1日の飯能営業所開設時に、営業所のある美杉台と仏子駅の間の出入庫路線で東京都道・埼玉県道195号富岡入間線を通るぶし02:仏子駅 - 阿須 - 岩渕 - 美杉台小学校 - 美杉台ニュータウンが開業した(ぶし02は2016年3月に廃止済み)。
2010年12月1日の西武自動車と西武バスとの合併に伴い、当路線も西武バスの運行に移管された。2011年11月16日にぶし01は飯能営業所から狭山営業所へ移管された。
2012年6月30日のダイヤ改正時に金曜のみ運行の深夜バスが設定されたが、2019年3月16日のダイヤ改正で廃止となり、同時に約7年半ぶりに飯能営業所担当へ戻る形となった[13]。
2008年4月10日に開業した三井アウトレットパークへの従業員輸送を目的に、同年12月16日に武蔵藤沢駅からの便が新設された。ただし、運行は朝ラッシュ時のアウトレット方面1便(土曜・休日は2便)の運行で利用に際しては注意が必要である。
2009年4月25日の改正で、運行区間はそのままで系統番号のみ変更(藤04 → 藤10に改番)された。
ショッピングモール「メッツァビレッジ」の開業に伴い、国際興業バスとの共同運行で2018年11月8日運行開始[14][15]。西武バスの定期券や一日乗車券は使用不可[14][15]。
かつて、西武バス飯能営業所には子会社である西武自動車の飯能営業所も併設されており、西武バスより2001年にぶしニュータウン線2系統を譲渡され運行していた。
1989年4月、秩父地区を運行していた西武バス秩父営業所管轄路線のうち、小鹿野線:西武秩父駅 - 小鹿野役場 - 小鹿野車庫線が、西武秩父バス(現:西武観光バス秩父営業所)へ譲渡された。以後段階的に、西武バス秩父営業所の所轄路線が西武秩父バスへ譲渡された。
1994年1月16日、定峰線:西武秩父駅 - 定峰線と三沢線:西武秩父駅 - 中三沢 - 皆野駅線の譲渡と同時に西武バス秩父営業所は廃止され、小鹿野車庫敷地内に西武バス飯能営業所小鹿野支所を設置。志賀坂線・倉尾線・上吉田線・吉田線を担当した。バスのナンバープレートは、秩父地区管轄の熊谷ナンバーから飯能市管轄の所沢ナンバーへ登録変更された。
数年後に[いつ?]、小鹿野支所管轄路線も全て西武秩父バスの管轄となり、西武バス飯能営業所小鹿野支所は廃止された。
停留所名称は廃止当時の名称とする。
1975年3月末時点では下記路線も青梅営業所が担当していた。当時は系統番号がなく、路線図などでも路線名で案内していた。
1975年4月、成木線・七日市場線は都営バス梅76系統に移管され、1985年まで上成木 - 吉野間の通し運転を行っていた。
1975年8月、小作線は北大門を境に西側が都営バス梅77系統、東側が西東京バス塩10系統 - 塩14系統(経路は現在の河11と同じ)に再編の上で移管された。
なお、1975年以前に廃止された青梅営業所の路線および区間としては、前述の吉野 - 御嶽、厚沢入口 - 小作駅のほか、万年橋 - 箱根ケ崎駅、青梅駅 - 宮の平 - 和田詰所 - 上長渕 - 青梅駅の循環路線(西東京バスとの共管)などがある。
以下の路線は、飯能営業所開設時に廃止された。
かつては西武バスの他の営業所と同様に、富士重工製車体を架装した日産ディーゼル(現:UDトラックス)製の車両を導入してきた。
1998年に西武バスがいすゞ自動車製の車両を導入再開すると同時に、飯能営業所ではいすゞ・キュービックが導入された。2000年からいすゞ・エルガ、2001年からいすゞ・エルガミオが導入されるようになり、2003年を最後に日産ディーゼル製車両の新製配置は行われなくなった。
しかしその後、新座営業所や滝山営業所、所沢営業所、小平営業所などからノンステップ車が転属してきたため、西日本車体工業製車体を架装した車両も配置されている。
この項目は、バスに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:バス/PJバス)。
東京都:練馬営業所 - 上石神井営業所 - 滝山営業所 - 西原車庫 - 小平営業所 - 立川営業所埼玉県:新座営業所 - 所沢営業所 - +大宮営業所 - #川越営業所 - #狭山営業所 - #飯能営業所廃止:大泉営業所 - 田無営業所 - 清瀬営業所 - 青梅営業所 - 小鹿野支所
#練馬営業所(◎高野台営業所) - 狭山営業所 - 秩父営業所 - 軽井沢営業所
芝営業所 - 所沢営業所 - 所沢センター
西武高原バス(軽井沢営業所(◎千ヶ滝営業所) - 三原営業所)
小田原営業所 - 三島営業所 - 箱根営業所 - 町田営業所廃止:熱海営業所 - 湯河原営業所 - 東京練馬営業所
伊豆箱根観光バス(東京営業所 - 名古屋支店) - 伊豆下田バス
大津営業所 - あやめ営業所 - 八日市営業所
彦根営業所 - 長浜営業所
Lokasi Pengunjung: 3.144.110.189