礪波郡(となみぐん、となみのこおり)とは富山県(越中国)の郡。
越中四郡(射水郡、礪波郡、婦負郡、新川郡)のひとつ。越中国の南西部を占め、北を射水郡、東を婦負郡、西を加賀国、南を飛騨国に接していた。
1878年(明治11年)に行政区画として発足した当時の郡域は、おおむね以下の区域に相当する。
江戸時代、今石動町と城端町の2町は町奉行の管轄下に置かれ、他の郡内の町や村は郡奉行の管理にあった。1653年(承応2年)、礪波郡・射水郡を管理する郡奉行と町奉行は分割された。町奉行所は引き続き今石動町に置かれ、礪波郡・射水郡に存在する三町(今石動、城端、氷見)を支配した。郡奉行所は小杉新町(射水郡)へ移され、礪波郡・射水郡両郡を支配した。1776年(安永5年)7月、礪波郡奉行所は小杉新町から戸出へ移されるが翌年6月に小杉新町へ再度移される。1821年(文政2年)から1833年(天保4年)までの間、御郡奉行出張所が杉木新町(現砺波市)に設置される。1839年(天保10年)から4年間、礪波郡奉行所は小杉新町から杉木新町へ移される。その後、再び小杉新町に移される。今石動と城端以外の町に住む住民の身分は農民であったが実質的には町と同等に扱われていた。
郡制実施時の礪波郡の10の町は砺波十町と呼ばれた(城端町、中田町、井波町、福野町、出町、石動町、福光町、戸出町、津沢町、福岡町)。散居形態が多い砺波平野らしく10の町も満遍なく散らばっている。
延喜式神名帳には当郡に以下の7座7社が記載されており、全て小社に列している。
礪波郡 | 射水郡 | 婦負郡 | 新川郡
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