無愧(むぎ)(梵: anapatrāpya、アナパトラーピヤ)は仏教が教える煩悩のひとつ。
破廉恥なこと[1]。悪事を起しても、全く恥じないこと。 客観的に反省する心がなく、世間体も人の思惑も気にしなくなる状態をさす。
説一切有部の五位七十五法のうち、大不善地法の一つ[1]。唯識派の『大乗百法明門論』によれば随煩悩位に分類され、そのうち中随煩悩である。
五位七十五法の大善地法「愧」の逆の心作用[2]。
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