斎藤 憐(さいとう れん、本名:安彦 憐(あびこ れん)、1940年12月25日 - 2011年10月12日[1])は、日本の劇作家。
略歴
日本統治時代の朝鮮半島の平壌で生まれる[1]。
成蹊小学校、成蹊中学校・高等学校卒業(1959年高校卒業)。在学中は、演劇部に所属[2]。
早稲田大学第二文学部露文科中退。1966年俳優座養成所を卒業し、劇団自由劇場結成に参加する。1968年には佐藤信の「演劇センター68」結成に参加した。
1980年、串田和美が演出した『上海バンスキング』で岸田國士戯曲賞を受賞する[3]。同作品は長く再演を繰り返した。その後、串田、吉田日出子のオンシアター自由劇場に脚本を提供する。
同劇団解散後は、1997年に『カナリア』で菊田一夫演劇賞、2005年に『春、忍び難きを』で紀伊國屋演劇賞、2006年には鶴屋南北戯曲賞を受賞する。戯曲のほか、西條八十の評伝や、『昭和不良伝シリーズ』などのエッセイ等も執筆している。
2009年5月に開館した杉並区立杉並芸術会館(座・高円寺)館長、NPO法人劇場創造ネットワーク理事長を務めた。また、井上ひさしや別役実と共に日本劇作家協会旗揚げに携わった[4]。
2011年10月12日、食道腫瘍による肺炎のため東京都杉並区の自宅で死去。70歳没[1]。
脚本作品
テレビドラマ
著書
脚注
- ^ a b c 時事ドットコム:劇作家の斎藤憐氏死去
- ^ 斎藤憐氏 逝去 一般社団法人成蹊会
- ^ “斎藤憐氏が死去 劇作家「上海バンスキング」”. 日本経済新聞. (2011年10月13日). https://www.nikkei.com/article/DGXNASDG1301Z_T11C11A0CC0000/ 2020年2月2日閲覧。
- ^ “訃報:斎藤憐さん=70歳 劇作家「上海バンスキング」”. 毎日新聞. (2011年10月13日). http://mainichi.jp/select/person/news/20111013k0000e040045000c.html 2011年10月13日閲覧。
外部リンク
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1950年代 |
- 第1回 該当作なし
- 第2回 大橋喜一『楠三吉の青春』/小幡欣治『畸形児』
- 第3回 該当作なし
- 第4回 堀田清美『島』
- 第5回 該当作なし
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2000年代 | |
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2020年代 |
- 第64回 市原佐都子『バッコスの信女-ホルスタインの雌』/谷賢一『福島三部作 第1部「1961年:夜に昇る太陽」 第2部「1986年:メビウスの輪」 第3部「2011年:語られたがる言葉たち」』
- 第65回 該当作なし
- 第66回 福名理穂『柔らかく搖れる』/山本卓卓『バナナの花は食べられる』
- 第67回 加藤拓也『ドードーが落下する』/金山寿甲『パチンコ(上)』
- 第68回 池田亮『ハートランド』
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