奥田 幹生(おくだ みきお、1928年3月21日 - 2018年3月2日)は、日本の政治家。京都市会議長・衆議院議員(6期)・文部大臣などの要職を歴任。従三位。
来歴・人物
京都府綾部市出身。京都師範学校を卒業後、教員生活を経て早稲田大学政治経済学部を卒業。早大卒業後、読売新聞記者となる[1]。その後京都市会議員・同市会議長・京都府議会議員を経て、1979年の第35回衆議院議員総選挙に自由民主党公認で旧京都1区から立候補し、落選した。翌1980年の第36回衆議院議員総選挙では(現職の田中伊三次が公認を返上したため)唯一の自民党公認候補として選挙戦を戦い、初当選した(当選同期に古賀誠・平沼赳夫・川崎二郎・柿澤弘治など)。当選後は宏池会に所属。
1996年に発足した第1次橋本内閣では文部大臣を務めた。同年の第41回衆議院議員総選挙では京都2区から立候補し、日本共産党の井上哲士と後の民主党代表・前原誠司を破り再選(次点の井上との差は849票、前原は比例復活した)。2000年の第42回衆議院議員総選挙には立候補せず、政界から引退した。
1999年、勲一等瑞宝章受章[2]。
政界引退後は平安神宮の管理保存のための市民組織、平安講社の総長などを務めた。
2018年3月2日、老衰のため、京都市内の病院で死去[3]。89歳没。死没日をもって従三位に叙された[4]。
脚注
- ^ 京都新聞『奥田幹生氏死去 元文相、89歳』2018年03月05日
- ^ 「99年秋の叙勲 勲三等以上と在外邦人、外国人、在日外国人の受章者一覧」『読売新聞』1999年11月3日朝刊
- ^ “奥田幹生氏死去 元文相、89歳”. 京都新聞. 京都新聞社 (2018年3月5日). 2018年3月5日閲覧。[リンク切れ]
- ^ “奥田元文相に従三位”. 日本経済新聞 (2018年3月20日). 2018年3月29日閲覧。
衆議院商工委員長 |
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省庁再編により、文部大臣と科学技術庁長官は文部科学大臣に統合された。テンプレート中の科学技術庁長官は国務大臣としてのもの。
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定数5 |
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↓:途中辞職、失職など、↑:繰り上げ当選。 |