和田垣 謙三(わだがき けんぞう、1860年8月30日〈万延元年7月14日〉 - 1919年〈大正8年〉7月18日)は明治時代から大正時代にかけての日本の経済学者。法学博士。号は吐雲。
経歴
但馬国(現兵庫県)出身。豊岡藩士・和田垣譲の次男。1881年東京帝国大学卒業後、ヨーロッパに留学し、ケンブリッジ大学・ベルリン大学で学び、1883年に帰国。文部省御用掛を経て、1886年帝国大学法科大学教授となり、金井延とともに学部を主導、シュタインやワグナーの社会政策学派財政学を導入、自由主義経済学からの転換を促した。1891年法学博士。1898年の農科大学教授に転じる。また日本女子商業学校校長、東京商業学校校長として民間実業教育に尽力。
1919年、腎臓炎のため死去[1]。墓所は雑司ヶ谷霊園。
栄典
- 位階
- 勲章等
著作
単著
英訳
共著
共編
共訳
校訂
監輯
洋書
記念論文集
脚注
- ^ 服部敏良『事典有名人の死亡診断 近代編』(吉川弘文館、2010年)344頁
- ^ 『官報』第6101号「叙任及辞令」1903年10月31日。
- ^ 『官報』第7640号「叙任及辞令」1908年12月12日。
- ^ a b 『官報』第2088号「叙任及辞令」1919年7月21日。
- ^ 『官報』第5243号「叙任及辞令」1900年12月21日。
- ^ 『官報』第6450号「叙任及辞令」1904年12月28日。
- ^ 『官報』第124号「叙任及辞令」1912年12月27日。
- ^ 『官報』第1310号・付録「辞令」1916年12月13日。
参考文献
関連文献
外部リンク
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