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スティーブン・パトリック・ガービー(Steven Patrick Garvey, 1948年12月22日 - )は、アメリカ合衆国・フロリダ州タンパ出身の元プロ野球選手(内野手)。
178cmとメジャーリーガーの中では小柄ながら、巧守巧打の一塁手として活躍した。
現在は南カリフォルニアで実業家として活躍中。
1968年のMLBドラフト1巡目(全体13位)でロサンゼルス・ドジャースに指名され契約。1969年9月1日の対ニューヨーク・メッツ戦で、7回裏にレイ・ラムへの代打として出場してMLBデビューを果たすが、ジャック・ディラウロの前に三振を喫した。同年9月10日の対ヒューストン・アストロズ戦の8回表にアラン・フォスターへの代打として出場し、デニー・レマスターからMLB初安打を記録した。
1974年には打率.312、21本塁打、111打点の活躍でチームのワールドシリーズ進出に貢献し、ナ・リーグMVPに選ばれた。この年から1977年まで4年連続してゴールドグラブ賞を受賞。遠征には複数のミットを持ち、乾燥した地域ではこのミット、小雨の試合ではこのミットというように使い分けていた。二塁手のデービー・ロープス、三塁手のロン・セイ、遊撃手のビル・ラッセルと共に、8年間不動の内野陣を築く。
1978年はMLBオールスターゲームでMVPを獲得。同年のナ・リーグチャンピオンシップシリーズで4本塁打(史上最多タイ)を打ち、このシリーズのMVPに選ばれる。人間的にも優れ、ボランティアや奉仕活動に貢献した選手に贈られるロベルト・クレメンテ賞も1981年に受賞している。この年にはキャリア唯一のワールドシリーズ優勝に輝いた。
1983年にサンディエゴ・パドレスに移籍。1984年にはチームが地区優勝を果たし、シカゴ・カブスとのチャンピオンシップシリーズに出場(当時は5回戦制)。1勝2敗と後のない状態で迎えた第4戦で、リー・スミスからサヨナラ2ランホームランを打ち、2勝2敗のタイに戻す。パドレスは翌日の第5戦にも勝ってチーム史上初のワールドシリーズに進出。ガービーは自己2度目のリーグチャンピオンシップシリーズMVPに選ばれた。ワールドシリーズはデトロイト・タイガースに敗れたが、この年にはルー・ゲーリッグ賞にも選ばれた
次第に忍び寄る衰えには勝てず、1986年には打率.255に終わり、ジョン・クルックの成長もあって1987年5月23日の出場を最後に現役を引退。不振のガービーをラインナップから外す際に、当時監督のラリー・ボーワは「私の野球人生でもっとも辛い決断」とコメントした。
ドジャース時代の1975年9月3日からパドレス時代の1983年7月29日にかけて、1207試合連続出場を果たす。これは、当時MLB史上第3位であった(2010年現在では第4位)。
背番号はドジャース、パドレスを通じて『6』をつけており、最後のシーズンを迎えたパドレスで引退の翌1988年4月16日にガービーの在籍時の背番号『6』はパドレス初の永久欠番に指定された。
引退後は「ガービー・コミュニケーションズ」という情報コマーシャル会社を設立。
2011年のMLBドラフトで、息子のライアンがフィラデルフィア・フィリーズから15巡目で指名された。なお、1970年代にドジャース1軍で本人が4番を打っていた当時、実父がキャンプ地のチームバス運転手として働いていたことでも知られている。
2024年に、2024年11月のカリフォルニア州の上院議員選挙に共和党代表として出馬することが報じられている。
以下、全米野球記者協会(BBWAA)による表彰
選手 06 スティーブ・ガービー 07 スティーブ・イェーガー(シリーズMVP) 08 レジー・スミス 10 ロン・セイ(シリーズMVP) 12 ダスティ・ベイカー 14 マイク・ソーシア 15 デイビー・ロープス 16 リック・マンデイ 18 ビル・ラッセル 21 ジェイ・ジョンストン 28 ペドロ・ゲレーロ(シリーズMVP) 30 デレル・トーマス
34 フェルナンド・バレンズエラ 35 ボブ・ウェルチ 37 ボビー・カスティーヨ 38 デーブ・ゴルツ 41 ジェリー・ロイス 44 ケン・ランドロー 46 バート・フートン 48 デーブ・スチュワート 49 トム・ニーデンフューアー 51 テリー・フォースター 52 スティーブ・サックス 57 スティーヴ・ハウ
監督 02 トミー・ラソーダ コーチ 11 マニー・モタ 29 ロン・ペラノスキー 33 ダニー・オザーク 54 モンティ・バスゴール 58 マーク・クレス
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