1992年の野球において、メジャーリーグベースボール(MLB)のポストシーズンは10月6日に開幕した。ナショナルリーグの第24回リーグチャンピオンシップシリーズ(英語: 24th National League Championship Series、以下「リーグ優勝決定戦」と表記)は、同日から14日にかけて計7試合が開催された。その結果、アトランタ・ブレーブス(西地区)がピッツバーグ・パイレーツ(東地区)を4勝3敗で下し、2年連続14回目のリーグ優勝および6回目のワールドシリーズ進出を果たした。
両球団がリーグ優勝決定戦で対戦するのは、2年連続2度目。この年のレギュラーシーズンでは両球団は12試合対戦し、ブレーブスが7勝5敗と勝ち越していた[1]。今シリーズ最終第7戦はパイレーツの2点リードで9回裏を迎えたが、ブレーブスは1点を返したあと二死満塁とし、代打フランシスコ・カブレラの2点適時打で逆転サヨナラ勝利を収めた。ポストシーズン史上、最終第7戦のサヨナラで決着したシリーズは過去にも複数あったが、全て同点からの勝ち越しによるサヨナラだった[注 2]。最後の1プレイでビハインドから一挙に逆転してのサヨナラ決着は、今シリーズが史上初である[2]。二塁走者シド・ブリームがパイレーツ捕手マイク・ラバリエールのタッチをかいくぐってサヨナラの生還をした場面は "ザ・スライド"(英語: The Slide)として知られる[3]。シリーズMVPには、中3日で第1戦・第4戦・第7戦の3試合に先発登板し、20.1イニングで2勝0敗・防御率2.66という成績を残したブレーブスのジョン・スモルツが選出された。しかしブレーブスは、ワールドシリーズではアメリカンリーグ王者トロント・ブルージェイズに2勝4敗で敗れ、35年ぶり3度目の優勝を逃した。
ブレーブスの外野手ディオン・サンダースは、野球のMLBだけでなくアメリカンフットボールのNFLでもプレイする2競技兼業選手であり、当時はNFLではアトランタ・ファルコンズに在籍していた。10月10日の今シリーズ第4戦出場翌日、サンダースはフロリダ州マイアミガーデンズでの午後1時1分からのファルコンズの試合と、ペンシルベニア州ピッツバーグでの午後8時44分からの今シリーズ第5戦の両方に出場するため、約1,180マイル(1,900km前後)離れた両都市間を未明からチャーター便で往復した[4]。ただ結局、第5戦のほうで出場機会がなかったため、北米4大プロスポーツリーグのうちのふたつで同じ日に両方の試合に出場、という史上初の記録を達成することはできなかった[5]。
試合結果
1992年のナショナルリーグ優勝決定戦は10月6日に開幕し、途中に移動日を挟んで9日間で7試合が行われた。日程・結果は以下の通り。
日付 |
試合 |
ビジター球団(先攻) |
スコア |
ホーム球団(後攻) |
開催球場
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10月06日(火) |
第1戦 |
ピッツバーグ・パイレーツ |
1-5 |
アトランタ・ブレーブス |
アトランタ・フルトン・ カウンティ・スタジアム |
|
10月07日(水) |
第2戦 |
ピッツバーグ・パイレーツ |
5-13 |
アトランタ・ブレーブス
|
10月08日(木) |
|
移動日 |
|
10月09日(金) |
第3戦 |
アトランタ・ブレーブス |
2-3 |
ピッツバーグ・パイレーツ |
スリー・リバース・スタジアム
|
10月10日(土) |
第4戦 |
アトランタ・ブレーブス |
6-4 |
ピッツバーグ・パイレーツ
|
10月11日(日) |
第5戦 |
アトランタ・ブレーブス |
1-7 |
ピッツバーグ・パイレーツ
|
10月12日(月) |
|
移動日 |
|
10月13日(火) |
第6戦 |
ピッツバーグ・パイレーツ |
13-4 |
アトランタ・ブレーブス |
アトランタ・フルトン・ カウンティ・スタジアム
|
10月14日(水) |
第7戦 |
ピッツバーグ・パイレーツ |
2-3x |
アトランタ・ブレーブス
|
優勝:アトランタ・ブレーブス(4勝3敗 / 2年連続14度目)
|
第1戦 10月6日
第2戦 10月7日
第3戦 10月9日
第4戦 10月10日
第5戦 10月11日
第6戦 10月13日
第7戦 10月14日
脚注
注釈
- ^ 殿堂入りは編成担当としてではなく、捕手としての功績が評価されてのもの。
- ^ 7戦4勝制シリーズの最終第7戦でサヨナラ決着したのは、過去に3度ある。引き分けを挟むため最終戦が第8戦に延びたシリーズを含めれば、4度となる。
また、5戦3勝制シリーズの最終第5戦でサヨナラ決着したのは過去に2度あり、こちらもいずれも同点からの勝ち越しによるサヨナラである。
出典
- ^ "1992 Atlanta Braves Schedule," Baseball-Reference.com. 2021年4月18日閲覧。
- ^ Murray Chass, "Pirates And Braves Cope With Day After," The New York Times, October 16, 1992. 2021年4月18日閲覧。
- ^ The Atlanta Journal-Constitution, "STAT: Braves’ final-out rally in Game 3 matched historic franchise feat," The Atlanta Journal-Constitution, October 8, 2019. 2021年4月18日閲覧。
- ^ Christine Brennan, "DEION PLAYS GREATEST HIT: RUN AROUND TWO," The Washington Post, October 12, 1992. 2021年4月18日閲覧。
- ^ ESPN.com, "Memorable moments in Atlanta sports history," ESPN.com, February 3, 2019. 2021年4月18日閲覧。
外部リンク
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球団 | |
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歴代本拠地 | |
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文化 | |
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永久欠番 | |
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ブレーブス球団殿堂 | |
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ワールドシリーズ優勝(04回) | |
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ワールドシリーズ敗退(06回) | |
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リーグ優勝(18回) | |
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できごと | |
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傘下マイナーチーム | |
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球団 | |
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歴代本拠地 | |
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永久欠番 | |
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ワールドシリーズ優勝(5回) | |
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ワールドシリーズ敗退(2回) | |
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リーグ優勝(9回) | |
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できごと | |
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傘下マイナーチーム | |
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