『シャコタン☆ブギ』は、楠みちはるによる日本の漫画作品、またこれを原作とした実写版映画、OVA作品。『週刊ヤングマガジン』(講談社)にて連載された。後に講談社漫画文庫で文庫化され12巻まで出ている。
『週刊ヤングマガジン』の誌上企画で、漫画家が好きな歌をテーマに読み切りを描くという「歌謡マンガシリーズ」において、チェッカーズの1984年のヒット曲「涙のリクエスト」を取り上げて描かれた短編が本作の第1話となっている。作中の設定は全てそのままで1986年から連載が開始された。
作品の舞台は、作者の出身地の高知県となっており、作中に出る主な場所では高知市から土佐市を経由し須崎市迄伸びる横波スカイラインが度々作中に描かれている。また、年月が進むにつれて土佐の方言がソフトなものになっているが、土佐方言の「おんしゃ〜」や「〜ちや」等が多く使われている。
当初は車と女の子のナンパが大好きな主人公2人の「青春グラフィティ」としてスタートしたが、連載後半は車漫画として見ることも出来るようなエピソードが増えていった。十年近くに渡って連載されているなかで、作中では時代背景の変化は反映されているものの(携帯電話の普及など)、登場人物の年齢はそのままである。
作者の別の作品である『湾岸ミッドナイト』と並行連載されていた時期がある。『週刊ヤングマガジン』誌上で交互に掲載されていた当初は本作品の頻度の方が高かったが、エピソードの区切りのいい時点で『湾岸ミッドナイト』の方に完全にシフトしてしまったため、本作品は明確な終わりを迎えないまま1995年の段階で連載が終了してしまった。
2002年ごろに特別編として「7年目のきまぐれ」という前後編のエピソードが発表された。同エピソードは、作者自身が語る当時の経緯とあわせて、『湾岸ミッドナイト C1ランナー』の単行本第12巻に収録されている。
1987年8月に公開された実写映画。木村一八主演[5]・中原俊監督。東映東京撮影所製作[2]・配給:東映。
同時上映は本作同様漫画の実写化作品『名門!多古西応援団』(所十三原作)[3]。
エンディングクレジット順。役名はキネマ旬報映画データベース[4]に基づく。
1987年春の"ツッパリ三連打"『スケバン刑事』『ビー・バップ・ハイスクール 高校与太郎行進曲』『湘南爆走族』に続くヤング路線として[7][8][9][10]、併映『名門!多古西応援団』と同時に製作が発表された[8]。
1987年5月7日クランクイン、6月7日クランクアップ[8]。原作の舞台は高知だが、大半は福井県で撮影されている。エンドクレジットの撮影協力として、敦賀観光ホテル、三方五湖レインボーライン、河野海岸有料道路が表記される。他に敦賀駅、福井駅西口、千葉県立富津公園など。ファーストシーン他、劇中何度も登場するボウリング場は、エンドクレジットで表記される栃木県足利スターレーンと埼玉県所沢スターレーンを併用して撮影したものと見られる。1時間前後に4~5分、実際に違法改造した暴走族の車両が100台くらいで公道を走るシーンがある。箱乗りをして、車の窓から上半身を乗り出すため、顔もはっきり映るシーンもあり、敦賀駅のロータリーなども映り、反対車線を逆走する。エンドクレジットで「シャコタン車出演」として「鹿島&神栖レーシングチーム」「成田レーシングチーム」「野田スペクター」「S.R.C」「富津ロードスター」「平川レーシングチーム」「グループ・レッド・ゾーン」「君津レーシングチーム」「富士南走友会」と表記され、グループメンバーの実名も表記されるため、実際の暴走族を福井の撮影現場に参加させたものと見られる。東映は1975年の岩城滉一主演『爆発! 暴走族』(石井輝男監督)に、全国の暴走族に応援出演を呼びかけ[11][12][13]、同様に本物の現役暴走族を大量に画面に出演させたことがある[11][13][14]。
1987年9月14日に東映本社で行われた『映画時報』の東映幹部による座談会で、鈴木常承東映常務取締役営業部長は、一連のヤング番組を総括して「ヤング番組だからくるというものでもございません。ウチの結果的に当たったのは『スケバン刑事』と『ビー・バップ・ハイスクール 高校与太郎行進曲』だけで後のヤング映画は失敗でした。岡田茂社長も『ヤングの層が一番ビデオに影響されるから、かなり力のある作品が出ていかないと、てきめんに響くな』とおっしゃっていました。フジテレビが今夏は『夢工場』をやって、570万人集めたそうです。570万人ということは約60億円。映画の特大ヒットの2本分がそちらのイベントの方に行っちゃったわけですから、この影響もかなりあると思います。東京ディズニーランドも『夢工場』の影響でこの夏は20%ぐらい減らしたそうですし、ウチの映画村も若干影響を受けました。今年は年始めからナイスショットが続いていたんですが、5月のゴールデンウイークがヤング番組『湘南爆走族』/『本場ぢょしこうマニュアル 初恋微熱篇』で失敗し、その後に『戦争と平和』(実録ヤクザ映画大作を予定していた)が予定通りあったらかなり上がったと思うんですが、それでも『吉原炎上』でかなり取り返したんです。でも『シャコタン・ブギ』と『名門!多古西応援団』でまたすべって、折角取り返した分をそこですっちゃいました」などと[10]、宣伝を担当した小野田啓東映宣伝部長は「途中からどうも反応がなさすぎるという感じが出て来ていたんです。ただ原作が非常に売れているので、当初はいけるんではなかろうかと思ったんですが、映画になるのとマンガで見るのとちょっと違う部分があるんですね。『ビー・バップ・ハイスクール』などは原作も売れ、映画にしてもいい題材だったんでしょうね。非常に分かりいい、落ちこぼれの根性もので、映画になりいい題材ですが、『シャコタン・ブギ』のようなものはマンガでは現実を超えて魅力的に描けるが、映画ではそうはいかない。それとシャコタンというのは改良した違反車ですから、私有地の広場のようなところだけしか乗れないわけです。『トラック野郎』のときも警察にうんぬん言われたんですが、あれが出来た当時は違反車じゃなくてキャンペーンも陸運局から許可が取れて全国に渡ってやれたんです。シャコタンは最初から取締られている車ですから、車を使っての宣伝がやりにくく、当初計画した宣伝が出来ませんでした」などと[10]、高岩淡東映専務は「基本的にマンガを映画にするのはシンドイことなんです。原作のマンガと映画は質的に違いますから『ビー・バップ・ハイスクール』はたまたま上手く合ったわけです。みんなマンガの英雄を見てるわけで、ライブにしたらどうしても人間臭くなってつまらんわけ。映画というのはそんなに甘いものじゃないですね。『ビー・バップ・ハイスクール』の大ヒットは例外ですよ。たまたま運が良かっただけで、周りにああいう作品がなかったから、タイミングが良かったんじゃないんですか。あのテの映画だと日活の『嗚呼!!花の応援団』以来10何年ぶりでしょう」などと解説している[10]。
ポニーキャニオン、スタジオぴえろにより制作されたOVA作品。全4巻のシリーズとして1991年8月から1992年7月にかけて発売された。
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