Gen Con 2007で、WotCはダンジョンズ&ドラゴンズの第4版を翌春発売すること、そして新たなルール体系の下ではグレイホークは、もはや既定のキャンペーンセッティングではないことを発表した。このため、「リビング・グレイホーク」は新たなルール体系には変換されず、それどころかオリジン 2008において終了された。
^ガイギャックス:「会員達が中世のゲームに飽き始めた時、私はまだそうではなく、ファンタジー要素を混ぜることに決めた。例えばドラゴンは火を噴くことができ、“英雄”は一般兵の4人分に相当する、魔法使いはファイアーボール(大型投石器と同じ射程と被害半径を持つ)とライトニングボルト(大砲と同じ射程と命中範囲を持つ)を放つことができる、などだ。当時はその種の模型が存在しなかったので、私はプラスチックのステゴサウルスを、素敵な正真正銘のドラゴンに改造したものだ」“Industry Insights: The RPGnet Interviews - Interview with Gary Gygax, part 1 of 3”. RPGNet (2001年5月1日). 2009年3月22日閲覧。
^ガイギャックス:「中世の卓上ウォーゲームにファンタジー要素を加えたものは、元々のグループのおよそ90%に信じられないほど熱狂的に歓迎された。リー・タッカーはそのゲームと私を捨て去った。マイク・リースとジェフ・ペレンは巨石を投げつける巨人、炎や電撃を吐くドラゴン、呪文を行使する魔法使いにも魅了されなかったが、魔法の鎧と魔法の剣を持った英雄や超英雄には抵抗し難いことが判明した」“Gary Gygax: Q & A (Part IX, Page 41)”. EN World (2005年7月3日). 2009年3月15日閲覧。
^ガイギャックス:「私は自分のポイントを、魔法の鎧と剣を持った超英雄と、支援用のファイアーボール呪文を持つ魔法使いを得るために使用するだろう。超英雄は敵の兵隊の集団を攻撃し、敵が彼を攻撃しようと集まったところに魔法使いがファイアーボールを落とすだろう。超英雄は無傷という結果になる可能性が非常に高く、敵の怒りを強く引き起こした」“Gary Gygax: Q & A (Part III, Page 2)”. EN World (2003年4月6日). 2009年3月15日閲覧。
^ガイギャックス:「私は『チェインメイル』中世軍事ミニチュアルールの“マン・トゥー・マン”と“ファンタジー・サプリメント”を1970年に執筆し、その小冊子は1971年に出版された」“Gary Gygax: Q & A (Part X, Page 23)”. EN World (2006年7月2日). 2009年3月15日閲覧。
^ローレンス・シック (1991年). Heroic Worlds: a History and Guide to Role-Playing Games. Prometheus Books. pp. 17-18
^ガイギャックス:「デイヴ・アーンソンと私はこのレイク・ジェニーバでGen Conが開催されていた1968年頃に出会い、マイク・カーと一緒に私達は“帆走艦の黄金時代”の海軍ミニチュア・ルールである『ドント・ギブ・アップ・ザ・シップ』を1971から72年頃に作った“Gary Gygax: Q & A (Part X, Page 23)”. EN World (2006年7月2日). 2009年3月15日閲覧。
^ガイギャックス:「デイヴはそのころ人対人(1つのフィギュア=1人の人物)のチェインメイル・ファンタジー・キャンペーンを継続していた。そして彼は...1972年の晩秋に、レイク・ジェニーバのゲーム・グループである我々に会うためにツインシティから下ってきた。アーンソンは彼のキャンペーン素材のいくつかを持って来た...」“Gary Gygax: Q & A (Part X, Page 23)”. EN World (2006年7月2日). 2009年3月15日閲覧。
^ガイギャックス:「D&Dゲームにとって私が地下設定に全力を注いだのはデイヴ・アーンソンとデイヴ・メガリー(ボードゲームのダンジョン!のデザイナー)のおかげだと思って欲しい。ゲームセッション前に配置されている固定遭遇、PCが成長して能力が上昇するにつれて次第に危険度を増すそれらなど、用意された冒険環境は完璧であった」“Gary Gygax: Q & A (Part IV, Page 1)”. EN World (2006年6月27日). 2009年3月15日閲覧。
^ガイギャックス:「それは1972年晩秋の出来事で、私がある城の廃墟の地図を書き上げ、ダンジョン(一層だけ)に降りる道を記入し、11歳の息子アーニーと9歳の娘エリスにキャラクターを作成して冒険するよう誘った。彼らはそれを行ない、およそ午後9時頃...この想像上の勇敢な行為から日常に戻り、索引カードに書いた自分達のキャラクターシートを置き、寝る準備をしなければならなかった。彼らは素晴らしい時間を過ごしており、プレイを続けることを望んだ」“Gary Gygax: Q & A (Part IV, Page 1)”. EN World (2003年7月22日). 2010年3月16日閲覧。
^Q:「D&DでかつてPCに殺された最初のモンスターは何ですか?」 ガイギャックス:「巨大ムカデだ。私の息子アーニー(ファイター)と娘エリス(クレリック)がプレイする1レベルPC達がやった」“Gary Gygax: Q & A (Part IX, Page 65)”. EN World (2005年8月19日). 2009年3月15日閲覧。
^ガイギャックス:「息子アーニーと娘エリスのキャラクター達によって最初に遭遇されたモンスターは、彼らの侵入したダンジョンのかなり最初の方の部屋にあった瓦礫の下のサソリの巣だ。きらめくコインが、無謀な手をサソリの攻撃に誘い込むために描写されたが、エリスのPCはあたりを探るために短剣を使い、サソリは発見された。最終的に1匹が刺すことに成功したが、毒に対するセービングスローは成功した」“Gary Gygax: Q & A (Part V, Page 7)”. EN World (2004年1月28日). 2009年3月15日閲覧。
^ガイギャックス:「彼らは次に銅貨3,000枚の入った箱を持つコボルドの集団と遭遇し、倒した。言うまでもなく、彼らはその財宝に満足していなかった」“Gary Gygax: Q & A (Part V, Page 7)”. EN World (2004年1月28日). 2009年3月15日閲覧。
^ガイギャックス:「探索の長いセッションの後半で、2人の恐れを知らない冒険者はいくつかのコボルドのねぐらを発見し、2つを殲滅して残りは逃げ散った。彼らは硬貨で満たされた鉄の箱を発見した...数千枚の銅貨。動かすにはあまりにも重すぎた。大きな期待はずれ」“Gary Gygax: Q & A (Part IX, Page 65)”. EN World (2003年7月22日). 2009年3月15日閲覧。
^ガイギャックス:「私が働くことに忙しかった時でさえ、平均して週に7回のゲームセッションは普通のことだった。私はしばしばそれ以上のプレイをした」“Gary Gygax: Q & A (Part II, Page 9)”. EN World (2003年2月26日). 2009年3月15日閲覧。
^ガイギャックス:「私がグレイホーク・キャンペーンを始めた時、地球の平行世界を想定した。そのため、当時仮定した地理は地球のそれにかなり近かった。忙しくゲームセッションを運営し、ダンジョンの階層、グレイホーク市の地図を作成し、新たな資料を作成し、そしてまた“それを即興で作る”ことを楽しんで、私は決して大縮尺の世界地図を作ろうとはしなかった」“Gary Gygax: Q & A (Part I, Page 8)”. EN World (2002年9月6日). 2009年3月15日閲覧。
^ガイギャックス:「この惑星は我らの地球によく似ていた。グレイホーク市は巨大な湖のそば、およそシカゴがあるであろう場所に位置しており、ダイヴァースは北のミルウォーキーに対応する位置であった。全般的な文化は擬似的な中世ヨーロッパのものであった。WoGの地図上に見られたいくつかの王国は、冒険の中心地域であるグレイホーク市の周囲に見られた」“Gary Gygax: Q & A (Part III, Page 4)”. EN World (2003年4月14日). 2009年3月15日閲覧。
^ガイギャックス:「私が自分の世界設定にワールド・オブ・グレイホーク以前の地図を使っていた時、北米の西海岸は野蛮な穴居人とそれと同時代の動植物が住まう、更新世の地域であった」“Gary Gygax: Q & A (Part IX, Page 45)”. EN World (2005年7月6日). 2009年3月15日閲覧。
^ゲイリー・ホリアン; エリック・モナ、ショーン・K・レイノルズ、フレデリック・ワイニング (2000年). リビング・グレイホーク・ガゼティア. ウィザーズ・オブ・ザ・コースト. p. 189. ISBN0-7869-1743-1リビング・グレイホーク・ガゼティアでは掲載されている全神格に読み方が記述されているが、"Zagyg"の読み方は"ZA-gig"となっている。
^ガイギャックス:「ザギグは一種の冗談に基づいている。グレイホーク城とそのダンジョンの狂気の設計者としての私。結局のところ、ほかにどれほどこのような場所が存在することができたのだろうか?」“Gary Gygax: Q & A (Part I, Page 18)”. EN World (2002年9月20日). 2009年3月15日閲覧。
^ガイギャックス:「ロブはロビラー1人でプレイして、ダンジョンをすっかり調べ尽くしてそれを成し遂げた。アーニーは、ロブが冒険のグループにいないことに気付き、ロビラーの所在を探すためにテンサーを単独の探索行に送り出した。彼は(ロビラーと)類似の経路をたどることに成功し、13層に到達した。それからテリー・クンツはいつもの仲間の内2人がプレイに出てこられないことに気付き、テリックで出発し、最低階層への到達に成功した...グループの他のメンバーは誰も、それに成功することはできなかった」“Gary Gygax: Q & A (Part III, Page 11)”. EN World (2003年5月13日). 2009年3月15日閲覧。
^ガイギャックス:「この階層まで降りたキャラクターは、戻ることができなかった。これに成功した者は適切な報酬を与えられた後、巨大で一方通行の滑り台を通って、世界の反対側に送り込まれた」“Gary Gygax: Q & A (Part III, Page 11)”. EN World (2003年5月13日). 2009年3月15日閲覧。
^「ロビラーはオアースをぐるりと巡った最初の1人である。グレイホーク城の最底部に入ることにより、彼は魔法の滑り台によって現在の“中国”にあたる場所に送り込まれた。テリックとテンサーは後に続き、彼らが彼を城の1層目に戻すのに失敗した時、仲間として、この3人組は影響を受けた。彼らは占術によって彼に追いつき、そして一緒にこの冒険を終えた」ロバート・J・クンツ; ダグラス・J・ベリンガー. “Robilar Remembers: Lord Robilar and Co.”. 2009年5月15日閲覧。
^ガイギャックス:「彼らの多く、1ダースかそこらの“常連”が毎日冒険セッションを求めてそこにおり、他方、その他の人々はプレイするために週末にやって来た。時には20人以上のD&Dゲーマーが私の地下室に集まった」“Gary Gygax: Q & A (Part IX, Page 108)”. EN World (2005年12月5日). 2009年3月15日閲覧。
^ガイギャックス:「多人数のプレイヤー集団を管理するのに必要であったため、そしてまた小さな複数のパーティの全てのセッションを運営するために、私はロブを私のキャンペーンの共同DMとして参加させた。1974年と1975年にはしばしば、1日に同時に2つの長いセッションが行われた。私は資料を書かねばならなかったため、ロブはそれらの多くを運営した」“Gary Gygax: Q & A (Part I, Page 8)”. EN World (2002年9月6日). 2009年3月15日閲覧。
^ガイギャックス:「私の運営するゲームセッションには60人を遙かに上回る様々なプレイヤーがいたが、それができた理由の1つは、ロブ・クンツが共同DMとして参加してくれたことだ」“Gary Gygax: Q & A (Part IX, Page 108)”. EN World (2005年12月5日). 2009年3月15日閲覧。
^ガイギャックス:「ロブが私の共同DMになってから2年後、城の上部全体に大規模な変化があり、広範囲の新たな1層目が作られた。そして次にダンジョンのより下の階層が新たに作られ、私の作ったオリジナルの階層とロブのダンジョンが統合され、更に体系全体を埋めるために、我々は新たな階層を作り出した」“Gary Gygax: Q & A (Part IV, Page 9)”. EN World (2003年11月2日). 2009年3月15日閲覧。
^ガイギャックス:「私は1985年にTSRとの全ての関係を断たれた時に、このキャンペーンを終わらせた。私はそれ以来時折それを使用したが、もちろん、定期的な進行中のプレイのためではない」“Gary Gygax: Q & A (Part XII, Page 34)”. EN World (2007年3月2日). 2009年3月15日閲覧。
^Q:「私は初期のD&Dについて知りたいのですが、プレイヤーはPCにどのくらいの特徴や個性を設定したのですか?」 ガイギャックス:「当時のプレイヤー達の主な目的は戦闘であり、数は多くなかったが名無しのPCさえ存在した。そういうPCを我々はどちらかというと皮肉を込めて“ジョーのファイター”とか“ボブのクレリック”と呼んだ。中心となる集団、常連達は、お互いのPCや幾人かのNPC達と相互に作用し合って、自分達のPCを人柄に合うように育成することにずっと関心を持っていた」“Gary Gygax: Q & A (Part VIII, Page 7)”. EN World (2005年2月26日). 2009年3月15日閲覧。
^Q:「“メルフス・アシッド・アロー”、“オティルークス・リジリアント・スフィアー”、“モルデンカイネンズ・ディスジャンクション”のような名前の呪文はあなた自身が作成したのですか、それともプレイヤーの研究からできあがったのですか?」 ガイギャックス:「それらの呪文全ては私が作った。通常は私のキャンペーンのPCに名誉を授けるために、あるいは基礎を提案した人のために...メルフは息子ルークのPCであった...」“Gary Gygax: Q & A (Part III, Page 6)”. EN World (2003年5月2日). 2009年3月15日閲覧。
^ガイギャックス:「次の日、彼らはプレイした。彼らの2人のPC達は新たなキャラクターだった。それはロブ・クンツのと、ドン・ケイのマーリンドだった」“Gary Gygax: Q & A (Part VI, Page 9)”. EN World (2004年3月26日). 2009年3月15日閲覧。
^ガイギャックス:「一般に、私自身も含めて大多数のプレイヤーが、初めてDMではなく冒険を行う時、PCの名前を大切なものとは考えないが、何か身に染みることが起きるだろう。このように、私の最初のキャラクターはイラグ(Yrag:Garyの逆さ読み)と名付けられた...」“Gary Gygax: Q & A (Part X, Page 14)”. EN World (2006年6月15日). 2009年3月15日閲覧。
^ガイギャックス:「我らは第二次世界大戦、現代の都市、大西部を少々試した...SF活劇は普通にやった。およそ12回に1回くらいのセッションで、何かファンタジー以外のジャンルを取り込んだ。退屈を防ぐには、それで充分だった」“Gary Gygax: Q & A (Part VIII, Page 3)”. EN World (2005年2月21日). 2009年3月15日閲覧。
^ガイギャックス:「マーリンドが使用した奇妙なワンドは大きな音を立て、ダメージを与える飛び道具を発射したが、いずれの効果も火薬のせいではなかった。これらはマーリンドの、技術とそれを魔法的に作用させる方法に関する神秘的な理解によって考案された、非常に稀なマジックアイテムであった」“Gary Gygax: Q & A (Part IV, Page 13)”. EN World (2003年11月25日). 2009年3月15日閲覧。
^クンツ:「ゲイリーは決して、テンプル・オブ・エレメンタル・イーヴルでのロビラーの冒険を嬉しく思っていなかった。ロビラーが敵をバラバラに切り裂き、状況を踏み破り、敵の全ての集団を蹴散らしていく毎にゲイリーの驚きの表情が増すのを見るという素晴らしい時間を過ごした。最後の一撃はザグトモイの解放であった。DMの復讐として、彼の城に戻る全ての道を軍勢がロビラーを追跡し、彼は城を放棄することを強いられた」“Robilar Remembers: Lord Robilar and Co.”. Pied Piper Publishing. 2009年5月16日閲覧。
^クンツ:「ロビラーは、テリック、テンサーと共に3人組を結成して、しばらくの間グレイホーク城の1層目を占拠した。彼らは自分達の勢力をそこに駐屯させて出入りを警戒し、不規則に広がった城の地下複合体の深みを探索するための基地としてそこを使用した“Robilar Remembers: Lord Robilar and Co.”. Pied Piper Publishing. 2009年5月16日閲覧。
^ガイギャックス:「アーニーは、パーティでの冒険にロブが欠席していることに気付き、ロビラーの所在を突き止めるための単独の探索に、テンサーを送り出した。彼は(ロビラーと)同じような経路を辿ることに成功し、13層目に到達した」“Gary Gygax: Q & A (Part III, Page 11)”. EN World (2003年5月13日). 2009年3月15日閲覧。
^ガイギャックス:「私がモルデンカイネンのために作り上げた背景は、事実上、フィンランド神話に類似していた...ロシア人によってもたらされたB&W映画を見た後で、私は本当にフィンランド神話に夢中になっており、ヴァイナモイネン、レンミンカイネン、イルマリネンがポージョラを冒険してロウヒの要塞に入るのを想像し、それからカレワラのみならずディ=キャンプとプラットの「青くさい魔法使い」を読んだ」“Gary Gygax: Q & A (Part X, Page 13)”. EN World (2006年6月13日). 2009年3月15日閲覧。
^ガイギャックス:「モルデンカイネンがロブのダンジョンを冒険していた時、彼は悪の信念を持った3レベルのマジックユーザーに驚かされた。モルディーは「魅了」の呪文を、最終的にビグビーとなるその男に行使した。友情のために、ビグビーに講義し、指導し、分かち合い、彼は悪から中立になっただけではなく、彼の過去の行ないを考慮して、気持ちがそこから善に傾いていた」“Gary Gygax: Q & A (Part IX, Page 24)”. EN World (2006年8月8日). 2009年3月15日閲覧。
^Q:「私が聞いた話では、ビグビーは元々NPCであり、あなたが魔法で魅了して、後にあなたのPCになったとのことですが」 ガイギャックス:「モルデンカイネンは、いかにもビグビーとまんまと出くわし、彼を魅了した。その時点では、ビグビーは3レベルの悪のダンジョン住人であった。説得と行動により、モルディーは彼を悪から中立となるように説き伏せ、それでビグビーは彼の弟子となった。ロブ・クンツが、彼はモルデンカイネンの忠実な部下となったと決定した後、私は彼の能力値をダイスで決めた」“Gary Gygax: Q & A (Part VIII, Page 3)”. EN World (2005年2月19日). 2009年3月15日閲覧。
^“What's in a Name? Call it Whatever, But it Still Smells Sweet”. ドラゴン誌 (ベルビュー (ワシントン州): Paizo Publishing) (318号). (2004年4月).
^ガイギャックス:「レアリーは、ブライアン・ブルームがD&Dの初期の頃に作成したキャラクターで、ブライアンが彼を「中くらいのレアリー」と紹介するために3レベルまで成長させることを望んだマジックユーザーであった。彼がそのレベルに到達した時、ブライアンはそのPCの使用をやめ、実際にD&Dの定期的なプレイをやめた」“Gary Gygax: Q & A (Part X, Page 7)”. EN World (2006年5月29日). 2009年3月15日閲覧。
^ガイギャックス:「本来の八者の円は私のPC達―モルデンカイネン、ビグビー、イラグ、リグビー、フェルノリス、ジグビー、ヴラム、ヴィン―で構成されていた。小説版では、円は例えばテンサーのような、私のキャンペーンの他のPC達を加入させるために開かれた。モルデンカイネンと仲間達は数々の成功した冒険により莫大な富を蓄積していたため、たくさんの戦闘を保証する敵の領域深くに、拠点とすべき場所を見つけ、そしてそこに要塞を建設しに行った」“Gary Gygax: Q & A (Part IV, Page 9)”. EN World (2003年11月1日). 2009年3月15日閲覧。
^ガイギャックス:「提携したドワーフの小軍勢と、より大きな騎乗した野戦軍を備え、建設計画は比較的速やかに遂行され、完成までゲーム内時間でおよそ3年を要した」“Gary Gygax: Q & A (Part IV, Page 9)”. EN World (2003年11月1日). 2009年3月15日閲覧。
^ガイギャックス:「黒曜石要塞は、プレイヤーとしての私の実に個人的な創造物であった。これは8つの城壁塔と中央の天守閣を備えた8角形の城であり、多数の軍勢を収容するために、外壁と内側の構造物の間に多くの空間があった“Gary Gygax: Q & A (Part VI, Page 9)”. EN World (2004年3月26日). 2009年3月15日閲覧。
^ガイギャックス:「黒曜石要塞と八者の円は私自身のキャンペーンのオリジナルであった。モルデンカイネンが、通常の冒険をするにはあまりにも高いと考えるほどのレベルに到達した時、私は前述の要塞を建設するために、彼と仲間達の集めていた金を使った」“Gary Gygax: Q & A (Part III, Page 17)”. EN World (2003年7月8日). 2009年3月15日閲覧。
^ガイギャックス:「論理的な諸神格のパンテオンに類似した何かを、世界設定のために開発する試みは、我々にはプレイにおいてこのような存在と交渉する機会はめったになかったため、完了するまでにかなりの期間を要した。聖カスバートとフォルタスはクレリックのプレイヤー達にうけたため、私は彼らを詳細に作り込んで時を過ごした。私が悪役を務め、そしてPC達の目的を挫折させるために悪の神格をプレイに投入するにつれて、バランスが取れるようになっていった」“Gary Gygax: Q & A (Part VIII, Page 5)”. EN World (2005年2月24日). 2009年3月15日閲覧。
^ガイギャックス:「私がはじめに冒険素材を作り始めた時、私はこの作品を利用するDMが、キャンペーン世界などのうわべを飾るものよりも実質的なルールを好むであろうと想定した。キャンペーン世界をプレイヤー集団に適合させるのはまさにDMの仕事の領域である、と」“Gary Gygax: Q & A (Part XII, Page 40)”. EN World (2007年3月28日). 2009年3月15日閲覧。
^ガイギャックス:「私は多数の熱心なプレイヤー達とのゲームを運営していたため、私は本当に彼らに対して、世界全体をまな板に載せて差し出すことを望んでいなかった」“Gary Gygax: Q & A (Part IV, Page 11)”. EN World (2003年11月5日). 2009年3月15日閲覧。
^ガイギャックス:「私がTSRから私の「ワールド・オブ・グレイホーク」を商用製品とするように依頼された時、非常に驚いた。私はほとんどのDM達が、自分自身の世界設定を使うことを遥かに好むだろう、と考えていたからだ」“Gary Gygax: Q & A (Part IV, Page 11)”. EN World (2003年11月5日). 2009年3月15日閲覧。
^Q:「ドラゴン誌315号で、ジム・ウォードはグレイホーク設定の起源について話をし、"彼(ガイギャックス)は全世界を精密に記した"と言ったと引用されています。これはあなたが、オアースの残りの部分についての資料を持っていて、あなたの地下室に隠されていることを意味しますか?」 ガイギャックス:「そう、私は世界の他の部分の素描を持っていた...」“Gary Gygax: Q & A (Part IX, Page 33)”. EN World (2005年6月21日). 2009年3月15日閲覧。
^ガイギャックス:「世界の他の部分の正確な形状は決められなかった。私はアトランティスのような大陸、そして可能ならレムリアのようなそれを欲した。恐らく2つの大きな大陸が加えられたであろう。近い方の大陸は、インド、ビルマ、インドネシア、中国、チベット、日本などのような文化に場所を提供したであろう。もう1つはエジプトを含むアフリカ様式の文化の地となったであろう。レムリアのような大陸の文化は、アステカ、マヤ、インカのような中南米の文化に基づいていたであろう」“Gary Gygax: Q & A (Part II, Page 19)”. EN World (2003年4月6日). 2009年3月15日閲覧。
^ガイギャックス:「私がTSRから、売り出すためのキャンペーンセッティングの作成を依頼された時、私は新しいコンパクトな"世界"を作成した。それは大陸の一部、もちろん2枚の地図に可能な限り載せるように調整したものであった。そしてそれは、ワールド・オブ・グレイホークとなった」“Gary Gygax: Q & A (Part I, Page 8)”. EN World (2002年9月6日). 2009年3月15日閲覧。
^ガイギャックス:「私はTSRが作成することのできる最大の地図寸法を知り、その寸法での2枚の地図の作成許可を得て、2週間座り詰めで全体を手で描いた。地図が描き上がり、地物に名前が入り、私は地物と国の簡潔な情報を書き上げた。情報の多くが私の個人的な世界から集められたが、この地図上に描写された新たなものに適合するように変更を加えた」“Gary Gygax: Q & A (Part IV, Page 11)”. EN World (2003年11月5日). 2009年3月15日閲覧。
^ガイギャックス:「ザ・ワールド・オブ・グレイホーク設定はDM達による個性化を考慮に入れて作成されており、そのため詳細な記述がなく曖昧になっている箇所が所々にあり、そこにDMが自分自身の資料を作成する可能性が高かった」“Gary Gygax: Q & A (Part XIII, Page 54)”. EN World (2007年10月15日). 2009年3月15日閲覧。
^ガイギャックス:「私がワールド・オブ・グレイホーク製品のために地図を作成した時、私は即座に素材の90%を作り上げ...今まで私が使っていたものより好きになった。それで、私は自分のキャンペーンを新たに作成したオアースの世界に切り替えた。グレイホーク市を取り巻いている場所だけが、元のキャンペーンセッティングから引き継がれた」“Gary Gygax: Q & A (Part IX, Page 97)”. EN World (2005年8月24日). 2009年3月15日閲覧。
^ガイギャックス:「もちろん、私のキャンペーン世界は現役であり、私は(一般の人々に)それを詳述するのを望まなかった。それで私は他のDM達による汎用的な使用のために、オアース、オアリク大陸とそれに付随する全てを作成した。私はそれが非常に気に入ったので、私が地図と原稿を仕上げてからすぐに、自分のグループのプレイをワールド・オブ・グレイホークに切り替えることに決めた“Gary Gygax: Q & A (Part X, Page 11)”. EN World (2006年6月4日). 2009年3月15日閲覧。
^ガイギャックス:「WoG設定の時系列に関して、この世界は全てのDM達が望むままに使用される予定のものであり、各々が自分のキャンペーンの必要に応じて作り上げるものであるため、私はそれを進行させるための当面の計画を持っていなかった」“Gary Gygax: Q & A (Part XIII, Page 9)”. EN World (2007年4月25日). 2009年3月15日閲覧。
^ガイギャックス:「概して私のキャンペーンのプレイヤー集団は、政治と戦争に対してあまり興味を持っていなかった。私が自分のPC達をプレイした時、私は常に政治に干渉し、大軍勢を持っていた。それでロブをDMとして、いくつかの戦争を終わらせた」“Gary Gygax: Q & A (Part V, Page 5)”. EN World (2004年1月26日). 2009年3月15日閲覧。
^ガイギャックス:「NPC達の経験レベルが比較的低いのと、アラインメント間の均衡は、全てのDM達によるこの世界設定の使用を促進するために、意図的になされた。基本的に中立の環境では、個別のキャンペーンの方向性は直接的にそれを運営しているDMの手中にあった...私の考え方として、1つのアラインメントに支配された集団は、冒険の可能性を制限してしまう可能性があるため、それは為された」“Gary Gygax: Q & A (Part IV, Page 11)”. EN World (2003年11月5日). 2009年3月15日閲覧。
^ ab「しばしば約束されるが、しばしば遅れ、ワールド・オブ・グレイホークは時々決して出版という日の目を見ないかのように思われた...夏はすぐに我々の期待の多くと同様に速やかに去っていくが、8月初旬の運命の日に、大切な叫びが遂にあがった。ザ・ワールド・オブ・グレイホークがやって来た!」ジェフ・セイケン (1981年2月). “The Dragon's Augury: The Wait Was Worth It”. ドラゴン誌 (ウィスコンシン州レイク・ジェニーバ: TSR) 5巻、8号 (46号): 48-49ページ.
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^ガイギャックス:「私がこの資料を承諾したのだから、もちろん非難を受け入れねばならない。もちろん、DMは常に勘を頼りにする存在であり、私は(その諸表を)決して使わなかった...私がゲームを運営する時は、私がそうしたいと思った天候を告げていた」“Gary Gygax: Q & A (Part V, Page 15)”. EN World (2005年1月6日). 2009年3月15日閲覧。
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^ジム・ウォード; ロバート・J・クンツ (1980年). Deities and Demigods. ウィスコンシン州レイク・ジェニーバ: TSR. ISBN0-935696-22-9
^ゲイリー・ガイギャックス (1982年8月). “Greyhawk's World - News, Notes and Views of the Greyhawk World: Events of the Eastern and Southern Flanaess”. ドラゴン誌 (ウィスコンシン州レイク・ジェニーバ: TSR) 7巻、3号 (64号): 13.
^ゲイリー・ガイギャックス (1983年). World of Greyhawk Fantasy Game Setting. ウィスコンシン州レイク・ジェニーバ: TSR
^ガイギャックス:「私がまだTSRでD&Dゲーム系列製品の制作管理をしていた時、計画した企画の1つがオアースの世界設定を完全に作り上げることであり、様々な諸地域やフラネスの目立った特色―リフト峡谷、塵海など―の資料集を出版することであった。“Gary Gygax: Q & A (Part XII, Page 12)”. EN World (2006年9月22日). 2009年3月15日閲覧。
^Q:「グレイホークにどのような展開をしようとしていましたか? それが実現していた場合、現在のグレイホークとはどのくらい異なっていますか?」 ガイギャックス:「惑星全体が完全に設定され、その地表にはより多くの諸大陸や諸国家が存在したであろう。」“Gary Gygax: Q & A (Part II, Page 19)”. EN World (2003年4月5日). 2009年3月15日閲覧。
^ガイギャックス:「私はWoG設定を、惑星上を完全に覆い尽くすまでに拡張するつもりであった...にもかかわらず、私が1985年の末にTSRと決別した時から、この計画に対してまともな仕事は為されなかった。」“Gary Gygax: Q & A (Part VI, Page 4)”. EN World (2004年2月29日). 2009年3月15日閲覧。
^ガイギャックス:「私は、2番目のボックスセットで世界を完成させることに加え、世界設定内の様々な国々と主要な地形特徴を詳述した資料を作成することを計画した。」“Gary Gygax: Q & A (Part XIII, Page 10)”. EN World (2007年4月26日). 2009年3月15日閲覧。
^ガイギャックス:「フランソワは大陸といくつかの島々の地図を東方に配置しようとし、それらは加えられようとしていた。「東洋」は実はそれらよりも更に東にあり、むしろオアリク大陸の西海岸の方に近かった。レン・ラコフカは、レンドア諸島と同様に東の大陸を追加する案を持ち、それで私はフランソワとレンの地図とオアリク大陸をあわせ、その下により小さな大陸を仕上げ、本当の地球儀のような状態にすることを計画した。」“Gary Gygax: Q & A (Part VI, Page 4)”. EN World (2005年3月3日). 2009年3月15日閲覧。
^ガイギャックス:「私は1つの問題を警告された。ケビン・ブルームがニューヨーク市でTSRを売りに出している、と。私は西海岸から飛んで帰り、そして会社が銀行からおよそ150万ドルの大金を借金していることを見いだした」“Gary Gygax: Q & A (Part XII, Page 28)”. EN World (2007年1月21日). 2009年3月15日閲覧。
^ガイギャックス:「私の名前の綴り替え語は、私とTSRの和解合意に従って排他的な私の権利であり、それはなんと、私がザギグ(Zagyg)、ザギグ(Zagig)、イラグを独占的に使うことができるという権利なのだ」“Gary Gygax: Q & A (Part IX, Page 91)”. EN World (2005年10月20日). 2009年3月15日閲覧。
^ガイギャックス:「後のTSR(とウィザーズ・オブ・ザ・コースト)によるグレイホーク・セッティングに対する取り組みと処遇は、私がそれを作成した時に意図した目的とは完全に正反対であった」“Gary Gygax: Q & A (Part XIII, Page 9)”. EN World (2007年4月25日). 2009年3月15日閲覧。
^サージェント:「マイアヘンのカルトは、フラネスの包囲された悪でない国々でかなり増加した。なぜなら、マイアヘンは保護と生存の半神であるのだから」カール・サージェント (1992年). From the Ashes. ウィスコンシン州レイク・ジェニーバ: TSR. p. 95ページ. ISBN1-56076-341-8
^カール・サージェント (1993年3月). “Campaign Journal: Greyhawk Adventures risen from the ashes”. ドラゴン誌 (191号): 64-68ページ.
^カール・サージェント (1994年4月). “Campaign Journal: A strange alliance”. ドラゴン誌 (204号): 52-57ページ.
^カール・サージェント (1994年6月). “Campaign Journal: The Sea Barons”. ドラゴン誌 (206号): 34-41ページ.
^カール・サージェント (1994年8月). “Campaign Journal: The Adri Forest”. ドラゴン誌 (208号): 47-58ページ.
^無記名 (1995年5月). “Rumblings: TSR publishes lost Greyhawk manuscript electronically”. ドラゴン誌 (217号): 98ページ.
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^ルー・エマソン (1999年7月). Against the Giants. ワシントン州レントン: ウィザーズ・オブ・ザ・コースト. ISBN0-7869-1379-7
^ポール・キッド (1999年10月). White Plume Mountain. ワシントン州レントン: ウィザーズ・オブ・ザ・コースト. ISBN0-7869-1424-6
^ポール・キッド (2000年6月). Descent into the Depths of the Earth. ワシントン州レントン: ウィザーズ・オブ・ザ・コースト. ISBN0-7869-1635-4
^ローランド・J・グリーン (2000年11月). Expedition to the Barrier Peaks. ワシントン州レントン: ウィザーズ・オブ・ザ・コースト. ISBN0-7869-1656-7
^トマス・M・リード (2001年5月). The Temple of Elemental Evil. ワシントン州レントン: ウィザーズ・オブ・ザ・コースト. ISBN0-7869-1864-0
^ポール・キッド (2001年10月). Queen of the Demonweb Pits. ワシントン州レントン: ウィザーズ・オブ・ザ・コースト. ISBN0-7869-1903-5
^ルー・エマソン (2001年11月). Keep on the Borderlands. ワシントン州レントン: ウィザーズ・オブ・ザ・コースト. ISBN0-7869-1881-0
^キース・フランシス・ストローム (2002年2月). The Tomb of Horrors. ワシントン州レントン: ウィザーズ・オブ・ザ・コースト. ISBN0-7869-2702-X
^ガイギャックス:「グレイホーク市のオリジナルの地図は、着色され枠がPCの行くであろう場所(宿屋と酒場、武具師、両替商と銀行、宝石商と貴金属商、市の建物、ギルドなど)を示す、1枚のグラフ用紙であった。それは2枚、その後4枚に拡張され、スラム街とロブの緑竜亭が記載された」“Gary Gygax: Q & A (Part VI, page 2)”. EN World (2004年2月13日). 2009年3月15日閲覧。
^Q:「あなたがTSRを去った後、あなたはゴード・ザ・ローグのシリーズを終わらせました。物語の終わりで、オアースは困難に直面します。これは、グレイホークは死に、ファンはTSR版を軽蔑をこめて無視するべきであると宣言する、あなたなりの手段だったのですか?」 ガイギャックス:「T$R(ママ)がゴミを発売することによって既にあのセッティングを殺していたので、これはむしろセッティングを破滅させることにより、恥をぬぐい去る時であったと宣言する私なりの手段だった」“Gary Gygax: Q & A (Part VII, page 2)”. EN World (2004年11月19日). 2009年3月15日閲覧。
^ガイギャックス:「私は城とダンジョン(本来の13層と付属構造と、ロブと私の取り組みを結合し、多くの階層を追加した結果できあがった“新グレイホーク城”の両方)の新たな概略図を提示した。それからロブは、この作品の最新版の階層設計を立案するだろう。なお私は全ての最も重要な特徴、遭遇、トリック、罠などを様々な階層に配置するために集めている。なお、その資料は知られている、あるいは未だ知られていない、傑出したオリジナルの作品からの全ての特色を持ち、仕上がりは本質的に全てのDMにとって有用な理路整然とした体裁における、我らの古い作品の最高のものとなるであろう...願わくは」"“Gary Gygax: Q & A (Part IX, page 81)”. EN World (2005年12月15日). 2009年3月15日閲覧。
^ガイギャックス:「ロブと私がまとめ上げた資料の全体は、出版するにはあまりにも多く、50階層かそこらもあった。私がしたことは、より適度な広さである私の本来の設計に戻ることであった。なぜなら、毎日のように探索を行う20人ものPC達の集団を、この作品が受け入れる必要があるとは思えなかったからだ」“Gary Gygax: Q & A (Part IV, Page 9)”. EN World (2003年11月2日). 2009年3月15日閲覧。
^ガイギャックス:「...グレイホーク城の上層部と下層部は、長年に渡って現役で使用されていた間に、何度も変更された。我らが為すべきことは、(それらの中から)多くの最善を取り上げ、それを誰にとっても有用な、詳細な構成にすることであろう」“Gary Gygax: Q & A (Part IV, Page 9)”. EN World (2003年11月2日). 2009年3月15日閲覧。
^ガイギャックス:「私は確かに、PCのパーティに適切であると思ったものは何でも加え、その場で詳細を作った。そしてロブはプレイし、私から学び、彼は同じことを行った。そして我々が活発に共同DMをしていた時、しばしばなかなかの本当に刺激的な素材を、言うなれば、即座に作り上げることができたものであった」“Gary Gygax: Q & A (Part IX, page 81)”. EN World (2005年12月15日). 2009年3月15日閲覧。
^ガイギャックス:「ロブが私から学ぶにつれて、かれは間違いなく有名な「勘と経験による」手法でDMを行った。非常に長い状況描写、戦闘、会話、トリック、罠、その他諸々に関して、1つの遭遇のためにただ1行のメモのみで2人とも充分であった」“Gary Gygax: Q & A (Part IV, Page 9)”. EN World (2003年11月2日). 2009年3月15日閲覧。
^ガイギャックス:「我々が行おうとしている課題は外部から選り集め、最高のものを採用し、我々が即座に作り上げた細部を再作成することである。もちろん、最も有名なものは、物語と口伝えを通じてよく知られていない最高の要素の大部分と共にそこに存在するであろう」“Gary Gygax: Q & A (Part IV, Page 9)”. EN World (2003年11月2日). 2009年3月15日閲覧。
^ガイギャックス:「イッグスバーグは、これをキャンペーンの根拠地にすることを望むGMのために、可能な限り多くの詳細を含めることを私が望んだため、非常に面倒な仕事であった。それで歴史、服装、地域の貨幣制度と経済の節、完全な街の解説、主な場所、人目に付く地区の全てに遭遇か提案の節が存在した“Gary Gygax: Q & A (Part VII, Page 23)”. EN World (2005年2月18日). 2009年3月15日閲覧。
^ガイギャックス:「ロブは彼の増設モジュールを仕上げたが、私はダンジョン階層は言うまでもなく、城の上部にふさわしい必要な作業を行うこともできなかった。私の最高齢の友人が11月下旬に亡くなったのも、停滞の大きな原因となった。とにかく、しばらくすれば私はもっと良くなると感じており、そして私がそうなったら、実際の創作活動を試みるだろう―多分3月頃には」“Gary Gygax: Q & A (Part VII, Page 23)”. EN World (2005年2月18日). 2009年3月15日閲覧。