最初のグレイホークの政治的区分の一式はゲイリー・ガイギャックスによって1979年に作成され、ダンジョンズ&ドラゴンズ ・ゲーム用のワールド・オブ・グレイホーク・ファンタジー・ゲーム・セッティングのフォリオ版として1980年に出版された[1][2]。グレイホーク市とその近隣を囲む国/地域がガイギャックスのホーム・キャンペーンから取り入れられたが[3]、ガイギャックスはフォリオ版のために更に国と地域を作成し、その総数は60に至った。
脚注
- ^ 「しばしば約束されるが、しばしば遅れ、ワールド・オブ・グレイホークは時々決して出版という日の目を見ないかのように思われた...夏はすぐに我々の期待の多くと同様に速やかに去っていくが、8月初旬の運命の日に、大切な叫びが遂にあがった。ザ・ワールド・オブ・グレイホークがやって来た!」ジェフ・セイケン (1981年2月). “The Dragon's Augury: The Wait Was Worth It”. ドラゴン誌 (ウィスコンシン州レイクジェネヴァ: TSR) 5巻、8号 (通巻46号): 48-49ページ.
- ^ ガイギャックス:「私はTSRが作成することのできる最大の地図寸法を知り、その寸法での2枚の地図の作成許可を得て、2週間座り詰めで全体を手で描いた。地図が描き上がり、地物に名前が入り、私は地物と国の簡潔な情報を書き上げた。情報の多くが私の個人的な世界から集められたが、この地図上に描写された新たなものに適合するように変更を加えた」“Gary Gygax: Q & A (Part IV, Page 11)”. EN World (2003年11月5日). 2009年3月15日閲覧。
- ^ ガイギャックス:「私がワールド・オブ・グレイホーク製品のために地図を作成した時、私は即座に素材の90%を作り上げ...今まで私が使っていたものより好きになった。それで、私は自分のキャンペーンを新たに作成したオアースの世界に切り替えた。グレイホーク市を取り巻いている場所だけが、元のキャンペーンセッティングから引き継がれた」“Gary Gygax: Q & A (Part IX, Page 97)”. EN World (2005年8月24日). 2009年3月15日閲覧。
- ^ ガイギャックスはレン・ラコフカの最初のTSR製アドベンチャーであるザ・シークレット・オブ・ボーン・ヒル の出版準備が進んでいるのを知っていた。それはラコフカのホーム・キャンペーン・セッティングであるレンドア島に設定されていた。そしてガイギャックスはそれに波沫諸島という地名を与え、この諸島の記述で茶目っ気たっぷりにラコフカに関する言及を加えた。「レンドア島はここを発見したアーチ・メイジにちなんで名付けられたが、彼と波沫諸島に彼が引き連れてきた仲間達の物語はほとんど失われている」。
- ^ ケトは誤りでフォリオ版の目次から脱落している。
- ^ 魔道師の谷は誤りでフォリオ版の目次から脱落している。
- ^ ガイギャックスはデイヴ・アーンソンのキャンペーン世界であるブラックムーアの名を地域の1つの名として借用した。しかしながら、彼の意図はアーンソンのキャンペーンのいかなる部分も自分のキャンペーンに移入しないことであり、グレイホークの一地域であるブラックムアーは、廃墟となった城と「これらの廃墟の地下にはより大規模な廃墟が存在するはずである」との茶目っ気たっぷりな言及を除いて、アーンソンの世界には全く似ていなかった。 ガイギャックス:「オアリク大陸地図上のブラックムアーは、間違いなくデイブ・アーンソンのキャンペーン・セッティングと同じものではない。私はその名の響きが好きであった。だから様々な国/地域の名を考えていた時、私はそれを地図上に配置したのだ」。“Gary Gygax: Q & A (Part X, Page 7)”. EN World (2006年5月29日). 2009年3月15日閲覧。
参考文献
関連項目