オデオンレコード Odeon 設立 1903年 (1903 ) 設立者 マックス・ストラウス(Max Straus) ハインリヒ・ツンツ(Heinrich Zuntz)[ 1] 国 ドイツ 本社所在地 ベルリン
オデオンレコード (Odeon)は、1903年 にドイツ で設立されたレコード会社 である。社名は、フランス ・パリ にあるオデオン座 に由来する。
概要
1903年 にドイツの「インターナショナル・トーキング・マシーン(International Talking Machine Co. m.b.H.)」社のもとで設立された[ 2] 。
1911年 、インターナショナル・トーキング・マシーン社は(パーロフォン などのレーベルを保有する)カール・リンドストレーム 社に買収された。1926年 には英 コロムビア に買収される。英コロムビア社は1931年 にグラモフォン 社(HMV レーベルなどを保有)と合併し、EMI となった。
イギリスと北米地域をのぞく各国でビートルズ のレーベルとして多く使用され、日本でもビートルズの現役時代、東芝音楽工業株式会社 (現・ユニバーサルミュージック合同会社 )からリリースされたレコードには、本来のパーロフォン のロゴの代わりにオデオンのロゴが使われたことで知られている(アップル・レコード が設立されると、カタログは順次アップルのロゴに置き換えられ[ 3] [ 4] たが、1970年代 後半~1990年代後半までは再びオデオンのロゴが使用されていた(厳密には上部に「EMI」のロゴも併記されている)[ 5] )。
由来
フランス ・パリ の劇場 の名前から取ったものである。
沿革
世界におけるオデオン・レーベル
ドイツから始まったオデオンレコードは、そのロゴとともに世界中へ拡散していった。
第二次世界大戦 の影響や、断続的に続いた音楽業界の再編などに伴い、オデオンのロゴを冠したレコードは徐々に消えていったが、フランス 、日本 、ブラジル 、トルコ 、アフリカ 諸国などでは、EMI傘下の主要ブランドの一つとして戦後も使われ続けたり、戦後から新たなレーベルとして再出発するケースが見られた。
ドイツ
オデオン・レコードの生みの親である「インターナショナル・トーキング・マシーン(International Talking Machine Co. m.b.H.)」社は、1903年 にアメリカ人 のフレデリック・M・プレスコット(Frederick M. Prescott)によって、ベルリン のヴァイセンゼー 地区に設立された。
1900年代 半ば、インターナショナル・トーキング・マシーンはイタリア のレーベル、フォノティピア と契約を結び、フォノティピアの親会社「ソシエタ・イタリアーナ・ディ・フォノティピア」にスタジオとエンジニアを提供し、フォノティピアのレコードの独占プレス権と販売権を握った[ 2] 。それとともに著名な歌手や器楽奏者の録音を数多く行い、オデオンにソプラノ 歌手リリー・レーマン が、フォノティピア にはヤン・クベリーク 等が録音した。
1911年 、インターナショナル・トーキング・マシーン社は、提携していた[ 2] イタリアのフォノティピア と共にカール・リンドストレーム 社(Carl Lindström A.-G.)に買収されたが、オデオンの商標は存続した。
1926年 、リンドストレーム社は英コロムビア (後の英EMI )に買収される。
1936年 から1945年 まで、リンドストレーム社はナチス が任命した人物によって経営され、オデオンは英EMIから独立して運営された。第二次世界大戦 が発生すると、リンドストレーム社のインフラと工場は1945年 までに破壊された。1951年 、EMI のもと「Carl Lindström GmbH」の名で再建され、オデオンのレコードをプレスした[ 6] 。
1972年 、リンドストレーム社は同じEMI 傘下のエレクトローラ と合併し、「EMIエレクトローラ(EMI Electrola GmbH)」となった[ 7] 。
2012年 9月21日 、エレクトローラ およびEMI のドイツ事業がユニバーサル ミュージック グループ (UMG)に売却された[ 7] 。2024年 の時点で、ドイツのオデオンはUMG ドイツ支社[ 8] 「Universal Music GmbH」内のレーベルとして存続しており、ラインハルト・メイ がオデオンから新譜を発表している[ 9] 。
日本
1930年 [ 10] 、「日本オデオン株式會社[ 11] (本社:銀座 6丁目交詢ビル内)」が、オデオンレコードの製作・発売を開始した。同年7月から邦楽盤の販売も開始[ 12] 。霞町勝太郎 [ 13] や田谷力三 らが録音を残した[ 14] が、1931年 、東京のイリス商会が設立したパルロフォンレコード [ 15] に吸収[ 16] された。イリス商会のパルロフォンレコードは、本国のパーロフォンが英コロムビア 傘下であった都合上、1933年 8月にレコードの製作を中止。原盤を日本コロムビア に引き継いだ[ 17] 。
1963年 1月、EMI(オデオンの親会社)の日本発売元だった東芝音楽工業 (後の東芝EMI → EMIミュージック・ジャパン を経て、現在のユニバーサル ミュージック合同会社[ 18] )が、EMI傘下の英 コロムビア・レコードの日本配給権が日本コロムビア から東芝に移行したのを受け、それまでクラシック・ポピュラー問わずヨーロッパのEMI系列の洋楽の音源全般を統括していた「エンジェル・レコード」を、クラシック系を「エンジェル」、ポピュラー系を「オデオン」と分割し、ヨーロッパ圏の洋楽ポピュラーの販売を開始した[ 19] 。エンジェル・レコードは天使のイラストを使ったレーベル・デザインで、他の国とレーベルロゴのデザインとほぼ同じだが、オデオンレコードは他の国に多い劇場のイラストを使ったものではなく、「Odeon」の「O」がレコードの溝のデザインになっている、日本独自のレーベル・デザインになっている。
東芝音楽工業のディレクターで、日本でのビートルズ人気を仕掛けた高嶋弘之 が、洋楽担当としてビートルズ を売り出すにあたり、当時の東芝音楽工業にあった「エンジェル・レコード」などの既存の洋楽レーベルではグループのイメージに合わないと考え、世界中のEMIが擁したレーベルから探したところ、この時点で日本では設立されたばかりで、特定のアーティストの色も付いておらず、響きも良かった「オデオンレコード」を、ビートルズ のレコードに使用するようになった。
高嶋は「日本のオデオンレコード」は、日本で「独自に作った 」「適当につけた 」もので、海外での「オデオンレーベル」と、日本とでは「ロゴの形も扱う音楽も全然違う」、「日本のオデオン(レーベル)はあっち(海外)とは無関係に独自で発展したもの 」と後年になって証言しているが、前出の通り、日本のオデオンレコードはビートルズの日本でのデビュー前に既に設立されており、実際には諸外国のオデオンレコードの扱いに準拠したものと考えられる。
フランス
1896年 9月28日 、シャルル・パテ(Charles Pathé) 、エミール・パテ(Émile Pathé) 、テオフィル・パテ(Théophile Pathé)、ジャック・パテ(Jacques Pathé)のパテ4兄弟がパリ にフォノグラフ(蓄音機 )・レコードを販売する「パテ 兄弟商会」(Société Pathé Frères)を設立した。
1928年 に英 コロムビア社 (コロムビア 、オデオン、パーロフォン 、エレクトローラ などのレーベルを有する)に買収された[ 20] パテは、シャトゥー のレコード工場でオデオンレコードを製造[ 21] 。1929年 にはマルコニフォン社(イタリア の物理学者 グリエルモ・マルコーニ が設立した無線機器の製造を専門とする会社)を買収した。
1936年 、英コロムビア系列のパテ・レコードと、英グラモフォン 系列の仏 グラモフォン(1899年設立。La Voix de son Maître などのレーベルを有する[ 22] )が合併。英EMI 系列の企業としてパテ・マルコーニ(Les Industries Musicales Et Electriques Pathé Marconi)が誕生した。
1940年代 から1950年代 にかけて、イヴ・モンタン [ 23] 、レオ・フェレ 、バルバラ [ 24] らがオデオンレコードに録音を残した。
パテ・マルコーニで取締役を務めたアルベール・ベルナール(Albert Bernard )がArteco(Art, Technique et Commerce)社を設立[ 25] 、1960年代 初頭からフランスにおけるオデオンレコードやブルーノート・レコード などの発売元を務めた[ 26] 。
1963年 2月1日 、フランスにCBSレコードが設立された[ 27] 。これは、米CBSレコード がArteco社を買収して実現したもので、Artecoの全カタログがCBSに移管[ 28] されるとともに、オデオンの商標は漸次CBSの商標に置き換えられた[ 26] 。前述のイヴ・モンタン 、レオ・フェレ 、バルバラ らのオデオン時代の旧譜も、CBSレコードのロゴに差し替えたうえで再発売された[ 29] [ 30] [ 31] 。
1964年 1月29日 、パテ・マルコーニのスタジオでビートルズ が「キャント・バイ・ミー・ラヴ 」を録音[ 32] 。フランスではシングルカットされ、オデオンレコードから発売された[ 33] 。
少なくとも1966年 からはオデオンレコードの商標をパテ・マルコーニが使うようになり[ 34] [ 35] 、Arteco社は1967年 1月1日 付でCBS Disques S.A.に社名を変更した[ 26] 。
1972年 、パテ・マルコーニは社名をパテ・マルコーニEMI(Pathé Marconi EMI)に変更。1990年 にはEMIフランス、1994年 にはEMIミュージック・フランスへと社名を変えた[ 36] 。その間もオデオンレコードの商標は存続し、1990年代 なかばからはオデオンレコード[ 37] 、オデオン・サウンドトラックス[ 38] 、オデオンTV[ 39] からなる「オデオン・レーベル・グループ」(Odeon Label Group)を形成。2000年 まで旧譜を復刻(リイシュー)したり、コンピレーション・アルバム を製作したりした[ 40] 。
2013年 、EMIミュージック・フランスはワーナー・ミュージック・グループ に売却され、パーロフォン・ミュージック・フランスと改称された[ 41] 。
それ以来、パテ・マルコーニやEMIミュージック・フランスのカタログのほとんどは、ワーナー・ミュージック・フランスのレーベルに統合された。
トルコ
オデオンの生みの親であるドイツ のインターナショナル・トーキング・マシーン・カンパニーは、1905年 にはトルコ語 の歌を録音していた[ 42] 。
ロシア人 の両親のもとにレバント で生まれたユダヤ系のユリウス・ブルメンタール(Julius Blumenthal)とヘルマン・ブルメンタール(Hermann Blumenthal)兄弟[ 42] は、イスタンブール で蓄音機商を営み、トルコとエジプト でオデオンの販売代理人を務めていた[ 43] 。
兄弟はオデオンに不満を持ち、1910年 末ごろにトルコ初のレコード会社と言われるOrfeon Recordを立ち上げた[ 42] 。それから間もなくフェリキョイ にトルコ初のレコード工場を設立。工場の監督として、アメリカの機械技師ジョン・オズグッド・プレスコットと契約した(ジョン・プレスコットは、インターナショナル・トーキング・マシン・カンパニーの創設者フレデリック・M・プレスコットと兄弟関係)[ 43] 。
1916年 になると、これらの会社の設立と経営に携わっていたヤック・グリューンベルク(Jak Grünberg。ウクライナ のベルディーチウ地域 出身のユダヤ人)が独立を希望。ドイツ に赴き、トルコにおけるオデオンの販売権を獲得した[ 44] 。
1920年代 に設立された「Gramofon Limitet Şirketi」は、オデオンレコードのほかに、HMV のレコードを「Sahibinin Sesi」の商標で製造。1970年代 まで存続した[ 45] 。
オデオンは1974年 にPlaksan A.Ş.を設立[ 46] 。レコード盤に加えてカセットテープ の製造を開始し、1992年 にトルコ初のCD 工場を開設した[ 47] 。
トルコのオデオンレコードは、グリューンベルク家による家族経営が続いた。1936年 にヤック・グリューンベルクが亡くなったあとも、息子のヒューゴ(Hugo)とレオン(Leon)が運営にあたった。ヒューゴが会社の渉外を担当し、レオンが生産と販売を担当した。1971年 にヒューゴが亡くなった後は、レオンが会社の経営を続けた[ 44] 。1980年代 から1990年代 にかけて一時活動を停止したのち、1990年代 後半からは、旧譜を再発売する「Odeon Koleksiyon」が発足[ 48] 。
2011年 、トルコ・オデオンのコレクションがグリューンベルグ家によってAvrupa Müzik(1998年 設立)に売却された[ 49] 。
ブラジル
ブラジル でエジソンの蓄音機 と蝋管 の販売をしていたフレッジ・フィギネル(Fred Figner)が、1900年 にレコード会社「カーザ・エジソン 」を立ち上げたことに始まる。カーザ・エジソンはドイツ やバルセロナ でプレス[ 50] したレコード盤に、オデオンレコードのロゴをつけて発売した。1913年 、ブラジル国内にレコード の自社プレス工場(International Talking Machine Co.Ltd.[ 51] )を設立。
1917年 にドンガ&マウロ・ジ・アルメイダ作の楽曲「ペロ・テレフォーニ 」を発売。これがブラジルで録音された最初のサンバ と見なされている[ 52] [ 53] 。
1931年 、会社はEMIによって法人化され、社名を変更(Indústrias Elétricas E Musicais Fábrica Odeon S.A.[ 54] )。
1974年 からは社名を「EMI-オデオン(ポルトガル語 : EMI-Odeon Fonográfica, Industrial e Eletrônica[ 55] )」として新譜の発売を続けた。2012年 に親会社のEMIがユニバーサル ミュージック グループに売却されたことに伴い、カタログがユニバーサル ミュージック グループ の傘下に入った。
アルゼンチン
1919年 11月、「The Argentine Talking Machine Works」が誕生。オデオン・レーベルのレコードがアルゼンチン国内で生産されるようになる。
1920年 に、オデオンのサブレーベルとして「ディスコ・ナシオナル(スペイン語 : Disco Nacional)」が誕生[ 56] 。1923年 には「ディスコ・ナシオナル・オデオン(スペイン語:Disco Nacional Odeon)」へ社名を変更する。
しかし、1934年 1月にアルゼンチンの法律で「ナシオナル (=スペイン語 で国家 の、国民 の、国有 の~を意味する)」の単語を非政府機関が使用することが禁止された[ 56] ため、社名を「ディスコ・クリオーリョ・オデオン(スペイン語:Disco Criollo Odeon)」へ変更する。
1936年 からは「Industrias Eléctricas Y Musicales Odeón[ 57] 」がオデオンのロゴを使いレコードを発売した。
1970年代 に社名が「EMI-Odeon S.A.I.C.」に変更された[ 58] 。EMI-Odeon S.A.I.C.は、2012年に親会社のEMIがユニバーサル ミュージック グループに売却されるまでの間、オデオンの名を社名に冠し、経営を続けた。
脚注
^ “Odeon in America ” (英語) (1999年). 2017年4月29日時点のオリジナル よりアーカイブ。2024年5月5日 閲覧。
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