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アンソニー・ジェームズ・デスクラファニー(Anthony James DeSclafani,[注釈 1] 1990年4月18日 - )は、アメリカ合衆国ニュージャージー州モンマス郡フリーホールド(英語版)出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。MLBのミネソタ・ツインズ所属。愛称はディスコ[1]。
2008年のMLBドラフト22巡目(全体682位)でボストン・レッドソックスから指名されたが、フロリダ大学へ進学した。
2011年のMLBドラフト6巡目(全体199位)でトロント・ブルージェイズから指名され、プロ入り。
2012年、傘下のA級ランシング・ラグナッツでプロデビュー。28試合(先発21試合)に登板して11勝3敗、防御率3.37、92奪三振を記録した[2]。
2012年11月19日にエミリオ・ボニファシオ、ジョン・バック、マーク・バーリー、ジョシュ・ジョンソン、ホセ・レイエスとの大型トレードで、ヘンダーソン・アルバレス、アデイニー・エチェバリア、ジェイク・マリスニック、ジェフ・マシス、ジャスティン・ニコリーノと共にマイアミ・マーリンズへ移籍した[3]。
2013年はまず傘下のA+級ジュピター・ハンマーヘッズでプレーし、12試合に先発登板して4勝2敗、防御率1.67、53奪三振を記録した[2]。6月にAA級ジャクソンビル・サンズへ昇格。13試合に先発登板して5勝4敗、防御率3.36、62奪三振を記録した[2]。
2014年はAA級ジャクソンビルで開幕を迎え、8試合に先発登板した[2]。5月14日にマーリンズとメジャー契約を結んでアクティブ・ロースター入りし[4]、同日のロサンゼルス・ドジャース戦で先発起用されてメジャーデビュー。6回を7安打2失点7奪三振と好投し、MLB初勝利を挙げた[5]。しかし2度目の登板となった5月20日のフィラデルフィア・フィリーズ戦では、5.1回を6安打5失点と打ち込まれ、MLB初黒星を喫し、5月21日にAAA級ニューオーリンズ・ゼファーズへ降格。7月20日に再昇格し、3試合に登板したが、13イニングで13失点、防御率9.00と結果を残せず、25日に再び降格した[6]。8月8日に再昇格[7]。昇格後はリリーフとして2試合に登板したが、8月15日に降格[8]。登録枠が拡大された9月2日に再昇格した。9月11日に行われたミルウォーキー・ブルワーズ戦で、乱闘騒ぎ[9]直後の6回裏無死の場面で、カルロス・ゴメスに左肘へ死球を与えたため、報復死球とみなされ一発退場となった。9月12日にMLB機構が3試合の出場停止処分を発表した[10]。この年はMLBでは13試合(先発5試合)に登板して2勝2敗、防御率6.27、26奪三振を記録した[2]。
2014年12月11日にマット・レイトスとのトレードで、チャド・ウォーラックと共にシンシナティ・レッズへ移籍した[11]。
2015年は、メジャー2年目ながら先発ローテーションに定着し、チームの先発陣で唯一、規定投球回に達した[12]。31試合の登板で9勝13敗、防御率4.05、151奪三振だった。
2016年は斜紋筋を痛めた影響で開幕を故障者リストで迎えた[13]ため、出遅れた。それにより20試合の先発登板に留まったが、防御率3.28・WHIP1.22はいずれも前年より良くなり、1つの完封勝利を含む9勝5敗を記録するなど、好投する場面が多かった。
2017年のスプリングトレーニング時に右肘に痛みがあることが発覚した[14]。腱障害と診断され、すぐに治療に臨んだが、その後、肘の尺骨側副靭帯(英語版)(UCL)捻挫と診断され[15]、故障者リスト入りでの開幕を迎えることとなった。レッズは7月末にマイナーリーグのリハビリに参加させたが[16]、腱障害の再発でリハビリは終了した[17]。UCLは回復していたが[18]、MLBの試合には出場せずにシーズンを終えた[19]。
2018年6月5日のコロラド・ロッキーズ戦で約2年ぶりに先発起用された[20]。23日のシカゴ・カブス戦では、ブライアン・ダンシングから満塁本塁打を記録した。以前に満塁本塁打を打ったレッズの投手はボブ・パーキー(英語版)で、1959年の記録で相手は同じくカブスだった[21][22]。この試合では先発投手として出場し、11-2でカブスから勝利を挙げた。
2020年は9試合の登板で1勝2敗だった。オフの10月28日にフリーエージェント(FA)となった[23]。
2020年12月16日にサンフランシスコ・ジャイアンツと600万ドルの単年契約を結んだ[24]。オプションとして最大25万ドルの出来高が含まれる。
2021年4月26日に100球で2016年以来自身2度目となる完封勝利を記録した[25]。この年は自己最多となる13勝を記録した。オフの11月3日にFAとなったが、22日にジャイアンツと3年総額3600万ドルで再契約した[26]。
2024年1月5日にロビー・レイとのトレードで、ミッチ・ハニガーと共にシアトル・マリナーズへ移籍した[27]。その後、同月29日にホルヘ・ポランコとのトレードで、ジャスティン・トーパ、ゲイブリエル・ゴンザレス、ダレン・ボウエン、金銭と共にミネソタ・ツインズへ移籍した[28]。
最速96.4mph(約155km/h)、平均93mph(約150km/h)の速球(フォーシーム、ツーシーム)と、平均87mph(約140km/h)のスライダーを投球の軸として主に使用し、その他に平均81mph(約130km/h)のナックルカーブ、平均86mph(約138km/h)のチェンジアップを投げる。
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