ヘンダーソン・ハビアー・アルバレス(西: Henderson Javier Alvarez, 1990年4月18日 - )は、ベネズエラ・カラボボ州バレンシア出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。メキシカンリーグのユカタン・ライオンズ所属。
スペイン語での発音はエンデルソン・ハビエル・アルバレス。
経歴
ブルージェイズ時代
2006年にトロント・ブルージェイズと契約。それまでは三塁手だったが、契約後に投手へ転向した[1]。当時憧れていた選手は、同じベネズエラ・バレンシア出身のフェリックス・ヘルナンデスだった[2]。
マイナー時代
2007年に17歳でルーキー級ドミニカン・サマーリーグ・ブルージェイズでデビュー。
2008年に渡米すると、2009年にはA級ランシング・ラグナッツで9勝6敗、防御率3.47を記録して頭角を現した。
2010年はA+級ダニーデン・ブルージェイズで防御率4.33と振るわず、やや評価を下げた。
2011年は直球の球速が前年から飛躍的に上昇し[3]、AA級ニューハンプシャー・フィッシャーキャッツで8勝4敗、防御率2.84と活躍。
メジャーデビューと退団まで
カルロス・ビヤヌエバの故障者リスト入りに伴い、ブルージェイズの他の若手有望投手と同じく打者天国のAAA級ラスベガスをスキップしてMLBに昇格し、8月10日のオークランド・アスレチックス戦でメジャーデビュー。8月31日のボルチモア・オリオールズ戦で8回3安打無失点と好投し、メジャー初勝利を挙げた。21歳135日でのメジャー初勝利はブルージェイズの投手では1997年のケルビム・エスコバー以来の若さであり、先発に限れば1979年のフィル・ハフマン以来となった[4]。
2012年は初めてフルシーズンをメジャーで過ごしたが、奪三振率の低下と被弾の多さにより、成績は伸び悩んだ。9月以降はチェンジアップの改良が功を奏して復調の兆しを見せた[5]。
マーリンズ時代
2012年11月13日にジョシュ・ジョンソン、マーク・バーリー、ホセ・レイエス、ユネル・エスコバーら総勢11人が動く大型トレードで、マイアミ・マーリンズへ移籍した[6]。
2013年開幕前の3月に開催された第3回WBCのベネズエラ代表に選出された[7]。
シーズンでは右肩痛で開幕は出遅れた。9月30日、シーズン最終戦の対デトロイト・タイガース戦でメジャーリーグ史上4人目のシーズン最終戦でのノーヒットノーランを達成。試合は9回裏2死満塁から暴投によるサヨナラ勝利で、ノーヒッター試合でのサヨナラ暴投での決着は61年ぶり史上2度目[8]。勝利の瞬間、アルバレスはネクストバッターズサークルにいた。
2014年は、8月及び9月に登板回避した場面があった[9] ものの、30試合に先発登板。自責点1以内に抑えたのが16試合 (8試合は無失点) あり[9]、防御率2.65・メジャートップタイの3完封勝利を含む12勝を挙げ、エース格として先発ローテーションを牽引した。なお、この年はオールスターのメンバーにも選出されている。活躍ぶりが評価され、1.0ポイントだけであるがサイ・ヤング賞のポイントを獲得した[10]。
2015年4月、MRIにより肩と肘の炎症が判明し、15日間のDL入りをした[11]。その後、7月28日にシャットダウンし、肩の手術を受けた[12]。これら故障の影響があって4試合の先発登板に終わり、防御率6.45・全試合で敗戦投手になった。オフの12月2日にノンテンダーFAとなった[13]。
アスレチックス時代
2015年12月18日、アスレチックスと1年契約を結んだ[14]。
2016年は開幕から15日間の故障者リストに入り、マイナーでリハビリ調整が行われたが6月25日に60日間の故障者リスト入りとなった[15]。その後もリハビリ調整は行われたものの10月7日に40人枠から外れAAA級ナッシュビル・サウンズに降格し、同日FAとなった[15]。
アスレチックス退団後
2017年7月14日に独立リーグ・アトランティックリーグのロングアイランド・ダックスと契約。8月22日にフィラデルフィア・フィリーズとマイナー契約を結び、傘下のAAA級リーハイバレー・アイアンピッグスへ配属された。9月13日にメジャー契約を結び、アクティブ・ロースター入りした。この年は3試合に先発登板して0勝1敗・防御率4.30・6奪三振の成績を残した。レギュラーシーズン終了後の10月6日にFAとなった[15]。オフは母国ベネズエラのウィンターリーグ(LVBP)に参加。
2018年3月14日にメキシカンリーグのキンタナロー・タイガースと契約。20試合に登板し9勝5敗の成績を残した。11月16日にワシントン・ナショナルズとマイナー契約を結んだ。オフはLVBPに参加。
2019年は傘下AAA級フレズノ・グリズリーズで1勝4敗の成績にとどまり、7月1日にナショナルズを解雇となった。7月20日にキンタナロー・タイガースと再び契約。オフには第2回プレミア12のベネズエラ代表に選出された。
2020年7月20日にアメリカン・アソシエーションのミルウォーキー・ミルクメンにレンタル移籍[16]。5試合に登板して2勝1敗、防御率2.90の成績を挙げ、シーズン終了後にキンタナロー・タイガースに復帰。オフはLVBPに参加。
2021年5月3日にキンタナロー・タイガースを自由契約となった[15]。その後はいずれの球団にも所属せず、オフはLVBPに参加。
2021年12月28日にユカタン・ライオンズと契約した[17]。
投球スタイル
平均球速149km/h、最速156km/hのツーシームが投球全体の半分以上を占め、次いでほぼ同じ球速のフォーシームが約20%という割合となっている。他に持ち球は、平均134km/hのスライダー、平均139km/hのチェンジアップ、平均121km/hのカーブ、さらに70km/h台のイーファスも投げる[18]。
2012年までは、フォーシームが主体で、この頃にはカットボールも投げていた。ツーシームを主体として典型的なグラウンドボーラーとなったのは2013年からで、速球系で計75%ほどを占め、変化球はそれぞれ多くても約10%程度となっている[19]。
また、2015年は右肩痛で4試合にしか登板していないが、肩の故障をかばうため、イーファスを多投している。
マイナーリーグでの通算与四球率(9回あたりの与四球数)は、わずか1.6というズバ抜けた数字を残している。これは、制球力の高さも実証しているが、与四球を与える前にバットに当てさせるため、結果的に与四球が少ないというグラウンドボーラーの典型例である。
詳細情報
年度別投球成績
年
度 |
球
団 |
登
板 |
先
発 |
完
投 |
完
封 |
無 四 球 |
勝
利 |
敗
戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝
率 |
打
者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬
遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴
投 |
ボ 丨 ク |
失
点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P
|
2011
|
TOR
|
10 |
10 |
0 |
0 |
0 |
1 |
3 |
0 |
0 |
.250 |
259 |
63.2 |
64 |
8 |
8 |
0 |
4 |
40 |
2 |
0 |
26 |
25 |
3.53 |
1.13
|
2012
|
31 |
31 |
1 |
1 |
0 |
9 |
14 |
0 |
0 |
.391 |
807 |
187.1 |
216 |
29 |
54 |
2 |
3 |
79 |
3 |
1 |
110 |
101 |
4.85 |
1.44
|
2013
|
MIA
|
17 |
17 |
1 |
1 |
0 |
5 |
6 |
0 |
0 |
.455 |
418 |
102.2 |
90 |
2 |
27 |
1 |
7 |
57 |
4 |
1 |
42 |
41 |
3.59 |
1.14
|
2014
|
30 |
30 |
3 |
3 |
2 |
12 |
7 |
0 |
0 |
.632 |
772 |
187.0 |
198 |
14 |
33 |
3 |
8 |
111 |
4 |
0 |
65 |
55 |
2.65 |
1.24
|
2015
|
4 |
4 |
0 |
0 |
0 |
0 |
4 |
0 |
0 |
.000 |
102 |
22.1 |
28 |
1 |
7 |
1 |
0 |
9 |
3 |
1 |
18 |
16 |
6.45 |
1.57
|
2017
|
PHI
|
3 |
3 |
0 |
0 |
0 |
0 |
1 |
0 |
0 |
.000 |
67 |
14.2 |
14 |
2 |
11 |
1 |
0 |
6 |
0 |
1 |
7 |
7 |
4.30 |
1.71
|
MLB:6年
|
95 |
95 |
5 |
5 |
2 |
27 |
35 |
0 |
0 |
.435 |
2425 |
577.2 |
610 |
56 |
140 |
8 |
22 |
302 |
16 |
4 |
268 |
245 |
3.82 |
1.30
|
- 2017年度シーズン終了時
- 各年度の太字はリーグ最高
記録
- MiLB
- MLB
背番号
- 37(2011年 - 2015年)
- 58(2017年)
代表歴
脚注
関連項目
外部リンク