1860年12月20日のサウスカロライナ州脱退を皮切りに、1861年2月までに奴隷制を採用していた南部7州(サウスカロライナ州、ミシシッピ州、フロリダ州、アラバマ州、ジョージア州、ルイジアナ州、テキサス州)が合衆国からの離脱を宣言した。当時の合衆国大統領ジェームズ・ブキャナンは脱退宣言は違憲行為であると述べたが、合衆国憲法では大統領および議会に違憲行為の撤回を行わせる権限を付与していなかった為、この理由をもって何らかの措置をとることはできなかった。1861年3月4日、エイブラハム・リンカーンが合衆国大統領に就任するが、この頃には離脱した7州は既にアメリカ連合国として独立宣言を行なっていた。連合国に参加した各州では、州内に存在する連邦政府の財産および施設の接収を開始した。この中には合衆国陸軍が有したほとんどの砦も含まれている。リンカーンは連邦政府の戦力を保持するべく、サウスカロライナ州チャールストン港のサムター要塞など、連邦政府の支配下に残っている軍事施設の死守を全州に命じた。当初、彼はブキャナンと同様に7州の離脱が違憲行為か否かについて検討したが、
後に7州の行動は合衆国政府に対する反逆(rebellion)であるという見解を示した。これは反逆行為に対してであれば、合衆国大統領に阻止・鎮圧する権利および義務が付与されていた為である。
同じ頃、合衆国大統領および合衆国議会の権限を無視して設置された連合国臨時議会では、連合国暫定軍(Provisional Army of the Confederate States, PACS)の設置を承認した。これにより、合衆国と連合国による内戦は避けられないものとなった。
連合国暫定軍(Provisional Army of the Confederate States, PACS)は1861年2月28日に連合国議会の承認を受け、4月27日から編成が始まった。士官から徴用兵まで、ほとんどの連合国陸軍将兵は暫定軍への所属を好んだ。これは常備軍よりも暫定軍の方が昇進しやすかった為である。仮に内戦に勝利した場合、暫定軍は解散され、常備軍のみが連合国陸軍として残される予定だった[2]。
アメリカ連合国陸軍(Army of the Confederate States of America, ACSA)は、連合国の常備軍であり、1861年3月6日に連合国議会が承認した。将校744名を含む15,015人を定員と定めていたが、これが達成されることは最後までなかった。サミュエル・クーパーやロバート・E・リーなどの高級将校は、全ての義勇兵将校よりも高位である事を示すべく常備軍に名を置いていた。一部の将校の任命や選考以外に目立った活動が行われなかった為、常備軍はほとんど机上のみに存在する軍隊であった。後に3州の連隊に対して連合国連隊("Confederate" regiments)の称号が与えられたが、結局連合軍の組織化には繋がらず、それら連合国連隊自体も決して戦力的に満たされたものではなかった。
陸軍の設置に先立つ1861年2月21日、連合国陸軍の運用および指揮を担当する省庁たる連合国陸軍省(Confederate States War Department)の設置に関する法案が連合国臨時議会にて可決している。1861年2月28日と3月6日、連合国議会は軍事上作戦上の指揮権限および各州の常備軍・義勇軍将兵の招集に関する権限を連合国大統領に付与した。これに続いて3月8日にはデイヴィス大統領に100,000名以下の国民を招集する権限を認める法案が連合国議会にて可決した[3]。これに基づく要請を受けた連合国陸軍省では、3月9日に8,000名、4月8日に20,000名、4月16日に49,000名の義勇兵を招集した。4月29日、デイヴィスは議会にて陸軍の規模を100,000名程度と定める提案を行なっている[4]。
戦争が進むにつれて、連合国軍では十分な食料の配給を達成することができなくなった。1863年に下されたリー将軍の命令により、連合国軍の指揮官らは食料調達任務に多くの時間を費やすようになる。彼らの調達活動は「物乞い、借りる、盗む」(beg, borrow or steal)という言葉で表現され、占領した合衆国軍の陣地や集積所、南北双方の集落がこの対象となった。リー将軍が指揮したゲティスバーグおよび南ペンシルバニア農業地域への攻勢も、食糧を始めとする各種物資の供給事情を解消することが主な目的だった。こうした連合国軍の略奪に対する合衆国民の報復感情は、ウィリアム・シャーマン将軍の総力戦戦術への支持につながった。以後、合衆国軍はしばしば焦土作戦を展開し、海上封鎖と共に連合国の軍民を共に飢えさせた。南北戦争を通じた連合国軍戦死者のうち、多くが餓死者あるいは食料不足に基づく戦病死者であった。戦争末期には食料不足を理由に無数の脱走兵が生まれた。
南北戦争の開戦にあわせて、アルバート・パイクが連合国の先住民特使に任命されている。彼は実際にいくつかの条約に関して交渉を行った。例えば1861年7月に発効したチョクトー及びチカソーとの条約(英語版)(Treaty with Choctaws and Chickasaws)が知られている。この条約は64項から成り、その内容はチョクトー族およびチカソー族の主権の承認、連合国市民権の取得許可、連合国下院の代表団派遣など豊富な内容が含まれていた。インディアンのうち、チェロキー、チョクトー、セミノール、カトーバ、クリークなどは連合国軍側のみで戦った。1862年、連合国はミシシッピ川東側のインディアン部族から志願兵を募集するべく、アラバマ州モビールにて徴兵キャンプを設置した[18]。これに合わせて次のような広告が掲示された。
奴隷らを徴兵の対象とする構想は開戦当初から存在していたものの、デイヴィス大統領ら政府高官が難色を示していた為に実現していなかった[21]。しかしパトリック・クリバーン将軍による「解放を提供することで黒人兵の増加を図ってはどうか」という提案により議論が再燃し[22]、後にリー将軍もこれを支持する書簡を連合国議会に送った。
1865年3月13日、黒人の入隊を認める一般命令第14号(General Order 14)が連合国議会を通過し[23]、デイヴィス大統領による署名が行われた。同命令は3月23日より発効したが、これにより入隊した黒人はおよそ1個中隊程度でしかなかった[24]。この黒人部隊は補強戦力として包囲を受けつつあったリッチモンドへと派遣された[24]。ある連合国陸軍少佐は、1865年にリッチモンドで戦った小規模な部隊こそが「我が方における最初にして最後の黒人部隊である」と語った[24]。しかし実際には他の部隊にもいくらかの黒人兵が所属していたとされ、例えば1863年7月11日の『ニューヨークヘラルド』紙が報じたところによれば、ゲティスバーグの戦いで捕えた捕虜の中に南軍の制服を着用した黒人兵数名が含まれていたという。実際に何人の黒人が連合国陸軍に参加したのかは明らかではないが、1890年に合衆国が行った統計調査では3,273名の黒人が連合国陸軍の退役軍人であったとしている[25]。
^Four "border" states that permitted slavery, Delaware, Kentucky, Maryland and Missouri stayed in the Union but many men from the last three of these states chose to fight for the Confederacy. On the other hand, many men in the western counties of Virginia which became West Virginia in 1863, and in eastern Tennessee and mountainous areas of North Carolina and neighboring states in particular adhered to and even fought for the Union.
^Official Records, Series IV, Vol. III, pp. 1161–62.
^Eicher, p. 807. There were seven full generals in the CSA; John Bell Hood held "temporary full general" rank, which was withdrawn by the Confederate Congress.
Johnston II, Angus James, Virginia Railroads in the Civil War, University of North Carolina Press for the Virginia Historical Society, 1961.
Levine, Bruce, Confederate Emancipation: Southern Plans to Free and Arm Slaves during the Civil War, Oxford University Press, 2005, ISBN 978-0-19-514762-9.
Long, E. B. The Civil War Day by Day: An Almanac, 1861–1865. Garden City, NY: Doubleday, 1971. OCLC68283123.
Robson, John S., How A One-Legged Rebel Lives: Reminiscences of the Civil War; The Story of the Campaigns of Stonewall Jackson, Kessinger Publishing, 2007, ISBN 978-1-84685-665-5.
U.S. War Department, The War of the Rebellion: a Compilation of the Official Records of the Union and Confederate Armies, U.S. Government Printing Office, 1880–1901.
関連書籍
Weinert, Richard P., Jr., The Confederate Regular Army, White Mane Publishing, 1991, ISBN 978-0-942597-27-1.