相模女子大学(さがみじょしだいがく、英語: Sagami Women's University)は、神奈川県相模原市南区文京2-1-1に本部を置く日本の私立大学。1900年創立、1949年大学設置。大学の略称は相模女、相女。いずれも読み方は「さがじょ」。
概要
明治36年(1903年)の専門学校令の適用を受けた学校の中で、1904年に創立された日本女子大学校(日本女子大学)、女子英学塾(津田塾大学)、青山女学院英文専門科(青山学院大学)についで日本で4番目に古い女子大学である。正門からまっすぐにのびる銀杏並木は季節によって美しい情景を醸し出している。首都圏西部大学単位互換協定会協定校。
沿革
歴史
日本女学校の創設
1900年(明治33年)9月1日、西澤之助によって私立日本女学校が東京市本郷区龍岡町36番地(現在の東京都文京区湯島4丁目1番11号)に開設され、翌月10月18日に開校した。
帝国女子専門学校の開設
私立帝国女子専門学校と同附属日本高等女学校は、1909年(明治42年)年4月24日に設立が認可された。[1]
年表
設立の趣旨に関する記述
1900年の日本女学校設立に関して、下記の記事がある。文京区役所、1981年、『文京区史:第2版巻3』、852ページより引用する。
「日本女学校規則書にはその学校設立の趣旨を説いて、「女子はただ学術技芸に長けたるのみにては未だ足れりとすべからず。あはせて高尚なる心術堅固なる徳操を養成するにあらざれば、女子たる本分を全くすること能はざるなり。その婦徳養成の基本は、我が国史上におのづから備はれる高潔善美の良風即貞淑賢良の婦徳より善きはなし」と。跡見女学校と同じく伝統主義に拠る女学校がここに誕生をみたのである。33年に1年生から3年生までの募集をしたところ、298名の応募があったと伝えられる。生徒達は実業家や近隣の上流家庭の子女達であり、日本主義をたてまえとする学校であるだけに、服装は、袴は海老茶、髪はおさげや束髪や桃割れといったふうであった。」
キャンパス
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附属図書館
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マーガレット本館
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銀杏並木
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マーガレットホール 夢をかなえるセンター
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グラウンドと1号館・11号館
交通
学部・学科
大学院
その他付属施設
大学図書館には珍しい、12畳の和室閲覧室がある。2015年にはブックカフェも設置。
対外関係
国際・学術交流等協定校
産学連携
奨学金
詳細は「奨学金」を参照
著名な関係者
本節では短期大学部関係者も含める。
教職員
出身者
その他
相模女子大学を舞台とした作品
関連項目
ウィキメディア・コモンズには、
相模女子大学に関連するメディアがあります。
脚注
参考文献
- 東京都 1969年 『都史紀要十八東京の女子大学』
- 文京区役所 1981年 『文京区史:第2版巻3~5』
- 相模女子大学八十年史編集委員会 1980年 『相模女子大学八十年史』
公式サイト
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