法政大学大原社会問題研究所
法政大学多摩キャンパス(右側の図書館・研究所棟5階に大原社会問題研究所が入居している)
正式名称
法政大学大原社会問題研究所 英語名称
The Ohara Institute for Social Research, Hosei University 略称
大原社研 オイサー・オルグ OISR.ORG 組織形態
大学附置研究所 所在地
日本 〒 194-0298東京都 町田市 相原町 4342 所長
布川日佐史(2022年4月〜) 設立年月日
1986年 4月 前身
大原社会問題研究所 (1919年 設立) 設立者
大原孫三郎 上位組織
法政大学 発行雑誌
『大原社会問題研究所雑誌』 出版物
『日本労働年鑑』など 公式サイト
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法政大学大原社会問題研究所 (ほうせいだいがくおおはらしゃかいもんだいけんきゅうじょ、The Ohara Institute for Social Research, Hosei Univ. )は、法政大学 に付属する社会 ・労働 関係の研究所 、専門図書館 。社会科学 分野において最も古い歴史をもつ研究機関である。通称「大原社研」。また、設立当初は『大原社会問題研究所』と称し、法政大学とは別の機関であった。
概要
『日本社会運動史料』、月刊 『大原社会問題研究所雑誌』、年刊 の『日本労働年鑑』などを刊行。向坂逸郎 の旧蔵書や協調会 旧所蔵の資料などを所蔵・一般公開している。とくに日本における社会運動史・労働運動史のコレクションが充実している。これらの資料は『大原デジタルライブラリー』としてデータベース 化されるとともに、多くがWEBサイトで公開もされている。とりわけ刊行した資料集に基づく日本労働年鑑 や『社会・労働運動大年表』データベース 、『社会・労働運動大年表』解説編 は膨大な情報を提供している。
2008年 には大原記念労働科学研究所 、倉敷中央病院 、大原美術館 、岡山大学資源植物科学研究所 (旧大原農業研究所)、公益財団法人有隣会とともに大原ネットワークを結成し、大原孫三郎 に関する情報共有と相互の活動支援を行っている[ 1] 。
2022年4月現在の所長は布川日佐史[ 2] 。
沿革
倉敷紡績 ・倉敷絹織 ・中国水力電気 ・中国合同銀行 などを立ち上げた実業家の大原孫三郎 が1919年 に大阪市 南区 下寺町 の石井記念愛染園に自分の名を冠して設立[ 3] 。翌年7月に天王寺区 伶人町 の新事務所に移転した[ 4] 。設立当初は社会問題・社会科学と労働科学の2部門を置いていたが、後者は倉敷労働科学研究所 として独立した[ 5] 。1922年 12月に財団法人化した[ 6] 。
創立に際して京都帝大 の河田嗣郎 、米田庄太郎 のほか、河上肇 や徳富蘇峰 らも協力し[ 7] 、初代所長にはILO労働代表問題 で東京帝大 を辞任した高野岩三郎 を迎えた。森戸辰男 、大内兵衛 、櫛田民蔵 、久留間鮫造 、山名義鶴 、細川嘉六 などが研究員 や嘱託 となり[ 注 1] 、昭和 初期の厳しい時代にも社会科学 の研究を続けたが、1936年 に大原孫三郎からの出資を打ち切られたため[ 注 2] 、研究所の土地建物と図書を大阪府に20万円で譲渡し[ 注 3] 、翌年東京市 淀橋区 柏木 の山内多門 邸を購入して移転した[ 8] [ 注 4] 。
その後は組織と人員を縮小し、鮎川義介 の義済会から年3万円の寄付を受けて細々と研究活動を続けたが、1945年 5月25日の空襲で土蔵 一棟を除いて所蔵の図書・資料類を焼失したため[ 9] 、翌年末弘厳太郎 の斡旋により神田駿河台 の旧東亜研究所 ビルの一室に移転した[ 10] 。
1949年 財政難のため[ 注 5] 法政大学 の附属機関となり、8月23日に駿河台から同大学内に移転し、10月16日をもって財団法人を解散した[ 11] 。
1951年 に再度独立、「財団法人法政大学大原社会問題研究所」となった[ 注 6] 。
戦時中に刊行停止していた『日本労働年鑑』は1949年 に復刊し、1950年代から60年代にかけて労働運動や労働問題の実態調査も進められた[ 12] 。1967年 には港区 南麻布 に麻布分室が設置され、4年後の1971年 から図書・資料の一般公開が始まった[ 13] 。
1986年 に同大学社会学部 ・経済学部 の移転に伴い、東京都 町田市 に移転するとともに、財団法人を解散し名実ともに大学附属の研究機関となり、現在に至っている。
2019年 には研究所創立100周年の各種記念事業が行われた[ 14] 。
年表
大阪時代の大原社会問題研究所(1920年)
1953年から1981年まで研究所が入居していた法政大学53年館
1918年 1月 - 大阪市 南区 下寺町 の財団法人石井記念愛染園内に救済事業研究室を設置。
1919年
1920年
1921年 7月 - 社会衛生部門を倉敷労働科学研究所 に分離。
1922年 12月 - 財団法人大原社会問題研究所設立認可。
1923年 8月 - 『大原社会問題研究所雑誌』創刊(1933年の第18号まで)。
1924年 4月 - 図書閲覧室を開設。
1928年 3月 - 三・一五事件 で研究所が官憲の捜索を受ける。
1931年 1月 - 第1回月次講演会を開催(1936年6月まで53回開催)。
1933年
3月 - 研究員の細川嘉六と越智道順が検挙される。
5月 - 研究生制度を設ける。
9月 - 第1回談話会を開催(1936年7月まで21回開催)。
1936年 7月 - 研究所の東京移転決定。
1937年 2月 - 東京市 淀橋区 柏木 の旧山内多門 邸に移転。
1938年 2月 - 第2次人民戦線事件 により委員の大内兵衛が検挙される。
1942年 - 『日本労働年鑑』休刊(1949年復刊)。
1943年 4月 - 鮎川義介 の義済会から寄附金を支給される(1946年まで)。
1945年 5月 - 空襲で土蔵一棟を残し全焼。
1946年 5月 - 神田駿河台旧東亜研究所 ビルの一室に移転。
1949年
4月 - 高野岩三郎所長死去。
7月 - 法政大学 新館に移転。
10月 - 財団法人大原社会問題研究所を解散し、法政大学附置研究所となる。
1950年 6月 - 大内兵衛が法政大学総長に就任。
1951年 1月 - 財団法人法政大学大原社会問題研究所設立認可。
1953年
1月 - 53年館に移転。
2月 - 『資料室報』創刊。後に『研究資料月報』を経て、86年4月より『大原社会問題研究所雑誌』と改題。
1967年 2月 - 麻布分室を設置。
1968年 4月 - 『マルクス経済学レキシコン』刊行開始(1985年完結)。
1971年 4月 - 麻布分室で所蔵図書・資料の一般公開開始。
1973年 12月 - 社会労働問題研究センターを設立。
1981年 3月 - 80年館に移転。
1986年
3月 - 財団法人解散。多摩キャンパスの図書館・研究所棟5階に移転。
4月 - 再び法政大学附置研究所となる。
1996年 12月 - 研究所Webサイト公開。
1999年 2月 - 大原デジタルライブラリー公開。
2008年 7月 - 大原ネットワーク結成。
2011年 2月 - 『社会労働大事典』刊行。
2019年 2月 - 研究所創立100周年・法政大学合併70周年記念シンポジウムを開催。
2022年 1月 - 研究所所蔵の「友愛会関西労働同盟会機関紙『労働者新聞』」と「神戸川崎・三菱大争議の実写フィルム」が日本労働ペンクラブから「日本労働遺産」第1号の1、2に認定される[ 15] 。
歴代所長
1923年当時の大原社会問題研究所員
最前列左から高田慎吾 、山岡実四郎、萩野秀一、阿江良男、手島正志、手島時二、2列目左から辰川カズ、北野基治、高野岩三郎 、樋口恒一郎、細川嘉六 、井上進一、山下一雄、後藤貞治、河西太一郎、3列目左から権田保之助 、水谷長三郎 、森川隆夫、大林宗嗣、林要 、萩原久興、松本慶次郎、平岡俊雄、山名義鶴 、内藤赳夫、山村喬、最後列左から植田タマヨ 、鷹津繁義、久留間鮫造 、櫛田民蔵 、丸岡重堯、八木澤善次、庵原嘉雄、越智道順
氏名
就任時期
高野岩三郎
1920年-1937年
所長制廃止 [ 16]
1937年-1941年
高野岩三郎
1941年-1949年
久留間鮫造
1949年-1964年
宇佐美誠次郎
1966年-1967年
大島清
1968年-1969年
舟橋尚道
1970年-1972年
宇佐美誠次郎
1973年
大島清
1974年-1975年
宇佐美誠次郎
1976年-1977年
大島清
1978年-1979年
舟橋尚道
1980年-1984年
二村一夫
1985年-1993年
嶺学
1994年-1996年
早川征一郎
1997年-2002年
相田利雄
2003年-2007年
五十嵐仁
2008年-2011年
原伸子
2012年-2015年
鈴木玲
2016年-2021年
布川日佐史
2022年-
所在地
〒 194-0298 東京都 町田市 相原町 4342(法政大学多摩キャンパス 図書館・研究所棟5階)[ 17] [ 注 7]
来館サービス
法政大学大原社会問題研究所の閲覧室は誰でも利用可能となっている(事前予約制)[ 18] 。
利用時間
平日 9:00~16:30
土曜日 9:00~11:30
夏期休暇期間中 平日のみ9:00~16:00
脚注
注釈
^ 『大原孫三郎傳』は研究所の陣容を「東大経済学部の亡命者の植民地」と評している(同書、145頁)。
^ 1928年 の三・一五事件 で研究所が官憲の捜索を受けたことで大原と研究所との関係が悪化していた(『大原社会問題研究所100年史』 72-74頁)。
^ 大阪の旧研究所本館は戦災で焼失したが、図書は焼失を免れ、現在は大阪府立中央図書館 に所蔵されている(『大原社会問題研究所100年史』 125頁)。
^ 研究所の東京移転について大原孫三郎はのちに「片方の足に靴を履き、一方に下駄を履くのは難しいことだった」と語っている(『大原孫三郎傳』 293頁)。
^ 文部省 や栗田書店 などからの助成はあったものの戦後のハイパーインフレ の前には焼け石に水で、1949年には一部の蔵書を売却せざるを得ない状況にまで追い込まれていた(『大原社会問題研究所100年史』 124頁)。
^ 研究の自由度を高めるためには別法人化したほうがよいのではないか、と首脳者の間で意見が一致したため(『大原社会問題研究所100年史』 130頁)。
^ 書庫は地下3階にある(『大原社会問題研究所100年史』 146頁)。
出典
参考文献
関連項目
外部リンク
法政大学
設置校
旧設置校(廃止・併合校)
大学 旧制専門学校 短期大学部 高等学校 中学校・高等学校
歴史 学校歌 体育会 文化団体系 関連機関 関連項目 関連人物
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