富山県庁舎(とやまけんちょうしゃ)は、富山県富山市新総曲輪およびその周辺にある富山県庁(役所)の建物群の総称である。本館、南別館、東別館、県議会議事堂、警察本部庁舎、富山県防災危機管理センターからなる。
概要
1935年(昭和10年)に現県庁舎本館が建設されて以来、富山県行政の中心となっている。周辺には県庁舎群以外にも富山県民会館・富山市役所・富山県総合福祉会館(サンシップとやま)など、多くの公共施設が集まっている。また、北側正面には県庁前公園、南側には松川公園、富山城址公園があり、市民の憩いの場となっている。
庁舎
本館
現在の県庁舎本館は3代目で、神通川改修によって出来た廃川地に、建設前に都道府県主導の事業としては初めて土地区画整理事業を行ない[1]、国会議事堂の設計を担当した大蔵省営繕管財局工務部長の大熊喜邦が監修し、1935年(昭和10年)8月17日に完成[2]したもので、第2次世界大戦による1945年(昭和20年)8月1日に富山市一円を焼き尽くした富山大空襲では、焼夷弾の直撃を受けたとされるが焼け残り、富山電気ビルデイング、旧NHK富山放送局、旧富山大和などと共に焼け残った数少ない建造物である。なお焼夷弾を受け、その後修理されたとみられる痕跡が庁舎大ホールの屋根裏に残っている[3]。
建物は延べ13,490平方m、鉄筋コンクリート4階建てで、正面中央には屋根付きの車寄せがあり、左右対称のデザインの外観は1階が花崗岩、2階以上がクリーム色のタイルを使用し、上空から見ると漢字の「日」に見え中庭がある。庁舎内には、建設当時に彫られた鳳凰の彫刻が4階大会議室に残り、3階の知事室やかつて貴賓室だった特別室にも当時の内装が残っているほか、階段の手すりに使用された大理石には、アンモナイトなどの化石が見られる富山県の昭和初期を代表する、豪壮で風格のある近代建築で[3]、2020年(令和2年)現在、全国の庁舎の中では5番目に古い[4]。竣工から80周年を迎えた2015年(平成27年)、国の登録有形文化財に登録された(同年8月4日付登録)[5][6]。
また庁舎本館屋上の一部、東南側の約200平方mを緑化し、県民に毎年期間限定で一般開放している[7]。ここには1958年(昭和33年)に富山国体が行われた際、昭和天皇が県庁屋上で詠まれた歌の歌碑を制作し設置されているほか、ベンチも設置して県民の憩いの場所として提供している。また庁舎内の一部約100平方mを、庁舎の歴史や概要を紹介する資料展示室として開放されている[8][6]。
南別館
南別館は1961年(昭和36年)10月30日に竣工した。地上4階の鉄筋コンクリート造である[9]。建築面積2,234.85平方メートル、延床面積は10,005.34平方メートル。本館の南側に位置する[10]。後に富山県防災危機管理センター建築のため、減築されている[11]。
東別館
東別館は1986年(昭和61年)7月30日に竣工した[12]。地上4階、地下1階の鉄筋コンクリート造である。建築面積682.50平方メートル、延床面積は約2,370.06平方メートル。本館の東側に位置する。
県議会議事堂
初代県会議事堂は、皇太子嘉仁(よしひと)親王(後の大正天皇)行啓記念事業として、富山城址(旧西ノ丸)に1909年(明治42年)に竣工した。現在の庁舎建設時には県会議事堂も庁舎内に併設され、富山大空襲後は当時の富山県知事高辻武邦の英断により、県庁内にあった県会議事堂を文化ホールとして使用していた[13]。
現県議会議事堂は1971年(昭和46年)2月16日に竣工した[14](2月10日に竣工式)。地上4階、地下1階の鉄筋コンクリート造で[15]、チョコレート色の外装で、議場は3 - 4階に吹抜けで階段状に設けられている[14]。建築面積848.21平方メートル、延床面積は約6,010.21平方メートル。本館の北西側に位置する。
2017年(平成29年)8月11日に耐震補強などを含めたリニューアル工事が完了し、木製ルーバーを用いた繊細で温かみのある外観デザインとなった[16]。
警察本部庁舎
警察本部庁舎は1994年(平成6年)5月20日に竣工した。地上11階、地下2階の鉄筋コンクリート造、インテリジェントビルである。本館の南西側に位置する[17]。
- 設計: (株) 岡田新一設計事務所[18]
- 施工:佐藤工業(株)北陸支店 戸田建設(株)北陸支店 林建設工業(株) 前田建設(株) JV[18]
- 平成6年度第25回富山県建築賞一般の部入賞[18]
富山県防災危機管理センター
大規模災害発生時の拠点として、南別館の一部を建て替え、2022年(令和4年)10月7日竣工、同年10月11日に運用開始。地上10階建てで、富山県が災害対策本部を置く90人収容の会議室や、自衛隊などの拠点となる部屋、ヘリポート、72時間連続運転が可能な非常用電源なども整備されている。この他、保育所が設けられている他、災害が起きていない平時には、一般の人が研修室などを利用することも可能である[11]。
ギャラリー
沿革
交通機関
脚注
- ^ 『とやま土木物語』 - 富山新聞社
- ^ 国会議事堂の設計を担当した大蔵省営繕管財局工務部長の大熊喜邦が監修し、設計は増田八郎。3年後に建てられた和歌山県庁舎のデザインは富山県庁に似ていることが知られている。和歌山は別の設計者だが、明治以来の全国の公共建築物は大熊博士ら中央のエリート官僚たちの指導で造られてきたので似ていて不思議はないとされる。
- ^ a b 『県庁舎本館有形文化財に 80才県の歴史物語る』北日本新聞 2015年3月22日24面
- ^ 『知事を知る<12> 県庁舎 全国5番目の古さ』北日本新聞 2020年10月20日31面
- ^ 平成27年8月4日文部科学省告示第125号
- ^ a b 『県庁本館国文化財に 審議会答申 竣工80周年の節目』北日本新聞 2015年3月14日35面
- ^ 『屋上庭園も7日から公開』北日本新聞 2018年5月3日3面
- ^ 『県庁舎屋上憩いの場に 昭和天皇の歌碑設置 緑化してベンチも』北日本新聞 2015年2月19日2面
- ^ a b 『富山市史 第四巻』(1969年12月20日、富山市編集・発行)305頁。
- ^ 富山県ホームページ 富山県庁舎施設のご案内(2018年2月11日アーカイブ) - 国立国会図書館Web Archiving Project。
- ^ a b c 県の新しい防災拠点「富山県防災危機管理センター」竣工式(NHK 富山 NEWS WEB、2022年10月7日)
- ^ a b 『県広報とやま』№212、1986年9月、23頁より。
- ^ 『富山県の昭和史』(1991年2月1日、北日本新聞社発行)101 - 102頁。
- ^ a b c 『富山市史 第五巻』(1980年3月10日、富山市役所編集・発行)246頁。
- ^ 『みんなの県政』(46/3 No.27 富山)2頁 - 5頁
- ^ a b 令和3年度 第52回富山県建築文化賞建築賞受賞作品(富山県建築士会、2022年1月24日投稿、2024年10月16日閲覧)
- ^ a b 『県広報とやま』№306、1994年7月、2頁『暮らしを守る新しい拠点に 警察本部庁舎竣工式』より。
- ^ a b c 公益社団法人 富山県建築会ホームページ 「平成6年度第25回富山県建築賞受賞作品」.2015年3月16日閲覧。
- ^ 富山県編、『越中史料』第3巻(877より881頁)、1909年(明治42年)9月、富山県
- ^ 富山市役所編、『富山市史』(327頁)、1909年(明治42年)9月、富山市役所
- ^ 富山県庁と富山城址 - 富山市
- ^ 富山県編、『越中史料』第3巻(908より909頁)、1909年(明治42年)9月、富山県
- ^ 富山県編、『富山県史 年表』(222頁)、1987年(昭和62年)3月、富山県
- ^ a b 富山県編、『富山県史 年表』(224頁)、1987年(昭和62年)3月、富山県
- ^ 富山県編、『越中史料』第4巻(148より149頁)、1909年(明治42年)9月、富山県
- ^ a b 富山県編、『富山県史 年表』(228頁)、1987年(昭和62年)3月、富山県
- ^ a b 『富山県の誕生』(2019年5月9日、浦田正吉著、楓工房発行)31頁。
- ^ 『富山県の誕生』(2019年5月9日、浦田正吉著、楓工房発行)58 - 59頁。
- ^ 富山県編、『富山県史 年表』(235頁)、1987年(昭和62年)3月、富山県
- ^ 富山県編、『越中史料』第4巻(331頁)、1909年(明治42年)9月、富山県
- ^ 富山県編、『越中史料』第4巻(341より343頁)、1909年(明治42年)9月、富山県
- ^ 富山県編、『富山県史 年表』(236頁)、1987年(昭和62年)3月、富山県
- ^ 富山県編、『越中史料』第4巻(344頁)、1909年(明治42年)9月、富山県
- ^ a b 富山県編、『富山県史 年表』(240頁)、1987年(昭和62年)3月、富山県
- ^ 富山県編、『越中史料』第4巻(495頁)、1909年(明治42年)9月、富山県
- ^ 富山県編、『富山県史 年表』(242頁)、1987年(昭和62年)3月、富山県
- ^ 富山市役所編、『富山市史』(459頁)、1909年(明治42年)9月、富山市役所
- ^ 富山県編、『越中史料』第4巻(739頁)、1909年(明治42年)9月、富山県
- ^ 富山県編、『越中史料』第4巻(749より751頁)、1909年(明治42年)9月、富山県
- ^ 村上陽一郎編、『富山県郷土の山水 呉羽山中心以東編』、1932年(昭和7年)7月、光洋社
- ^ a b 富山県編、『富山県史 年表』(264頁)、1987年(昭和62年)3月、富山県
- ^ 富山県編、『越中史料』第4巻(784より785頁)、1909年(明治42年)9月、富山県
- ^ a b 富山市役所編、『行啓紀念』(73頁)、1912年(大正元年)11月、富山市役所
- ^ a b 富山県編、『富山県史 年表』(274頁)、1987年(昭和62年)3月、富山県
- ^ 富山市役所編、『行啓紀念』(86頁)、1912年(大正元年)11月、富山市役所
- ^ 1.「陸軍大演習」/大正13年11月3日~11日 - 2014年(平成26年)10月10日、北日本新聞社
- ^ a b 港湾協会第九回通常総会富山準備委員会、『富山県の産業と港湾』(16頁)、1936年(昭和11年)5月、港湾協会第九回通常総会富山準備委員会
- ^ 『新聞に見る20世紀の富山 第1巻』(2000年5月20日、北日本新聞発行)188頁。
- ^ a b 富山県編、『富山県史 年表』(308頁)、1987年(昭和62年)3月、富山県
- ^ 富山県編、『富山県史 年表』(316頁)、1987年(昭和62年)3月、富山県
- ^ 富山県庁のご案内 - 富山県
- ^ a b 富山県編、『富山県史 年表』(318頁)、1987年(昭和62年)3月、富山県
- ^ 富山市史編纂委員会編、『富山市史 第三巻』(6頁より8頁)、1960年(昭和35年)4月、富山市史編纂委員会
- ^ 富山県編、『富山県史 年表』(338頁)、1987年(昭和62年)3月、富山県
- ^ 富山県編、『富山県史 年表』(344頁)、1987年(昭和62年)3月、富山県
- ^ 吉波彦作、『富山県行幸記録』(22頁)、1949年(昭和24年)10月、富山県
- ^ 吉波彦作、『富山県行幸記録』(280より289頁)、1949年(昭和24年)10月、富山県
- ^ 5.「富山国体」(上) 昭和33年10月18~22日 - 2014年(平成26年)10月16日、北日本新聞社
- ^ 『新聞に見る20世紀の富山 第2巻』(1999年7月30日、北日本新聞社発行)242頁。
- ^ 『北日本新聞』2010年4月6日付朝刊3面『外壁 景観に配慮 県庁南別館改修完了』より。
- ^ 富山県庁舎本館の国登録有形文化財(建造物)への登録について - 2015年(平成27年)9月12日、富山県
- ^ 県庁屋上庭園が完成 28日まで平日開放 - 2015年(平成27年)8月17日、北日本新聞社
参考文献
- 白井芳樹『とやま土木物語』富山新聞社、2002年。
- 『富山城址の変遷 富山城と私たちが暮らす街〜どのような糸でつながっているのでしょうか〜』(富山市郷土博物館)平成17年9月1日発行
関連項目
ウィキメディア・コモンズには、
富山県庁舎に関連するカテゴリがあります。
外部リンク